CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸の「神戸国際会館SOL(ソル)」がリニューアル on 2019-3-15

2019年03月31日 14時11分00秒 | 神戸情報
2019年3月15日、神戸の「神戸国際会館SOL(ソル)」がリニューアルされました。
報道によれば全体の約7割をリニューアル、店舗は53店舗を予定(現在54店舗)。

店内の撮影は禁止なので店の外観のみ写真で紹介します。
また、リニューアル関係報道サイトのリンク集を作成しました。


上の写真は神戸国際会館SOLの入口  撮影:2019-3-16


上の写真は神戸国際会館ソルのリニューアルポスター 撮影:2019-3-16



神戸国際会館SOL(ソル)のリニューアル関係報道へのリンク

https://www.lmaga.jp/news/2019/03/62539/

神戸国際会館SOLの公式サイト

http://kisspress.jp/articles/20080/

https://www.palcloset.jp/addons/pal/blog/detail/?article_id=83411&b=rivedroite&shop_code=15011&staff_id=5534

http://from-sora.com/news/2019/03/kobe_sol_20th_renewal/

https://koberun.net/blog-entry-神戸国際会館solがリニューアル-開業20周年を迎える.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00062539-lmaga-l28

2011年の神戸国際会館SOLのリニューアル

https://anna-media.jp/archives/74451

https://www.oricon.co.jp/article/737565/

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000026321.html

https://this.kiji.is/481092868354917473?c=388701204576175201







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮散策シリーズを書き終えて

2019年03月30日 04時31分35秒 | 神戸市以外の兵庫県
昨日(2019-3-29)、西宮散策シリーズの記事を書き終えることが出来ました。

本ブログではシリーズ全記事を掲載するとともに西宮市の概要を纏めてみました。


西宮散策記 on 2019-2-24の全記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

西宮散策記 on 2019-2-24 その3 西宮神社 境外末社 住吉神社

西宮散策記 on 2019-2-24 その4 洗戎川 旧水門の壁画 By 浜脇中学校美術部

西宮散策記 on 2019-2-24 その5 旧辰馬喜十郎住宅

西宮散策記 on 2019-2-24 その6 白鹿記念酒造博物館(主に酒蔵館)

西宮散策記 on 2019-2-24 その7 西宮蔵開2019 徳若

西宮散策記 on 2019-2-24 その8 白鷹禄水苑 蔵BAR

西宮散策記 on 2019-2-24 その9 白鷹禄水苑の展示室

西宮散策記 on 2019-2-24 その10 傀儡師故跡(くぐつしこせき)

西宮散策記 on 2019-2-24 その11 (最終回) 西宮神社


西宮市の基礎データ

 人口: 488,126人
 世帯数:214,891世帯
 面積: 99.96㎢


出所:兵庫県推計人口(兵庫県統計課) 平成30年10月1日現在

兵庫県下では神戸市、姫路市に次ぐ3番目の人口を誇る西宮市です。
4番目の尼崎市の人口は451,072人

感想
今回、西宮市の南部の酒づくりの地域を中心に散策して感じたことを述べます。

阪神香櫨園駅の夙川周辺は閑静な住宅街となっていて住民がボランティアで清掃作業に
汗を流して綺麗な環境を維持されていることに感心しました。
海岸沿いには防潮堤が設置はされてはいるものの台風時の高潮対策が現在のままで
良いのか(ポンプ場が不十分?、防潮堤の高さ?)疑問に思った。
酒造りの町として「蔵開き」などの行事を積極的に仕掛けられており地域活性化に
務められている姿を肌で感じた。
西宮神社でもイベントが開催され賑わっていた。
淡路の人形浄瑠璃や大阪文楽座のルーツとも言える傀儡師(くぐつし)の芝居小屋が
往時の1690年ころには西宮神社の周辺に約40軒あったとはこれまでまったく知らず
新しい知識を学べた。
西宮港の改修をした當舎屋金兵衛もまったく知らない人物であった。
その3 西宮神社 境外末社 住吉神社で記載


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮散策記 on 2019-2-24 その11 (最終回) 西宮神社

2019年03月29日 07時59分09秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年2月24日、徳若の万代大澤醸造で西宮蔵開2019年のイベントが開催されていたので
西宮に出かけていました。

その時に訪れた場所を写真紹介していきます。

今回はその第11回で西宮神社を取り上げます。
今回で最終回とします。




西宮散策シリーズの過去記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

西宮散策記 on 2019-2-24 その3 西宮神社 境外末社 住吉神社

西宮散策記 on 2019-2-24 その4 洗戎川 旧水門の壁画 By 浜脇中学校美術部

西宮散策記 on 2019-2-24 その5 旧辰馬喜十郎住宅

西宮散策記 on 2019-2-24 その6 白鹿記念酒造博物館(主に酒蔵館)

西宮散策記 on 2019-2-24 その7 西宮蔵開2019 徳若

西宮散策記 on 2019-2-24 その8 白鷹禄水苑 蔵BAR

西宮散策記 on 2019-2-24 その9 白鷹禄水苑の展示室

西宮散策記 on 2019-2-24 その10 傀儡師故跡(くぐつしこせき)

えびす宮総本社 西宮神社の基本情報
住所:西宮市社家町1-17  TEL:0798-33-0321
御祭神:第一殿(東) 蛭子命(えびすのみこと)=蛭子(ひるこ)神 通称ゑびす大神
    第二殿(中) 天照大神(あまてらすのおおかみ)
           大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
    第三殿(西) 須佐之男大神(すさのおのおおかみ)
創建時期:不詳だが大治3年(1128)9月21日「南宮歌合」が現在地(門妙社)で
     行われた記録があることから、この時代より前に創建されたと推察できる



えびす宮総本社 西宮神社の公式サイト:https://nishinomiya-ebisu.com/

本殿・拝殿







上の4枚の写真は本殿・拝殿の遠景と近景
戦国時代に兵火による消失・再建を繰り返したが、
本殿・拝殿共に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱公により寛文3年(1663)建立。
昭和20年(1945)8月5日の空襲で焼失。昭和36年(1961)に復旧。
この時、三連春日造で国宝に指定されていた本殿は木造で再建されたが、拝殿は構造
を変え鉄筋コンクリート銅板平屋建てに大きく変貌した。
平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で拝殿は異状なかったが本殿は大きく傾斜した。

拝殿下左右には、天保12年(1841)、八馬七兵衛等の奉納になる青銅製狛犬
及び明治32年(1899)白鷹酒造の辰馬悦叟氏志願奉納の青銅製の馬が夫々一対、有ります


上の写真に掲示のように当日(2019-2-24)の10時から天皇陛下在位30年を祝う
奉告祭が執り行われたようです。

境内略図と概要説明

上の写真は境内略図です。
出典:えびす宮総本社 西宮神社のリーフレット


上の写真は西宮神社の境内に掲示の境内図


上の写真は境内に掲示の由緒書き


上の写真は西宮神社の概要説明が書かれた現地説明板

「十日えびす」で有名な西宮神社。古来「戎の宮」と呼ばれた西宮神社は、福の神である
「えべっさん」の総本社として全国から崇敬を集めています。
主祭神は蛭子命(えびすのみこと)で蛭子命は伊弉諾(いざなぎのみこと)と
伊弉冉命(いざなみのみこと)との間に生まれた最初の神ですが、五体満足に生まれなかった
ために葦の舟に入れられ、おのころ島(淡路島といわれています)から流されてしまいます。
さらに和田岬の沖に出現します。和田岬には和田神社という古い神社が在り、和田神社の元の
神域は、現在地の西南800mの海岸の松林(今の三菱重工内)で「蛭子の森」と呼ばれていた。
神代の昔蛭子大神ご鎮座の場所を求めて淡路から本州に上陸された最初の地が和田岬で
蛭子大神が祀られた西攝津最古の聖地です。かって西宮神社の神輿が渡御されていたのも
このご縁によるものです。平成12年に9月挙行の西宮まつりで和田岬への渡御が復活した。
やがて、西宮浜(今津あたり)に漂着した蛭子命は、地元鳴尾村の漁師に拾われて育ち、
お祀りされていましたが、御神託により西の宮地に遷座されたのが起源と伝えられています。
古くより海運・商業そして漁業の神として厚く信仰されています。
創建時期は不詳だが大治3年(1128)9月21日「南宮歌合」が現在地(門妙社)で
行われた記録があることから、この時代より前に創建されたと推察できます。

鎌倉時代には、「十日えびす」の原型である居籠祭や御狩神事が行われており、室町時代には
七福神信仰の定着から「えびすさま=福の神」信仰の総本社として、西宮神社は益々栄えて
いきます。この繁栄には百太夫を始祖とする傀儡師の活動によるところが大きいと
考えられています。西宮神社の近辺には人形芝居の演者である傀儡師たちが多数住み着き、
神社の氏子として雑役奉仕に勤めていました。そんな彼らが各地を巡業してえべっさんの
神徳や縁起をもとにした演目を披露して戎の宮の神札を広めてまわった事で全国区の知名度
を誇る神社となりました。

表大門






上の3枚の写真は表大門(重文)
桃山時代(1573-1614)の建築 四脚門、切妻造、本瓦葺
重文指定年月日:1926.04.19(大正15.04.19)



上の写真は西宮神社表大門の現地説明板

大練塀(重文)







上の4枚の写真は西宮神社の大練塀と現地説明板
室町中期(1393-1466)の建造
重文指定年月日:1938.07.04(昭和13.07.04)

六英堂(旧岩倉邸)









上の5枚の写真は西宮神社の境内にある六英堂と現地説明板
当日は非公開で中を観覧することは出来ませんでした。


上の写真は「明治天皇御霊跡 六英堂」と書かれた石碑

神馬堂

西宮には馬氏。辰馬氏、葛馬氏、八馬氏、乙馬氏、六馬氏、小上馬氏など馬のつく
姓が多く見られ馬との関りが深い

祈祷殿



平成23年(2011)五十年毎の式年造替という嘉例に従いこれを記念して新築された。

青銅神馬の賛碑



上の2枚の写真は明治32年に奉納された青銅神馬の賛碑と現地説明板

冷泉為紀の歌碑



上の2枚の写真は冷泉為紀の歌碑と現地説明板
明治32年に辰馬家一統より奉納された拝殿前の青銅神馬の賛碑として詠まれた

手水舎


社務所


瑞寶橋

明治40年(1907)、白鷹初代の辰馬悦叟氏が奉納。二代目辰馬悦蔵氏が遺志をついで改修、
大正11年(1922)石橋青銅欄干の反橋が完成しました。
国の登録有形文化財(建造物)として平成25年(2013)3月29日に指定されました。


上の写真は現地説明板

伊勢神宮例拝所


松尾神社狛犬



上の2枚の写真は松尾神社狛犬と現地説明板

神池石垣寄進碑


境内の各神社

  南宮神社
  
  現在西宮神社の表門を入った正面左側に鎮座され一部土塀を巡らした立派なお社である。
  西宮神社の境内にあるが広田神社の管轄となっています。
  御祭神は豊玉姫神・大山咋神・厳島姫神・斎殿の四座

  百太夫神社
  

  
  上の2枚の写真は西宮神社の摂社「百大夫神社」と現地説明板
  芸能の神様として芸能人の参拝者が多いようです。

  
  上の写真は芸能上達を願う扇子

  大国主西神社
  
  元は阿弥陀堂という仏堂であったのを享保20年(1735)4月7日に神主の
  吉井良行が大己貴命(おおなむらのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)
  の二神を勧請。

  愛宕神社
  

  宇賀魂神社
  

  市杵島神社
  

  松尾神社
  

 西宮神社の摂社は他にも多くありますがデジカメが電池切れで撮影できず。
 この辺で筆を置きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮散策記 on 2019-2-24 その10 傀儡師 故跡

2019年03月28日 06時31分10秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年2月24日、徳若の万代大澤醸造で西宮蔵開2019年のイベントが開催されていたので
西宮に出かけていました。

その時に訪れた場所を写真紹介していきます。

今回はその第10回で傀儡師故跡(かいらいしこせき)を取り上げます。





西宮散策シリーズの過去記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

西宮散策記 on 2019-2-24 その3 西宮神社 境外末社 住吉神社

西宮散策記 on 2019-2-24 その4 洗戎川 旧水門の壁画 By 浜脇中学校美術部

西宮散策記 on 2019-2-24 その5 旧辰馬喜十郎住宅

西宮散策記 on 2019-2-24 その6 白鹿記念酒造博物館(主に酒蔵館)

西宮散策記 on 2019-2-24 その7 西宮蔵開2019 徳若

西宮散策記 on 2019-2-24 その8 白鷹禄水苑 蔵BAR

西宮散策記 on 2019-2-24 その9 白鷹禄水苑の展示室


上の写真は傀儡師 故跡と書かれた石碑と説明板




上の写真は上記「傀儡師故跡」の石碑と説明部の近景

明治時代の中頃に最後の傀儡師・吉田小六氏が廃業してからは傀儡師が完全に
姿を消す事となりました。この傀儡師故跡もそれを惜しんで建てられました。

淡路の人形浄瑠璃や大阪文楽座のルーツとも言える傀儡師(くぐつし)の芝居小屋は
往時の1690年ころには約40軒あったと言われています。
西宮神社の雑役を務め乍ら「人形繰り」で判り易く戎神の神徳を全国に広め西宮神社の
名前を有名にしました。西宮神社にとって「傀儡師」人々は恩人とも言えます。

説明部の要旨を転記しておきます。
「傀儡師」とは「くぐつし」とも「かいらいし」とも呼ばれ、人形芝居を行う
芸能者たちの事を指します。西宮には古くから傀儡師たちが住み着いており、
現在もこの碑ある地は産所と言いますが中世以来西宮のゑびすさまに係わる
人形まわしの一団がこの付近に定住し全国各地に人形をあやつりながら戎神の
神徳をわかりやすく説いて廻りました室町時代の末には京都の宮廷にも参入して
上覧に供した*1ことが記録に残っています。
またここの人形芝居の小屋へは尼崎城主松平候の息女たちも度々見物に来
当時一般大衆に歓迎されてなかなか盛大であったのが幕末の頃から衰退して
遂に惜しくも消滅してしまいました。西宮から操の技を伝えたと言われている
淡路や大阪文楽座の人形浄瑠璃はわが国固有の伝統芸能として尊重され
今日に至っているのであります。
西宮神社名誉宮司  吉井良尚 撰


*1「御湯殿上日記」によれば永禄11年(1568)に、西宮の「ゑびすかき」が
  宮中に参入し繰りを上覧に供したと記載。

酒造の町・西宮は、彼らの地道な活動のおかげで「えべっさんの宮」としても有名になり、
全国各地で行われていた「えびす信仰」が「西宮えびす」を総本社として収斂されていく
事となりました。彼らの人形芝居の評判は高く、安土桃山時代には評判を聞きつけた
後陽成天皇が西宮の「えびすかき」を御覧になったという記録も残されています。


上の写真は「史跡 傀儡師故址」と書かれた石碑


上の写真は現地説明板。そのまま転記し添付しておきます。
この附近は昔産所といわれた所で1690年頃には40軒程の傀儡師(人形操を業とする者)
が住んでいた。傀儡師は遠く平安末期に現れ傀儡師、木偶まわし、人形まわしなどと
呼ばれ諸地方を巡廻興業していたが室町時代にはいるとその一部がこの産所の地に
住みつき西宮神社の雑役奉仕のかたわら神社のお札を持って諸国を巡り、お得意の人形を
踊らせながらご神徳をひろめた。                    
1590年頃にはその人形芸が「えびすかき」又は「えびすまわし」といわれて全国的に知られる
ようになりたびたび京都の宮廷で天覧を受けるまでになった。さらにその後発展して淡路の
人形座や文楽人形浄瑠璃芝居へと成長していった。                          
しかし1850年頃から彼らはおいおいこの地からなぜか姿を消してしまった。おそらくは世相の
変遷や好みの変化によるものと思われる。傀儡師らは永らくこの産所の地に住み祖神と信ずる
百大夫を崇拝して神社にまつり守護神としたがその社は産所の地が1840年頃に衰微するに至った
時すぐ近くの西宮神社の境内に移されて現存している。
 


上の写真は摂津名所図会に描かれた人形繰り
「くぐつ」の人達が演じた人形繰りを「夷〈ゑびす)かき」または「夷まわし」と言われていました。 




上の2枚の写真は西宮神社の摂社「百大夫神社」と現地説明板
芸能の神様として芸能人の参拝者が多いようです。

銅像や石碑のある場所が書かれた地図も添付しておきます。

上の写真の地図の右下に5番の数値が書かれた場所に建っています。
(地図はうえが南に表記されていますので注意が必要)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮散策記 on 2019-2-24 その9 白鷹禄水苑の展示室

2019年03月27日 04時13分49秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年2月24日、徳若の万代大澤醸造で西宮蔵開2019年のイベントが開催されていたので
西宮に出かけていました。

その時に訪れた場所を写真紹介していきます。

今回はその第9回で白鷹禄水苑の展示室を取り上げます。





西宮散策シリーズの過去記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

西宮散策記 on 2019-2-24 その3 西宮神社 境外末社 住吉神社

西宮散策記 on 2019-2-24 その4 洗戎川 旧水門の壁画 By 浜脇中学校美術部

西宮散策記 on 2019-2-24 その5 旧辰馬喜十郎住宅

西宮散策記 on 2019-2-24 その6 白鹿記念酒造博物館(主に酒蔵館)

西宮散策記 on 2019-2-24 その7 西宮蔵開2019 徳若

西宮散策記 on 2019-2-24 その8 白鷹禄水苑 蔵BAR

白鷹禄水苑の敷地内には「暮らしの展示室」と「白鷹集古館」の2つの展示室があります。
これらの展示のうち印象に残った展示内容について写真紹介していきます。

暮らしの展示室


上の写真は本座敷の雛飾り。
このお雛様は15人揃いの雛人形で昭和初期に京都の丸平大木人形店で製作された
有職雛です。丸平が人形司として黄金期を迎えた、五世大木平蔵の作です。
男雛、女雛の頭は当時名人と名高い面屋庄次郎の作です。
男雛と女雛の配置は関東で一般的なもので関西地方とは逆となっています。
大正天皇が西欧の王侯貴族のしきたりに習い皇后を右側に置かれた肖像写真を
公表されたことから右に男雛、左に女雛を並べることが一般的になったとのこと。


離れ座敷の雛飾り
15人揃いの人形と同じ作者だそうです。
右手に嫁入り道具を入れた容器が展示されていますが、この中に市松人形が入っている
との説明書きがありました。市松人形は嫁入りの時に禍を人形にもらおうと、人形を
抱いて輿に乗るという風習があったそうです。


上の写真は茶の間-商人の食膳の展示




上の2枚の写真は辰馬家旧宅のパネル展示


上の写真は2階入口付近のパネル展示


上の写真は造り酒屋の女性像をテーマとした展示


上の写真は富岡鉄斎(1836~1924)と辰馬悦叟(えっそう)の写真と説明パネル
富岡鉄斎と西宮で酒造業を営む北辰馬家初代悦叟(1835~1920)の親交は、明治40年(1907)
北辰馬家初代の辰馬悦叟73歳、富岡鉄斎72歳の頃より始まり、鉄斎が89歳で亡くなるまで
続きます。富岡鉄斎の作品約150点が残っているそうです。




上の2枚の写真は富岡鉄斎と辰馬悦叟との合作の作品と説明パネル


上の写真は展示室遠景

白鷹集古館

上の写真は白鷹集古館の建物外観


上の写真は集古館の概略展示内容






上の3枚の写真は伊勢神宮御料酒の関連展示


池田厚子様の来場写真


上の写真は樽廻船の模型


上の写真は2階展示室遠景


上の写真は宮水に関する説明パネル


上の写真は白鷹の製造量推移


上の写真は酒米(山田錦)村米制度のはじまり物語の説明パネル
三木市吉川(旧奥吉川村)の山田篤次郎と白鷹の初代悦蔵(悦叟)とが明治26年(1893)
頃、苦労して山田錦の品種改良に取り組んだ。


上の写真は白鷹の酒蔵


上の写真は杜氏の出身地の説明パネル

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」 第6回原画展 IN 名谷

2019年03月26日 05時05分22秒 | 神戸情報
昨日(2019-3-25)、北須磨文化センターで則長満先生の時事講話「最近の世界・日本は?」
の講演を受講するために北須磨文化センターに行っていました。

その時に西岡正興氏が創作している画の展示会のリーフレットを入手しましたので
写真紹介します。是非、観覧したいと思っています。

まず、イベントの内容を記しておきます。

1.イベント名:
  西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」 第6回原画展 IN 名谷

2.開催日時:
  2019年4月19日(金)~30日(火)
  9:00~17:00
  初日は14:00から 最終日は15:00まで

3.会場:
  北須磨文化センター 1階ギャラリー
   (神戸市須磨区中落合3丁目1-12)

4.問い合わせ:
  北須磨文化センター 078-791-0840

5.案内リーフレット:
  下に添付しておきます。




西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」の公式サイト
  http://www.eonet.ne.jp/~machinamiisan/

神戸市の風景では垂水区の舞子(移情閣と明石海峡大橋、舞子ホテル、旧木下邸、
武藤山治邸と舞子ビラ)、中央区の北野、旧居留地、相楽園、北区の淡河宿、
有馬温泉(親水公園、湯本坂、金の湯、太閤の湯殿)の画を描かれています。





 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尼崎城跡の訪問記 on 2019-3-3

2019年03月26日 04時12分16秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年3月3日(日)、尼崎市総合文化センターで開催の平成30年度尼崎市立文化財収蔵庫
出張企画展「尼崎史を彩る人びと」の展示を観るために阪神・尼崎に来ていました。

その折に、3月29日にグランドオープン予定の尼崎城の模擬天守を中心とした尼崎城跡の
周辺を散策してきましたので写真紹介します。




上の2枚の写真は3月29日にグランドオープン予定の尼崎城のPR看板
(阪神電鉄株式会社の神戸三宮駅に設置)

尼崎城のオープニングイベントの詳細については下記サイトを参照して下さい。
 http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/shiro/1015591.html

  神戸の清盛隊も参加するようです。

 http://kisspress.jp/articles/21577/

模擬天守



上の2枚の写真は尼崎城跡の模擬天守の遠景(阪神電車 尼崎駅より撮影)






上の3枚の写真は角度を変えて撮った模擬天守


上の写真は尼崎城天守(南面)
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット


上の写真は荻原一青画「旧尼崎城」 「図説 尼崎の歴史」下巻より

「明治初期に取り壊された尼崎城について、尼崎市は2015年11月25日、ミドリ電化
(現エディオン)創業者の安保(あぼ)詮(あきら)さん(82)と城の復元に
関する協定を結んだ。」

昨日(2015-11-26)、上記のニュースが各報道機関で報じられました。
安保氏が私財の10億円(最大15億円)を投じて尼崎城の天守閣を再建しよう
とするものです。安保氏は尼崎市への恩返しと言われています。

ここで模擬天守についてWikipediaより引用紹介します。
2016年に、旧ミドリ電化の創業者の安保詮が「創業の地に恩返ししたい」と約10億円の
私財を出して、天守を再建し尼崎市に寄贈するため市有地の利用などについて市と協定
を結んだ。大きさや外観は当時の建物を再現するが、再建場所は本来の場所ではなく
北西約300メートルの公園内となる鉄筋コンクリート造で地上5階、床面積は1409㎡に
なる予定。 尼崎市は、「一口城主」や記名される「一枚瓦」による寄付とサポーターの
募集、イベントなど行っている。
2016年(平成28年)12月20日:工事着工。
2018年(平成30年)10月:完成。
2018年(平成30年)11月30日:市に寄贈。
2019年(平成31年)3月29日に内部の一般公開の予定。


尼崎城の縄張り

上の写真は松平氏時代の尼崎城縄張り
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット


上の写真は萩原一青画「尼崎城(琴浦城)復元鳥瞰図」
北が上になるように原画を180度回転させています。
出典:図説 尼崎の歴史 下巻

尼崎へ入封した戸田氏鉄が元和3年(1617)に築城したのが尼崎城である。
本丸の位置は、中世の絵図を参考にすれば、本興寺の故地に当たる。

3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と
3棟の三重櫓が上げられた。全体では17棟の櫓が設置されていました。
西の外堀は庄下川を利用

明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊された。


上の写真は廃城直前の尼崎城(撮影:明治初年)
手前が武具櫓、右手奥が天守。

明治6年(1873)の廃城令により建物撤去に続き明治半ばまでに二の丸西側と松の丸
の東側の一部が埋め立てられ、続いて明治後半には北側外濠が六島新田として宅地開発
されます。さらに大正7年(1918)から15年かけて、尼崎市が国から内濠の払い下げを
受けて埋め立て、市庁舎、学校用地などに利用していきます。
本丸部分には明治26年(1893)小学校が設置され、のちに南半分が城内小学校(現明城小)
となったほか、大正2年(1913)には高等女学校が北側部分に開設され、その後市立尼崎高校
さらには城内中学校となりました。

現存する水路を確認するため尼崎市立中央図書館(尼崎市北城内27)を中心としたGoo地図
を添付しておきます。


本丸模型

上の写真は本丸模型
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット

本丸御殿の棟瓦



上の2枚の写真は桜井神社境内に展示の本丸御殿の棟瓦と説明板

尼崎城外堀の石杭句碑



上の2枚の写真は桜井神社境内の尼崎城外堀の石杭句碑と説明板

歴代藩主
Wikipediaより歴代藩主を添付しておきます。

戸田家

譜代 5万石 (1617年 - 1635年)
1.氏鉄


青山家

譜代 5万石→5万4千石→4万8千石 (1635年 - 1711年)
1.幸成
2.幸利
3.幸督
4.幸秀


松平〔桜井〕家

譜代 4万8千石→4万石→4万5千石 (1711年 - 1871年)
1.忠喬
2.忠名
3.忠告
4.忠宝
5.忠誨
6.忠栄
7.忠興


尼崎城跡石碑






上の3枚の写真は尼崎城跡石碑と現地説明板
四角堀、伏見門のあった位置に石碑が設置されています。
(明城小学校の敷地の西南の道路に面して設置)

尼崎城関係年表

上の写真は尼崎城関係年表
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット

尼崎城下町

出典:尼崎城ミニ事典 尼崎市立地域研究史料館作成

関連ブログ
 尼崎藩第2代藩主青山幸利が眠る安養寺

 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その11(最終回・完) 尼崎城跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮散策記 on 2019-2-24 その8 白鷹禄水苑 蔵BAR

2019年03月25日 03時42分05秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年2月24日、徳若の万代大澤醸造で西宮蔵開2019年のイベントが開催されていたので
西宮に出かけていました。

その時に訪れた場所を写真紹介していきます。

今回はその第8回で白鷹禄水苑 蔵BARを取り上げます。

ランチを兼ねて寄りました。
白鷹禄水苑 蔵BARは土・日・祝日のみの営業です。


西宮散策シリーズの過去記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

西宮散策記 on 2019-2-24 その3 西宮神社 境外末社 住吉神社

西宮散策記 on 2019-2-24 その4 洗戎川 旧水門の壁画 By 浜脇中学校美術部

西宮散策記 on 2019-2-24 その5 旧辰馬喜十郎住宅

西宮散策記 on 2019-2-24 その6 白鹿記念酒造博物館(主に酒蔵館)

西宮散策記 on 2019-2-24 その7 西宮蔵開2019 徳若

蔵元直送の特別限定酒が楽しめる白鷹禄水苑 蔵BARで食事を紹介していきます。

白鷹禄水苑 蔵BARの基本情報
住所:西宮市鞍掛町5-1 白鷹禄水苑内  TEL:0798-39-0235
営業時間:12:00~19:00(カウンター席) 11:00~18:30(テイスティングBar)
営業日:土、日、祝のみ営業 白鷹禄水苑の定休日:第1・3水曜


公式サイト(白鷹禄水苑):https://hakutaka-shop.jp/


上の写真は当日いただいた昼下りの一杯セット 1,000円(税込)










上の5枚の写真はメニュー表


上の写真は店内の様子


上の写真は玄関入口


上の写真は建物外観




上の2枚の写真は店頭の看板


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年明石城築城400周年 オープニング式典 on 2019-3-23

2019年03月24日 04時15分02秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年3月23日(土)、2019年明石城築城400周年 オープニング式典が行われました。
当日の様子を写真紹介します。


上の写真は明石城築城400周年の記念イベント(2019年3月23日~11月30日)の看板

JR西日本は「ちょこっと関西 歴史たび」というキャンペーンを2013年から実施
されています。毎年、春、夏、秋、冬の4回。関西の由緒ある史跡を選び、期間限定の
特別公開や特別講座、ガイド付きウォークなど魅力的な企画です。

2019年1月12日(土)から3月22日(金)までは明石城のキャンペーンです。
このキャンペーンの後のイベントとして今回のイベントが企画され、3月23日は
その初日となる為、オープニング式典が行われた次第です。

2019年明石城築城400周年のイベント内容全体は下記ブログで書いています。
 明石市市制施行100周年イベント予定 目玉は11月23日-24日開催予定のB-1グランプリ


上の写真は3月23日(土)のイベント内容です。




上の2枚の写真は城下町グルメフェスタと名付けたイベントの内容です。
明石城築城400年を祝い、県内の城下町(伊丹、姫路、たつの、赤穂、佐用、丹波篠山、
洲本)や地元明石周辺の名物グルメが西芝生広場に集結しました。


上の写真は佐用町(右)、淡路・洲本(左)のブース


上の写真は姫路(右)、伊丹(左)のブース


上の写真は伊丹のブース


上の写真は伊丹(右)と赤穂(左)のブース


上の写真はたつの(右)と丹波篠山(左)のブース


上の写真は高砂(右)と加古川(左)のブース










上の5枚の写真は明石のブース

開会式典


上の写真は「ときうち太鼓」の音を合図で開幕された開会式典
この時間帯には坤櫓の3階におり実際には写真を撮れなかった為、サンテレビの放映
影像を添付しました。


上の写真は坤櫓の3階より撮った開会式典の様子(10時20分)




上の2枚の写真は開会式典会場(9時30分頃)

「史跡明石城跡」石碑除幕式









上の写真は5枚の写真は「史跡明石城跡」石碑除幕式の様子です。




上の2枚の写真は除幕式を盛り上げてくれた子供達の記念写真

小笠原忠真公のパネル

上の写真は太鼓門付近の小笠原忠真(おがさわら ただざね)公のパネル(記念写真用)

明石城の概要説明を明石城パンフレット(一部加筆)より引用紹介します。

「元和三年(1617)、小笠原忠真(おがさわら ただざね)が信州松本より
明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1km程の所にあった船上
(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する
備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。
徳川秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、3ヶ所の
築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目
(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
この頃、姫路藩本多忠政に仕官していた宮本武蔵が町割り図を作った。

石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ、
工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二の丸等の城郭中心の石垣、
三の丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり
、幕府より
派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。
幕府直営工事は本丸、二の丸、三の丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は
幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。

普請を終え、同年九月から藩主忠真により櫓、御殿、城門、塀などの作事
(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城と
なった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。
創建当初の坤櫓については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け
移築されたことを示している。
「坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建ル」
                          『小笠原忠真年譜』
「幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也」
                           『笠系大成附録』
各建物の建築は翌元和六年(1620)四月に完了した。

築城当初の明石城は、本丸に三層の御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの、天守は建てられなかった。」



上の写真はCGで再現された明石城 手前は居屋敷部、奥は本丸
寛永8年(1631)三の丸下屋敷から出火した火災で本丸にあった本丸御殿は
消失してしまいました。


上の写真は昔の明石城を示したもです。
現在は無い外堀や外堀の門、居屋敷の周囲に設けられていた内堀、さらに現在は一部
埋め立てられた中堀のかっての姿がわかります。
出典:郷土の城ものがたり 東播磨編 兵庫県学校厚生会(1973)Page14


上の写真は1月12日(土)18:30からのテレビ大阪の番組「おとな旅あるき旅 
兵庫・明石へ!冬に食べたい瀬戸内の幸と明石名物を堪能」よりジオラマに主要な
名称を記載したものです。


上の写真は明治19年(1886)測量の大日本帝国参謀本部陸軍部測量局が作成した地図に
掘、川、海、池など水に関する場所と西国街道を色付けしたものです。
外堀や藩主の居舘のあった内堀が正確に描かれているので江戸時代後期の姿に近いものが
推定できる地図でもあります。
また中堀でも現在は埋め立てられて見られない部分の以前の状態が判る。
出典:明石城関連絵図資料集Ⅱ 明石葵会 平成29年(2017)3月発行 Page44


上の写真は小笠原忠政(のちの忠真)の関係系図です。
徳川家との関係が深いことが判ります。


上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。

明石城の恩人とも言える旧明石藩士の石巻清忠について書いた小生のブログ記事にリンク
して筆を置きます。
 廃藩置県後の明石城と2つの櫓を守った石巻清忠
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三田市 ロカボア レストラン ブレッツァ でのランチ on 2019-3-22

2019年03月23日 04時34分03秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年3月22日(金)、三田市のカルチャーセンター内の三田まほろばブレッツア
のロカボア レストラン ブレッツァ でランチを頂きましたので写真紹介します。
初訪問です。

三田まほろばブレッツアは昨年(2018年)6月3日にオープンした「グローサラント」型の
セレクトショップです。
「まほろば」は素晴らしい場所を意味する古語。「ブレッツァ」はイタリア語のそよ風。
レストランと厳選した兵庫県産の食品を品揃えしたスーパーの融合施設。
スーパーは見ているだけでも楽しめます。

ロカボア レストラン ブレッツァ の基本情報

住所:三田市学園4丁目-1 三田まほろばブレッツァ TEL:079-556-7102
営業時間:11:00~15:00(LOは14:00) 定休日:なし(無休)
英文表記:Sanda Mahoroba Brezza Locavore Restrant BREZZA


公式サイト:http://www.mahoroba-brezza.com/
公式FB:https://www.facebook.com/Mahoroba.Brezza/


Goo地図を添付しておきます。


locavoreとはlocal(地元)+vore(~を食べる生き物)で構成された言葉で、
地元のものを食べる=地産地消を表しているそうです。

当日は但馬牛ハンバーグステーキ(800円)にビュッフェ形式のセットメニュー(550円)
をつけて1,350円(税込)を選択しました。


上の写真はメインの但馬牛ハンバーグステーキ




上の2枚の写真はビュッフェ形式のサラダとスープ




上の2枚の写真はメインと一緒に食べたビュッフェ形式のカレーライスとパン


上の写真はデザートとして食べたパウンドケーキ、豆腐のヨーグルトとホットコーヒー

全体にどれも美味しく頂きました。


三田祥雲館高校、関西学院大学の学生さんは学生証提示で10%OFFとなります。


上の写真は2019年3月1日からリニューアルオープンの掲示

メニュー表







上の4枚の写真はメニュー表

三田まほろばブレッツア外廻り

上の写真は駐車場側から観た三田まほろばブレッツアの建物外観


上の写真は外に設置の自動販売機
おしゃれな外観です。




上の2枚の写真はカルチャーセンターの住居地区の一画でマンション群です。




上の2枚の写真は関西学院大学三田キャンパスの建物と校内案内図
三田キャンパスには理工学部と総合政策学部が入っています。




上の2枚の写真は兵庫県立祥雲館高校キャンパスの建物と校内案内図

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする