Wikipediaでは神戸デパートを次のように解説されています。
1965年(昭和40年)11月23日に130店舗が入居して開業した商業施設。
入居に際しては神戸都市振興株式会社と契約するが、入居する床部分との契約ではなく、
上の2枚の写真は昭和49年(1974)2月17日(日)の深夜に少年による放火が原因による
阪神淡路大震災に被災
上記のように神戸デパートは火災に遭ったが、再建され再びオープンした。
昔の資料を整理していたら沖縄宝島 琉球ワールドのリーフレットが出てきました。
沖縄宝島 琉球ワールドは2004年11月19日にオープンした商業施設で2013年2月28日閉店となりました。
リーフレットの内容を保存するという意味からブログを作成することにしました。
上の写真はリーフレットの表紙
上の写真は琉球ワールドの基本情報的な内容の部分
所在地:神戸市長田区大橋町6丁目1番1-102号
営業時間:10:00~20:00 沖縄食堂は11:00~20:00
上の4枚の写真はPRの内容
2004年11月19日にオープンした当日にはNHKテレビドラマ「ちゅらさん」に出演した女優の平良とみが一日店長を務めた。
沖縄の物産を販売するという店舗であり、同様の店舗の中では国内最大級の規模であった。阪神・淡路大震災で被災した地域の再開発プロジェクトで建てられたビルの1~2階をスペースとし、計757坪の売り場を持つという規模であった。神戸市から出店を要請し神戸市再開発課長は、この地域を震災前よりも発展させるとしていた。そしてこの地域には琉球文化圏の出身者も多く、町の中に沖縄を感じる空間、沖縄の持つ元気と風を望んでいた。この地域で定期的に行われている「琉球祭」では屋台の出店を行っていた。2013年2月28日閉店
以上はWikipediaより引用。
参考サイト
神戸・新長田から沖縄の元気発信!「琉球ワールド沖縄宝島」 (ti-da.net)
2009年10月3日~11月23日(52日間)の会期で神戸ビエンナーレ2009
が開催されていました。
主催:神戸ビエンナーレ組織委員会・神戸市
リーフレットよりピックアップした写真を添付しておきます。
上の写真はメイン会場のメリケンパーク会場の様子が判るイラスト
上の写真は4つの会場の紹介
上の写真はチケットの種類と料金
上の写真は参加作家の略歴紹介
上の写真はリーフレットの表紙
本日は昭和10年(1935)に木材商の室谷藤七(むろたに とうしち)氏の自邸
として建築され、平成19年(2007)2月に解体され現在はマンションが建って
いる旧室谷邸を取り上げます。
旧室谷邸の基本情報
住所:神戸市須磨区離宮宮前町2丁目 所有者:室谷藤七
設計:W.M.ヴォーリズ 施工:竹中工務店
着工:昭和9年(1934) 竣工:昭和10年(1935)
これから紹介する写真は特記しない限り須磨離宮公園内に2010年4月に完成した
馬の水のみ場「泉の水」モニュメントの解説板からのものです。
撮影は2020年7月25日(土)
旧室谷邸の写真
上の写真は南側外観(大震災後1996)*3
上の写真は室谷邸の邸宅と庭園
出典:須磨の近代史 明治・大正・昭和史話 2版 (2007) Page72
チューダーゴシックと呼ばれるイギリス中世期の様式 木造2階建(一部3階)
壁面に部材が露出させるハーフティンバーや急こう配の切妻屋根に特徴がある。
昭和12年(1937)に茶匠是足庵の設計され、数寄屋棟梁の平田雅哉によって、
母屋の西側にあった茶室(松風庵と命名)は現在、神戸女学院内、北東に移築。
昭和20年(1945)の神戸空襲による損害がなかったので終戦後、昭和21年(1946)
から昭和26年(1951)進駐軍に接収された。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災では損壊があった。
平成19年(2007)2月に解体され現在はマンションが建っています。
上の写真は旧室谷邸 入り口付近
出典:須磨の近代史 明治・大正・昭和史話 2版 (2007) Page72
上の2枚の写真は泉水を中心に撮ったもの 2007年 *5
上の写真は東側外観(2005年)*1
上の写真は門屋内部(門側・1996年)*3
上の写真は門屋内/主や玄関(創建時1935年)*1
上の写真は 居間内部(創建時 1935年)*1
上の写真は食堂(隣室は居間) 創建時・1935年 *1
上の写真は南庭園(創建時・1935年)*1
上の写真は1階の平面図 *1
上の写真は2階平面図 *1
上の写真は現地解説板の全体遠景
室谷邸は昭和8(1933)年ヴォーリズ建築事務所(建築家W.M.VORIES/ウイリアム・
メレル・ヴォーリズ)の設計により翌年建てられた英国の伝統的様式のチューダー・
スタイルによる主屋(建築面積85坪・約280㎡)を中心とする邸宅であった。主屋は
鉄筋コンクリート造の地階をもつ木造であるが、外観の1階部は煉瓦造、2階部は
ハーフティンバー、急勾配のスレート屋根、化粧煉瓦積みの煙突を立ち上げていた。
外部の意匠では煉瓦塀に取り付く門屋の屋根が伸び主屋に接続し、渡り廊下風の
玄関ポーチの構成が目を惹いた。内部では楢材の木目を生かした繊細な表現が凝ら
された印象をうける意匠だった。ヴォーリズ建築事務所の設計になる同様式の住宅
に昭和7(1932)年の旧下村邸(現大丸ヴィラ・京都市に現存)が良く知られる。*2
写真の原出典:
*1 ヴォーリズ建築事務所作品集・1908-1936 城南書院発行
*2 兵庫県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 2006年刊
*3 山形政昭氏より写真提供
*4 中尾嘉孝氏より写真提供
*5 橋本健治氏より写真提供
室谷邸が存在していた時代に撮られた写真が掲載されたサイトにリンク
http://michiyo0520.blog20.fc2.com/blog-entry-552.html?sp
http://sano567.my.coocan.jp/muroyatei/index.htm
https://fkaidofudo.exblog.jp/7368421/
https://blog.goo.ne.jp/hirohiro009/e/248ef1a8edde0639d919e4e1d2aec7dc
https://trystero.exblog.jp/8878811/
https://gipsymania.exblog.jp/4426825/
モニュメント 「泉水」について
設置場所:須磨離宮公園東入り口付近
設置:神戸市教育委員会事務局 竣工:平成22年(2010)3月
モニュメント作成:遊空間工房(設計協力:意匠人設計房)
協力:離宮前赤れんが不滅会/伊藤ハウジング・藤井工務店・絞郎美術工房
四国工業・シンプロ/須磨ライオンズクラブ
上の写真はモニュメント「泉水」 撮影:2020-7-25
以下現地説明板の解説より引用。
室谷邸が存在したことの証しを保存継承するものとして保管されている一部の
解体撤去材の中から、表門の横にあって親しまれていた「泉水」の吐水部の石彫
「男の子の顔」を再活用してモニュメントとした。
室谷邸のイメージをよく伝える赤い化粧煉瓦(レンガ)は、残存していた車庫の
内壁部分から採取し転用しています。
上の2枚の写真は室谷邸モニュメント整備記念 植樹「セイヨウニンジンボク」
離宮公園赤れんがの会 平成22年(2010)10月30日実施
室谷邸モニュメント「泉水」について整備された時期に書かれたサイトにリンク
https://ameblo.jp/suma-hajime/entry-10518752141.html
旧室谷邸の現況
上の写真は旧室谷邸の跡地に建ったマンション(中央)の遠景
撮影:2020-7-11
山・海へ行く
昭和30年代に入ってからの大都市圏への急激な人口の流入、産業の集中に伴い、臨海部の
産業用地の造成が緊急の課題となり、神戸港の東西への発展拡張を求め、東西臨界工業地帯の
造成が進められた。
東部地区では鶴甲山からはベルトコンベヤ方式で、渦ケ森からは住吉川河中のダンプ道路により
埋め立て用土砂が運搬されました。
一方、西部の臨海工業地帯の造成とポートアイランド、六甲アイランドの造成さらに神戸空港の
造成の為に高倉、横尾、名谷、西神流通業務団地、総合運動公園、研究学園都市から土砂の
採取が行われました。
土砂の運搬にはベルコンベヤ方式が採用され須磨海岸の一の谷川の河口まで運搬し6,000㎥の
ホッパーをもった船積み施設から海上輸送(日本で初めてのプッシャーパージ方式)で土砂
が運搬されました。
ベルトコンベア及び付属設備は昭和38年(1963)から1年がかりで設置(費用約10億円)され
昭和39年(1964)1月16日に運転が開始された。ベルトコンベヤは平成17年(2005)まで稼働。
須磨海岸から神戸複合産業団地(西区見津が丘6付近)までのベルトコンベヤの総延長は約14.5Km。
Youtube動画を観ていたら須磨ベルトコンベアの貴重な動画がアップされていたのでGooで共有。
ARSGW-0403F【山陽本線】須磨ベルトコンベヤ【神戸市】 有栖川のミニィさん
ベルコンベヤ稼働時の写真など
須磨ベルトコンベヤの遠景 出典:1)の表紙
上の2枚の写真は一の谷川河口の須磨の桟橋 出典:2)
上の写真はベルトコンベヤの路線図 全体 出典:2)
上の写真は須磨ベルトコンベヤ(須磨海岸~高倉山)路線図
出典:1) Page25&77
標高291mの高倉山を約140mほど削り取る計画
完全に平地にする計画であったが住民の反対運動でおらが山だけが残されました。
おらが山は昭和46年(1971)に緑化(公園整備)され現在も存続しています。
地域の住民の憩いの場となっています。おらが山の現在の標高は206m。
関連ブログとしておらが山茶屋への訪問記(2008-6-7)にリンクしておきます。
上の写真は須磨ベルトコンベヤ(須磨海岸~横尾)路線図
出典:1) Page104
採用されたベルトコンベヤの幅は2.1m(日本では最大) 毎時2,100㎥(4,600トン)の能力
上の写真は高倉山の土砂採掘現場 出典:2)
上の写真はストックパイル 出典:2)
上の写真はプッシャーパージ 出典:2)
プッシャーパージによる土砂の運搬は世界で初めての試みであったといわれる。
プッシャーパージは押し船(プッシャー)が駆動装置を持たない艀(バージ)の後部から押す輸送方式。
上の写真は アンローダー 船から土砂を積み出す設備 出典:2)
上の写真はポートアイランドの造成工事と完成したポートアイランド 出典:2)
上の写真は神戸市東西臨海工業地帯の地図
上の2枚の写真は東部埋立地(全景) 出典:2)
上の2枚の写真は西部埋立地 出典:2)
ポートアイランドの造成は昭和56年(1981)、六甲アイランドは昭和63年(1988)、
神戸空港は平成18年(2006)に竣工
須磨ニュータウンからの埋立用土砂量と埋立地
上の写真は須磨ニュータウンからの埋立用土砂量と埋立地 出典:2)
全体の埋立用土取り量は約3億2千万㎥(約5億8千万トン)である。
須磨ニュータウンについて基本情報を纏めておきます。
団地名 概略人口(2010) 面積
入居年 施工者
北須磨 昭42(1967) 0.6万人 兵庫県労働者 80ha
(友が丘) 住宅生活協同組合
白川台 昭45(1970) 1.0万人 白川土地区画整理組合 70ha
高倉台 昭48(1973) 0.8万人 神戸市開発局 120ha
名谷 昭50(1975) 2.1万人 神戸市開発局 280ha
落合 昭53(1978) 2.6万人 住宅都市整備公団 240ha
横尾 昭54(1979) 0.9万人 神戸市開発局 240ha
須磨ニュータウンは一番新しい横尾団地でも約40年の歴史があり、人口の
高齢化率=65歳以上の人の割合は 6団地全体では約26%で西神ニュータウンの
15%と比較すると高い友が丘などではすでに42%でありかなり高齢化の街
であると言えます。団地の中にはエレベーターの無い建物も多数あり高齢者の
住み替え支援や若い世代に住んでもらうための施策などが必要である。
上の写真は須磨ニュータウンの構成団地の位置図
須磨ベルトコンベヤ跡の現況
上の2枚の写真は須磨ベルトコンベヤ跡地の説明板 撮影:2019-7-4
ベルトコンベヤの土台であったコンクリート土台が残されています。
高倉山へはほぼ一の谷川沿いにベルトコンベヤが走っていました。
上の写真は須磨一の谷グリーンハイツの管理事務書付近に掲示の案内板の中に書かれている
須磨ベルトコンベヤのルート図 撮影:2019-7-4
上の写真は上記案内板A地点の須磨ベルトコンベヤ跡
上の写真は上記案内板B地点の須磨ベルトコンベヤ跡
神戸新聞が伊川谷前開付近の地下トンネル内に残るベルトコンベヤ等を動画で紹介
されていますのでリンクさせていただきました。
まるで地下の神殿 神戸開発支えた須磨ベルトコンベヤ跡地
おわりに
今回は須磨海岸から横尾の須磨ベルトコンベヤに関する記事とします。
名谷付近以降については後日、纏めてみたいと思っています。
参照資料
1)山、海へ行く -須磨ベルトコンベヤの記録- 神戸市開発局編 (1981)
2)2013年須磨ニュータウン展 展示パネル 2013-2-13に訪問
3)神戸新聞 2019年6月27日朝刊 29面(ベルコン物語 上)
4)神戸新聞 2019年6月28日朝刊 29面(ベルコン物語 下)
関連ブログ
須磨ベルトコンベアと高倉山 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
2013年3月22日、神戸市中央区小野浜町のデザイン・クリエーティブセンター神戸
(KIITO)で東日本大震災直後の被災地をイメージした巨大水彩画が公開されており
観覧してきました。作者は仙台の水彩画家の加川広重さん。
その時撮った写真を紹介します。
会期は平成25年(2013)3月20日~3月31日
展示作品は13作目の「雪に包まれる被災地」5m40cm×16m50cm/2011年
上の2枚の写真は作品の近景と遠景
上の写真は会期中のイベント案内
上の写真は加川広重さんのプロフィール
上の2枚の写真は展示会のリーフレット
関連サイト&新聞報道:
KIITO
巨大画で描かれる東日本大震災─加川広重巨大水彩画展 インタビュー動画
2013年3月24日 神戸新聞朝刊 19面
加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015