![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/bf/e4c36791464db67d5a7468a8360762d5.jpg)
写真は京都宇治とろろ家のとろろ料理
伏見大手筋店で京阪の伏見桃山駅からすぐ。
住所:
〒612-8081
京都府京都市伏見区新町5-510 オクダビル2F
味もgood
京都宇治とろろ家のHPはこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c1/030e46bde78969df092ead0873d67157.jpg)
京都伏見は豊臣秀吉の伏見桃山城の城下町
としてまた30石船の伏見港として、酒どころ
として400年前には非常に栄えた街です。
30石船は伏見港と大坂を結ぶ過書船(幕府公認の船)
定員は28名であった。
(但し、上の写真は10石船)
30石船の他に伏見船15石、淀船(淀20石)、
高瀬船などがあった。
川辺の柳も情緒を増長している。
30石船の運航コースで三栖閘門資料館も見所。
この閘門は淀川からの逆流を防いでいる。
観光コースとしては酒蔵の見学、竜馬の寺田屋
長建寺、西岸寺、源空寺、大黒寺、宝福寺などが
あります。
運行時間、運航日などは伏見観光協会のHPへ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ea/c04cbcc8cef095c0025c786759355add.jpg)
栗橋関所は利根川河川敷に設置され、敷地約120坪
建坪約16坪の小規模なものでした。
関所には4名の番士が任命され幕末の番士は足立、島田、
富田、加藤の四家でした。
番士の勤務は毎日朝6時から夕方6時まで2人1組で
5日間交代でした。手当ては20俵。
上の写真は足立家で現在も番士の子孫が住まわれている。
その敷地は約1,400平方メートル。
この足立家には膨大な関所日記が残されているそうです。
関所番士屋敷は寛永元年(1624)に栗橋関所の番士の
住まいとして江戸幕府が設置しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f4/c6158c7d65e1004bcb5578ef310cb9c7.jpg)
上の写真は栗橋関所跡の碑です。
栗橋関所は元和7年(1621)以降河川敷の現在地に
設けられました。元和7年(1621)以前は
日光街道は五霞町元栗橋にあり関所も別の場所に
あったが利根川の水害でつけかえられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/72/04f342848f391dace1f0bd6cb325a88b.jpg)
上の写真は「放浪着」「浮雲」などで有名な尾道出身の
作家林芙美子が昭和16年(1941)から昭和26年(1951)
の約10年住んでいたところです。
西武新宿線の中井駅が最寄り駅です。
昭和14年に土地を購入した頃は1000坪だったそうですが
現在は約500坪で記念館となり東京都が管理しています。
緑が多く落ち着くところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e3/576e144193e2248f7bdb548d6c6a3e6c.jpg)
上の写真は客間です。
詳細情報はこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/17/42ef6119664e49a5846d24fc18590404.jpg)
法明寺
住所:豊島区南池袋3丁目18
雑司が谷の法明寺は弘仁元年(810)真言宗で開山。
威光寺として開創されました。
その後、正和元年(1312)日蓮宗に改宗し、
威光山法明寺と寺号が改められました。
雑司が谷の鬼子母神も法明寺の一部になっています。
境内の墓:
小幡景憲:関が原、大坂冬の陣など徳川方で功があった
軍学者
豊島氏:豊島氏は平安朝の末期より鎌倉、室町時代にかけ
武蔵の地一帯に勢力をもっていた。
文明10年(1478)太田道灌に攻め落とされた。
その生き残りの一族で徳川に仕えた八丈島の代官
になった豊島忠次を中心にその一族の墓である。
橘家円喬:明治時代に活躍した落語家
楠公息女:別名「姫塚」
桜の季節には桜トンネルとなり有名