CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

須磨寺遊園地

2020年05月11日 05時34分09秒 | 昔こんなものがあった 大正編

新型コロナウイルス感染症の影響で「ステイ ホーム」を遵守して家に居る時間が

多いこの頃である。

家で下に添付の大国正美さんの著書「古地図で楽しむ神戸」を読んでいる時に

Page140-141に須磨寺遊園地の絵図が紹介されていたのでこれを機に須磨寺遊園地を

テーマにブログ記事を書く事にしました。

 

須磨寺遊園地は大正2年(1913)から兵庫電気軌道(現在の山陽電鉄)が造成に

着手した。兵庫電気軌道株式会社は明治40年(1907)7月2日に設立された。

初代社長は川西清兵衛。支援者としては藤田松太郎、滝川辨三、村野山人、

神田兵右衛門らがおり兵庫-明石間の開通を計画したが沿線に皇室御料地や舞子の

風致保存など解決に時間を要する諸問題があり、まず明治43年(1910)に

兵庫-須磨間を開通することにした。沿線開発に力を入れていた兵庫電気軌道は

電鉄開業前から土地を借り受けて須磨寺遊園地整備の準備を進めており、3年後

の大正2年から遊園地整備に着手した。大正から昭和30年代にかけて、遊園地は

多くの花見客や動物園、花人形、博覧会、子供の遊び場として集客し賑わった。

上の写真は昭和7年(1932)の須磨の1万分の1の地図に須磨寺遊園地の位置を

色付けしました。

地図上に岡崎邸、小曽根邸、川西邸、九鬼邸、久原邸、藤田邸、山下邸などの

豪邸や別荘が地図上に明示されています。

池に名称が明示されていませんが堂谷池とか大蛇池(大池)と呼ばれています。

後に詳述しますが明治中期、池の周りには神田兵右衛門の音頭で「作楽帳」という

風流な寄付帳を作り友人らに寄付を募った資金で桜の植樹が行われ神戸市内でも

屈指の桜の名所となっています。

 

上の写真は大正13年(1924)大阪高槻の清水吉康が作成し須磨寺が発行した

「須磨寺境内全図」の中に描かれた須磨寺遊園地です。東浦町郷土資料館蔵

池の東側には動物園を設け、クジャク、鷹、カンガルー、ワニ、ヒョウ、クマ、

猿、象などが飼われていました。池の北側には花人形館があり春には霧島人形館

菖蒲人形館、秋には菊人形館が大正11年(1922)より開かれていました。

北側の奥に舞堂も設置されていました。

さらに料亭や茶店、子供電車遊具完備の運動場、池ではボートに乗り釣りもできた。

後にはプールも設置された。

大正6年(1917)須磨寺遊園地の豹が逃げ出して、神戸全市が戒厳令状態という

騒ぎが起こり、遊園地を経営する兵庫電気軌道がヒョウの捕獲に500円の賞金を出した。

10日余り後、神戸の北、藍那の山中でヒョウを銃殺して一件落着した。

後年(関東大震災後)、須磨を訪れた山本周五郎が「豹」という短編を書いています。

 

神戸市立中央図書館編「KOBEの本棚 第30号」2009.3に須磨寺遊園地について詳述

されています。

上の写真は大正10年(1921)頃の須磨寺遊園地 (神戸市文書館蔵)

上の3枚の写真は大正~昭和の須磨寺遊園地

出典:神戸市サイト(https://www.city.kobe.lg.jp/documents/32459/kinensi_3.pdf )

 

上の写真は須磨寺の源平の庭の前、若木の櫻があるところに建つ「植櫻記碑

須磨寺の復興に功績のあった神田兵右衛門(神田松雪)が桜を植樹して須磨寺を

復興させた事績について記載されています。 撮影:2012-5-8

神田松雪は兵庫津の旧家神田兵右衛門のことである

植櫻記碑の中に句が読まれています。一番左手の方に神田松雪の俳句があります。
「花千母登(ちもと) 昔稚木乃 さくら哉」と書かれています。

碑は明治24年(1891)4月に建立されたものです。
この頃、須磨寺は荒廃しており、須磨寺の境内に桜の木を植えて花の錦を
織ろうと当時住職であった長原密浄とともに「作楽帳」と言う寄付帳を作り知人に
寄付をたのみ千本の桜を植樹することに成功した。
現在の須磨寺を神戸でも有名な桜の名所とした功労者である。

神田兵右衛門は町兵隊の編成、明親館の建設、兵庫運河の築造、水道の布設などで
功績のあった人物で神戸市の初代の市会議長も務められた。

天保13年(1842)2月18日、播州印南郡大塩村で生まれました。
明治の末期(1910年頃)まではご存命であったようです。
和田神社に顕彰碑が建っています。
詳細は小生のBlogを参照してください

 

最後に川西英さんの木版画で須磨寺遊園地の「夜桜」の作品を添付して筆を置きます

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白木屋神戸出張店のオープン on 1923-5-15

2019年04月12日 15時28分04秒 | 昔こんなものがあった 大正編
白木屋は慶安年間(1648-1652)からの歴史を誇る呉服店で越後屋(現・三越)や
大丸屋(現・大丸)と並んで江戸三大呉服店に列せられていました。
平成11年(1999)1月31日まで東急日本橋店として百貨店業務が行なわれていました。

本ブログでは白木屋神戸出張店が大正12年(1923) 5月15日、神戸市湊川(福原)に
オープンして以降、業績悪化(約16万円の損失)により昭和2年(1927)3月に撤退する
まで存在していた時代の百貨店店舗の古写真を添付するとともに白木屋を中心とした
百貨店に関する話題を記述していきます。


上の写真はオープン当時の白木屋神戸出張店の建物です。
撮影時期は不明ですが大正12年(1923)頃です。


土足入場の開始
Wikipediaによれば
大正10年(1921)10月1日には白木屋は心斎橋筋の出張店を閉鎖する代わりに堺筋備後町の
角に3,075坪の大阪支店を開設して東京と大阪で百貨店を2店舗展開するようになり、この
大阪支店では床面を木タイル張りにして日本の百貨店として初めて一般客の土足入場を行った。



上の写真は小林一三が阪急百貨店を経営するに当たって白木屋の売り場を観て
百貨店への進出を決意したとの逸話を紹介したものです。
出典:調べる学習百貨 小林一三 阪急と宝塚をつくった事業家 岩崎書店(2018.11.30)


白木屋神戸出張店でも大阪支店より少し遅れたものの同じく土足のまま入ることができる
デパートとして話題になった。
現在では、土足厳禁のデパート等は考えられないが、当時の業界としては驚くべきことだった。

日本初のデパート
日本初のデパートは明治37年(1904) 、株式会社 三越 呉服店の社名で東京日本橋に創業された。
元が呉服屋だったため、土足厳禁という習慣が続いたようです。

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赤穂鉄道有年駅 

2019年03月10日 04時36分36秒 | 昔こんなものがあった 大正編
2019年3月6日、JR山陽本線有年(うね)駅に初めて下車しました。
有年駅で下車し南側ロータリーの所に大正10年(1921)に開通し昭和26年(1951)に
廃線となった赤穂線についての説明がありましたので文章と共に写真、図を含めて
紹介します。

説明板は平成27年(2015)3月に有年地区まちづくり推進協議会によって作成された
ものです。


上の写真は上述の説明板

下記は赤穂鉄道に関する記述です。

1915年(大正4年)5月、赤穂鉄道株式会社が創立され、1921年(大正10年)に開通した。
赤穂鉄道は、播州赤穂駅・有年駅間12.7キロメートルを約30分45銭で結び、
途中駅は砂子、坂越、目坂、根木、周世、真殿、富原であった。
有年駅は、日本固有鉄道有年駅を隣接し、乗降客は、1日3〜400人程であった。
赤穂郡と京阪神等を結ぶ玄関口となり、米の集積地、塩等の中継地としても重要な役割を
果たした。米俵等を積んだ牛車が往来し、駅構内は宿場特有の混雑があったという。
しかし、日本固有鉄道赤穂線の開通により、1951年(昭和26年)12月11日をもって
廃線となり、30年の歴史に幕を閉じた。



上の写真は昭和20年前後の有年駅(説明板より)


上の写真は時期は不詳ですが昔の有年駅。


上の写真は有年駅周辺の広域図で
赤穂線が赤の点線で記載されています。
 出典:有年原・田中遺跡に掲示の地図


上の写真は有年駅コンコースより岡山方面を撮ったものです。


上の写真は有年駅コンコースより姫路方面を撮ったものです。


上の写真は有年駅の遠景


上の写真は有年駅周辺が整備後のイラスト掲示

以下Wikipediaの引用で赤穂鉄道の概要解説です。
赤穂鉄道は、かつて国鉄山陽本線の有年駅から播州赤穂駅(現在の播州赤穂駅とは別駅)間の
鉄道路線を運営していた鉄道会社です。
明治43年(1910)に軽便鉄道法が公布されたことから、これを契機として軌間762mmの
軽便鉄道の敷設が決定され大正4年(1915)に会社創設、大正10年(1921)に開業した。
戦後、山陽本線相生駅と接続する国鉄赤穂線が開業することになったため、昭和26年(1951)
に廃止となってしまいました。
1950年(昭和25年)11月改正時の運行状況は下記の通りです。
旅客列車本数:日9往復
所要時間:全線44 - 45分



同じくWikipediaからの引用で赤穂鉄道12.7Kmに設置の9駅です。

駅名  累計距離 開設日      備考
有年駅  0Km   1921年4月14日

富原駅 2.3Km   1925年10月1日

真殿駅 3.8Km   1922年3月29日   当初は貨物駅

周世駅 5.7Km   1925年10月1日

根木駅 6.5Km   1921年4月14日  1925年9月1日に高雄村駅から改称

目坂駅 7.6Km   1925年10月1日

坂越駅 9.4Km   1921年4月14日

砂子駅 10.2Km   1925年10月1日

播州赤穂駅 12.7Km 1921年4月14日  赤穂線の播州赤穂駅より南側の位置
                  (現在のウエスト神姫赤穂営業所)にあった。



尚、赤穂鉄道の砂子駅跡については下記ブログで書いています。
 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

播磨孤道(はりまこどう)さんが赤穂鉄道の廃線跡を全部周って纏めておられます。
リンクをさせていただきました。
 https://harimakodou.capilano-fw.com/?p=4166

コメント (1)
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有馬鉄道(国鉄有馬線)の有馬駅 

2018年10月28日 04時04分30秒 | 昔こんなものがあった 大正編
2018年10月25日、神戸文書館に調べものに行った時に偶然、表題の写真を見つけました。
そこでかって有馬町にあった有馬鉄道(国鉄有馬線)の有馬駅の写真を紹介します。


上の写真は有馬川に架かる乙倉橋の手前から観た国鉄有馬駅の駅舎を見たものです。
出典:上述の神戸文書館展示

国鉄有馬線の前身は有馬鉄道株式会社で片岡直温ほか29名の発起人で大正2年(1913)11月
資本金50万円の有馬軽便鉄道を計画して翌年、大正3年(1914)7月山脇延吉が社長となって
有馬鉄道株式会社を創立した。
大正4年(1915)4月16日、三田~有馬の約12.2Kmの単線が完成した。
駅名は次の通り、有馬-有馬口-新道場-塩田-三田
路線の完成と同時に鉄道院(後に鉄道省その後、運輸省になる)に路線を貸した。(10年契約)
借用料は年間23,000円。有馬鉄道は線路や駅舎などの施設を所有するのみで、運行は
鉄道院が行い、蒸気機関車や客車・貨車は鉄道院のものであった。
大正8年(1919年)、政府が買収し国鉄有馬線となりました。(昭和18年6月30日に廃線)
有馬線を手放した有馬鉄道の山脇延吉らは、神戸と有馬・三田を結ぶ鉄道事業に着手し、
神戸有馬電気鉄道(現:神戸電鉄)を開業させています。

神戸電鉄関連サイト
  神戸電鉄開業90周年と山脇延吉




上の2枚の写真は国鉄有馬線有馬駅の駅舎を含むものです。
出典:出典:鷹取嘉久 著「見て聞いて歩く有馬」(1996)Page69



上の写真は大正5年5月に実測された有馬町市街地実測図で国鉄有馬駅という名称で
記載されています。




上の2枚の写真はGoogle地図で見た国鉄有馬駅跡付近の地図とGoogleストリートビュー
で乙倉橋付近から観た国鉄有馬駅跡方面を見たものです。

国鉄有馬駅跡は先山クリニックとミント・リゾートイン・アリマの敷地となっています。
コメント (2)
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有馬温泉 ラジウム温泉

2018年10月27日 05時15分29秒 | 昔こんなものがあった 大正編
2018年10月25日、神戸文書館に調べものに行った時に偶然、表題の写真を見つけました。
そこでかって神戸市北区有馬町にあったラジウム温泉の写真を紹介します。


上の写真が昭和3年(1928)頃に撮影のラジウム温泉
ラジウム温泉は大正4年(1915)11月に開業しました。インドサラセン近世様式を混用
した洋館(建坪200坪、敷地500坪)であったが昭和13年(1938)の阪神大水害で流失した。
この間、神有電鉄(現在の神戸電鉄)に昭和4年(1929)から10年間無償で有馬町が貸した。


上の写真は大正6年(1917)に撮影の有馬温泉 ラジウム温泉
出典:鷹取嘉久 著「見て聞いて歩く有馬」(1996)Page22


上の写真は神戸有馬電鉄沿線名勝図に描かれたラジウム温泉の位置
神戸有馬電鉄沿線名勝図は昭和3年(1928)神戸有馬鉄道(株)により発行の鳥瞰図で
作者は吉田初三郎氏です。



上の写真は大正5年5月に実測された有馬町市街地実測図でラジウム新温泉という名称で
記載されています。
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