CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

とんかつむさし 西神店でのランチ on 2023-10-21

2023年10月31日 06時26分42秒 | 神戸情報
2023年10月21日、とんかつむさし 西神店でランチをいただきましたので
写真紹介します。


とんかつむさし 西神店の基本情報
住所:神戸市西区糀台5-9-4 エキソアレ西神中央 5F TEL:078-992-1634
営業時間:[月~金]11:00~15:00(L.O.14:30) 17:00~21:00(L.O.20:30)
     [土・日・祝]11:00~21:00(L.O.20:30)
定休日:エキソアレ西神中央の休みに準ずる
料理ジャンル:とんかつ専門店

エキソアレ西神中央の公式サイト:
エキソアレ西神中央 (ekisoare.jp) 


他に芦屋(芦屋ハウス1F)とサンプラザ(三宮センター街さんプラザ地下1F)
にも支店があります。




上の写真は30食限定の人気メニュー ランチセット1,540円(税込)
奥様も私も同じメニューを選択しました。
大きなエビカツと一口ヘレカツで美味しくいただきました。



上の写真はランチセットのメニュー表
上の写真は他のおすすめメニューの掲示物

とんかつ武蔵の創業は昭和14年(1939)に三宮センター街で開いたのが初です。
創業者(川飛満祐)は故郷の相生から姫路に出て修行しその後、神戸に進出したそうです。
昭和53年(1978)に川飛晶裕(まさひろ)さんと穣子(のりこ)さんがさんプラザに
第1号の支店を開業したとのこと。
2代目は川飛穣子さんの兄の川飛晴嗣さん。
2代目の川飛晴嗣さん(三宮センター街2丁目商店街振興組合相談役)の戦後の混乱期の
経験談が「KOBE三宮物語」(2016)のPage72で紹介されています。(下の写真の本)
現在は3代目の川飛満晃さんが本店を継いでおられます。
本店はその後平成17年(2005)現在の元町1丁目に移転したそうです。
とんかつ武蔵の豚はカナダ産だそうです。


当日はボリュームたっぷりのランチだったのでイオンフードスタイルでホットコーヒー
132円(税込)とソフトクリームバニラ275円(税込)をいただきました。
(下の写真)


当日はプレンティのグランドオープンから最初の土日ということで
人出が凄かったです。


上の2枚の写真は西神中央プレンティのグランドオープンの看板と内部の様子
特に1階のフードコートの込み具合は凄かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小野出身 郷土の偉大な歌人上田三四二の歌碑 on 2023-10-18

2023年10月31日 04時06分45秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月18日、小野市立好古館特別展「お堂の道具あれこれ」を観覧するため
小野市へ神戸電鉄で出かけていました。
好古館は9時30分からの開館であるが少し早めに到着したので好古館の周辺を散策して写真を撮りました。
今回は郷土の偉大な歌人上田三四二の歌碑の写真を紹介します。


上の写真が郷土の偉大な歌人上田三四二の歌碑です。
歌碑は小野市立好古館の裏手の庭、茶室 柳風亭の入口付近にあります。
平成5年(1993)に建立されました。



上の2枚の写真は少し拡大して撮りました。
 歌碑は「ちる花は数かぎりなし
        ことごとく光をひきて  
               谷にゆくかも
   上記の上田三四二の代表作の歌が刻まれています。

説明板には下記のように解説されています。(一部加筆)
郷土の偉大な歌人上田三四二(大正12年ー平成元年)は小野市樫山町に生まれる。
歌人、作家、文芸評論家、医学博士。
この唄は歌集「湧井」所収 代表作の一つとして知られる歌である。(昭和44年作)
昭和41年に大意 人間の生と死を見つめる独自のテーマを確立した時期の作品である。
以後 このテーマは短歌、評論、小説などでその奥行きを深められた
短歌、評論、小説と広範な分野にわたる文学上の業績により日本芸術院賞をはじめ数々の
賞を受賞。宮中歌会始め詠集歌の選者を(昭和58年より8年間)勤めた。
上田 三四二生誕の地小野市ではこの功績をたたえ 後世に伝えるため歌碑をここに建立する。

上田三四二先生の紹介 By Wikipedia

上田三四二(うえだみよじ) (大正12年(19237月21日)- 平成元年(1989)1月8日)は
日本の歌人、小説家、文芸評論家。

兵庫県加東郡市場村字樫山(現・小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、
京都帝国大学医学部卒。内科医として国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。

1949年に歌誌「新月」に参加し、アララギ派の歌人として出発。1956年には歌会
「青の会」結成に参加。歌は愛の声であり、浄念(清い思い)であると唱えた。
二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなっていく。
1979年~84年には、宮中歌会始選者を務めている。平成改元最初の日に没した。

評伝に、小高賢『この一身は努めたり 上田三四二の生と文学』がある
(トランスビュー、2009年、著者は歌人で元・講談社編集者の鷲尾賢也)。

我が生まれ故郷の宇治市の橋寺には下記の歌碑が建立されています。
橋寺にいしふみ見れば宇治川や大きいにしえは河超えかねき
この歌は上田三四二先生が三高時代の作で三高会報七十六号に掲載されました。
平成3年10月6日建立で、露子夫人のご希望もあった。名作「花衣」の中の「橋姫」。
日本最古の石碑と言われる橋寺断碑がここに甦る。

橋寺の断碑に関する記事は小生のBlogでも紹介しています。


上の2枚の写真は好古館の常設展示で肖像写真、略歴、愛用品、原稿など

おまけの写真として走行中の神戸電鉄の車両の写真を添付して筆を置きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の予定 2023年10月30日(月)~2023年11月5日(日)

2023年10月30日 06時40分08秒 | 有用な情報
2023年10月30日(月)~2023年11月5日(日)今週の予定をお送りします。

10月が終わり今週は11月に突入します。
市中ではおせち料理の予約が始まりカレンダーや日記さらに年賀状の本なども並び
年末の準備が始まっています。

10月28日から11月1日は日本の七十二候の第54候、「霎時施る(こさめときどきふる)
ばらばらと秋の終わりに降る小雨。
このような雨を時雨(しぐれ)といい、この時期の空模様のひとつです。 

11月2日から11月11日は日本の七十二候の第55候、「山茶始めて開く(つばきはじめてひらく)
立冬の頃は北国からは初冠雪の声が届き、良い香りのする山茶花が可憐な花を見せています。

来週になりますが11月8日頃は二十四節気の第19節気の立冬です。

先週の写真

 まず、先週(’23年10/23~’23年10/29)に撮った写真を何枚か紹介します。

今回も写真は無いが話題のニュースを若干リストアップしてみました。
・臨時国会で岸田首相の所信表明 (10月23日)
・所得減税4万円、非課税世帯7万円給付、還元策で政府案(10月24日)
・福島第一原発処理水に関するIAEAの調査 (10月24日)
・習近平主席が李尚福国防省を解任(10月24日)
・ビッグモーター34店舗に行政処分(10月24日)
・トランスジェンダーの戸籍の性別変更で生殖不能手術は「違憲で無効」最高裁決定(10月25日)
・米国下院議長にジョンソン氏選出(10月25日)
・ジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)が開幕 (10月25日)
・プロ野球ドラフト会議(10月26日)
・静岡の一家4人殺害の強盗殺人事件で死刑判決の袴田巌さんの再審初公判(10月27日)
・李克強・中国前首相が死去(10月27日)
・プロ野球日本シリーズがパリーグの本拠地(京セラD)で開幕 (10月28日)
・全日本大学女子駅伝で名城大学が9連覇(10月29日)


奈良・纏向遺跡からアフリカ原産とされるゴキブリが見つかる
出典:10月23日 10ch読売テレビ かんさい情報ネット ten

上の写真は神戸市垂水区「垂水センター街」での垂水歴史館の古写真展示
撮影:2023-10-27

上の写真は神戸ポートアイランドポートピアホテルから撮影の明石海峡大橋と夕日の光景
出典:10月28日 6ch ABCテレビ 林修、伊沢拓司のオトナ神戸旅
上の写真は七五三詣でで賑わう湊川神社 撮影:2023-10-29

上の写真は10月29日(日)神戸ハーバーランドの高浜岸壁で行われた「灘の下り酒」のイベント
撮影:2023-10-29
動画でも紹介します。10月29日(日)にヨットの「サウザンクロス号」で神戸港高浜岸壁を出港、1週間後に東京港に到着する予定で、江戸時代に樽廻船で灘の酒(生一本)を運搬することを再現 させようとするプロジェクトです。たくさんの方々の見送りを受けました 
樽廻船の「下り酒」再現プロジェクトの出発式 in 神戸港高浜岸壁 on 2023-10-29
関連動画もGooで共有させていただきました。
樽廻船の「下り酒」再現で出発式(神戸経済ニュース)

STORY3 下り酒と樽廻船

上の写真は国土交通省の清掃船「クリーンはりま」で船内を見学してきました
撮影:2023-10-29

今週の予定

10月30日(月)
 ・日銀金融政策決定会合(~31日、日銀)
 ・大相撲九州場所の番付発表
 ・陸上自衛隊暴力事件で強制わいせつ罪に問われた元隊員3人に論告求刑(福島地裁)
 ・ガザ地区へのイスラエル軍事侵攻から3週間経過
 
10月31日(火)
 ・米連邦公開市場委員会(FOMC)を開催(~11月1日)
 ・日銀金融政策決定会合(2日目)と植田日銀総裁の会見
 ・検事の供述誘導を主張する広島の政治家4人に対する公職選挙法違反事件の判決(広島地裁)
 ・日本シリーズ第3戦(阪神甲子園) 第4戦11/1、第5戦11/2、第6戦11/4、第7戦11/5
 ・10月の消費者動向調査(内閣府)
 ・9月の有効求人倍率(厚労省)
 ・7~9月期のユーロ圏域内総生産(GDP)速報値

11月1日(水) 
 ・新米穀年度 
 ・灯台記念日、計量記念日、本の日
 ・教育文化週間
    ・金沢市の兼六園で冬支度の雪吊り
 ・AI安全サミット(~2日、ロンドン近郊)
 ・インド、パソコンなど輸入管理導入
 ・欧州連合(EU)発足(1993)から30年

11月2日(木)
 ・政府が物価高に対応する経済政策を閣議決定
 ・4~9月期決算:三菱商事、KDDI、SUBARU他

11月3日(金)
 ・文化の日(祝日)
 ・文具の日
 ・明治神宮例祭
 ・皇居・宮殿で文化勲章親授式
 ・第71回 剣道、全日本選手権(東京・日本武道館)
 ・米州首脳会議(ワシントン)

11月4日(土)
 ・サッカーのルヴァン杯決勝 福岡VS浦和(国立競技場)
 ・柔道、講道館杯全日本体重別選手権(~5日、千葉市)
 ・オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件(1989)から34年

11月5日(日)
 ・消費者センター開設記念日
 ・上野動物園でジャイアントパンダ・カンカンとランランの一般公開を開始(1972)から51年

最後に全国の週間天気予報を添付して筆を置きます。
今回は各地の最高気温の予想を添付しました。(晴れて真夏日の日も
出典は10月29日(日)NHK総合テレビ 夜 ニュース7





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小野市 ふるさとカフェ 「お茶◯ん(おちゃわん)」でのランチ on 2023-10-18

2023年10月29日 05時18分28秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月18日、小野市立好古館で開催中の企画展を観るために小野市を訪問しました。
当日は神戸電鉄を使用しました。お昼のランチは表題の「お茶◯ん」を選択。
「お茶◯ん」はOCHAWAN(おちゃわん)と読みます。
初めて入ったお店です。神戸電鉄小野駅から小野商店街に入って100m位の場所にあります。

ふるさとカフェ 「お茶◯ん(おちゃわん)」の基本情報
住所:小野市本町1丁目434  TEL:0794-63-5736
料理ジャンル:和食、カフェ
営業時間:9:00~17:00 ランチは11:30~14:00
定休日:木曜日と金曜日

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


当日は数量限定のふるさと膳1,350円(税込)を注文
上の写真が当日いただいたふるさと膳1,350円(税込)


上の写真は当日のふるさと膳の料理内容です。どれも美味しくいただきました。
さすが料理人という感じです。
料理の個別の写真を撮っています。
上の写真は白身魚の煮物 冬瓜あん掛け
中にはソーメンも入っていました。
これは最高に絶品でした。


上の写真はさつま芋コロッケ

上の写真は小鉢

上の写真はデザート
上の写真はふるさと膳のメニュー表

上の写真はお店の内部の様子です。
店内には小野市出身のアスリート、田中希実(のぞみ)選手小林 祐梨子さん
サイン色紙が店内に掲示されていました。写真は無し。
 田中希実さんの愛称「のん」で記載されていました。
きっと、お二人ともにこの店を訪問されただと思います。

ふるさと膳以外のメニューを紹介します。
上の写真は主にランチのメニュー





上の4枚の写真はカフェメニュー
上の写真はモーニングセットのメニュー




上の3枚の写真はケーキタイム帯(14時以降の)メニュー


上の写真はお店の暖簾



上の2枚の写真はお店の外観です。

上の写真は「お茶わん」の遠景 商店街はシャッター通りとなっています。
その中で頑張っておられる人気店です。


上の写真は店頭の掲示でお店の基本情報やお奨めのメニューが書かれています。

訪問記として下記サイトが詳細に紹介されていますのでリンクさせていただきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笠置シヅ子の生涯 と桃色争議(大阪)でリーダーであった飛鳥明子

2023年10月28日 14時10分42秒 | Weblog
NHK朝ドラ「ブギウギ」も第4週で「ワテ、香川に行くで」を迎え、面白い展開と
なっています。花田スズ子(趣里)のモデル笠置シヅ子は、実の両親とは物心つく前に
離れる事となったなど複雑な出生を持ち、笠置シヅ子の出生地の香川に行くことに
なるようなドラマの展開になっています。
[ブギウギ] 第4週 ダイジェスト だいたい2分でわかる【ネタバレ注意】| 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK

そんな中、笠置シヅ子の生涯を簡潔に解説した動画が見つかりましたので
Gooで共有させていただきました。

Youtube動画では
戦後、吉本興業の御曹司との間に子ができるも御曹司が24歳で早世される話。
服部良一作曲の東京ブギウギが空前の大ヒットとなり、ブギの女王として活躍することや
 美空ひばりとの関係、一線を引いてからの70歳で乳がんで死去するまでの
生涯が解説されています。


【ブギウギ】笠置シヅ子の生涯 戦後の日本を明るい音楽で元気づけた女王

また、実話における昭和8年(1933)大阪での「桃色争議」として大きな話題となった
事件もドラマで描かれました。実話のレビューをしてみました。
Wikipediaによれば大阪の松竹楽劇部における争議を下記のように解説されています。

大阪においては松竹楽劇部が、待遇条件の改良要求が拒否されたことから会社側と一触即発の状態になった。楽劇部員たちは一番人気の飛鳥明子を争議団長に据え、舞台をサボタージュしたうえ、遂に6月28日、三笠静子(後の笠置シヅ子)、美鈴あさ子(後のアーサー美鈴)、秋月恵美子、芦原千津子ら70余名の部員が高野山の一宇に立てこもり、弘法大師(空海)ゆかりの霊峰に「トラスト反対」などと大幕をひるがえして演説をぶち、参詣客の度肝を抜いた。

飛鳥明子(1907-1937)は朝ドラでは大和礼子(蒼井優)ということになっています。
飛鳥明子は1907年開業医の娘として生まれています。
高等女学校卒業後に松竹楽劇部(後のOSK松竹歌劇団)に入団。
トップスターとして活躍する。桃色争議の責任をとり退団。
その後、飛鳥明子は宝塚の指揮者の片野実雄と結婚。
OSKでは振付師になって後輩を指導していましたが、昭和12年(1937)29歳で病死しました。
出産と引き換えに死亡したそうです。

NHK朝ドラ「ブギウギ」の一場面とラインダンスのYoutube動画を添付して筆を置きます。
上の写真は花田スズ子(趣里)と大和礼子(蒼井優)が寺の山門前で話をしている場面。
ロケ地は滋賀県東近江市の百済寺 で2023年4月25日に録画された。
その際、本堂の縁側の床が壊れたハップニングがあり報道されています。
[ブギウギ] ラインダンス『四季の宴』フルバージョン オンステージ | 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その7 小林家長屋門

2023年10月28日 05時29分10秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。
今回はその第7回で小林家長屋門をテーマに書いていきます。
丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。


城下町「丹波篠山」散策記のIndex 
 第1回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その1 JR福知山線 篠山口駅の観光案内掲示物など - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その2 河原町妻入商家群 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その3 普門山 観音寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その4 平尾竹霞 誕生之地碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)








上の3枚の写真は小林家長屋門と現地説明板

所在地の住所は丹波篠山市西新町24でGoogleマップを添付しておきます。

文化年間の1805年頃に、篠山藩第12代藩主青山忠裕(ただやす)が、その老女
小林千衛のために改築した屋敷の長屋門である。篠山城の西堀端に面し、武家屋敷の大半が消滅した今日、当時の面影を伝える貴重な建物となっている。入母屋造、茅葺屋根の構造で、内部には上段の間、物件(見晴らしの窓)等を設け、篠山城下町の武家屋敷門を代表する遺構となっている。
間口 17.3m  奥行  3.6m

上の写真は西新町の案内表示板


上の写真は2011年10月30日に撮影の小林家長屋門

上の写真は江戸時代の古地図における小林家の位置を示しました。
方角で南が上になっていますので注意してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【朝ドラ】朝ドラで放送できなかった牧野富太郎の裏の顔とは…?【日本史】

2023年10月27日 05時16分22秒 | Weblog
牧野富太郎の生涯について解説したYoutube動画を見つけたので忘れないうちに
Gooで共有させていただきました。

【朝ドラ】朝ドラで放送できなかった牧野富太郎の裏の顔とは…?【日本史】

朝ドラ「らんまん」が終了して旬を過ぎた感がありますが・・・

牧野富太郎先生の生涯について過去に書いたブログから転記しておきます。
青字は神戸関連の事象

文久2年(1862)4月24日、土佐国佐川村(現、高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家に生まれた。幼名は成太郎。幼い頃、両親をなくし祖母に育てられた。
幼少のころから植物に興味を示していた。
明治5年(1872)10歳、寺小屋で習字を学ぶ
明治6年(1873)11歳、明教館(めいこうかん)で西洋の学問に触れる
明治7年(1874)12歳、佐川小学校に入学
明治9年(1876)14歳、佐川小学校を自主退学
 地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、気ままな生活を送っていた。
欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。
明治12年(1879)17歳、高知市に出て五松学舎に学ぶ。コレラを罹患し帰郷
明治13年(1880)18歳、永沼小一郎(地元の旧制中学教師)と知り合う
明治14年(1881)19歳、第2回内国博覧会の見学のため東京へ。
   書籍や顕微鏡が欲しくなるなど研究心が固まったのも東京行きの理由である。
            田中芳男などと知り合う
明治17年(1884)22歳、2回目の上京。東京大学植物学教室に出入りする。理科大学で谷田部良吉、松村任三と知り合う
明治20年(1887)25歳、「植物学雑誌」の創刊に関わる。祖母の浪子が病死。神戸の裏山、布引の滝周辺で植物採集する。
明治21年(1888)26歳、壽衛(すえ)と暮らし始める。
        「日本植物志図篇」刊行開始。今で言う植物図鑑のはしりである。
明治22年(1889)27歳、日本で初めて新種「ヤマトグサ」に学名をつける。
            『植物学雑誌』に発表
明治23年(1890)28歳、水草のムジナモ発見。谷田部教授に教室への出入りを禁止される
  自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、世界的に名を知られるようになる。
明治24年(1891)29歳、実家の整理のために佐川へ帰る
  牧野は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していくが、同時に家産も傾いて行った。
明治26年(1893)31歳、長女・園子が急死
     帝国大学理科大学の助手となったが、その時には生家は完全に没落していた。
  その後も各地で採集しながら植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していく。
  ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の使用方法(研究に熱中するあまり、
  参照用に借り出したままなかなか返却しないなど)による研究室の人々との軋轢もあり
  厚遇はされず、さらに子供が次々に生まれ経済的にも苦しかった。
明治33年(1900)38歳、「大日本植物志」刊行開始
明治34年(1901)39歳 コヤスノキの記載をする
明治40年(1907)45歳 飯沼慾斉原「増訂草木図説」第1巻を出版する
明治42年(1909)47歳、横浜植物会を立ち上げ、観察会など指導する
明治43年(1910)48歳、大学の助手を休職になる。
明治44年(1911)49歳、東京植物同好会を作る
明治45年(1912)50歳、東京帝国大学理科大学講師として復帰(昭和14年(1939)まで勤務)
大正5年(1916)54歳、貧乏で絶体絶命になりそれが新聞記事に掲載。
上の写真は大正5年(1916)12月18日大阪朝日新聞の記事
当時、東京大学の講師であった牧野富太郎の月給が35円で高額の書籍などの購入で
借金がかさみ収集した植物標本約10万点を海外に売却することを計画。これを知った
東京朝日新聞が記事を掲載、その翌日に大阪朝日新聞が同様の記事を掲載した。
      神戸の南蛮美術の収集家として著名な池長孟(はじめ)が援助を申し出る
      池長孟は牧野博士の10万点の植物標本を3万円で買い取り
      植物研究所を会下山「正元館」に設立することが決まった。
       津村順天堂(現ツムラ)の協力を得て「植物研究雑誌」を創刊
大正6年(1917)「植物研究雑誌」に「余が年少時代に抱懐した意見」を発表。池長植物研究所の開館準備。
大正7年(1918)56歳、神戸牧野富太郎植物研究所が完成(昭和16年まで続く)
      開所式が会下山で行われる。牧野が所長、池長が正元館主に就任
大正8年(1919)57歳、池長植物研究所に保管していた標本が京都帝大に寄贈される話が浮上
大正10年(1921)59歳 高砂市石宝殿、新宮などでノジギク、コヤスノキの自生地に出かける。
         須磨寺の池で「スマフサモ(現在はオオフサモ)」を採集
大正15年(1926)64歳、現在の東京都練馬区東大泉に自宅を建てる
昭和2年(1927)65歳、東京大学から理学博士の学位を授与される。
昭和3年(1928)66歳、妻の壽衛(すえ)が死去。
           新種の笹に亡くなった妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。
昭和4年(1929)67歳、西村旅館(栄町)で南国の植物について講演
昭和6年(1931)69歳、2月、6月、9月に摩耶山温泉ホテルで講演
昭和8年(1933)70歳、兵庫区制始まる。六甲高山植物園が開設
昭和9年(1934)72歳、「牧野植物学全集」刊行開始
昭和10年(1935)73歳、神戸女子薬科専門学校、神戸市立諏訪山小学校で講
昭和11年(1936)74歳、西村旅館(栄町)で講演
昭和12年(1937)75歳、「牧野植物学全集」によって朝日文化賞を受賞
          氷の山で植物採集。岡部芳郎が同行した映像が現存
          有馬近郊で「アリマウマノスズクリ」を発見、命名
昭和13年(1938)76歳、神戸女子薬科専門学校、神戸市立諏訪山小学校で講
          池永孟が「池長美術館」を竣工。阪神大水害が発生。
昭和14年(1939)77歳、東京帝国大学理科大学講師を辞任
昭和15年(1940)78歳、「牧野日本植物図鑑」刊行
          六甲高山植物園で講演。池長美術館が開館
昭和16年(1941)79歳、満州へサクラの調査に行く。池長孟より標本が返される。
           安達氏より標品館が寄付される
昭和20年(1945)83歳、山梨県北巨摩郡保坂村へ疎開
昭和23年(1948)86歳、天皇陛下へご進講
昭和24年(1949)87歳、病気で危篤となるが、奇跡的に復活する
昭和26年(1951)89歳、第1回文化功労者に選ばれる。
           文部省に「牧野富太郎博士標本保存委員会」ができる
           池長美術館が神戸市に移譲され、神戸市美術館となる
昭和29年(1954)92歳、風邪をこじらせ、床に臥せることが多くなる
昭和32年(1957)94歳、家族に見守られて永眠 墓所は谷中霊園


昭和33年(1958) 高知県立牧野植物園が開園、東京都立大学牧野標本館が開館  
         東京都練馬区立牧野記念庭園が開園

平成20年(2008)東京都練馬区の名誉区民となる
平成24年(2012)生誕150年
令和4年(2022) 生誕160年

「牧野富太郎と神戸」の関係については下記ブログで書いています。
池長孟氏と牧野博士のツーショットの写真も掲載しています。

関連ブログ
 今までに牧野富太郎博士について書いたブログにリンクしておきます。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その6 みたけ支店でのランチ

2023年10月27日 03時48分05秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。
今回はその第6回でみたけ支店でのランチをテーマに書いていきます。
丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。


城下町「丹波篠山」散策記のIndex 
 第1回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その1 JR福知山線 篠山口駅の観光案内掲示物など - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その2 河原町妻入商家群 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その3 普門山 観音寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その4 平尾竹霞 誕生之地碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)


みたけ支店の基本情報
住所:丹波篠山市黒岡18  TEL:079-552-4888
営業時間:11:00~15:00  定休日:なし 不定休
公式サイト(みたけ本店):mitake-sushi.com/index.htm 
所在地のGoogleマップを添付しておきます。


60年以上続く老舗寿司店「味処みたけ」の支店で、30年以上の歴史がある。

「物産館ささやま」の向かいにある「さば寿司」が名物のお店でのランチです。
当日は「さば寿司」がついたみたけ定食1,050円(税込)を注文しました。

上の写真がみたけ定食1,050円(税込)で「鯖すし」と「とろろそば」のセットです。
どちらも美味しくいただきました。



上の2枚の写真はお店の店頭の様子です。

上の写真はみたけ定食が掲載のメニュー表




上の3枚の写真はその他のメニュー表です。




上の2枚の写真は店頭のメニュー看板
丹波篠山がそば処であるのは篠山藩祖の青山忠成の息子の青山宗俊が慶安元年(1648)長野県の小諸4万5千石の大名となった際、地元の家臣を採用したことで
その後、青山家は丹波亀山、丹波篠山へお国替えになりますが、青山家とともに
長野出身の家臣も共に移動した。その家臣達が故郷を偲んで「信州そば」を伝えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その5 鉾山 鳳凰山の倉

2023年10月26日 04時47分52秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。
今回はその第5回で鉾山 鳳凰山の倉をテーマに書いていきます。
丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。 

城下町「丹波篠山」散策記のIndex 






上の写真は鉾山 鳳凰山の倉です。
山車の鳳凰山は篠山春日神社の秋季例祭で巡行する9台の鉾の1つです。
下川原町と小川町が運営しています。
倉の前には令和5年(2023)3月に掲示された現地説明板があります。
(下の2枚の写真)


説明書きをそのまま転記しておきます。

鉾山 鳳凰山
この倉には、篠山春日神社の秋季例祭に巡行される「鳳凰山」が収められています。
鳳凰山は天保3年(1833)に改修された記録があり、これより約百年前の江戸中期に
創建・寄進されたと考えられます。
鉾先の「鳳凰」は架空の瑞鳥で、天下泰平・平和の象徴です。
鳳凰山の飾り装束は、天水引(桐と鳳凰)・中水引(桐)・見送り(鳳凰と桐)など
色鮮やかに刺繍された懸装品で飾られます。(倉の大戸・飾り絵参照)
現在、篠山城下町内に9基の鉾山があり、毎年10月には飾りつけとともに小学生、中学生が
お囃子(鉦・横笛・太鼓)を奏でる中、賑やかにも整然と町内を巡行し、宮入を
行います。(丹波篠山市指定無形民俗文化財)
鉾山は、江戸時代の当初から、屋根の上にそれぞれ特徴のある鉾を建て巡行していましたが、
明治43年(1910)、電気の開通に伴い道路上に電線が張られたことから、鉾を
建てることがかなわず、以来、鉾なし巡行が続いていました。
令和3年(2021)、この河原町通りが無電柱化され、電線が撤去されたことから、
令和5年(2023)3月、地域住民の力で、実に約110年振りに、金色の鳳凰を建てた
鳳凰山の鉾復活巡行が実現しました。
 令和5年(2023)3月 下河原町・小川町

◎秋季例祭:宵宮(本宮の前日)
     :本宮(10月の第3日曜日)

上記の説明の中で地元で尽力された団体を列記しておきます。
下河原町自治会、小川町自治会、上河原町自治会、篠山まちなみ保存会
下河原町伝建保存会、篠山春日神社秋祭保存会、城下まちづくり協議会

2023年3月に鳳凰と三日月の鉾頭を付けた2基の鉾山は、住民らに引かれて白壁の町家が立つ河原町妻入商家群の通りをゆっくりと進行。
子供たちが掛け声を上げながら 鉦かね や笛の 囃子はやし を奏でた。

関連動画
1世紀ぶり復活!丹波篠山の鉾山巡行 1世紀ぶり復活!丹波篠山の鉾山巡行

110年ぶり「鉾」復活巡行 春日神社の今秋祭礼「鉾山巡行」に向けてお披露目 丹波篠山市

春日神社の秋祭り  
 

最後に2023年の丹波篠山城下町 春日神社秋祭りのリーフレットの一部を添付
して筆を置きます。後日、春日神社の紹介で再度、秋祭りについて取り上げる予定です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚河岸のすし えびす レバンテ垂水店でのランチ on 2023-10-17

2023年10月25日 04時47分49秒 | 神戸情報
2023年10月17日、魚河岸のすし えびす レバンテ垂水店でランチをいただきましたので
写真紹介します。よく行く店の一つですが久しぶりに訪問したのでブログ記事としました。

魚河岸のすし えびす レバンテ垂水店の基本情報  
住所:神戸市垂水区日向1丁目4−1レバンテ垂水1号館 128号
TEL:078-945-8188     料理ジャンル:寿司
営業時間:10:30~21:45 定休日:なし(無休)

運営会社:株式会社 魚銀
公式サイト(魚銀):【会社公式】株式会社魚銀 飲食グループ|全店舗が魚屋さん(活魚問屋 魚銀)直営店舗! (ebisu-uogin.jp) 

公式サイト(えびす 垂水店):えびす 垂水店 | 株式会社魚銀 店舗サイト|全店舗が魚屋さん(活魚問屋 魚銀)直営店舗! (ebisu-uogin.jp) 

所在地のGoogleマップを添付しておきます。

注文したのはランチにぎり 8貫 780円(税込)
奥様も同じメニューを注文。


上の写真は当日注文したランチにぎり 8貫 780円(税込)
いつものことですが荒汁が美味しく完食しました。 

上の写真は当日注文したランチ にぎり8貫が掲載のメニュー表

上の写真は店頭に掲示のメニュー表

上の写真はお店の外観
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする