CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

JR住吉駅南側 水車広場の水車に関する展示 on 2016-7-3

2017年05月31日 04時53分20秒 | 神戸情報
JR住吉駅南側にある水車広場には水車のモニュメント、石臼の展示と水車に関する説明板が
展示されています。2016年7月3日に訪問し写真を撮ってきましたので紹介します。





上の2枚の写真は上述の水車広場の展示全体の遠景。


上の写真は住吉川水系の水車と題した説明板
住吉川水系には、大正初期の最盛期には、約80箇所の水車場に約1万個の石臼が据えられていました


上の写真は明治18年(1885)に製図された2万分の1の地図に書かれた水車です。(説明板の拡大)
数を数えると52の水車場が確認できました。
江戸時代には水車新田と呼ばれる村があります。
大国正美氏の著書「古地図で見る神戸」2013年11月30日初版のPage165-167によれば紀伊国(和歌山)
那賀郡野中村の田林勝右衛門が享保9年(1724)と享保15年(1730)幕府に水車業を生業とした
特殊な新田村の開発を願い出た。ただ地形が険しく勝右衛門は開発を断念、紆余曲折の結果
享保20年(1735)大利五右衛門が譲り受けて開発に成功した。
水車は菜種から菜種油(灯油)を得るための動力として作られ水車12輌で許可を得たが寛延4年
(1751)まで増設が認可され19輌にまでなった。この19輌を古水車と呼び安永4年(1775)に
許可されたものは枝水車と呼ばれた。天明2年(1782)大坂京橋5丁目の日野屋庄左衛門が武庫郡
莵原郡、八部郡に持っていた水車5輌の営業権も買収し水車新田が管理する菜種油製造用の水車は
15人25輌であった。


上の写真は 国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所が作成した住吉川物語のPage32に掲載の
住吉川水系の水車の盛衰に関する記述です。




上の写真は天保 7年(1836)の精油所


上の写真は大正後期(1920年頃)の精米所

説明板には「住吉川上流の精米所。精米所へは"ごろた"という牛車で、1車につき玄米・白米を
5俵ぐらい積んで牛車で米を運びました。
右の木床は下流の水車に流す水路です。(大正後期、菊正宗)」
と書かれています。


上の写真は大正後期(1920年頃)の精米所の内部(菊正宗 提供)


上の写真は昭和58年(1983)頃の水車小屋跡


上の写真は引き石臼(ひきいしうす) 船引栄蔵 氏提供


上の写真は米搗き臼(こめつきうす) 坂田茂二 氏 提供
 酒米を精白するのに使用されました。


上の写真は胴搗き臼(どうつきうす)
 線香の原料を粗く砕くのに使用されました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斗理でのランチ on 2017-4-8

2017年05月30日 06時12分53秒 | 神戸情報
神戸商工貿易センタービルB1にある中華料理「斗理」でランチをいただきました
ので写真紹介します。訪問日:2017-4-8

斗理の基本情報

住所:神戸市中央区浜辺通5-1-14 神戸商工貿易センタービルB1F
TEL:078-271-1278
料理ジャンル:中華料理
営業時間:ランチ 11:00~15:00 ディナー 17:00~21:00
定休日:日曜日、祝日
オーナーシェフ:黄 棟和


南京町が本店の昌園や昌園神大病院北側店とは姉妹店です。





当日、注文したのは焼きめしとワンタンスープのセットで800円(税込)です。(上の2枚の写真)


上の写真はセットのメニュー表です。


上の写真は斗理の外観

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kazu passion 南園でのランチ on 2017-5-29

2017年05月30日 04時45分48秒 | 神戸情報
2017年5月29日にいただいたKazu passion 南園でのランチを
写真紹介します。

以前は「Chinese 南園」や「中国菜館南園」として紹介しています。
お店を改装され一新しました。

Kazu passion 南園の基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2丁目12-28 TEL:078-781-3467
ジャンル:中華料理
営業時間:11:30~15:00(LO 14:00)17:30~22:00(LO 20:30)

定休日:火曜日(変更)

地図は下記ブログに掲載しています。
 中国菜館南園でのランチ on 2014-12-7

当日はPassionランチ1,500円(税別)を注文しました。



最初に出てくるサラダです


マヨネーズの味がすばらしいエビ盛りです。大好きです。


メインの揚げた魚料理です。


汁そば


締めのデザートの杏仁豆腐とコーヒー


上の写真はメニュー表です。
2,500円(税別)の南園のコースも人気で多くの方が注文されています。


上の写真はお店の外観です。

隣の鉄板ビストロ キャトル  鉄板ビストロ Quatreは当日が開店日だったようです。

鉄板ビストロ キャトル(Quatre)の基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2-12‐28   TEL:078-742-7374
営業時間:11:30~14:00  17:30~21:00
定休日:木曜日
公式FB:https://www.facebook.com/TEPPAN.BISTRO.Quatre/

公式ホームページ:https://quatre4.amebaownd.com/

ランチは2,160円(税込)などがあるようです。

垂水のおもちゃ箱さんが紹介されています。(下記サイト)

 http://tarumitoybox.blog.fc2.com/blog-entry-1924.html
 

Quatre(キャトル)はフランス語で数字の「4」の意味だそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百耕資料館 企画展 「江戸時代の絵図 京派の粉本Ⅳ 吉祥画」 on 2017-5-28

2017年05月29日 05時25分48秒 | 神戸情報
2017年5月28日に武井報效会 百耕資料館で開催の上記企画展 「江戸時代の絵図」を観てきました
ので写真紹介します。

百耕資料館の基本情報
住所:神戸市須磨区板宿町2丁目2-1 (育英幼稚園内) TEL:078-733-2381
公式サイト:http://www.ikuei.ac.jp/~hyakko/index.html


百耕資料館は、板宿の旧家名門である武井家に伝わる約1万2千点にも及ぶ
歴史資料を一般に公開されています。昭和63年(1988)10月に開館。
2010年の7月10日に平成16年春以来、約6年ぶりのリニューアルオープンされ
板宿の歴史をテーマに古代から近現代まで解説とともに公開されています。


展示の内容は写真撮影禁止なので内部写真はありません

今回の企画展は4月29日から開催されており5月28日は最終日でした。
企画展のポスターへのリンク:http://www.ikuei.ac.jp/~hyakko/eplist/2016au.html





上の写真はポスターより撮ったものです。
絵図は文化2年(1803) 岡本村絵図 井上家蔵(神戸市文書館寄託)

今回見せていただいた絵図の多くはは大国正美氏の著書「古地図で見る神戸」2013年11月30日初版に
掲載されています。





上の2枚の写真は武井伊右衛門(百耕)(1845-1917)の銅像と銅像の説明書き

説明書きに部分加筆して記述します。

武井伊右衛門は弘化2年(1845)2月14日に板宿村生まれ、幼名は久太郎明治に
なってから伊右衛門と名を改めました。さらに百耕と号す。日頃より書画を愛好し、
漢詩を嗜み多くの郷友諸士と交友を結ぶ。
明治5年(1872)兵庫県第三区長の父を補佐し 明治14年(1881)兵庫県の県会議員に当選。
明治16年(1883)公職を退いてあ邸地に秋錦園(菊園)、魁春園(梅園)の二園を開き一般に開放す。
八部郡郡長、同年有馬郡郡長となる。大正6年(1917)3月8日73歳で没。
墓は武井家歴代の墓とともに禅昌寺にあります。明治21年4月には有馬郡長を病気
のため辞任してからは漢学の素養から多くの詩を作り明治43年(1910)漢詩結社
隋鴎吟社の正社員となった。また、かって画を学んだ岡田広章からは画稿を譲り受けた。
特に円山、四条派の粉本に関しては2,000点の一大コレクションを誇っている。





上の2枚の写真は武井伊右衛門(百耕)の娘婿の後継者「武井悌四郎」の胸像と説明書き

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県立美術館のシンボル「美かえる」が新調

2017年05月29日 04時41分47秒 | 神戸情報
兵庫県立美術館の「美かえる」新調 神戸

上記のように神戸新聞(2017-5-25付け)で報道されました。

今回の新調は劣化によるもので総菜大手「ロック・フィールド」(岩田社長)の寄付で実現しました。

そこで2017年5月26日(金)に撮った「美かえる」を写真紹介します。(下の3枚の写真)






美(み)カエルの名称は713点の公募から選ばれた神戸市西区在住の主婦、山下美恵子さん
が命名者で2012年1月7日に命名式がありました。

シンボル製作のいきさつですが、蓑館長がフロイレンティン ホフマン氏アヒルの作品
(ラバーダック)を見て感動し、兵庫県立美術館のシンボルに
文化の復興の願いも込めて「カエル」のデザインで製作を依頼したのがミカエル誕生の
秘話だそうです。


「美かえる」は美術館で得た美的センスを家庭や職場に「持ち帰る」ことや、上記の
阪神淡路大震災から文化復興や美術館への再訪などの意味が込められているようです。

又、ミカエルのカタカナで下記のような意味があります。
ミカエル(ミハエル)は旧約聖書などに名が現われる天使という意味。
いずれにせよ、「美かえる」はシンボルとしてふさわしい格調高い名前だと思います。

ミカエルは聖ミカエルの称号で呼ばれることもあります。



上の写真は2014年3月29日に完成した「Peace Cracker]作者:椿昇 氏を入れて
「美かえる」を撮ったものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年5月12日(金)放送の歴史秘話ヒストリア「飛鳥美人 謎の暗号を解け~高松塚壁画のヒミツ~」を視聴して

2017年05月28日 05時19分07秒 | 奈良情報
2017年5月12日(金)にNHKテレビ放送の歴史秘話ヒストリアを視聴しました。
タイトルは「飛鳥美人 謎の暗号を解け~高松塚壁画のヒミツ~」で面白い話だったので
番組内容を整理するとともに2011年5月16日(月)に高松塚古墳壁画修理作業室及び高松塚古墳
を訪問した時の写真も交えて紹介します。

高松塚古墳は昭和47年(1972)に彩色壁画(国宝)が発見され一躍有名になりました。

高松塚古墳の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村平田439  TEL:0744-54-3340

公式サイト:https://www.asuka-park.go.jp/takamatsu/


Wikipediaによる高松塚古墳の解説を部分引用させていただきます。
「高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村
(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。
藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、
直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。
1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されている。」


飛鳥歴史公園のHPに高松塚古墳とキトラ古墳の壁画の比較をされています。

壁画に見られる高松塚古墳との主な違い(上記飛鳥歴史公園のHP
       キトラ古墳           高松塚古墳

四神像 (朱雀、青龍、玄武、白虎) 4つ揃っている    朱雀が欠けている     
    白虎が北向き(めずらしい)         白虎が南向き(一般的)     
    躍動感がある                筆致がおとなしい  

星宿図 精密で平壌(ピョンヤン・北朝鮮)から   一般的な星空      
     みた星空だという説がある

男女人物像    なし          飛鳥美人と呼ばれる唐風の人物群像

十二支像  
    朝鮮半島風のキトラの獣頭人身十二支像     なし        
       (西壁にあり)



さて本題のNHKテレビの番組の内容に入りたいと思います。

NHKテレビ大阪放送局のブログでも紹介されています。

 よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[前編] ~歴史秘話ヒストリア  

 よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[後編] ~歴史秘話ヒストリア 

またFBでも紹介されています。(下記サイト)
 https://www.facebook.com/NHKosaka/videos/1857794771130047/

1.高松塚古墳壁画のデジタル復元 By 小林泰三 氏






上の3枚の写真は小林泰三さんが復元した高松塚古墳の壁画




上の2枚の写真は奈良国立文化財研究所飛鳥資料館の高松塚壁画に関する展示 撮影:2017-2-5


上の写真は高松塚壁画に描かれている人物の身分の高さを示したもの。
番組ではカメラ目線の赤い服を着た女性は被葬者の妻では?との話もありました

2.高松塚古墳の発掘

 高松塚古墳の発掘調査は、1972年3月1日から開始された。発掘の始まったきっかけは、1970年の10月ごろ
 村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ、穴の奥に古い切石が見つかったことである。
 地元の人達が明日香村に働きかけ、明日香村が資金を捻出し奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を実施。
 発掘は明日香村が事業主体となり、橿原考古学研究所が実際の発掘を担当した。当時、明日香村では村の発足
 15周年を期に村史を編纂するため、未調査の遺跡の発掘を進めており、高松塚の発掘もその一環であった。

  以上 Wikipediaより 原典は網干善教「高松塚への道」(2007年、草思社)


上の写真は高松塚古墳の概要説明と古墳の断面図  
    奈良国立文化財研究所飛鳥資料館の高松塚壁画に関する展示 撮影:2017-2-5




上の2枚の写真は高松塚古墳の現地説明版より 撮影:2011-5-16
    発見当時1971年(昭和46年)の高松塚古墳と断面図

3.高松塚古墳の壁画修復
 Wikipediaによれば 
  「墳丘の発掘調査と石室の解体修理は2006年10月2日に開始された。2007年1月には古墳全体を覆う
   断熱覆屋が完成、内部の温湿度は10℃、90%に保たれた。同年3月12日には国営飛鳥歴史公園内に
   修理施設が完成した。石室はいったん解体・搬出した後、この修理施設へ移され、修復が行われる
   ことになった。4月5日には4枚の天井石のうちの1枚がクレーンで吊り上げられ、専用車両で修理施設
   へと移された。以後、4枚の天井石と8枚の壁石は1枚ずつ移動され、5月10日・11日には「西壁石3」
   と呼ばれる、「飛鳥美人」が描かれた石が移動された。最後の12枚目の壁石(西壁石1)が移動された
   のは6月26日のことである。移動された壁画は、10年間かけて保存修理が行われ、修理完成後はもとの
   古墳へ戻される予定になっている。」


上の写真は高松塚古墳の壁画を解体搬出する作業の様子(2007年)


上の写真は修理施設の内部(2017年)


上の写真は高松塚古墳の壁画「飛鳥美人図」の修復前後
カビが取り除かれ白っぽくなっている。

4.高松塚古墳の被葬者は?

番組では猪熊兼勝(京都橘大学名誉教授)先生の説で被葬者の候補者は
 大宝律令の編集を進めた忍壁皇子(おさかべのみこ、705年没)

 古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」(672)で活躍した高市皇子(たけちのみこ、696年没)

結論として猪熊兼勝先生は高松塚古墳の被葬者は忍壁皇子
  キトラ古墳の被葬者は高市皇子とされています。
   この説に直木孝次郎(大阪市立大学名誉教授)先生や
    王仲珠(中国社会科学院考古研究所研究員)先生も支持されています。


 上の写真は高松塚古墳の被葬者について解説されている猪熊兼勝先生
 番組では発掘された土器の鑑定結果を8世紀はじめの10年 (700~710)も根拠と説明

被葬者については下記の諸説があり確定されていない。

 A.天武天皇の皇子説  ー忍壁皇子説
            -高市皇子説
            -弓削皇子説(ゆげのみこ、699年没)万葉集に多くの歌を残した
   骨の分析結果から被葬者の年齢は40代から60代の初老の人物と推測されており、20代という
    比較的若い頃に没したとされる弓削皇子の可能性は低いと思われる

 B.臣下説  人臣最高位の左大臣まで登りつめた石上麻呂(いしかわのまろ、717年没)説

 C.朝鮮半島系王族説  -百済王の禅光(ぜんこう、693年没)説
            -高句麗の王族クラス

他に大友皇子と十市皇女の間に生まれた葛野王(かどのおおきみ、706年没)説もあり

5.緑の蓋(かさ)
 東壁の男子像の持ち物「緑の蓋」について詳しい解説があった。


上の写真は高松塚古墳の壁画「男子像」(東壁)の持ち物「緑の蓋」


上の写真は養老令(718)蓋条(きぬがさじょう)で深緑が一位でありこと
「てっぺんと四隅を錦で覆い房を垂らす」との記述があり絵と見事に一致しています。

 
6.大宝律令完成(701)の朝賀 
 

上の写真は大宝律令完成(701)を祝い藤原京大極殿で開催された朝賀を様子を示すイラスト




上の2枚の写真は高松塚古墳の壁画18人の人物が持つ持ち物が貞観儀式元正朝賀儀に記載
のものと一致していることを示したものです。


また高松塚古墳の副葬品として海獣葡萄鏡(上の写真)があったことから
この鏡が702年の遣唐使一行が704年に帰国、持ち帰ったものと推定。




結論として猪熊兼勝先生は「忍壁皇子が埋葬されている高松塚古墳の壁画は皇子も参加した
大宝律令完成の朝賀の儀式の様子をそのまま描いたものである。また記念すべき鏡が
副葬された」と述べられています。




 

 

 

 
上の4枚の写真は高松塚古墳の副葬品 
    奈良国立文化財研究所飛鳥資料館の高松塚壁画に関する展示 撮影:2017-2-5

7.藤原京大極殿前の幟




上の2枚の写真は2016年10月の発掘で確認された藤原京大極殿前の7基の幟
史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」は、701(大宝元)年の元日朝賀で7本の幢幡(どうばん)
(旗竿)を立てたと記しており、旗竿は律令国家完成時の儀式で使われたとされる。

正面にカラスをかたどった旗竿があり、東側には太陽を表現した日像(にちぞう)、四神のうちの青龍と朱雀(すざく)
さらに西側には、月像、四神のうち玄武と白虎(びゃっこ)の3本があり続日本紀の記述と一致。






上の3枚の写真は中央のカラス形の幡(はた)とその説明をされている奈良国立文化財研究所の
松村恵司所長




熊野本宮大社にも同じ3本足をもつカラスの幟があります。(上の写真)






上の3枚の写真は飛鳥藤原第189次発掘調査 現地説明会(2016-10-2)リーフレットより

最後になりましたが2011年5月16日に撮った高松塚古墳の写真を添付しておきます。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第9回 神戸国際フルートコンクール 始まる on 2017-5-25

2017年05月27日 07時38分30秒 | 神戸情報
2017年5月25日(木)より神戸文化ホールで第8回 神戸国際フルートコンクール
が始まりました。

神戸国際フルートコンクールは4年に1度開催され、世界の4大コンクールの1つである。
 神戸以外の3つはパリ、ジュネーブ、ミュンヘン。

主催者は神戸国際フルートコンクール運営委員会、神戸市、(公社)日本演奏連盟、
    神戸市民文化振興財団です。

今回は神戸市からの助成金がストップし開催が危ぶまれたが東京の篤志家の寄付などで
何とか開催の運びとなった。

総事業費は5,800万円このうち上記の篤志家(セレモア文化財団の辻正司会長)から4,200万円が
寄せられた。

38カ国・地域から240人がCDにより応募し、予備審査を経て19カ国・地域の53人が出場  

下記の日程で審査が進められます。


  1次選考は 5月25日~27日 で53名が参加。 
  2次選考は 5月29日~30日で 1次選考を通過した24名が出演
  3次選考は 6月1日で 2次選考を通過した12名が出演
  本選は   6月3日で 2次選考を通過した6名が出演グランプリも決まる
  表彰と披露演奏 6月4日

 詳細は下記サイト
   http://www.kobe-bunka.jp/flute/

 問い合わせ先:
  神戸国際フルートコンクール運営委員会事務局
   〒650-0017 神戸市中央区楠町4丁目2-2
       公益財団法人神戸市民文化振興財団内
    TEL(078)351-3597 / FAX(078)351-3121
    E-mail:kifc@kobe-bunka.jp


今年は3月18日~6月11日に「神戸国際フルート音楽祭」として過去8回とは違った形で開催される。
神戸国際フルートコンクール(5月25日~6月4日)に合わせて、市民参加型の催しとして企画されています。






上の3枚の写真はDUO神戸(浜の手) DUO DOMEで開かれていたフルートの演奏イベント
撮影:2017年5月26日(金)13:00頃


上の写真は神戸市 神戸市民三角推進局文化交流部文化交流課作成のリーフレット表紙


上の写真はイベント案内(上記のリーフレットより)




上の2枚の写真は広報アンバサダーの衣装展示と説明パネル

関連ブログ:まちなかコンサート at 神戸国際会館 on 2017-5-3
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイントピア別子 on 2005-12-3

2017年05月26日 06時15分15秒 | 自分史
2005年12月3日、社内小旅行で行ったマイント別子で撮った写真です。
(平成17年)


園内の乗物から景色を撮っているところが写っています。
まだ現役時代のもので岩国に住んでいました。




上の写真は残っていたマイントピア別子の入場券の表と裏のコピーです。

元禄3年(1690)の発見から1973年まで計約72万トンの銅を産出し、現在の住友グループの
発展の基礎となった。東平(とうなる)地区は、坑道などの遺構が点在、ペルーの世界遺産を
連想させることから「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる。

マインピア別子の基本情報

住所:愛媛県新居浜市立川町707−3  TEL:0897-43-1801
開園時間:9:00~18:00(季節により変わる?)

公式サイト:http://besshi.com/

自分史ということで2005年の出来事を記載しておきます。

1月20日 - ジョージ・W・ブッシュが2期目のアメリカ合衆国大統領に就任

2月  三宅島で全島避難
    ライブドアーがニッポン放送株式35%取得

2月16日 京都議定書発効 米国は離脱
2月26日 愛知万博 愛・地球博が開催

4月9日 - 北京で1万人規模の反日デモが行われた。

4月25日 - JR福知山線脱線事故が発生。死者107名

5月1日 - 北朝鮮が日本海に向けて地対艦ミサイルを発射

7月7日 - ロンドン同時爆破事件が発生

9月11日 「郵政解散」衆議院選で自民が圧勝

9月   村上ガンド 阪神電車株を買い占め

日韓友情年 2005




今回、Gooブログでは初めて「自分史」のカテゴリーを作成しました。

過去、Exciteブログでは自分史で下記の記事を書いています。

 1988年 なら シルクロード博覧会 in 奈良 on 1988-7-30

 スイス ルツェルンのカペル橋にて on 1992-6-4

 2011年3月4日(金)の出来事

 つれづれなるままに on 2009-11-2&11-3

 デンマーク出張 on 1989-4-8

 下松、笠戸旅行 on 2001-2-24

 花岡八幡宮の閼伽井坊塔婆(あかいぼうとうば)=多宝塔

 タイ バンコク 涅槃仏寺 ワット・ポー in 1974-4-21

 幼少期の写真  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2017年度前期 銅版画作品第2作

2017年05月25日 04時57分45秒 | Weblog
先週の金曜日(2017-5-19)に兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室3回目が
ありました。

その時に刷ったものを紹介します。



版サイズ:15cm×30cm
技法:エッチング、アクアチント


関連ブログ:兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2017年度前期 銅版画作品第1作


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第28回 みなとの祭 懐古行列の登場人物

2017年05月24日 06時31分04秒 | 神戸情報
第28回 みなとの祭 懐古行列の登場人物について当時の懐古行列のしおりのリーフレットより
紹介します。

1.古代(200年-1300年)
〇印は第47回神戸まつりで登場の人物




2.中世(1301年-1600年)



3.近世(1601年-1867年)





4.明治(1868年-1911年)




上の写真は第28回みなとの祭行事内容と懐古行列のコースが書かれたもの

出発:川池小学校 12:30  到着:神戸市役所 15:30
行列順序:古代、中世、近世、明治

関連ブログ:楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1)

      楠公武者行列 on 2013-5-26 (その2)

      楠公武者行列 on 2013-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする