CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

善助茶屋跡、KWSシーダーカテジ跡、善太郎茶屋跡 on 2018-11-17

2018年11月30日 04時49分16秒 | 神戸情報
明治時代の中期、E・H・ドーンを中心とする外国人たちによって毎日登山する習慣ができた。
再度山太龍寺の参道(駐車場付近)から100m程入ったところに善助茶屋、参道から20m程の
所にKWSシーダーカテジ跡、参道脇に善太郎茶屋跡があり夫々に石碑や説明板があり
かっての姿を想像できます。
茶屋跡地付近の説明版や石碑等を撮ってきましたの写真紹介します。
訪問日:2018年11月17日

善助茶屋跡


上の写真は「毎日登山発祥の地 善助茶屋跡」と書かれた石碑

裏面には善助茶屋跡を保存する会が昭和53年(1978)10月4日に建立した時に
書かれた説明板があります。碑文を添付

 昭和五十三年十月吉日
     神戸市長
        宮崎辰雄書
    善助茶屋跡を
        保存する会之建

      いわれ
 毎日登山は此の地から生れた
 明治三十八年(1905)頃在神外人が北野から範多坂(注:ハンター坂)を登って
 ここ善助茶屋にサインブックを置いて署名する習わしをつけた 元町栄町及海岸通りの
 商社の人達がこれに倣って登りだしたのが神戸市民の毎日登山の始まりである
 大正初期から昭和十年頃までが最盛期でこの善助茶屋に百冊に余る大小登山会の
 署名簿が置かれ早朝には賑わいを見せていた
 戦時中一時衰退したが又復活し現在では目指す山筋は別れているが毎日登山者の数は
 晴雨にかかわらず五千名を下らない。
 ただこのゆかり深い善助茶屋は戦後次第に訪れる人がなくなりいたずらに風雨に
 さらされ老朽し果てついに取り壊しのやむなきに至った。
 今その跡地に「毎日登山発祥の地」の碑を建て末永く神戸の誇毎日登山の隆盛を
 祈念するものである



上の写真は署名帳が置かれている東屋

かっての善助茶屋にも登山者のサイン帳がおかれ,登山仲間の社交場として賑わったと
いわれ,毎日登山の発祥地となっている。


上の写真は善助茶屋跡の遠景です。
階段の上に上述の石碑と東屋があります。


上の写真は善助茶屋の所在地が書かれた地図(現在地と書かれたところ)


上の写真は善助茶屋への入口の案内標識

KWSシーダーカテジ跡



上の2枚の写真はKWSシーダーカテジ跡の遠景と説明板

KWSシーダーカテジ跡(神戸徒歩会休憩所跡)

神戸徒歩会は、明治43年(1910)7月に誕生した日本人最初の登山会で、この広場周辺
にあるスギにちなんで、その休憩所をシーダーカテジ(Cedar Cottage)と名付けた。


善太郎茶屋跡









上の4枚の写真は神戸ヒヨコ登山会発祥の地、大正11年10月5日創立 善太郎茶屋跡と
書かれた銘板、所在地の遠景及び銘板の裏側の説明板

平成29年(2017)7月23日、95周年記念事業としてレリーフが建立されました。

神戸ヒヨコ登山会と発祥の地・善太郎茶屋について

百年余りも前から神戸の生活文化として定着している「毎朝(日)登山」は、ここ
太龍寺佐山門下にあった吉岡善助・善太郎兄弟が営む山の茶店から背山の山筋に広がって
行った。長男善助が営む茶店は、貿易商を営む外国人を中心に貿易関係の日本人が加わって
活況を呈していた。片や末弟善太郎が営んでいた門前茶屋(善太郎茶屋)は太龍寺に参詣
する人々や毎朝登山で訪れる神戸市民が大半のお客様であった為、如何にも日本的な雰囲気
を漂わせた茶店であった。大正十一年十月五日、この善太郎茶屋に集結した僅か十名の先人
によって立ち上げられた私達の登山会は、戦災や震災など数々の苦難を乗り越えて本年
目出度く創立九十五周年を迎えたのである。とかく神戸の「毎日登山」は、国際色豊かな
善助茶屋のみが発祥の地として脚光を浴び、茶店が廃墟と化した跡地には、私達も含めた
「善助茶屋を保存する会」によって昭和五十三ねん十月に毎日登山発祥の地の碑が建立
されているが、善太郎茶屋のことはあまり話題に上がらなかったのが事実であった。
私達全員は、毎日登山や例会登山に参加することによって精神肉体の健康を維持できている
日々に感謝し、併せて益々強い絆で結ばれていくことを祈念すると同時に、創立九十五周年
を迎えた証しとして、ここに「ヒヨコ登山会発祥の地・記念レリーフ」を建立するものである。


              平成29年7月23日
               神戸ヒヨコ登山会 会長 吉野 宏
                           役員一同



神戸の登山会は再度本部を中心に次の6支部(旗振・高取・布引・一王山・保久良・唐櫃)
があり現在も多くの方々が参加されています。

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再度山 大龍寺 訪問記 on 2018-11-17

2018年11月29日 15時17分48秒 | 神戸情報
2018年11月17日、久しぶりに再度山 大龍寺を訪問しましたので写真紹介します。
土曜日ということもあり多くのハイカーや参拝者がおられました。

再度山 大龍寺(たいりゅうじ)の基本情報
住所:神戸市中央区神戸港地方字再度山1-3  TEL:078-341-3482
宗派:東寺真言宗別格本山 御本尊:伝如意輪観音菩薩立像(重文) 山号:再度山
創建:(伝)神護景雲2年(768)称徳天皇勅願 BY 和気清麻呂  中興:善妙上人


公式サイト:http://www.tairyuji.com/p01.html

Goo地図を添付しておきます。


歴史
Wikipediaより大龍寺の歴史の記述を引用させていただきます。
寺伝によれば、神護景雲2年(768年)、和気清麻呂によって再度山(摩尼山)山頂近くの
南斜面に開かれたとされる。山号は空海が大輪田泊から唐に渡る直前と帰国直後の2度、
当寺に参詣したことに由来するという。奥の院には空海作と伝わる「亀の岩」があり、
空海が登山した道は大師道と呼ばれ、空海の修行地である現在の再度山公園には
修法ヶ原の地名が残る。
14世紀前半は赤松則村の多々部城の構成要素であったために度々戦火を受け衰亡したが、
観応年間(1350年〜1352年)、善妙上人による中興が行われ、堂宇が再建される。
現在の伽藍は江戸時代初期以降に再興されたものである。
森林に映える朱塗りの大きな山門はランドマークになっており六甲全山のハイキングコース
などにも取り入れられることがあるため、登山家もたびたびおとずれる。


和気清麻呂と大龍寺の伝説として称徳天皇の命を受け、寺塔建立の霊地を探していた
和気清麻呂が僧道鏡の刺客に襲われたとき、蛇に姿を変えたご本尊聖如意輪観世音菩薩
に命を救われ、伽藍を建立したときに「大龍寺」と名付けたと伝えられています。

和気清麻呂に関しては岡山県に顕彰碑があり過去にブログ記事を書いていますので
リンクしておきます。
 和気清麻呂顕彰碑 on 2012-7-18

山門(赤門)

上の写真は再度山ドライブウェイから見て、どっしりと落ち着いた外観の再度山
大龍寺の山門(赤門)である。
山門の前には右手より別格本山再度山大龍寺、摂津弘法大師88箇所82番納経所、
西国愛染明王霊場第5番札所、和気清麻呂建立弘法大師再修業再度山大龍寺、
近畿36坊不動尊第9番霊場、重要文化財菩薩立像などの文字が見えます。


上の写真は大龍寺のリーフレットの表紙の山門で上記の霊場できさいされていない
神戸十三仏第6番、神戸七福神霊場、摂津西国三十三箇所第6番札所、
近畿十楽観音第8番霊場、ぼけ封じ三十三ケ所第8番札所が記載されています。

山門に年中行事が書かれたボードが置かれていましたので添付しておきます。
同時にリーフレットに書かれた年中行事も添付(下の2枚の写真)




下の写真は山門の右手の六地蔵で、やさしい顔立ちが印象的でした。


仁王門



上の2枚の写真は仁王門の近景と遠景




上の2枚の写真は仁王像


上の写真は仁王門手前右手の水子地蔵尊




上の2枚の写真は毎日登山に参加されている方々の記録が記載されたボードと
「登山は健康乃基本」と書かれた石碑(開館落慶記念 晴 嵐 書)
同じく仁王門手前右手にあります。


上の写真は「法界萬霊」と書かれた石碑
同じく仁王門手前右手にあります。


上の写真は仁王門の手前(境内側)から観た仁王門と手水舎です。

大師道





上の3枚の写真は奥の院に続く大師道の入口部分の八十八所巡り第一番札所の石像と
案内の石碑


上の写真は大師道の最後の方の札所


上の写真は権倉稲荷大明神の扁額がかかった鳥居でこちらから大師道に行けます


上の写真は弘法大師空海が31歳入唐した804年から帰朝した806年の経路と
主な出来事を纏めたものです。
出典:奈良観光ガイドブック2018 なら温故知新 空海壮大なる旅路

本堂




上の2枚の写真が本堂です。
また、今回は拝観していませんが奥の院には大師堂があります。

以下、大龍寺の公式サイトからの引用です。
天授元年(1375)、後円融上皇が中風にかゝられた折、善妙上人が本尊に七日間の祈願を
されますと霊験たちまち現われ、さしもの重い病いもご平癒になったので、宸翰、宝器を
当寺に賜り本尊に深く帰依されたのであります。
このことが広く世間に伝わり(中風除け加持ご祈祷の寺)として有名となり、以来、代々の
住職がこの秘法を受け継いでおります。



上の写真は本堂前の奉納燈籠です。礎石の周りの石像は愛嬌があって面白い

御本尊菩薩立像

出典:毎日新聞社編 重要文化財 彫刻Ⅲ Page93


上の写真は現地説明板

毘沙門堂





毘沙門天の他に大黒天、弁財天が祀られているようです。

護摩堂

不動明王が祀られています。護摩炊きをするお堂

諸天堂


権倉稲荷大明神


鐘楼



霊明殿

社務所も兼ねています。

北向地蔵尊


境内全体遠景



神戸十三仏第6番霊場
神戸13仏観音霊場は今までに全部のお寺を拝観済みであるが朱印状に関してはまだまだ
未完の状態である今回の訪問で朱印状を頂いたので記念の為添付しておきます。
また御朱印帳に記載の解説文も併せて添付しました。(下の2枚の写真)




過去に小生のBlogで紹介した記事にリンクしておきます。

第1番  不動明王 転法輪寺(てんぽうりんじ)  山号:龍華山
     神戸市垂水区名谷町 2089

第2番  釈迦如来 天上寺(てんじょうじ) 山号:摩耶山
     神戸市灘区摩耶山町 2-2

第3番  文殊菩薩  如意寺(にょいじ)  山号:比金山
     神戸市西区櫨谷町谷口 259

第4番  普賢菩薩  太山寺(たいさんじ)  山号:三身山
     神戸市西区伊川谷町前階 224

第5番  地蔵菩薩  性海寺(しょうかいじ)  山号:高和山
     神戸市西区押部谷町高和 1318

第6番  弥勒菩薩  大龍寺( たいりゅうじ) 山号:再度山
     神戸市中央区神戸港地方字再度山1-3

第7番  薬師如来  石峯寺(しゃくぶじ)   山号:岩嶺山 
     神戸市北区淡河町神影 110-1

第8番  観音菩薩  能福寺(のうふくじ)   山号:寶積山 
     神戸市兵庫区北逆瀬川町 1-39

第9番  勢至菩薩  念佛寺(ねんぶつじ)   山号:摂取山
     神戸市北区有馬町 1641

第10番  阿弥陀如来 多聞寺(たもんじ)    山号:吉祥山
      神戸市垂水区多聞台 2-2-75

第11番  阿閦如来  須磨寺(すまでら)    山号:上野山
      神戸市須磨区須磨寺町 4-6-8

第12番  大日如来  無動寺(むどうじ)    山号:若王山
      神戸市北区山田町福地字新池 100

第13番  虚空蔵菩薩 鏑射寺(かぶらいじ)   山号:独古山
      神戸市北区道場町生野 1078-1

神戸十三佛の関連サイト:http://www.tairyuji.com/p04-6kobe13.html

神戸七福神
大龍寺は神戸七福神の大黒天を祀っています。
過去に神戸七福神について小生のブログで纏めていますのでリンクしておきます。
 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/c83ccb8a430d738c636ec73847abf2e9



上の写真は境内の大黒天石像


ぼけ封じ近畿十楽観音第8番霊場

上の写真はぼけ封じの霊場看板


ぼけ封じ三十三ケ所第8番札所の観音像


不十分な内容ですがこの辺でアップします。
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説

2018年11月28日 05時30分49秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第31回 生島と秦河勝伝説を紹介します。
今回でこのシリーズを終了します。

秦河勝は6世紀後半から7世紀半ばにかけて大和朝廷で活動した秦氏出身の豪族。
聖徳太子の側近の一人で武人として活躍した。また猿楽の祖とも言われており、
観阿弥・世阿弥は彼の子孫を自称している。

皇極2年(643) 蘇我入鹿が斑鳩宮の山背大兄王らを襲う(焼失)という史実が
あります。秦河勝はこの危機から逃れて皇極3年(644)坂越浦の生島に辿り着き
大化3年(648)83歳まで坂越で過ごし千種川流域の土木・灌漑の指導をして
地元の発展に貢献したとの伝承があります。

生島に秦河勝の墓があり周辺の村々でも秦河勝を神格化したことから生島も神格化され
島の木々が薪として伐採されることも無く自然林として残っていった。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ

第29回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

第30回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その30 坂越の嫁入り

秦河勝伝説
聖徳太子の側近として史書に名前が出てくる*秦河勝は皇太子(聖徳太子)と親しい関係
にあった為、蘇我入鹿に睨まれ政争の難を避けるために坂越にやってきたとの伝説がある。
時期は第35代皇極天皇(在位642-645)頃と推定されています。644年に漂着か?
なお、没したのは赤穂の坂越とされ、神域の生島には秦河勝の墓(円墳)があります。

秦河勝は千種川の流域の村々の地域開発(土木・灌漑や養蚕、機織りなど技術伝達)
にも貢献したため河勝を祀るお宮が坂越をはじめ高雄木津、中山字湯ノ谷の他
30箇所以上の神社が残っている。 出典:秦氏と有年 宮下斉 ふるさと思考 16号(1988.2)
平城京跡の木簡に「赤穂郡大原郷(現在の西有年)の長谷川で鮎を釣った」との記載

 注1)*秦河勝(はたのかわかつ)の別称としては秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)

 注2)秦氏は漢氏とともに渡来氏族の雄で、聖徳太子(厩戸皇子)の上宮王家に
   仕えられようなったのは秦大津父(はたのおおつち)ら同族の先人が築いた
   財力によると考えられます。

秦河勝は、主に『日本書紀』および『聖徳太子伝暦』に登場しており、その中で
詳しい活動が記されています。

・用明天皇2年(587年)
 → 丁未の乱では、物部守屋の追討戦に従軍し、厩戸皇子(聖徳太子)を守護しつつ
  守屋の首を斬ったという。
   文献には「軍政人秦造河勝」、「軍允秦造川勝」など武人
  
・推古天皇11年(603年)
 → 聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、蜂岡寺を建てそれを安置した。
   峰岡寺は現在、京都太秦にある広隆寺である。
   太秦は秦大津父がいた深草とともに秦氏が根拠地としていた場所です。
   当時の秦河勝の冠位は12段階の上から3番目の「大仁」後に1段階上の「小徳」
   に任ぜられています。
 
注)冠位十二階 推古天皇11年12月5日(604年1月11日)に初めて制定された冠位である。
   大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智の
   12階の冠位が制定された。

・推古天皇18年(610年)
 → 新羅の使節を迎える導者の任に土部連菟(はじのむらじうさぎ)とともに当る。

・皇極天皇3年(644年)
 → 駿河国富士川周辺で、大生部多を中心とした常世神を崇める信仰宗教団体を討伐する。


 大避神社の由緒書きにはこの年(644)に秦河勝が坂越にやってきたとある。
 また、千田草介氏はSala 54号(2013.8)Page14で秦河勝の没年を
 大化3年(648)83歳としておられます。
 このことが真実であれば生年は第29代欽明天皇25年(564)となります。



上の写真は奈良県磯城(しき)郡田原本町秦庄にある真言律宗の寺「秦楽寺」に鎮座する
秦河勝像 江戸時代初期の明暦元年(1655)の作
出典:秦楽寺の現地説明板





上の2枚の写真は大避神社の鳥居付近に掲示の秦河勝に関する説明板。

生島樹林

上の写真は大正13年(1924)12月9日、国指定天然記念物となった事を記念して
建設された石碑。
生島(いきしま)は周囲1.63mの小さな島であるが大避神社の禁足地として樹木の伐採が
禁止されていた為、原始の状態を良く保っています。


上の写真は宝珠山妙見寺観音堂付近から撮った生島の遠景


上の写真は生島が入った地図に生島の位置を明示しました。


上の写真は生島の説明板
説明板には記載されていませんが坂越の三井の一つ生島の船井もあります。

生島古墳
秦河勝は蘇我入鹿の追害を受けて皇極3年(644)難波津から船出し、坂越に漂着。
この地で没した。浦人が霊を恐れ祀ったところ、豊漁が続いたため大避神社を建立。
生島は神地となったとの伝説があります。

生島の西端山頂に墳形は崩壊し改変が著しいが秦河勝の墓と伝承されている径20m
の円墳が生島古墳である古墳の建造年代は古墳時代前半期(4世紀)と比定されて
いますが秦河勝の没年は皇極3年(644)から大化3年(648)頃と考えられ為
秦河勝の墓ではないと思われます。
生島の南斜面に崩壊した横穴式石室を持つ小さな古墳が2基あるそうです。


上の写真は生島古墳の現況 出典:歴史散策 坂越地区のリーフレット

御旅所、船倉




上の2枚の写真は御旅所、船倉の近景と遠景
御旅所は享保4年(1719)12月に再建されたもので内陣1間半四方、外陣3間四方
立3間の規模を持つ瓦葺の仏教様式の建物である。
祭礼に際しては内陣に神輿が安置されて神事が執り行われる。船倉は元文元年(1736)
の建築で「坂越の船祭」で使用される和船が保管されています。
船倉と祭礼用和船は昭和60年(1985)3月26日に県指定有形民俗文化財となりました。

上の写真は大避神社内に掲示の県指定有形民俗文化財に関する説明板。

聖徳太子の関連年表
秦河勝との関連で聖徳太子(574-622)関係の年表を添付しておきます。
上述したように秦河勝の生没年は564年生まれ648年没と推定

538年 仏教伝来(一説では552年)
540年 大伴金村、任那問題で失脚
552年 蘇我稲目と物部尾輿が崇仏論争
562年 新羅が任那を滅ぼす
574年 聖徳太子生誕
      574年2月7日(敏達天皇3年1月1日)出生地は橘寺     
577年 百済より経論、律師、禅師、仏工、寺工渡来
585年 物部守屋等 仏寺、仏像などを焼き捨てる
     聖徳太子の父・橘豊日皇子が即位(用明天皇)
587年 崇仏派の蘇我馬子が物部氏を滅ぼす
588年 蘇我馬子が飛鳥寺の造営を開始
582年 蘇我馬子が崇峻天皇を謀殺
      推古天皇即位
593年 聖徳太子が摂政となる、四天王寺建立開始
594年 仏教興隆の詔
600年 第1回の遣隋使を派遣
601年 斑鳩宮を造営
603年 冠位十二階を定めた
605年 諸王諸臣に、褶の着用を命じる。斑鳩宮へ移り住む
604年 十七条憲法を制定
615年 仏教を篤く信仰し「三経義疏」を著す
622年 聖徳太子死去
      622年4月8日(推古天皇30年2月22日)


さらに詳細は http://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Sh%C5%8Dtoku 

連載を終えて
かなり時間を要しましたが無事に連載を完結することが出来ました。
あくまでもよそ者が書いた記事なので誤解や誤記があるかも知れません。
地元の諸賢や研究者から間違いの指摘をして頂けるとありがたい。


最後に坂越浦が受賞又は認定された事象を箇条書きしておきます。
大正13年(1924) 生島樹林  国指定天然記念物
昭和42年(1967)兵庫観光100選地 船岡園
平成8年 (1997)ひょうごランドスケープ百景
平成9年(1998) 都市景観大賞
平成10年(1999)さわやか街づくり賞
平成19年(2007)美しい日本の歴史的風土準100選
平成21年(2009)人間サイズのまちづくり賞
平成30年(2018)日本遺産「北前船の寄港地」2017年の追加認定


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米国の火星探査衛星のインサイトが火星に着陸

2018年11月27日 07時25分19秒 | Weblog
日本時間で2018年11月27日の5時頃、米国の火星探査衛星のインサイトが無事
火星(Mars)に着陸し、映像を送ってきたとのニュースがNHKのテレビで報道
されていましたので紹介します。


まず、NASAのサイトに詳しい情報が記載されていますのでリンクさせていただきました。
 https://www.nasa.gov/feature/jpl/nasa-insight-landing-on-mars-milestones

 https://mars.nasa.gov/insight/timeline/landing/entry-descent-landing/

関連サイトへリンク
 http://time.com/5459942/insight-mars-nasa-landing/
 
 https://www.winknews.com/2018/11/25/nasa-spacecraft-insight-a-day-away-from-mars-landing/













上の6枚の写真はNHKテレビの報道

火星のエリシウム平原に着陸しました。
今後の観測により惑星の誕生の謎にせまることが期待されています。
完成探査では米国が世界をリードしておりこれまで7機の探査機を火星に送っています。
火星への着陸は難しく成功率は40%程度だそうです。

火星へは約6か月を要して4億8200万Kmの飛行で到着しました。


火星探査の歴史

1877年 Asaph Hallが火星の月を発見
1965年 NASAのマリナー(Mariner)4が火星の写真22枚を送ってくる。
1976年 Viking1と2が火星に着陸
1997年 マーズ・パスファインダー(Mars Pathfinder)が火星に着陸
    約1万6000枚の写真と、大量の大気や岩石のデータを送信後3か月で途絶
2002年 マーズ・オデッセイがミッションを開始グローバル・サーベイヤーは峡谷や
    土石流の写真を撮影し、帯水層と同様の液体の水が流れる水源が火星の地表
    または地表近くに存在する可能性を示唆

2004年 NASA はスピリット (Spirit)、オポチュニティ (Opportunityが) の2機の
    マーズ・エクスプロレーション・ローバーが火星への着陸に成功
    Spritの走行距離7.7Km 125,000枚の写真を送信
    Opportunityの走行距離43.5Km 20万枚以上の写真を送信してきています

2006年 マーズ・リコネッサンス・オービター(Mars Reconnaissance Orbiter、略称: MRO)
    が火星の周回軌道より高解像度の写真を送信

2008年 NASAのフェニックス(Phoenix)が北極の氷の豊富な地域に着陸。
    着陸後はロボット・アームで北極域の地表を掘り上げて過去の水に関する情報を探し、
    火星が微生物にとって適切な環境であるかどうかを調べた

2012年 NASAのキュリオシティー(Curiosity)が高解像度 (1600×1200)の写真を送信

2018年 5月 NASAインサイトを打ち上げ 11月に火星に到着予定
    15年ぶりに7月31日、火星が地球に大接近(火星と地球が5759万Km)

現在(2018)までに判明事項


2018年8月19日(日)、13時50分より70分のNHKスペシャル 史上最大の火星探査 
~地球外生命を探せ~での説明パネルより

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その30 坂越の嫁入り

2018年11月27日 04時51分53秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第30回 坂越の嫁入りを紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ

第29回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

2018年10月28日、坂越の嫁入りがありました。
ブログ作成に当たっては個人情報保護の観点から極力、人の顔を載せないよう
配慮していますが完全ではありませんので極力、掲載写真を少なくしました。

坂越の嫁入り on 2018-10-28

上の動画は坂越港の坂越浦西から花嫁と花嫁のご両親様が漕ぎ舟に乗船され
坂越浦東へ向かう場面です。今回で4回目になるそうです。
過去3回は「坂越のまち並みを創る会」(会長:門田守弘さん)が中心になって
実施されていましたが今回からは神戸市中央区の婚礼企画会社「コンセロ」が加わり
実施されました。


上の写真は「坂越の嫁入り」のPR用ポスター


上の写真は同じく上記ポスターの文字の部分拡大版で
実施要項が記載されています。


上の写真は坂越浦東から大避神社の鳥居まで人力車に乗って行く場面です。


上の写真は大避神社の参道を赤穂雅楽同好会の皆様の雅楽を先頭に進む新郎新婦


上の写真は大避神社の拝殿での挙式風景

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

2018年11月26日 05時07分37秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第29回 赤穂化成を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ


赤穂化成株式会社の基本情報

住所:赤穂市坂越329番地  TEL:0791-48-1111(代)
主な商品:塩、にがり、海洋深層水「天海の水」、健康食品と飲料、顔料など業務用化成品
設立:赤穂化成としては昭和46年(1971)11月25日
   前身は天然塩の製造を行う赤穂東浜塩業組合で戦前より存在していた。


公式サイト:https://web.ako-kasei.co.jp/sp/
      https://web.ako-kasei.co.jp/

海の駅しおさい市場「くいどうらく」に行く途中に赤穂化成の本社事業所があったので
工場外観を撮りました。(下の2枚の写真)





公式サイトの会社の沿革によれば
昭和22年(1947)赤穂東浜塩業組合に化成品部門が設立され、海水に含まれる成分の
特性と機能の研究を進め、食品・医薬・化学工業・製鉄・窯業・肥料などの多方向に
使用される商品を開発していったそうです。

昭和46年(1947)塩を効率的に生産できる「イオン交換樹脂膜製塩法」の登場により、
従来の塩田による製塩方法は廃止(塩業整備法の施行)され、赤穂東浜業組合はこれを機に
解散、同組合の化成部門を母体とする赤穂化成株式会社が誕生。

AKOグループとして赤穂化成の他に株式会社天塩、株式会社東浜、株式会社アコール
株式会社AKOがあります。


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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場くいどうらくでのランチ

2018年11月25日 04時33分55秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第28回 海の駅しおさい市場でのランチを紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居
第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

海の駅しおさい市場くいどうらくの基本情報
住所:赤穂市 坂越290−7 TEL:0791-46-8800
営業時間:11:00~16:00 
定休日:水曜(4~10月)11月~3月は11:00~15:00で営業


公式サイト:https://www.kuidouraku.com/
公式FB:https://www.facebook.com/kuidouraku.ako/


上の写真は当日注文した実りの定食 1,800円(税込)
11月15日から始まった牡蠣の食べ放題(3,000円)は注文しませんでした。


上の写真は釜めしの拡大写真


日本酒1合 435円(税込)も一緒に注文


上の写真は実りの定食が掲載のメニュー表


上の写真は飲み物のメニューひょうです。








上の4枚の写真はその他のメニュー表


上の写真はお店の内部の様子


上の写真はお店の入口


上の写真はお店の全般案内


上の写真はお店の近くでの牡蠣の荷揚げが行われている場所です。


上の写真はお店の近くの魚供養の碑


上の写真は2007年10月11日に訪問した時に食べたものです。

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

2018年11月24日 06時42分43秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第27回 黒崎墓所を紹介します。
県道の路肩の標柱には「黒崎墓所、諸国廻船この港に来り客死した人を葬る」と
書かれています。坂越浦では浦人の火葬は、高谷、鳥井、潮見、西で行っていたが
他領の死者は黒崎墓地へ埋葬するのが通例であった。
埋葬者には次の3ケースがある
 1.海難事故死

 2.航海中に病死

 3.航海中に発病し、入港して治療したが甲斐なく死没

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

目次替わりに最終回(第31回)の記事にリンクしておきます。

 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説







上の2枚の写真は黒崎墓所の遠景と現地説明板です。

黒崎墓所については是非訪問しておきたい場所であり今から写真を添付する県道沿いの
説明板までは見つかったが肝心の墓所は見つからず、地元の人に聞いてやっと黒崎墓所に
たどりつきました。
リゾートマンションの「マリンプラザ2001」の入口付近の右手から黒崎墓所に行けます。

マリンプラザ2001のGoo地図を添付しておきます。







上の標柱には「黒崎墓所、諸国廻船この港に来り客死した人を葬る」と書かれています。

黒崎墓所には海難事故に遭遇して死去した方、航海中に病死した人を弔う墓所です。
名前や命日が判明している136人で、墓碑、墓石は70基余りにのぼります。
黒崎墓所は古くは「他所三昧(よそざんまい)」、「船三昧」と呼ばれていました。
所在地は赤穂市坂越字洞竜2909番地

江戸時代に廻船で海難事故に遭った水主などの霊を弔ったのが妙道寺でした。
航海中に坂越浦海域で海難に遭い、また病によってこの地(坂越)に客死するものもあって、
湾の西南端黒崎の地に、彼らの墓所“他所三昧”(船三昧)が作られた。
坂越の船宿等を介して手続きがなされ、浄土真宗妙道寺に依頼して、黒崎墓所に
埋葬されたのである。(高野山旅僧の死亡の一例は真言宗妙見寺=坂越字宮本=が扱った。)
その記録である妙道寺の過去帳や関係浦状・取置証文等が残っており、また墓地にある墓石の
銘も参考にすると、大方の埋葬者の名・在所などの概要がわかる。
宝永7年~文久2年(1710~1862)の間の判明する埋葬者は136人、その故郷は、南は薩摩種子島、
西は対馬まで、日本海側は丹後・能登・越後・出羽、東は伊勢・尾張・伊豆にわたって29カ国
に及び、赤穂以西の者が7割(九州の者が4割5分強)を占める。船頭・水主がほとんどであるが、
旅の武士・僧ら便乗者も含まれていた。
黒崎墓所は文化4年(1807年)墓域が拡張きれ、同8年(1811年)には地蔵尊が安置された。
そしてこの地に、縁者がそれぞれの郷里から運んで建てた墓石70余基が並ぶ。
昭和55年(1980年)赤穂市教育委員会によって整地、修復がなされた。
平成4年(1992)3月24日兵庫県の指定文化財に指定されました。
2018年5月24日、文化庁は地域の歴史遺産や文化財の魅力を伝えるストーリーを認定する
「日本遺産」「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 〜北前船寄港地・船主集落〜」
として赤穂市など27市町が追加認定され黒崎墓所は構成文化財の一つになっています。


上の写真は平成5年3月30日に建立された石碑です。
書は当時の赤穂市長 北爪照夫氏によるものです。世話人は第三宝珠会.

現地説明板

上の写真は黒崎墓所の由来に関する現地説明板


上の写真は妙道寺過去帳および浦状による埋葬者の国別分類に関する現地説明板
宝永7年(1710)から嘉永1年(1848)まで29ヶ国 130人


上の写真は地蔵尊台座碑文に関する現地説明板

地蔵尊

庄屋の大西吉郎右衛門吉綏(よしやす)は黒崎墓所が荒れている姿を憂い、同志を集め
て墓所を切り開き、石垣や土塀を造り、野生生物から守り2年がかりで整備して、
文化7年(1810)7月初めの15日のお盆には僧を呼んで供養を行った。さらに
文化8年(1811)に羽州酒田(現在の山形県酒田市)から地蔵尊を取り寄せた。
もともとは元禄12年(1699)に酒田で亡くなった先祖の墓じるしとして当地の寺院へ
送った石仏。宗旨違いで安置されなかったため吉綏が取り戻し、盛大な法要を営んだという。


この部分は現地説明板と下記サイトから一部引用。
 赤穂民報 2013年6月1日(2040号)


海難による事故
坂越浦での一番の難所は笩が瀬(はいがせ)通称かべ 丸山沖を中心に破船が多く
遭難死者も出ています。
海難事故で一番古い年代は享保3年(1718)11月29日 伊予 沖の嶋 甚右衛門の船が
遭難しています。

海難の救援と死者の届出
他領船の海難や死者の届出は坂越浦の船宿が行っていました。
坂越浦の船宿は海海屋、登瀬屋、玉屋、福地屋、歌屋、湊屋、土佐屋、浜屋、蛭子屋、渋屋
魚屋、大黒屋、姫路屋、瀬戸屋、浜市屋などであった。

病人の収容場所
古文書に山際小屋、山根小屋に収容したとの記述があります。
山根は現在の高谷にあたり病棟があり重傷の旅人はこちらに収容されたようです。

判読できる墓石
墓石の法名などの解読が今回の目的ではないのではっきりと解る墓石の写真をいくつか
添付しました。

上の写真は釈観了信士 俗名小西徳平 丹後港大向村の供養墓


上の写真は上記供養墓の遠景(赤っぽく目立つ)
前に供養之碑と書かれた石碑があります。


上の写真は釈海雲信士 延享元年(1744)六月晦日と書かれた墓石

浄土真宗では釈に生前の名前から文字を取って「釈○○」の3文字にするのが一般的です。


上の写真は石段の上の墓石群 個々の解析は行いません


上の写真は地蔵尊右手の墓石群

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

2018年11月23日 05時03分12秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第26回 忠魂碑を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居


上の写真は帝国在郷軍人会坂越分会により大正5年(1916)建之、子爵川村景明君と
書かれた忠魂碑です。

軍人勅諭下賜50年記念として建立されました。

写真はありませんが近くに大正4年(1915)11月10日御大礼記念桜樹 奥藤研造の碑
もありました。奥藤研造氏は奥藤節堂という号もあります。
現在、船岡園は桜の名所としてその偉業が活かされています。

奥藤研造は明治期まで塩廻船主として最盛期に7隻の北前船を所有した下記サイトで
紹介されています。
 北前船の船主たち



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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

2018年11月22日 04時43分02秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第25回 縮遠居を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓




上の2枚の写真は縮遠居の遠景と現地説明板です。
児島高徳の墓がある船岡園の一角にある東屋で船岡園の開設(大正3年)と共に
設置されました。説明版にも大正3年当時の写真が掲載されています。船岡園は
大正3年(1914)5月13日、児島高徳卿550年忌の記念大祭典の準備として
御墳墓付近3,000坪を開拓し、官幣大社、吉野神社の摂社船岡神社の社号に因み
開設されました。

縮遠居は船岡園十三景の一つです。船岡園十三景は児島高徳の命日13日に因んで
帝都賜菊園学会長 藤野静輝氏によって命題されました。


上の写真は縮遠居が掲載されている地図(現地掲示)


上の写真は「山火事 注意」の注意喚起の看板です。
面白いと思ったのは「うさぎ」の絵が描かれていることです。
火災を未然防止した兎の伝説によるものと思われます。
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