2014年11月20日(木)の20時からの、NHKBSプレミアム「プレミアム ヒストリー 」
飛鳥の大宇宙 ~キトラに眠るのは誰だ~を視聴した。
まずキトラ古墳の概要説明をさせていただきます。
直径13.8m、高さ3.3mの二段築成の円墳で三方濠状のくぼみが
設けられている。
昭和58年(1983)NHKと飛鳥古京顕彰会のメンバーの熱意で
外から石槨内に挿入したファイバー・スコープで北の壁面に描かれた四神で
ある極彩色の玄武や朱雀等が高松塚古墳と同じように確認されて話題になった。
1998年、前回使用したものより高性能の超小型カメラで探査した結果、
東壁の青龍と西壁の白虎さらに天井の天文図も確認された。
造営年代は高松塚古墳より古く?694年から710年(藤原京の時代)と推定されています。
高松塚古墳の造営も694~710年と推定
Wikipediaによる概要解説
「二段築成作りの円墳である。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置している。
名称の「キトラ」は、「北浦」の転訛といわれる。
1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、注目を集めた。
2000年7月31日、国の史跡に指定され、同年11月24日には特別史跡に指定された。
円墳であり、四神を描いた壁画があるなどの類似点から、
高松塚古墳の「兄弟」といわれることがある。」
キトラ古墳の基本情報
住所:奈良県高市郡明日香村字安部山
問い合わせ先:飛鳥資料館 0744-54-3561
2011年5月16日にキトラ古墳 =亀虎古墳を訪問しておりブログを
書いています。
奈良散策記 その5 キトラ古墳 on 2011-5-16
さて、本題に戻りキトラ古墳=亀虎古墳の被葬者についての話題について
述べていきます。
番組では日本書紀、続日本紀より694年から710年に亡くなった被葬者の候補者
50人がピックアップされたその中からこの規模の円墳に入れる身分の人と
いうことで下の写真の12名に絞り込んだ。
皇族・豪族・渡来人というジャンル別に名前を整理すると下記のとおり。
この12名のうち文武天皇については火葬されたこと、天皇陵が八角形であった
ことなどから除外され11名に絞られる。
古墳の砂の中から、歯や骨が見つかり、京都大学名誉教授片山一通さんの
鑑定によって、被葬者は40~60代の男性であることが示唆された。
上の写真は歯の摩耗具合について説明される片山一通氏
これより被葬者の候補者は下記の6人に絞られます。
ここでキトラ古墳皇子説を展開されている京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝さん
が登場されます。
東経 135度48分の位置で藤原京の南に天武・持統天皇陵、文武天皇陵、さらに
キトラ古墳が一直線上に並んでいるのである。
藤原宮の中軸線を延ばした「
聖なるライン」に乗ることを提唱された
元京大教授
岸 俊男氏は1983年11月15日朝日新聞夕刊に寄稿されています。
皇子説になると既に示した高市皇子(たけちのみこ)、刑部(忍壁)皇子(おさかべのみこ)
葛野王(かどののおおきみ)の3名であるが壬申の乱で敗れた側の葛野王は除外され
高市皇子と刑部(忍壁)皇子の2名に絞られる。
高市皇子と刑部(忍壁)皇子について簡単に記載しておきます。
高市皇子(654-696)は、日本の飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子母親は尼子娘。672年の
壬申の乱勃発時に近江大津京にいたが、脱出して父に合流し、若年ながら美濃国の不破で
軍事の全権を委ねられた。
679年に天武天皇の下で吉野の盟約に加わり、兄弟の協力を誓った。
刑部(忍壁)皇子(生年不詳 - 慶雲2年5月8日(705年6月2日))は、飛鳥時代の皇族。
天武天皇の皇子で母は宍戸臣大麻呂(ししひとのおみおおまろ)の娘。
同母の兄弟姉妹に磯城皇子、泊瀬部皇女、託基皇女。忍坂部皇子、刑部親王とも。
官位は三品知太政官事。明日香皇女を妃としたとされ、
山前王(やまさきのみこ)・従三位尚膳小長谷女王の父。
最大の功績は701年に大宝律令選定を指揮したことである。
この時代には元号の使用、通貨の使用、歴史書の編纂、日本という名称が使用
おいった出来事があった。
上記の皇子説に対して豪族説をその中でも阿部御主人(あべのみうし)であるとの
説を展開されているのが近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎氏で(下の写真)ある。
上の写真は阿部御主人の官位の右大臣の官位制度で占める位置。
以上のことから番組ではキトラ古墳の被葬者を上記写真のように高市皇子
刑部皇子、阿部御主人の3人に絞りました。
さらに、猪熊兼勝氏は忍壁皇子が高松塚古墳の被葬者であるとの説を支持
されていることからキトラ古墳の被葬者が高市皇子と結論づけておられます。
高松塚古墳で出土した海獣葡萄鏡が698年に亡くなった唐の高官の墓から出土したものと
同じ窯で焼かれたものと判明したため、高松塚古墳の鏡は704年の遣唐使によって
持ち帰られたものであるということから、高松塚古墳の被葬者としては
705年に逝去した刑部皇子が有力になっている。
上の写真は海獣葡萄鏡に関する紹介。
番組で紹介された同志社大學教授の宮島 一通さんのキトラ古墳の天文図研究内容紹介。
キトラ古墳で描かれた天文図の場所は北緯37.6度で百済の都などの緯度に相当する。
さらに豪族説の根拠としてキトラ古墳の場所が阿部山であること、
安倍清明の先祖とされる右大臣・阿倍御主人は星座などに精通している陰陽道の元祖
阿倍御主人は、竹取物語のかぐや姫に求められた「火鼠の皮衣」を唐人・王慶に依頼して入手するなど
海外の事情に通じていた。
持統天皇の太政大臣であった高市皇子も696年に火葬されたとすればキトラ古墳の
被葬者となりえないなどの紹介がありました。
以上のことから
番組の結論としてはキトラ古墳の被葬者は皇子説なら
高市皇子
豪族説ならば
阿部御主人。
キトラ古墳をめぐる発見、発掘調査、保存作業の経過について2013-8-17の
神戸新聞記事をベースに記載しておきます。
昭和58年(1983)11月 ファイバースコープで四神「玄武」を発見
平成10年(1998)3月 四神「青龍」「白虎」及び天文図を発見
平成16年(2004)6月 石室の発掘調査開始
8月 壁画の剥ぎ取り作業開始
平成18年(2006)4月 天文図にカビが確認される
平成19年(2007)2月 四神「朱雀」剥ぎ取り
平成20年(2008)11月 天文図を剥ぎ取り、極彩色壁画の剥ぎ取り終了
平成21年(2009)8月 壁画の石室外保存の方針を決定
平成25年(2013)3月 キトラ古墳の整備前調査が終了
8月 埋め戻し前の公開
平成26年(2014)4月22日~5月18日
特別展「キトラ古墳壁画」 東京国立博物館
12万人弱の入場者があった。
2016年度に飛鳥歴史公園内の保存施設でこれらの壁画が一般公開される予定
キトラ古墳に関係するリンク先を書いておきます。
文化庁のHP 奈良の寺社ガイド(高松塚古墳壁画)独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所 飛鳥資料館飛鳥資料館のHPにも詳しいキトラ古墳の解説があります。
飛鳥歴史公園のHPに高松塚古墳とキトラ古墳の壁画の比較をされています。
壁画に見られる高松塚古墳との主な違い(上記飛鳥歴史公園のHP)
キトラ古墳 高松塚古墳
四神像 (朱雀、青龍、玄武、白虎) 4つ揃っている 朱雀が欠けている
白虎が北向き(めずらしい) 白虎が南向き(一般的)
躍動感がある 筆致がおとなしい
星宿図 精密で平壌(ピョンヤン・北朝鮮)から 一般的な星空
みた星空だという説がある
男女人物像 なし 飛鳥美人と呼ばれる唐風の人物群像
十二支像
朝鮮半島風のキトラの獣頭人身十二支像 なし
(西壁にあり)
高松塚古墳訪問記(2011-5-16)