文化庁の国指定文化財等データベースにより2018年9月22現在の神戸市内の
重要文化財(彫刻)を調べてみました。
神戸市の国指定重要文化財シリーズの第2弾です。
過去のブログ:
第1回 神戸市の国指定重要文化財リスト その1 建造物(2018年9月22日現在)
順不同で寺院別に整理してみました。
写真を見つけられなかったものは未添付でアップします。
太山寺
木造阿弥陀如来坐像
平安時代に製作 像高275.1cm 木造 金泥・漆箔
明治34年(1901)8月2日に指定
太山寺の住所は
神戸市北区伊川谷町前開224
上の写真は太山寺阿弥陀堂内に安置の木造阿弥陀如来坐像 撮影:2016-9-22
太山寺 練供養 on 2016-5-12で紹介
上記ブログの中の動画の中に阿弥陀堂内の木造阿弥陀如来坐像も写っています。
転法輪寺
木造阿弥陀如来坐像
平安時代に製作 木造 古色 141.7cm
明治34年(1901)8月2日に指定
転法輪寺の住所は
神戸市垂水区名谷町2089
上の写真は転法輪寺の宝物蔵に所蔵の木造阿弥陀如来坐像
イベントがある時に御開帳されています。
転法輪寺 龍華祭 on 2015-4-5で紹介
薬仙寺
木造薬師如来坐像
平安時代に製作 木造 漆箔 88.7cm
昭和15(1940)10月14日に指定
薬仙寺の住所は
神戸市兵庫区今出在家町4丁目1−14
上の写真は薬仙寺本堂に安置の木造薬師如来坐像
出典:重要文化財1 彫刻Ⅰ 木造-如来 文化庁監修 毎日新聞社(1972)Page57
薬仙寺 on 2011-2-21 で紹介
多聞寺(垂水区)
多聞寺の住所は
神戸市垂水区多聞台2-2-75
木造阿弥陀如来坐像
平安時代に製作 木造 漆箔 87.0cm
明治34年(1901)8月2日に指定
上の写真は多聞寺(垂水区)本堂の木造阿弥陀如来坐像 撮影:2008-5-15
木造日光月光菩薩立像
上の写真は日光菩薩立像。明治34年(1901)8月2日重文指定。像高 102.7cm
木造 漆箔 平安時代の作品
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅲ彫刻 Page71
上の写真は月光菩薩立像。明治34年8月2日(1901)重文指定。像高 103.3cm
木造 漆箔 平安時代の作品
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅲ彫刻 Page71
多聞寺の阿弥陀如来坐像及び日光・月光菩薩立像で紹介
福祥寺(須磨寺)
福祥寺(須磨寺)の住所は
神戸市須磨区須磨寺町4丁目6−8
木造十一面観音立像
上の写真は福祥寺(須磨寺)の木造十一面観音立像 明治34年(1901)8月2日指定
鎌倉時代に製作 木造 素地 玉眼 像高 54.0cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅲ彫刻 Page54
能福寺
能福寺の住所は
神戸市兵庫区北逆瀬川町 1-39
木造十一面観音立像
上の写真は能福寺の木造十一面観音立像 昭和2年(1927)4月25日指定
平安時代に製作 木造 漆箔 像高 121.2cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅲ彫刻 Page47
無動寺
無動寺の住所は
神戸市北区山田町福地字新池100
木造大日如来坐像
上の写真は無動寺の木造大日如来坐像 大正3年(1914)8月25日指定
平安時代に製作 木造 素地 像高269.0cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page48
木造阿弥陀如来坐像
上の写真は無動寺の木造阿弥陀如来坐像 大正3年(1914)8月25日指定
平安時代に製作 木造 素地 像高118.5cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page48
木造釈迦如来坐像
上の写真は無動寺の木造釈迦如来坐像 大正3年(1914)8月25日指定
平安時代に製作 木造 素地 像高120.1cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page48
木造十一面観音立像
上の写真は無動寺の木造十一面観音立像 大正3年(1914)8月25日指定
平安時代に製作 木造 彩色 像高150.3cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page49
木造不動明王坐像
上の写真は無動寺の木造不動明王坐像 大正3年(1914)8月25日指定
平安時代に製作 木造 彩色 像高84.0cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page49
デジブック 『無動寺』で紹介
上の写真は5体の仏像に関する現地説明板 撮影:2009-5-27
無動寺 重要文化財の彫刻を中心として on 2011-10-12で紹介
妙法寺
妙法寺の住所は
神戸市須磨区妙法寺字毘沙門山1286
木造毘沙門天立像
上の写真は無動寺の木造毘沙門天立像 昭和15年(1940)10月14日指定
平安時代に製作 木造 素地 像高180.3cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page32
善福寺
保管は神戸市立博物館寄託
善福寺の住所は
神戸市北区有馬町1645
木造聖徳太子立像(南無仏太子像)
上の写真は善福寺の木造聖徳太子立像(南無仏太子像) 大正3年(1914)4月17日指定
鎌倉時代に製作 木造 寄木造り 像高68.5cm ト書:法印湛幸ノ胎内銘アリ
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page56
温泉寺(清涼院)
温泉寺(清涼院)の住所は
神戸市北区有馬町1643
木造波夷羅大将(ばいらたいしょう)立像
上の写真は温泉寺(清涼院)の木造波夷羅大将立像 大正3年(1914)4月17日指定
江戸時代に製作 木造 彩色 玉眼 像高102.5cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page60
多聞寺(北区)
多聞寺(北区)の住所は
神戸市北区長尾町宅原417
木造毘沙門天立像
上の写真は多聞寺(北区)の木造毘沙門天立像 大正3年(1914)4月17日指定
平安時代に製作 木造 素地 像高 169.7cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅳ彫刻 Page73
木造吉祥天立像
上の写真は多聞寺(北区)の木造吉祥天立像 大正3年(1914)4月17日指定
平安時代に製作 木造 古色 像高 99.0cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅳ彫刻 Page81
木造地蔵菩薩立像
上の写真は多聞寺(北区)の木造地蔵菩薩立像 大正3年(1914)4月17日指定
鎌倉時代に製作 木造 漆箔 彩色 玉眼 像高 82.0cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅲ彫刻 Page90
大龍寺
大龍寺の住所は
神戸市中央区神戸港地方再度山1−3
木造菩薩立像(伝如意輪観音像)
上の写真は大龍寺の木造菩薩立像(伝如意輪観音像) 昭和4年(1929)4月6日指定
奈良時代に製作 木造 古色 像高 180.3cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page43
歓喜寺
歓喜寺の住所は
神戸市中央区中島通5丁目1−40
木造十一面観音立像
上の写真は歓喜寺の木造十一面観音菩薩立像 昭和4年(1929)4月6日指定
平安時代に製作 木造 漆箔 像高 88.4cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page47
香雪美術館
香雪美術館の住所は
神戸市東灘区御影郡家2丁目12-1
木造薬師如来立像
上の写真は香雪美術館の木造薬師如来立像 昭和8年(1933)1月23日指定
鎌倉時代に製作 木造 漆箔 像高 129.0cm
出典:毎日新聞発行(1972)、文化庁監修の重要文化財Ⅰ彫刻 Page67
宝満寺
宝満寺の住所は
神戸市長田区東尻池町2丁目11−1
木造大日如来坐像
上の2枚の写真は宝満寺の木造大日如来坐像と胎内 平成9年(1997)6月30日指定
鎌倉時代に製作
ト書:像内に永仁四年(1296)九月、大仏師法眼定運等の朱書銘がある
出典:神戸市立博物館編 神戸の文化財Ⅱ (2007) Page29
解説文(文化庁のデータベース):
高髻を結い、法界定印を結んで坐る等身の胎蔵界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で、
頭・体幹部を通して両耳後を通る線で矧ぐ前後二材より彫成し、各内刳を施して三道やや
下で割首を行う。両眼は玉眼とする。両肩・臂・手首で各矧ぎ、両手先は通して一材製とする
両足部は横一材製、両膝奥は側面二段および上面の計三材を矧ぐ。
髻(三材製)、正・背面の条帛垂下部に各別材を矧ぐ。表面は錆下地に黒漆塗、白下地のうえ
肉身部は金泥塗、衣部は盛上文様をまじえた彩色を施している。
像内に永仁四年(一二九六)の年記と、大仏師法眼定運【ほうげんじよううん】をはじめ
卿定弁法橋、康意、三河法橋定盛の四人の仏師の名が記されており、造像年代と作者が知られる。
仏師のうち定弁、定盛の二名に関しては正和三年(一三一四)に岐阜・長瀧寺釈迦如来及
四天王像(現存せず)の造立に携わったことが記録(『長瀧寺真鑑』ほか)により知られ、
それらの像を彼らとともに造った慶誉という仏師が弘安四年(一二八一)の長谷寺本尊像の
再興に慶派正系の湛康、慶秀らとともに参加していることからすれば、定運らもまた慶派に
属する仏師とみてよいであろう。像底を上げ底式に刳り残す構造にもこの派の特徴がうかがえる。
その作風は鎌倉時代盛期を過ぎたこの時代の遺品らしくやや弛緩した感も否めないが、
肉付きのよい体躯の象形や太い衣文線には運慶風の名残りが認められ、当代慶派の基準作例
として推賞することができよう。
ことに注目されるのは、頭体とも前半材では金箔、後半材では銀箔をそれぞれ内刳面に押す
像内の仕上げ法である。像内漆箔は院政期に始まり、鎌倉時代にもしばしば行われた手法で
あるが、本像と同様の例は知られていない。当代の像内荘厳のありようを考えるうえで
貴重な事例といえよう。また像内より口腔を穿って口唇のわずかな隙間に貫通させる仕口も
特徴的で、密教の観想法との関連が想像される一方、この時代に造られるようになった
いわゆる歯吹阿弥陀像などにも通じるところがある。
銘文は像内漆箔面のほぼ全面にわたり朱書され、造像関係者や各種偈文、諸尊種子などが
記される。宝満寺は文永三年(一二六六)に無本覚心(法燈国師)により禅刹に改められたと
伝えられるが、和歌山・興国寺法燈国師像(重文)がやはり像内頭部の前面を金箔、後面を
銀箔押とし、そこに朱書銘を記すことが注目される。真言密教にも深い造詣を有した覚心が
本像の製作に関与していた可能性は十分考えられよう。
附指定の四点はいずれも像内より取り出されたと伝えられる。金剛界大日如来の小像は
台座底面の輪郭が、本体の像内胸部に設えられた蓮台の上面にある痕跡と一致する。
舎利注文は八人の交名とそれぞれの喜捨した舎利の粒数が記される。
また般若理趣経・金剛界礼懺は本像の大勧進として銘文に記される吽日が弘安三年(1280)
に書写したものである。いずれも本像の関連資料として逸することのできない品々である。