CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

金刀比羅宮御由緒---岩国普済寺内

2005年04月30日 10時44分26秒 | 岩国情報
神社の掲示板より要約 

 往古から琴平神社・金毘羅神社が全国各地にある。
 その本源は香川県の琴平町に鎮座している。

 金毘羅宮での祭神は大物主大神である。
 明治元年(1868)新政府は神仏混淆を廃止し
 明治元年(1868)7月に金刀比羅宮と改称されて
 現在に至っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福源での昼食

2005年04月29日 06時06分30秒 | 岩国情報
4月23日(土)に食べた昼食です。
メインの蟹鍋の蓋が開かず鍋の水が
無くなった状態で食べた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾作亭での昼食(4/16(土))

2005年04月28日 06時02分02秒 | 岩国情報
4月16日に麻里布町の吾作亭で昼食を食べた。
ステーキ定食(1900円)---写真で神戸牛を
使ったものでまあまあであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由宇川改修記念碑---由宇町

2005年04月27日 06時09分56秒 | 岩国情報
由宇に史跡・文化財めぐりより要約 引用

由宇川はかっては川幅が約半分で明治以降氾濫は
28回を数える。
特にひどかったのは明治35年8月、昭和20年9月
昭和26年10月の大水害であった。
昭和24年12月に5ヵ年継続の中小河川改良事業として
由宇川の改修工事が施工が決定しました。
昭和25年(1950)のキジヤ台風や翌年のルース台風
は工事途中の土手を押し流し北区、堀田に災害を
もたらしたが、結局昭和32年に完成しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嶋谷汽船本社跡---由宇町

2005年04月26日 06時31分39秒 | 岩国情報
由宇船主の中で頭角を現した嶋谷徳右衛門(嶋谷汽船創始者)は
若くして船主兼米問屋の中尾家に奉公して廻船業務と米の売買を習得
その才知と能力はすばらしく、その為主家に認められ明治10年(1877)
徳右衛門40歳の時に中尾本家の持船2隻・昌栄丸(900石)と昌宝丸
(700石)を譲り受け更に生家の父親所有船若宮丸を継承して
所有船3隻の船主となって独立した。
しかし明治22年 6 月28日享年52歳にして逝去となり嗣子嶋谷徳三郎が
弱冠22歳で二代目として家業を継承し家督を相続した。
徳三郎は慶応 3 年 (1867) 11月 7 日の生まれで若年より
父に鍛えられ20歳前既に米穀の取り引きや米相場船舶の配船業務などに
精通する優秀な人であった。
由宇の和船を 使った海運業者(北前船廻船業者)が鉄道の開通や電信電話
の発達で廃業に追い込まれる状況下でも嶋谷汽船(当時は嶋屋)
明治29年(1896)イギリス製の浦門丸(528t)を購入し踏みとどまった。
その後明治34年(1901)から40年(1907)にかけて大和型帆船や木造汽船
を処分し堅実第一主義の経営に徹底したと言われている。
日露戦争後の明治43年(1910) 5 月に至り 2 隻の海外船を買船 翌44年
更に 2 隻計 4 隻の千トン級鋼製汽船を購入して従来の九州航路と
北前船航路の運航を継続し充実した海運業を謳歌した。
大正元年(1912)の保有船は大成丸など5隻4350tonであった。
大正3年(1915)7月28日勃発した第一次世界大戦の影響で海運界は
未曾有の好況を迎え大正6年(1918)嶋谷汽船株式会社と改組した。
大正12年(1923)には営業の拠点を神戸明石町に移転した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代官門---由宇町

2005年04月25日 21時23分45秒 | 岩国情報
代官門

 横町にあった岩国藩由宇組代官所は明治の初期の廃藩置県で
 屋敷と建物は民間に払い下げされました。
 小槇(しょうしん)の芦村(よしむら)さん宅の門(写真)は
 その代官所にあった門です。
 初めは山崎の雲蓋寺へ移されていましたがこの雲蓋寺が周防大島
 へ移ることになり岩国藩士族であった芦村家の先祖がこれを
 おしんで買取り芦村家の門としたものです。
 由宇町の市街地から霧峯神社に行く道に入らずに行くと芦村さん
 のお宅が見つかる。
 山道の頂上に近いお宅である。山に向かって右手。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦帯橋親柱笠木

2005年04月24日 05時46分47秒 | 岩国情報
笠木は錦帯橋の高蘭親柱の頂上部に取り付けられた部材で、
木の型の上に銅製の板が貼ってある。
当初からこのスタイルが踏襲され現在もこのスタイルに
なっている。
しかし、大正8年(1919)から昭和25年(1950)キジヤ
台風で橋が流出すまでの間は擬宝珠(ぎぼし)が付けられた。
この擬宝珠は現在徴古館に保管されている。(写真)
昭和28年(1953)の昭和の再建では古式にのっとり元の
兜板(かぶといた)に変更された。
当時の文化財保護委員会(現在文化庁)によってこの問題は
徹底的に議論され結論が出された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦帯橋岡組み---岩国市

2005年04月23日 08時39分17秒 | 岩国情報
2003年10月12日錦帯橋の岡組みの作業を
見学した時の写真です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長徳寺明王院---岩国市通津地区 長野

2005年04月22日 18時37分27秒 | 岩国情報
長徳寺明王院

山口県岩国市長野にある臨済宗の寺であり、現在建て替え中である。
明王院の他にしんこう院、じほう院、古坊院、吉祥坊院などがあり、
往時は教覚寺より大規模な寺であったらしい。

 通津文化財散歩 森山梭一著 よりピックアップ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05-4-21東京にて

2005年04月21日 08時22分10秒 | Weblog
本日も東京から携帯からのメッセージになります。岩国の錦帯橋の今年の桜は最高でした。添付の写真をお楽しみ下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする