CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

「大垣城」訪問記 on 2015-8-27

2024年08月22日 04時21分44秒 | 旅行記
2015年8月27日、青春18切符を利用して関ヶ原と大垣市を散策してきました。

本日は大垣城を写真紹介します。




上の3枚の写真は大垣城の天守を中心とした写真です。
戸田氏鉄(大垣城から尼崎城に移封)の銅像も写っています。

上の写真は天守閣に掲示の古写真(旧国宝時の大垣城)
大垣城は昭和20年(1945)7月29日の戦災で焼失しています。
昭和34年(1959)現在の天守が完成。
さらに平成23年(2011)に天守と乾櫓を戦災前の外観に改修されています。

大垣城の基本情報
住所:大垣市郭町2丁目52 TEL:0584-74-7875
築城:天文4年(1535) 宮川安定が築城

平成29年(2017)4月6日(城の日)に、東京都千代田区の文部科学省記者クラブにおいて、
(公財)日本城郭協会から「続日本100名城」が発表され大垣城が選出されました。
上の写真は大垣城周辺の地図です。
出典:大垣城リーフレット

上の写真は大垣城の歴史を説明したパネル

大垣城略年譜
上の写真は歴代藩主などを記載した大垣城の年譜
出典:大垣城リーフレット

天守閣からの眺望





大垣公園の現地案内板

大垣公園の顕彰碑

上の写真は大垣公園の顕彰碑略図
出典:大垣城リーフレット

大垣城の由来
出典:大垣城リーフレット

関ヶ原合戦と大垣城
慶長5年(1600)石田三成ら豊臣方の西軍は、徳川家康を討つため美濃の国に入った。
時の大垣城主、伊藤盛宗は豊臣家の家臣で西軍に属していました。

杭瀬川の戦いの展示




戸田大垣藩の誕生
出典:大垣城リーフレット

治水と大垣
出典:大垣城リーフレット

往時の大垣城と城下町




上の3枚の写真は往時の大垣城と城下町 

大垣散策のブログ


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大願寺(だいがんじ)---広島県宮島

2023年07月13日 03時14分53秒 | 旅行記
2005年3月2日付けで表題のテーマでブログ記事を書いています。(下記リンク)

2023年7月2日(日)、NHKBSプレミアムで「2時間でめぐる厳島神社」で大願寺が紹介されました。
そこで、前に書いたブログ記事に加えて上記番組の写真を加えて再編成しました。
大願寺(だいがんじ)の基本情報
住所:広島県廿日市市宮島町3番地       TEL:0829-44-0179 
宗派:真言宗 高野山派  山号:亀居山  院号:放光院
御本尊:薬師如来、厳島弁財天(神仏習合)
開基:不詳 中興:鎌倉時代の建仁年間 (1201~1203年)By了海  
拝観時間:8:30~17:00  年中無休

所在地のGoo地図を添付しておきます。
上の写真は大願寺の本堂
慶応2年(1866)勝海舟が長州藩士などとここの書院で会談したことも有名です。
上の写真は本堂の近景で厳島神社より勧請された弁財天が祀られています。
大願寺の本尊厳島弁財天は、相模国(鎌倉)の江ノ島、近江国(琵琶湖)の竹生島とともに、
日本三大弁財天の一つです。
毎年6月17日に厳島弁財天の大祭が有り、御本尊の弁財天が開扉されます。
詳細は下記サイト

上の写真は本堂の前で神仏習合について解説された県立広島大学 宮島学センター長の秋山伸隆さん
大願寺が室町時代から厳島神社の修理造営を掌ってきたことも解説されました。
当初は朝廷や幕府が造営や修理を担っていた。
 
上の写真は大願寺の護摩堂

上の写真は必見No.17として紹介された大願寺 山門
上の写真は大願寺の位置を示した図

宮島へは過去に4~5回は訪問していると思います。
今後も宮島、厳島神社近辺の散策地についてブログ記事のテーマにしていきたいと
考えています。

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山口県熊毛郡大和町(現光市)伊藤公生家と伊藤公資料館 on 2000-9-24

2022年06月30日 04時00分03秒 | 旅行記

昔の写真を整理していたら2000年9月24日に訪問した伊藤公資料館と伊藤博文生家の写真が出てきましたので紹介します。

初めてGooブログを開始した2004年より古い時期の写真です。

1.伊藤 博文 公 の生家  (初代 総理大臣)
1841年(天保12年)9月2日にこの萱葺きの家で生まれ6歳までこの家で過ごしたそうです。
現在ある建物は竹下総理時代(1991年=平成3年)のふるさと創生事業の一つとして現在の場所に移築・復元された。

生家の裏手には産湯の井戸もあります。

上の写真は伊藤博文の生家 撮影:2000-9-24

生家のある場所は後述する伊藤公資料館、伊藤公記念館の敷地に隣接してあります。

2.伊藤公資料館
 伊藤公資料館は初代総理大臣伊藤博文公の遺品などを展示していると同時に幕末から

 明治末までの日本の動きを学習する場として開設されました。

上の写真は伊藤公資料館 撮影:2000-9-24

現在、伊藤公記念公園、伊藤公資料館として整備されているようです。

伊藤公資料館の基本情報

住所:山口県光市大字束荷2250番地1   TEL:0820-48-1623

営業時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで) 

定休日: 月曜日(ただし祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)

入館料: 個人:260円(高校生以下は無料)/団体(20名以上):200円
※障害者手帳をお持ちの方、およびその付き添いの方は無料

公式サイト:伊藤公資料館ご案内/光市 (hikari.lg.jp)

所在地のGoo地図を添付しておきます。

3.伊藤公記念館(旧伊藤博文邸)


上の写真は伊藤公記念館(今は中に入れない)

伊藤公記念館に関して光市の公式サイトの解説文を引用紹介します。

明治43(1910)年、伊藤公の遠祖・林淡路守通起の没後300年にあたり、林一族及び伊藤家を集めて法要を行うために建てられたものです。

伊藤公自らが基本設計を行い完成を望んでいましたが、明治42(1909)年10月、完成を目前に凶弾に倒れ、故郷に戻ることなくその生涯を終えました。

平成16(2004)年2月、大規模な補修工事を終え、現在は旧伊藤博文邸として公開されています。

4.伊藤博文の兵庫県知事時代

伊藤博文は下記の期間、初代の兵庫県知事でした。
自:慶応4年5月23日  新暦換算では1868年7月12日
至:明治2年4月10日  新暦換算では1869年5月21日

その関係で神戸市には伊藤博文の足跡が数多くあります。

若き日の写真

上の写真は若き日の伊藤俊輔(左)、中島信行(中央)、アーネスト・サトウ(右)

上の写真は写真の説明板

湊川神社(神戸市中央区)に伊藤博文が奉納の石燈籠



上の2枚の写真は公爵 伊藤博文が寄進した燈籠と燈籠の基礎石台の側面に大正4年(1915)
5月に神田兵右衛門によって書かれた説明文

伊藤博文が寄進した石燈籠は明治2年(1869)9月に献納されました。
大蔵少輔従五位兼民部少輔 越智宿禰博文と刻まれています。


湊川神社境内(神戸市中央区)の銅像

上の写真は明治37年(1904)10月22日除幕から翌年9月7日までの1年足らず
湊川神社に設置された伊藤博文公の銅像
この銅像建設の発端は明治35年(1902)伊藤の別荘である神奈川県大磯町「滄浪閣」で
開催された伊藤の還暦祝賀会で桂太郎らが伊藤に銅像を贈呈しようとしたが伊藤が固辞
した為、銅像の改鋳して伊藤と家族の満足を得て明治37年(1904)2月に竣工し、同年
10月22日当初の滄浪閣ではなく湊川神社拝殿前右手に設置除幕された。
銅像製作の請負業者は杉田幸五郎
出典:神戸佳族 Vol.54(2016年5・6)Page13
   明治35年10月26日付け 東京朝日新聞

禅昌寺(神戸市須磨区)にある観楓の詩(伊藤博文作)

上の写真が伊藤博文詩碑です。

「聞通老僧移錫処 延文遺跡尚存留

満山紅葉無人稀 風色蕭々古寺秋 」と書かれています。

その他の遺構も含めて下記記事で纏めています。

 初代兵庫県知事 伊藤博文の神戸時代の遺構や遺物 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

5.明治、大正期の歴代首相

明治、大正期の歴代首相については下記ブログで纏めています。

 明治大正期の歴代首相一覧 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

6.神奈川県大磯町の滄浪閣

また、関連ブログとして神奈川県大磯町にある滄浪閣(旧伊藤博文邸)についても記事を書いていますのでリンク

 神奈川県大磯町 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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吉備津神社、児島、坂出への旅行記 on 2019-12-16&12-17 その2 cantina 登美でのランチ

2019年12月21日 04時51分09秒 | 旅行記

2019年12月16日、倉敷市下津井の「むかし下津井回船問屋」の敷地内にある和食と

イタリアンの「cantina 登美」でいただいたランチを写真紹介します。

 シリーズ過去のブログ

 第1回 吉備津神社

cantina 登美の基本情報

住所:倉敷市下津井1-7-23 むかし下津井回船問屋(敷地内) TEL:086-479-9456

営業時間:昼 11:30-14:00

     夜 平日 17:30-21:00(LO)土日祝日 18:00-21:00(LO)

定休日:毎週火曜日 第一水曜日 (祝日と重なる場合は翌日)

公式FB:https://www.facebook.com/cantinatomi/

 

カンティーナ登美 では和食とイタリアンが楽しめます

当日は和食を注文しました。

ダイニングは蔵を改造して造られているとのことで広々としていた。

上の写真は奥様が注文した蔵定食 1,600円(税別)

 

上の写真は私が注文した刺身定食 1,600円(税別)

奥様の刺身よりグレードが高くどれも新鮮でVery Goodでした。

ほとんどの人が和食を注文されていました。

上の写真は最後のデザート

コーヒー等の飲み物はドリンクバー方式のセルフサービス

イタリアンを食べられた方のブログにリンクさせていただきました。

 https://mami2013.exblog.jp/26522268/

 https://tokuhain.arukikata.co.jp/okayama/2018/04/cantina.html

 

上の2枚の写真は岡山県の出身でNHKBSプレミアム「英雄たちの選択」で司会をされている

歴史家の磯田道史氏の色紙と下津井の魚に関する説明

上の写真はむかし下津井回船問屋の母屋建物入り口

 

 

 

 

 

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吉備津神社、児島、坂出への旅行記 on 2019-12-16&12-17 その1 吉備津神社

2019年12月18日 16時07分32秒 | 旅行記

2019年12月16日から1泊2日で吉備津神社、児島、坂出を訪問してきました。

今回はその第1回で吉備津神社(2019-12-16訪問)を写真紹介します。

吉備津神社の基本情報

住所:岡山市北区吉備津931 TEL:086-287-4111

主祭神:大吉備津彦大神

 

公式サイト:http://www.kibitujinja.com/

 

本殿・拝殿

上の写真は拝殿・本殿の全景です

比翼入母屋造で国宝(昭和27年(1952)3月29日)に指定されています。

文化庁の国指定文化財データベースの解説文をそのまま引用紹介します。

吉備津神社は,古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。独特な社殿形式の由来は明かでないが中世を代表する大型の神社建築として価値が高い。

上の写真は本殿を前に記念撮影

上の写真は拝殿で吉備津宮と書かれた扁額があります。

境内案内図

廻廊

 

 

上の写真は廻廊 400mあるそうです。

上の写真は南随身門(明治44年(1911)4月17日に重文指定)付近の回廊

南随身門は延文2年(1357)の建築

御釜殿

上の写真は御釜殿の外観です。鳴釜神事(鳴動神事)が行われる場所です。

御釜殿は慶長17年(1612)の建築で昭和55年(1980)1月26日に重文に指定。

内部は撮影禁止で写真がありません。そこで説明版を添付しておきました。(下の2枚の写真)

 

鳴釜神事に関してWikipediaの解説文を引用紹介しておきます。

吉備津神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域。
住所では同市東阿曽および西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。
伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神職の娘、即ち巫女とされる)
を呼んで、神職と共に神事を執り行った。現在も神職と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ。 
まず、釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、
大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。この音は「おどうじ」と呼ばれる。
神職が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、
この音は、米と蒸気等の温度差により生じる熱音響効果とよばれる現象と考えられている。
100ヘルツぐらいの低い周波数の振動が高い音圧を伴って1mmぐらいの穴を通るとこの現象が起きるとされ、
家庭用のガスコンロでも鉄鍋と蒸篭を使って生米を蒸すと再現できる。
現在、この現象を利用して、廃熱を利用したラジエーターが作れないか研究中である。 
吉備津神社には鳴釜神事の起源として以下の伝説が伝えられている。
吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、
吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでもうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしてもうなり続け、
御釜殿の下に埋葬してもうなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日温羅が夢に現れ、
温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、
吉凶を告げようと答え、神事が始まったという。

御釜殿は正式には下に添付の看板のように書くようです。

北随身門

上の2枚の写真は上下から観た北随身門です。

北随身門は大正2年(1913)4月14日に重要文化財に指定されています。

北随身門は天文12年(1543)の建造物です。

 

宇賀神社

上の2枚の写真は廻廊から観た宇賀神社の遠景

境内案内

記紀によれば、崇神朝、四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定し
       て平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られた大吉備津彦大神
      (五十狭芹彦命)を祀る山陽屈指の大社、仁徳期創建で、『延喜式』では名
       神大社、また、最高位を与えられ、一品吉備津宮とも称えられる。古来、
       吉備国(備前・備中・備後)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交
       通安全の守護神・延命長寿の霊験あらたかな神として朝野の信仰があつい。
       吾国唯一の様式にして日本建築の傑作・吉備津造(比翼入母屋造)の雄荘
       な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説のモデルなどで著名。」

 国宝 本殿・拝殿

 重文 御釜殿、南北随身門、木彫狛犬

 県重文 廻廊

矢置岩

 

手水舎

 

えびす宮

岩山宮に上る石階段入り口

 

参道

参道の松並木が立派です。

官幣中社吉備津神社の石碑

銅鐸に描かれた吉備津彦命

参道に上の写真ののような造形物がありました。

 

犬養木堂銅像

宇賀神社付近の駐車場に上の犬養木堂銅像があります。

犬養毅は総理大臣となり2・26事件で「話せば分かる」の言葉を残し銃弾に散った

憲政の神様として知られています。 銅像の作者は朝倉文夫。

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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その9(最終回)JR西片上駅構内の観光案内板

2019年12月04日 04時24分20秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第9回(最終回)でJR西片上駅構内の観光案内板について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡

第4回   JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡

第5回  JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡

第6回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その6 津山街道

第7回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その7 清水紫琴(豊子)生誕の地

第8回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その8 旧山陽道 片上宿(方上津)

上の2枚の写真はJR西日本西片上駅の駅舎と駅より東岡山方面を観た光景

上の2枚の写真は地元の備前緑陽高校福祉15期生が描いた福祉マップ

上の写真は備前市西片上地区案内

下に観光名所の夫々の拡大写真を添付しました。

上の写真は真光寺

Wikipediaの解説文を引用紹介します。

寺伝によれば行基により奈良時代の天平11年(739年)に創建されたとされ、行基が造立した

薬師如来が安置されたといわれている。天平勝宝年間(749年~757年)に報恩大師が孝謙天皇

の勅命により、備前四十八箇寺の一つに加えたという。 南北朝時代には兵火のために衰微するが

室町時代の応永年間(1394年~1428年)に良宗法印が中興した。しかし、戦国時代に再び衰退した。

江戸時代になると、岡山藩の保護を受け再び復興した。当初、山号は小滝山と称していた。

慶長7年(1602年)心王院勢恵上人(しんのういんせいえしょうにん)が仁和寺に招かれ、

その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り、山号を御瀧山と改称した。

現在、自性院・花蔵院の2院が塔頭として残っている。

上の写真はお夏追悼歌碑

情熱の 炎となりて 燃えつくす お夏のみたま ここに鎮まるの追悼文を刻んだ碑が立っています。

左手にはお夏の墓があります。

上の写真は茶臼山公園

茶臼山公園は富田茶臼山城跡を公園化したものです。昭和54年(1979)に完成。

富田茶臼山城は、富田松山城の出城として築かれたそうです。

天正7年(1579)山名勢に攻められて落城

上の写真は恵美寿宮

上の写真は旧片上鉄道ゼロ起点

上の写真は藤原審爾文学碑

平成24年(2012)に建立された記念碑。除幕式には次女で女優の藤真利子が出席。

上の写真は宇佐八幡宮

本ブログのシリーズ第1回で紹介しています。

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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その8 旧山陽道 片上宿(方上津)

2019年11月27日 04時49分45秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第8回で旧山陽道 片上宿(方上津)について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡

第4回   JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡

第5回  JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡

第6回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その6 津山街道

第7回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その7 清水紫琴(豊子)生誕の地

 

 

上の2枚の写真は旧山陽道 片上宿(方上津)と書かれた碑

東側の隣の宿場の三石宿まで2里半(10Km)、西側の隣の藤井宿まで4里半(18Km)

という文字も側面に刻まれています。

津であることから港であったことが判ります。

そこで地図を添付しておきます。地図で備前市役所付近が上述の碑があった場所です。

地図で判るように方上津は深い入江になっており天然の良港であったと推察できます。

 

 
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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その7 清水紫琴(豊子)生誕の地

2019年11月24日 05時49分49秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第7回で清水紫琴(豊子)生誕の地について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡

第4回   JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡

第5回  JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡

第6回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その6 津山街道

 

上の写真は清水紫琴(豊子)生誕の地の碑

側面の説明板には次のように書かれています。

女権運動に身を投じ「女学・雑誌」の記者となる。

「こわれ指輪」で文壇に登場し、女流作家として活躍した。

上の写真はもう片方の説明板

代表作「したゆく水」「移民学園」など

(1868-1933)と書かれています。

Wikipediaより引用して補足して紹介します。

清水紫琴は1868年1月(慶応3年12月)清水貞幹と留以との三女として備前国和気郡片上村
(現.備前市)に生まれる。
父親の清水貞幹は漢学・国学に通じた人物で、1870年(明治3年)に備前国和気郡片上村
(現.備前市)より一家で京都に転居した。
1881年(明治14年)まで京都府庁勧業課などに勤務、舎密局で化学製品の実験製造なども
担当した。豊子には姉2人兄2人妹1人がいる。
京都府立第一高等女学校卒。1885年(明治18年)、自由民権派の弁護士・岡崎晴正と結婚。
晴正とともに自由民権運動に携わるが、晴正は結婚前から交際していた女性を紫琴と
結婚後も妾として囲っていたため、1888年(明治21年)自由民権運動家でありながら晴正と
異なり男女同権の立場を取っていた植木枝盛と出会い、その後は女権運動に携わるようになる。
男女同権の立場から一夫多妻や二重結婚を否定するようになり、1889年(明治22年)晴正と離婚。
翌1890年(明治23年)『女学雑誌』記者となり、翌1891年(明治24年)、「こわれ指環」で
文壇に登場。この頃自由党所属の政治家・自由民権運動家である大井憲太郎によって
妊娠させられ正式に結婚しないまま出産し、その子供を兄の養子とした。
1892年(明治25年)、農芸化学者の古在由直と結婚し、古在紫琴の名で女性作家として活動したが、
1901年(明治34年)、「夏子の物思ひ」以後、筆を絶つ。
作家の山口玲子は『泣いて愛する姉妹に告ぐ - 古在紫琴の生涯』(草土文化、1977年)を上梓している。

昭和8年(1933)7月31日没

最初の夫・岡崎晴正は岩手県出身の免許代言人で、免許代言人制度が誕生した翌年の1877年(明治10年)
に免許取得。全国各地の代言人は法律の専門知識を活かして事件の解決に取り組むとともに、
盛んに政談演説会を開き、日本の自由民権運動・政党運動をリードしたが、岡崎も1880年(明治13年)に
盛岡市内の芝居小屋で開かれた「政談演説討論会」で他の免許代言人らとともに「国会は是や否や」
を巡る討論に参加している。のちに奈良の代言人中心の知識人グループ「興和会」(寧良交諭会)の
中心的メンパーとなり、1887年(明治20年)には妻の紫琴とともに奈良瓦堂劇場に二千人を集めた演説会に
登壇するなど、奈良民権家、大同団結運動派の人々と活動し、興和会発行の『興和之友』の特別寄稿家
でもあった植木枝盛と紫琴が知り合うきっかけとなった1888年(明治21年)の懇親会にも同席していた。
紫琴との間に男児をもうけたが、結婚4年後の1889年(明治22年)に離婚。
2人目の夫・古在由直との間に4男1女をもうけるが、三男と長女は夭折。長男・由正は東洋史学者・幣原坦の
次女・澄江と結婚。次男・由重は哲学者。天文学者の古在由秀は由正・澄江夫妻の長男であり、農学者の
古在豊樹は由重の子なので、由秀と豊樹はともに紫琴の孫にあたる。
大井憲太郎との子・清水家邦(1891年生)は紫琴の兄・清水謙吉の養子となったが1901年に謙吉が亡くなり、
祖父貞幹が面倒をみたのち、小山慎平(貞幹の弟子で紫琴の姉・貞の夫。倉敷町初代町長)に育てられ、
岡山商業高校(現・岡山県立岡山東商業高等学校)、慶應義塾理財科を卒業し、古在家とも親しく交流が
あった。大学卒業後はチュコスロバキアでの外交関係その他の職についた。

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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その6 津山街道

2019年11月22日 04時40分36秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第6回で津山街道について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡

第4回   JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡

第5回  JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡

上の写真は北への主要な道である津山街道の碑

側面の説明で書かれている内容を転記します。

昔は津山往来とよばれ、江戸時代は津山方面に行く道であった。

現在の和気町福富には片上まで2里、天瀬には片上まで3里と記された道標がある。

岡山藩主池田家和意谷墓所の墓石を運んだ道の玄関口とされる。

 

上の写真も津山街道の碑

片上自治会協議会により平成30年(2018)2月に建立されたことが判ります

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば - 津山街道は次のように解説されています。

 岡山県中部,岡山市と津山市を結ぶ南北方向の街道。津山往来,または岡山往来とも呼ばれた。

岡山市中心部から金川,福渡,弓削 (久米南町 ) を経て津山にいたる。福渡はこの街道の旭川

渡河点であり、「津山へ八里,岡山へ八里」の中間地点でもあった。

現在は国道 53号線の一部をなす。

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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡

2019年11月20日 04時46分25秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第5回で片上鉄道跡について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡

第4回   JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡

 

上の写真は片上鉄道跡の碑

側面の説明板には次のように記載。

片上から柵原鉱山(現美咲町)まで走行していた鉄道である。

片上鉄道株式会社設立後、昭和6年(1931)に全線33.8Kmが開通した。

硫化鉄鉱や耐火煉瓦原料材の輸送、通勤、通学といった交通手段として利用されていた。

上の写真はもう片方の説明板で

ローカル色豊かな鉄道は大正12年(1923)から60年数年にわたり親しまれ、平成3年(1991)

に66年の歳月に幕をおろす。現在は自転車道として復活し、清流と緑の中をサイクリングや

ジョギング・ウォーキングで楽しむことができる。

片上鉄道保存会により美咲町の「柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園」で、動態保存活動

が行われている。この活動はテレビでも紹介され観た記憶があります。

現在も整備・動態保存されているキハ303(旧番号キハ3003←国鉄キハ41071)は、

気動車としては現役最後の国鉄キハ41000形として鉄道ファンにはその名が知られているとのこと。

Wikipedia(同和鉱業片上鉄道)より解説の一部を引用紹介します。

柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱吉井川の川舟(高瀬舟)に代わって片上港まで輸送する目的で

建設され、1923年1月に片上 - 和気間が開業した。次いで8月に和気 - 備前矢田 - 井ノ口(貨)

間が開業。1931年2月、井ノ口 - 柵原間が開業し(井ノ口駅は廃止)全線開通した。

柵原鉱山からの鉱石輸送のほかに沿線住民の足として旅客営業も行われていた。

尾小屋鉄道三岐鉄道とともに、陸運統制令の枠外として他社への事業統合を免れ、青梅鉄道

群馬鉄山専用線などと違い国鉄買収の対象にもならなかった。

鉱石輸送が主体であったため交換駅有効長は長く、しかもPC枕木を使用するなど地方鉄道

しては高い規格の線路を有していた。一方で、その高規格の線路の上を戦前生まれの旧型

気動車が闊歩する姿はユニークでもあった。


 

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