CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

イコン画家山下りん

2007年11月21日 15時09分30秒 | Weblog
本日NHKハイテレビジョンで表題の山下りんについての
番組があった。
その中から記憶に残っている部分とインターネットで調べた
ので本Blogに書き留めておく。
山下りんは安政4年(1857)5月25日茨城県の笠間で笠間藩主
牧野家に仕える下級武士の娘として生まれた。
小さい頃より画を描くのが好きで画家を志16歳の時明治5年
(1872)単独上京し学婢として浮世絵師の歌川国周、
丸山派の日本画家月岡嵐月らに師事したが、飽き足らず、
洋画に転じて中丸精十郎に師事した。
明治10年(1877)工部美術学校女子部が創設されたのを
きっかけに志願しイタリア人教師フォンタネージュに師事
し西洋画の基礎を学んだ。
明治11年(1878)ロシア正教の洗礼を受け「イリーナ」の号
を受ける。
ロシア正教のニコライ神父の紹介で単独帝政時代のロシアに
イコン画の修業の目的で明治13年(1880)12月出航する。
翼明治14年3月ペテルブルグのノボジェーヴィチ女子修道院で
修業をする。当初5年間の修業の予定であったが体調を崩した
こともあり2年後の明治16年4月に日本に戻る。
ロシアではエルミタージュ美術館に通い模写をするのが楽しみ
であったようである。
模写は合計で3枚であったようであるが、ラファエロとその一派
の作品が好きでその模写に励んだ。
3枚の画は「宗徒ノ画」「聖母ノ画」「主十字架ヲヲーノ画」
日本に帰還してからはまづ始めたのが銅版画であった。
明治22年(1889)頃よりイコン画を描き始めた。
大正7年(1918)故郷笠間に戻るまでイコン画を描いた。
昭和14年(1939)1月26日81歳で逝去。
笠間市の光照寺に埋葬。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なつかしい松茸の味

2007年11月19日 07時00分29秒 | Weblog

松茸を最近口にすることがありませんので、昔食べた
松茸の画像を載せることにしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする