写真は明治の文豪で陸軍軍医であった森鴎外の
旧居跡の碑で、水月ホテル鴎外荘の入り口にある。
住所:台東区池之端3丁目3番21号
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森鴎外の原稿など貴重な資料も展示されている。
森鴎外は文久2年(1862)島根県の津和野で医者の
森静男の長男として生まれた。
本名を林太郎という。
森鴎外がドイツから帰朝した明治21年(1888)
5月から23年10月まで住んでいたところである。
鴎外はここで明治22年(1889)3月9日海軍中将
赤松則良の長女登志子と結婚し、その夏にこの地に
移り住んだ。
明治23年(1890)1月処女作「舞姫」を「国民の友」に
発表した。
しかしこの結婚は意にそわぬもので長男が生まれた後、
明治23年9月に離婚している。
上の写真は佐倉連隊の写真で説明用の看板から
撮りました。原図は佐倉市が所蔵しています。
いかの文書も説明文より要約引用。
明治7年(1874)日本最初の軍隊歩兵第二連隊が
佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、
西南戦争、日清戦争、日露戦争にこの地から出征
されました。明治42年(1909)には、第二連隊に
かわつて歩兵五七連隊が移転し、昭和19年(1944)
のフイリピン戦で多くの命が失われ、壊滅した。
佐倉城は堀田氏の江戸時代に移封されてから永く
領主であった。
佐倉城、佐倉連隊跡地は、昭和39年(1964)公園と
して計画され整備が進められ、「歴博」の愛称で
親しまれている国立歴史民俗博物館が昭和58年(1983)
に佐倉城址公園跡に建設され開館しました。
佐藤朝山は日本を代表する彫刻家である。
佐藤町山は明治21年(1888)福島県相馬市
に宮彫師の家に生まれた。
13-14才で絵を習い15歳の頃父の仕事を手伝った。
18歳で上京し山崎朝雲の弟子となり修業をつむ。
ここで師に勝るような実力をつけ朝雲塾を出るとき
朝山の号をもらう。
大正8年(1919)31歳で結婚し馬込に居とアトリエを
持つ。
この場所は現在大田区立郷土博物館のある場所である。
大正11年(1922)西洋美術研究のためフランスに派遣
される。
戦後は昭和20年戦災で居宅が焼失し相馬郡大舘に移る。
昭和22年(1947)西宮に移り阿吽洞玄々と号す。
昭和24年(1949)妙心寺大心院に移る
昭和35年(1960)現在でも三越本店の中央ホールに
展示されている「天女(まごころ)」の像が完成。
昭和38年(1963)妙心寺大心院で死去。
上の写真が三越日本橋店の天女像で圧巻である。
落合のダイニングキッチンShisuiのランチメニュを
紹介致します。
1,380円のコースメニューです。
まずスープが出ます。
冷製あさりのクリームスープを選択しました。
次に前菜ですがズッキーニとホタテの生春巻
生ビール(520円)を注文
メインディッシュは4種類の中から選択します
日替わりパスタを選択しました。
他の3種は
鴨のグリル レフォールソース
スズキのポワレ ジョニバーベリー
デミグラスのオムライス
最後にデザートとコーヒーです。
ちらしを持って行くとデザート食べ放題になります。
店の中に本物のキャンピングカーを使用した
客席があります。
住所:新宿区西落合2-14-13
最寄駅 都営地下鉄 大江戸線
落合南長崎駅 徒歩8分
営業日が金、土、日ですのでご注意下さい
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その他のメニューの一例として
ピザ各種 1,180円から1,550円
ワインも多数用意されています。
ミシェルリンチ赤、シャブリ白から
マニフィーク(赤、白)まであります。
東福寺の外観が非常にユニークなので
おもわず写真を撮りました。
住所:群馬県前橋市三河町一丁目9-18
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東福寺は永禄2年(1559)の創建で酒井忠世の時代に
現在の場所に移った。
宗派は真言宗。
鰐口(わにぐち)が市の重要文化財となっている。
鰐口とは寺社の軒下に吊るし願い事をする時に
鳴らす。
写真は前橋文学館の前にある萩原朔太郎の銅像である。
萩原朔太郎は明治19年(1886)群馬県東群馬郡前橋北曲輪町(現在千代田町1丁目)で生まれた。
父は医者、朔日生まれの長男なので朔太郎と名付けた。
前橋中学校を卒業後熊本の第5、岡山の第6高等学校をともに中退。
第6高では明治43年(1908)チフスに
かかった。
大正6年(1917)朔太郎32歳の時処女詩集「月に吠える」
によって日本近代詩史に不滅に金字塔をうちたてた。
大正8年(1919)上田稲子と結婚。
大正14年(1925)妻子3人と上京、大井町に住む。
ここには室生犀星、芥川龍之介がいた。
大正15年馬込村平張へ転居。
昭和6年 離婚し母と子供2人と世田谷へ転居。
昭和17年(1942)57歳で死去。
墓は前橋市の「政淳寺」にあります。
上の写真は詩集第4作「純情小曲集」に収録された
「郷土望景詩篇」のひとつである。
荻原朔太郎の他に平井晩村、高橋元吉、萩原恭次郎、伊藤信吉ほか多くの詩人を輩出した
前橋は「近代詩のふるさと」と言われています。
上の写真の右が東京・馬込文士村時代の荻原朔太郎、左が室生犀星。
出典:馬込文士村 ガイドブック(1996)Page52-53
自然の中に生命があり、力があり、生活があるということを、私は馬込に来てはじめて
学んだ---の言葉通り、荻原朔太郎は馬込の風情に強く心をひかれました。
それほど馬込は詩の宝庫だったようです。
写真は宇都宮中央公園の中の昭和大池です。
宇都宮中央公園についてはこちら
公園内はよく整備されており現在はあじさいが
綺麗です。
宇都宮商工会議所の建物跡です。
宇都宮中央公園の中にあります。
この建物は大正11年(1922)に計画され
昭和3年(1928)5月に竣工しました。
所在地 :栃木県宇都宮市睦町2-50
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設計は宇都宮工業高校の初代校長の安美賀
(やすみ よし)である。
旧宇都宮商工会議所の玄関部分です。
地元特産の大谷石が各所に使用されている。
昭和54年(1979)8月に解体されたが、
後世に伝えるため昭和60年(1985)に
復元保存された。