CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

祝 明石商業高校 第91回選抜高校野球大会出場の横断幕

2019年01月31日 04時40分33秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年1月27日(日)、明石駅の周辺で見かけた祝 明石商業高校 第91回
選抜高校野球大会出場の横断幕の写真を紹介します。

明石商業高校(兵庫県明石市魚住町長坂寺 楠田俊夫校長)へは1月25日に選抜への
出場が決まった連絡があったとのこと。


上の写真は山陽電車明石駅に掲示の明石商業、選抜出場を祝う横断幕


上の写真は「パピオスあかし」の市民広場に掲げられた明石商業選抜出場を祝う横断幕


上の写真はASPIA明石の前の横断幕


春のセンバツ高校野球 明石商業が3年ぶり2回目決定(サンテレビ作成の動画)


明石市長の不適切な発言で大きく報道され揺れる明石市ではありますが
明石商業高等学校の大会での活躍を期待します。
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柿本神社のロウバイと梅 on 2019-1-27

2019年01月30日 03時56分50秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年1月27日に柿本神社に立ち寄った時に撮ったロウバイと梅を写真紹介します。

ロウバイ

まず、ロウバイについてWikipediaより解説を引用紹介します。
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の
落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。
名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。

唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。
本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くから
この名がついた。花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)
などの栽培品種がある。よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。
ロウバイの基本種は、花の中心部は暗紫色で、その周囲が黄色である。



上の写真は柿本神社拝殿右手のロウバイの遠景








上の4枚の写真はロウバイの近景

ロウバイは1月に黄色の花を咲かせる代表的な季節の花で蝋細工で創った様な風合いを
持っています。良い香りがするということですが臭覚の鈍感な私(近くまで鼻を近づけ
なかったのですが)あまり香りを感じることができませんでした。
2014年1月21日の神戸新聞の報道ではここの品種は中国原産のソシンロウバイ

2014年の1月21日(2014-1-21)に三の丸正門(太鼓門)近くの蠟梅の写真を撮って
いますのでその紹介ブログにリンクしておきます。
 明石公園と柿本神社のロウバイ on 2014-1-21


八房梅



上の写真は八房梅の遠景と説明板です。
遠景で見るとほとんど開花していません。




上の2枚の写真は八房梅の中の開花している梅の近景です。


上の写真は明石市立天文科学館を背景に梅を撮りました

明治期の柿本神社

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の柿本神社の図です。

戦前の柿本神社の絵葉書

上の写真は柿本人麻呂に所縁の柿本神社(戦前の絵葉書)

現在の柿本神社

柿本神社の基本情報
住所:明石市人丸町1−26 TEL:078-911-3930
主祭神:柿本人麻呂朝臣  創建:伝・仁和3年(887) 
境内社:五社稲荷社、天神社(菅原道真公)、三宝荒神社(竈神)
元和6年(1620)明石城築城にあたり楊柳寺(後の月照寺)と共に現在地に遷座


887年和歌を好んだ楊柳寺(後の月照寺)の覚証和尚が寺の背後に柿本人麻呂を祀る祠を
建立したのが柿本神社(人丸社)の始まり。


公式サイト:http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/

2019年1月27日に撮った柿本神社の写真を添付
随身門と随身






拝殿


手水舎と社務所


五社稲荷社


天神社(菅原道真公)、三宝荒神社(竈神)


境内歌碑





柿本人麻呂の顕彰碑

柿本人麻呂を敬仰すると共に歌道の隆盛を願った第6代明石藩主松平信之が寛文4年(1664)
10月に建てた人麻呂の顕彰碑。

鎮座400周年記念行事




盲丈桜




筆柿




石造狛犬






大砲と道標

道標には 「左 大坂 右 ひめじ」と書かれています。

茶屋

明石で少年時代を過ごした稲垣足穂(1900-1977)も柿本神社の境内を遊び場所としていた。
作品にも明石について多く書かれています。

由緒書き


橋本海関(子六)が書いた紀碑

明治22年(1889)に書かれたものです。

伊東明瑞の碑

明治天皇御前揮毫者 伊東明瑞師之碑

筆塚


明石市指定文化財の説明板



柿本人麻呂像

上の写真は柿本人麻呂の画と歌が書かれた絵葉書です。
 歌は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に  島隠れゆく舟をしぞ思ふ」と詠まれています。
 古今和歌集の「題しらず、詠み人しらずの歌」ですが
 「この歌は、ある人の曰く、柿本人麿が歌なり」という脚注あり


万葉集にも柿本人麻呂が明石について詠んだ歌があります。
 天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見
(あまざかる ひなのながぢゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
【現代語訳】
 遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって
 来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。


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神戸市長田区、須磨区、垂水区の確定申告会場案内

2019年01月29日 18時20分35秒 | 神戸情報
神戸市長田区、須磨区、垂水区の確定申告会場案内のPRポスターが掲示されていたので
写真紹介します。




確定申告書の作成会場は新長田 アスタくにづか5番館南棟の2階です。



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明石神社訪問記 on 2019-1-27 と明石藩の最後の城主松平直致

2019年01月29日 04時31分33秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年1月27日、明石神社を訪問しましたので写真紹介します。
また、明石藩最後の藩主である松平直致(なおむね)についても明石神社と
関係が深いので簡単に紹介します。

明石神社の基本情報
住所:明石市上の丸1-20-7 TEL:078-911-7508
主祭神:徳川家康 配祀神:松平直明 松平直良 宇賀之御魂命
創建:天和2年(1682) 例祭:4月21日


拝殿

上の写真は拝殿外観


上の写真は拝殿内部で越前松平家の家紋である三葉葵紋が眩い


明石城太鼓





上の3枚の写真は明石城太鼓と説明板

明石城太鼓 明石城太鼓 明石城築城以来太鼓門に置かれ、時刻を知らせていたものです。
藩主が皮の張替修理をした墨書銘もあります。

鳥居



上の2枚の写真は神域の境界でもある鳥居

明石神社の歴史

 天和2年(1682)、9代目明石城主松平直常(在位1701-1743)が、徳川家康・
 結城直良・直明の霊を城内に祀ったのが初めとされる。
   当初は一般の参拝は禁止されていた。

 明治4年(1871)、一般参拝の禁を解く。

 明治19年(1886)、明石神社と公称。

 明治19年(1886)、本殿その他を修繕す。

 明治23年(1890)、郷社に列せられる。

 明治31年(1898)現在地に遷座

明治期明石城本丸跡にあった明石神社

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
明治31年(1898)明石城跡が御料地に編入され宮内省用地となったため、本丸より
約500m東の現在地(上の丸)に遷座された。

下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。
追手筋から場内への入口である太鼓門の桝形には既に建物が無くなっています。

松平直致

上の写真は明治に入って子爵となった時代に撮影されたもので
明石神社の文字を揮毫しています。

松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) -
明治17年(1884年)6月28日)は
嘉永2年(1849年)、明石藩9代藩主松平慶憲の長男として江戸藩邸にて誕生する。
母は側室の古満子(小林氏)。幼名は薫次郎。文久元年(1861年)元服し、
父・慶憲より直致(なおむね)と名付けられる。

慶応3年(1867年)江戸城に初登城するが、将軍徳川慶喜不在のため、老中・稲葉正邦と
面会する。明治元年(1868年)太政官より従四位上、侍従を叙任、左兵衛督に任官。
明治2年(1869年)2月8日慶憲が隠居して二の丸御殿に移り直致が家督を相続する。
慶應義塾で学んで明治2年(1869年)に自邸の一部を開放して藩校・敬義館を造っています
明治2年6月17日版籍奉還で知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。
鎮姫は岸和田藩12代藩主岡部長寛の娘。

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を
免官となる。明治4年(1871)城を出て嶋益方へ明治5年(1872)東京へ移住する。
その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県に併合され、1週間後に姫路県は
飾磨県と改称された。
明治6年(1873)廃城令により明石城の門や櫓の一部が取り壊されたが旧明石藩の士族の
猛烈な反対運動と石巻清隆の活躍等で公園化や宮内省御用地になったりで
坤櫓と巽櫓は現存することとなった。
明治17年(1884年)に35才の若さで病没し、弟の直徳が家督を継いだ。


明石城歴代藩主

初代城主は小笠原忠真(藩主期間1617-1633) 10万石 信濃松本より転封
 明石城の築城は元和4年(1618)でこの頃船上城から現在の明石城の位置に築城されました
 建設資金は徳川2代将軍秀忠より銀壱千貫(現在価値で31億円)
1632年11月-1633年4月は幕府直轄地となり本多忠義、政勝が明石城の藩主

2代目城主は松平庸直(1633-1634) 7万石
3代目城主は松平光重(1634-1639)
4代目城主は大久保 忠職(1639-1649)美濃加納から転封
5代目城主は松平山城守忠国(1649-1659)丹波篠山から転封
6代目城主は松平日向守信之(1659-1679) 6.5万石
7代目城主は本多政利(1679-1682) 6万石
8代目城主は松平直明(1682-1701) 越前大野より転封
9代目城主は松平直常(1701-1743)
10代目城主は松平直純(1743-1764)
11代目城主は松平直秦(1764-1784)
12代目城主は松平直之(1784-1786)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)
15代目城主は松平斉宣(1840-1844)8万石
16代目城主は松平慶憲(1844-1869)

上の写真は松平慶憲の肖像
出典:黒田義隆 著 「史話 明石城」(1975) Page109

17代目城主は松平直致(1869-1869)

上の写真は明石藩の最後の藩主、松平直致の肖像
出典:黒田義隆 著 「史話 明石城」(1975) Page109

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廃藩置県後の明石城と2つの櫓を守った石巻清忠

2019年01月28日 03時49分52秒 | 神戸市以外の兵庫県
神戸新聞の記者の小西隆久氏は2019年1月1日より明石城築城400年 第2部
「守りて、在り 櫓を救った士族の軌跡」のシリーズを連載されています。(明石地方版)

第1部は「殿様の真意 なぜ天守閣は建てられなかったかで2018年5月5日より連載。

本ブログでは廃藩置県後、明治14年(1881)本丸の北東にあった艮櫓(うしとらやぐら)
の解体の現場を見て何とかかっての明石城を守ろうと立ち上がった士族の1人である
石巻清忠について調べたものです。

まず、石巻清忠の事蹟と関連事項を年譜として纏めてみました。
 メインは国会図書館デジタルコレクションの資料

石巻清隆の事蹟と関連事項
嘉永 元年(1848)明石にて明石藩士の子として生まれる(0歳)
明治 2年(1869)?明治新政府の地方行政官として出仕(21歳)
    明石藩からは石川季造と2人だけが選抜された英才である
明治 3年(1870)兵庫県に出仕
明治11年(1878)山形県次官(7等 少書記官)(30歳)
       当時の山形県令は土木県令と異名があった三島通庸(後に5代目警視総監)
明治12年(1879)8月18日 大阪上等裁判所判事に転任(31歳)
明治14年(1881)夏 - 神戸の相生小学校(後の湊川小学校)建築用に艮櫓解体
明治14年(1881)明石城本丸の北東にあった艮櫓(うしとらやぐら)の解体が始まる
         8月16日 - 旧士族ら14人、県に対し城跡現状保存を出願
         9月 著書「法理概言」を出版
明治16年(1883)5月 明石城は官有地のまま、民営の「明石公園」
      地元有志からなる「明石公園保存会」が国から借地し、民営明石公園として開設
明治18年(1885)8月10日朝 明石の明治天皇に拝謁
      当時、石巻清隆は福岡裁判所に奉職していたが故郷の明石に帰省中であった
明治20年(1887)4月18日福岡裁判所裁判陪席
明治21年(1888)12月 - 明石公園保存会設立、保存会が公園の経営を行う
明治22年(1889)9月14日 第3期岡山重罪裁判所陪審席を命ず 大阪控訴院始審裁判所判事 
明治23年(1890)2月 著書「帝国議会必携」を出版
         3月5日 第1期岡山重罪裁判所陪審席を命ず 大阪控訴院始審裁判所判事
         4月11日 第2期岡山重罪裁判所陪審席を命ず 大阪控訴院始審裁判所判事
明治27年(1894)大坂控訴院(現在の大阪高等裁判所)部長判事を依頼退職(46歳)
1月 著書「衆議院議員選挙ニ付テノ意見」を出版
明治29年(1896)7月 兵庫県明石郡参事
         11月 明石郡立明石公園となる
明治31年(1898)11月 明石公園が皇宮地の付属地に編入
明治34年(1901)2棟の櫓(坤櫓と巽櫓)の修復 宮内庁の関与

明治43年(1910)9月22日 死去(63歳)
          戒名「清隆院釋磊堂(らいどう)居士」
         葬式は朝顔光明寺で行われた

明治44年(1911)2月 - 明石離宮造園内定。
大正元年(1912)  大正天皇即位で離宮の件は取り消しに。
大正7年(1918) 4月14日 - 県立明石公園開園式。


「明石紳士録」の記事
国立国会図書館デジタルコレクションより石巻清隆について書かれている内容を添付
しました。顔写真もあり




記載内容は上述の事蹟年表にも反映させています。
上の記述に出てくる宮崎官次郎先生について同じく「明石紳士録」より
紹介しておきます。(下の写真)


石巻清隆の墓


上の写真は曹洞宗、月照寺の墓地に眠る石巻清隆の墓がある場所の遠景 撮影:2019-1-27


上の写真は石巻家の墓のある場所の中景 撮影:2019-1-27


上の写真は石巻清隆の墓(中景の一番左手です) 撮影:2019-1-27

戒名の「清隆院釋磊堂(らいどう)居士」と妻の「つね」の名前が刻まれています。
命日は明治43年(1910)9月22日 死去(62歳)
墓の建立者は石巻清文

中景の真ん中には明治32年5月9日に死去の福田誉賜墓と刻まれ
石巻清隆が建立したと刻まれています。
福田誉賜は石巻清隆の父親か?

中景の右手の墓碑には清浄院釋妙香大姉 大正6年2月1日 中山勇建之
どのような方かは不明

石巻清隆の遺品
神戸新聞2019年1月23日明石地方版で石巻清隆曾祖父にあたるという遺族で神戸市北区
に在住の有井由紀子さん(81)から遺品の提供があったとの記事が掲載されています。
明石市立文化博物館(明石市文化振興課)で古文書や絵巻物などの解読が進行中とのこと。
詳細は下記サイトを参照して下さい。
 https://www.47news.jp/localnews/medical/3197888.html

 https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/201901/0012000706.shtml

明石城本丸(古い絵図)

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。
人丸社として描かれている場所は現在一丸塚として案内板(下の写真)が掲示されています。


明石城築城400年イベント予定
明石市市制100年記念行事も含まれますが下記のブログで纏めています。
 明石市市制施行100周年イベント予定 目玉は11月23日-24日開催予定のB-1グランプリ
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神戸市営地下鉄の新車両の試運転 on 2019-1-23

2019年01月27日 04時18分30秒 | 神戸情報


2019年1月23日、神戸市営地下鉄の妙法寺駅で新車両が走行しているところを
動画で撮りましたので紹介します。

新型車両は6000形と呼ばれる車両で8130の車輛ナンバーがつけられていました。
神戸市交通局は平成31年(2019)2月中旬以降から西神・山手線で営業運転に入ると
発表しています。25年ぶりの新車両の導入になるそうです。

神戸市営地下鉄の新車両の試運転 on 2019-1-23



写真でも何枚か撮っていますので添付しておきます。


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ムナールでのランチ on 2019-1-23

2019年01月26日 04時35分55秒 | 神戸情報
2019年1月23日(水)、妙法寺のリファーレ横尾の1階にある本格的なカレー店
「ムナール」で頂いたランチを写真紹介します。2回目の訪問です。
お店は2018年7月14日にオープンしました。

ムナールの基本情報

住所:神戸市須磨区横尾1丁目5番 リファーレ横尾内1F TEL:078-747-1819
料理ジャンル:カレー 営業時間:昼は11:00~15:00 夜は17:00~22:00
定休日:第3木曜日  英文表記:MUNAL


当日、注文したのはAランチ 780円(税込)です。

カレーは私も奥様も日替わり(チキン+豆腐)。辛さ普通を選択しました。


上の写真はメインのカレーとナン


最初にサラダが出てきます。(上の写真)
写真を撮っていませんが後で飲み物(当日はホットコーヒーを選択)もつきます。


上の写真はお店(ムナール)の入口外観

過去の訪問記:

ムナールでのランチ on 2018-12-19

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増田屋本店でのランチ on  2019-1-16

2019年01月25日 03時44分29秒 | 神戸情報
2019年1月16日(水)に増田屋本店でランチをいただきましたので
写真紹介します。
増田屋は垂水で古く(昭和24年)からの歴史を誇るお寿司の老舗です
よく行く店の一つです。
今回は久ぶりにミニ会席(松)を頂きましたのでブログを書くことにしました。

増田屋本店の基本情報
住所:神戸市垂水区日向2-5-17  TEL:078-705-0333
営業時間:11:00~20:30  定休日:火曜日
料理ジャンル:寿司


公式HP:http://www.sushi-masudaya.jp/
 
公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/%E5%A2%97%E7%94%B0%E5%B1%8B/405160282914906

地図は下記のブログで掲載しています。
 http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/4139a96a42c91b4c8f22732561dbeb80


上の写真は当日いただいたミニ会席(松) 1,200円(税別)


上の写真は奥様の定番天ぷら定食 900円(税別)


上の写真はランチメニュー

ミニ会席(松)を食べた時のブログにリンク
 増田屋本店でのランチ on 2017-7-10

 増田屋本店でのランチ on 2012-6-6

  増田屋本店でのランチ on 2011-9-21

  増田屋本店でのランチ on 2011-6-1

  寿司の増田屋本店での昼食 on 2010-6-7


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2019年 かきまつり情報

2019年01月24日 04時59分24秒 | 役立つ情報
現在、牡蠣が旬の季節です。

播磨灘を中心としたかき祭の情報をピックアップしました。

参照サイト:
 https://www.himeji-mitai.com/feature/42684.html

 

1.室津かきまつり
日時:1月27日(日) 11:00~14:00
場所:綾部山梅林入口
アクセス:御津中学など指定駐車場から無料シャトルバス

詳細:https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/event/detail.shtml?news/odekake-plus/event/201901/20190108161255187393

2.網干かき祭り
日時:2月3日(日) 10:00~15:00
場所:エコパークあぼし
アクセス:山陽電車網干駅から無料シャトルバスで約10分

詳細は下記サイト:
 https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/event/detail.shtml?news/odekake-plus/event/201901/20190108160632870684


以下の牡蠣祭に関するPRポスターを添付(JR日生駅付近で2019年1月20日に撮影


3.赤穂かきまつり
日時:2月3日(日)9:00~14:00
場所:赤穂海浜公園
アクセス:JR播州赤穂駅から有料シャトルバス(片道190円)で約10分

4.相生かきまつり
日時:2月10日(日) 10:00~15:00
場所:IHIふれあい広場
アクセス:JR相生駅から有料シャトルバス(片道100円)で約10分
     JR西相生駅から徒歩 約10分

5.牛窓朝市ミニ牡蠣祭り
日時:2月10日(日) 8:30~10:00
場所:牛窓町漁協内
アクセス:JR邑久駅から東備バスで20分綾浦下車 徒歩5分

 詳細:https://okayama.mypl.net/event/00000315376/

6.ひなせかき祭
日時:2月24日(日) 9:00~15:00
場所:五味の市周辺
アクセス:JR日生駅から徒歩 約10分
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炭焼あなご やま義(姫路市)でのランチ on 2019-1-21

2019年01月23日 04時52分46秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年1月21日、姫路市の「炭焼あなご」の名店「やま義」でランチを頂きましたので
写真紹介します。

当初は姫路みゆき通りの鮨久右衛門に行く予定であったが昨年(2018年)の10月20日に
閉店ということで「やま義」に行くこととなった。

鮨久右衛門については下記の訪問記にリンクしておきます。
 姫路みゆき通り 鮨久右衛門でのランチ on 2013-12-14

  鮨 久右衛門でのランチと三ツ山大祭 on 2013-3-31

閉店記事が掲載されたサイトへのリンク
 https://budou-chan.jp/close-kuemon-meishin/

炭焼あなご やま義の基本情報

 住所:姫路市駅前町301 TEL:079-226-5678
 営業時間:11:00~20:00 
 定休日:なし


FBのサイト:https://www.facebook.com/pages/%25E3%2582%2584%25E3%2581%25BE%25E7%25BE%25A9/341844399241634

外部リンク:
https://hitosara.com/0006058250/?cid=ovt_yg_ss_0101539

https://nori-maga.com/himeji-yamayoshi/

所在地のGoo地図を添付しておきます。




上の写真は名物のあなごめし(並) 1,280円(税別)

食べ方
その1 まず そのままで食べる
その2 ワサビをつけて食べる
その3 お吸い物でお茶漬け風で楽しむ



上の写真はお店の外観


上の写真は2018年6月7日より値上げの通知の案内


上の写真はメニュー表(日本語)


上の写真はメニュー表(英語)


上の写真はメニュー表(中国語)


上の写真はメニュー表(ハングル)

穴子料理、過去の食べ歩き
高砂 かき幸でのランチ on 2018-10-10

日本料理 風雅でのランチ on 2018-2-22
実際には穴子を食べていませんが穴子の天婦羅を食べれます。(所在地は明石市)

高砂市 魚亭 「やつか」でのランチ on 2018-1-21

高砂市 「そらまめ」でのランチ on 2017-11-12
実際には穴子を食べていませんが、今後、行きたいと考えているお店です。

魚食菜 「ひらじぃ」でのランチ on 2016-3-16
明石市のお店です。

岩国寿司の老舗三原屋---岩国市岩国町
岩国寿司の中に入っている穴子
ちらし寿司にも穴子は欠かせませんネ

あらかわ---周防大島町
実際には食べていませんが、穴子の釜めしを紹介

姫路のあなご料理
食べ処を紹介していきます。

1.柊(ひいらぎ)
 キュエル姫路の4階 TEL:079-287-8848
  http://anago-hiiragi.com/

2.福亭
 亀井町 TEL:079-222-8150
  穴子わっぱ飯、焼き穴子と牛しぐれ煮重、穴子棒寿司など
  http://www.seiko-fukutei.com/

3.一張羅(いっちょうら)
 みゆき通り 姫路市駅前町345 ファミリーマート北側すぐ 姫路城に向かって左手
 地下にあるお店です。TEL:079-288-7714
 https://www.himeji-anago-iccyoura.com/

姫路のご当地グルメ
 姫路穴子の他に姫路おでん、アーモンドトースト、御座候などがあります。
コメント
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