2017年10月10日から10月12日まで比叡山延暦寺と坂本を訪問しました。
本日はその第6回として2017年10月10日に訪問した慈眼堂を写真紹介します。
慈眼堂(じげんどう)は織田信長による比叡山焼打ち後の復興に力を尽くした
慈眼大師・南光坊天海大僧正が祀られている場所である。
本シリーズの過去5回の記事一覧
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社
慈眼堂(恵日院)の基本情報
住所:大津市坂本4丁目-6-33 TEL:077-578-0439
宗派:天台宗 御本尊:木造慈眼大師坐像(彩色)
開基:寛永21年(1644)徳川3代将軍家光にの命によって建立。
慈眼大師南光坊天海大僧正の廟所。
住職:半田 孝淳
上の3枚の写真は慈眼堂と現地説明板
参道の右側に大正初期まで羅漢堂があったが現在は移築されて滋賀院内仏殿になっている。
上の写真は滋賀院の内仏殿
上の写真は恵日院側から観た慈眼院
上の写真は中央に桓武天皇御骨塔を中心に近世の歴代点台座主の墓があり、後陽成天皇・
後水尾天皇および徳川家康、紫式部、清少納言、和泉式部、新田義貞の供養塔がある。
上の2枚の写真は墓碑群と供養塔群
上の写真は慈眼大師の墓碑 背後には十三体石仏群が写っています。
上述の十三体石仏群は石造の阿弥陀如来坐像のことで室町時代の作である。
滋賀県高島郡鵜川にあった四十八体のうちの十三体で何時かは不明であるが移設された。
十三と言えば十三重塔も多い。
上の3枚の写真も墓碑群と供養塔群
上の写真は国の重要文化財に指定されている慈眼大師天海像
信長に焼かれた比叡山の再興や東叡山寛永寺の草創などに力を注いだ傑僧天海の肖像。
胸前で金剛杵と数珠を握る姿は慈恵大師(じえだいし)像にヒントをえたものか。
寛永20年(1643)の入滅後まもない頃の作と推測されている。
像表面にほどこされた極彩色が美しい。像高75.1cm。
重要文化財に指定されたのは明治33年4月7日です。
上の写真は慈眼堂の前の石灯篭群 すぎ苔が密集しています。
上の写真は滋賀院の境内にある松尾芭蕉の句碑
「叡慮にて 賑ふ民や 庭かまど」
揮毫は宮小路康文氏