2005年1月19日に表題と同じブログ記事を書いています。
今回、新たな資料も加えて書き直すことにしました。
明治4年(1871)2月2日、岩国藩は人材育成の重要性から、藩校養老館の精神を引き継ぐ
藩立岩国学校を開設した。小学、中学に加え語学、女学、医学を備える先駆的な体制
であった。しかし、問題が一つ。岩国には外国語の教師がいなかった。そこで藩主の
吉川経健は私費の家禄から経費を捻出し、現在の価値で200万円ともいわれる月給を
払い、英国人教師(Herbert Augustus Stevens以下、スティーブンス)を雇用した。
明治4年5月27日契約、8月16日から勤務。勤務地は岩国英国語学所
その英断が、日本の電気の父と称される藤岡市助(東芝創業者)など、岩国は
もとより、国の発展をかなえる多くの人材を生むことに繋がった。
以下は以前に書いた記事を再掲
英国人教師Herbert Augustus Stevens
(1847 3/27---1878 5/3病死)
明治4年(1871)5月27日より明治6年(1873)8月23日までの
2年間Stevensは山口県出張御雇教師として英語にて物理、化学
歴史、地理を教えた。場所は現在岩国資料館となっている当時の
岩国学校である。
藤岡市助(日本のエジソン---東芝の創始者)、大屋権平(鉄道の発展に
寄与)、山県修(大阪造幣局)、江木哀&渡辺安積(中央大の創立に
参画)他多くの有名人を傑出した。
彼は2年間の契約終了後は神戸の裁判所に勤務している。
彼の墓は神戸市立外人墓地にある。
岩国ではStevensの後、仏人ミットンが外人教師となっている。
上の写真は明治4年(1871) or 明治5年(1872)に撮影された写真をもとに
上田えいこさんが描いたイラスト画 「スティーブンスと弟子」
出典:岩国学校教育資料館が作成の絵葉書
岩国観光振興課のサイトにベースとなった写真が掲載されていましたのでリンク
させていただきました。
このサイトにはステーベンス先生の略歴、功績についても記載されています。
たった2年の 偉大な学校 岩国英国語学所 | 岩国観光振興課-岩国 旅の架け橋 (iwakuni-city.net)
上の写真は明治前期の岩国小学校の全景 出典:岩国学校教育資料館が作成の絵葉書
右手上に岩国学校があった現在は岩国学校教育資料館となっています。
上の写真は「追憶」と名付けた筧良一郎さん撮影の作品 岩国学校のイメージ
出典:岩国学校教育資料館が作成の絵葉書
H.A.スティーブンスの生没年月日と墓所
生まれ:1847年3月27日 英国海峡Jersey島(ジャージー島)St.Helierで生まれる
没年 :1878年5月3日(31歳、神戸で死去)
墓所 :神戸市立外国人墓地 (O 4-25)機会をつくり墓参したい
岩国学校(外国語学所)での報酬(2年間)
期間:1871年(24歳)から1873年の2年間
報酬:支度金 100ドル、初任より6か月 月100ドル 次の6か月 月150ドル
2年目は 月200ドル 2年間無事に満了時 300ドル
時間:日曜日と祭日を除き 毎日 6時間 (実際には朝から16時まで)指導
岩国学校での指導科目
英語、仏語、数学、代数学、地理学、史学、天文学
指導はすべて英語で教えられた
スティーブンスの弟子
藤岡市助をはじめ、帝国図書館(現・国立国会図書館)初代館長となった田中稲城、
中央大学を興した法律学者・渡辺安積及び江木哀、日本の鉄道発展に貢献した
大屋権平、大阪造幣局で技師として活躍した山県修、など優秀な人材を輩出した。
その他弟子で名前が判っている人物は小田周太郎、栗屋雪城、笠井環、佐伯成言
藤岡市助については下記ブログで纏めています。
日本のエジソン 藤岡市助 山口県岩国市が生んだ偉人 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
岩国市岩国美術館前に建立された日本のエジソン藤岡市助博士の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)