CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

寝屋川市駅前 手打麺 お食事処「松せん」でのランチ on 2024-10-29

2024年11月02日 04時58分32秒 | 大阪情報
2024年10月29日、寝屋川市駅前のアドバンスねやがわ2号館の1階にある
手打ち麺 食事処「松せん」でランチをいただきましたので写真紹介します。
初訪問のお店です。

手打ち麺 食事処「松せん」の基本情報
住所:大阪府寝屋川市早子町23-2 アドバンスねやがわ2号館1階  
TEL:072-821-2660 
定休日:木曜日



上の写真は当日、注文した「すし定食」870円(税込)です。
昔ながらのうどん・そばのお店です。1人で入りやすいお店でした。
寝屋川市駅は私の母校「寝屋川高校」の最寄り駅です。
約60年も前のことですが当時は主に自転車で通学していました。


上の写真はメニュー表です
上の写真はお店のショーウィンドーに展示の主なメニュー掲示

上の写真はお店の入口外観(遠景)
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淀屋の碑 on 2024-5-19

2024年07月10日 06時10分27秒 | 大阪情報
2024年5月19日、大阪の父母の墓参りに出かける途中、大阪・淀屋橋周辺を散策した。
その時に本日、写真紹介する「淀屋の碑」を見つけた。

上の写真は現地の案内地図(北が下にきているんので注意)で現在地のの右手に
淀屋の屋敷跡の場所が明示されています。住所は大阪市中央区北浜4-1 
文章で表現すると「淀屋橋から南側の土佐堀川沿いを約50m西に進んだ所にあります」


上の2枚の写真は淀屋橋

前置きが長くなりました。本題の「淀屋の碑」に戻ります。
上の写真は「淀屋の碑」の遠景です。

上の2枚の写真はレリーフの拡大版です。
当時の中之島の賑わいを表現したレリーフは立派です。

日本学士院会員の宮本又次さんによって書かれた文章を転記しておきます。
一部、加筆してあります。

淀屋は江戸時代前期の大坂を代表する豪商であった
淀屋の豪富と闕所*1のことはあまりにも有名である
*1 闕所(けっしょ)とは、江戸時代の財産没収刑(所領を没収すること)
淀屋の本姓は岡本氏通称三郎右衛門 城洲岡本の荘の出身 
辰五郎の称もあった 豊臣氏が天下をとるに及んで大坂に出て
十三人町(いまの大川)にト居し 淀屋と称し材木を商う
元和元年(1615)京橋一丁目の淀屋持地に着物市を開き
また米の相場をたてる中之島を開発し常安諸地を開く
常安橋ー常安町の名前がいまに残る
初代常安の長子(養子)善入善右衛門 常安町家 斉藤町家の祖となる
次子(実子)常有五郎右衛門は別に大川町家の初代となり
言直から六代まで続く
心斎橋筋から西肥後橋の間にその宅地あり その宅地の小路を淀屋小路という
四十八戸前のいろは蔵有り 町人蔵元の元祖といわれたが
むしろ巨大なる米商人と目すべく淀屋米市のために
土佐堀川に自費で橋をかける 淀屋橋であり 
ここで行われた淀屋米市の盛大さは
この碑の絵が表現する通りであった
日本学士院会員 宮本又次 記
チャーターゲイト二十五周年の記念事業としてこれを建てる
 昭和62年(1987)2月19日 大阪北浜船場ライオンズクラブ

米市の設立
米の価格が仲買人により無秩序に決められ、米の質や量などが正しく反映されていなかったことに目を付け、全国の米相場の基準となる米市を設立することで、米の質、量、価格の混乱を収めることに成功しました。
総資産
総資産は約20億両と、現在の貨幣価値に換算すると約200兆円もの資産があった
御用商人 淀屋
淀屋は徳川家の御用商人を勤め、米取引は、1697年に堂島に移るまで、淀屋橋の南詰めにあった淀屋の店先で行われていました。
淀屋橋の架橋
二代目个庵(こあん)はその淀屋橋を市場の便宜のために私費で架けたことで知られています。
二代目个庵の事業
米市場・魚市場の開設、国内外の交易、大名貸しに代表される金融業など幅広い事業を起こし、商都大阪の礎を築きました。
淀屋の屋敷
淀屋の屋敷は土佐堀川に面し東西は心斎橋筋から御霊筋付近にまで及び、
約1万坪もあったようです。 

Wikipediaによる解説
概要
淀屋とは、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商であり、総資産は約20億両
(現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)。
全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる
商都へ発展することに大きく寄与した。
米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも
影響することとなったため、幕府より闕所(財産没収)処分にされた。
しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした店を開き、
後の世代に再び元の大坂の地で再興した。
幕末になり討幕運動に身を投じ、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。
淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。
淀屋が開拓した中之島には、かつて常安町と常安裏町(現在の中之島四丁目~六丁目)が有った。
屋敷は現在の大阪市の北浜にあり、中之島に掛かる淀屋橋や常安橋にその名を残している。

事業
淀屋の事業は米市を主とした多角的経営であった。
初代の岡本三郎右衛門常安は、伏見城の造営や淀川の堤防改修において工事の采配を振り、高い土木工事技術を発揮した。その後、大坂の十三人町(後の大川町、現在の大阪市中央区北浜四丁目)に移り、「淀屋」と称し材木商を営んだ。1609年から1614年に掛けて中之島の開拓を行い、江戸時代から現代まで続く経済の拠点を造った。
二代目の淀屋言當は、途絶えていた青物市を元和元年(1616年)に京橋一丁目の淀屋屋敷で再開した。寛永元年(1624年)には「海部堀川」を開削し、海部堀川の屈折点に造った船着場「永代浜」(現在の靱本町二丁目)に魚の干物を扱う雑喉場(ざこば)市を設立した。また米価の安定のため米市を設立し、大坂三大市場と呼ばれた青物市、雑喉場市、米市を一手に握った。また輸入生糸を扱うための糸割符に、大坂商人も加入できるように長崎奉行と掛け合った。寛永9年(1632年)に、糸割符の加入が認められ海外貿易を始める。寛永15年(1638年)からは加賀藩主前田利常の意向により加賀米の取扱いが本格化した。その大坂への輸送に際して、日本海から関門海峡と瀬戸内海を経由して大坂に至る西廻り航路を北風家の北風彦太郎と共に担い、北前船の先鞭と成った。

米市
江戸時代、米は経済の中心的な存在であった。年貢として納められた米は藩の蔵屋敷に蓄えられ、米問屋を介して現金化された。米は諸藩の財政の根幹をなし、米価の安定は経済の安定としても重要であった。しかし米の価格は仲買人によって無秩序に決められ、価格は米の質や量などを正しく反映したものではなかった。そこで淀屋は、米の質・量・価格の混乱を収めるため、全国の米相場の基準となる米市の設立を幕府に願い出て認められる事となった。
淀屋は自身が拓いた中之島に米市を開き、また中之島に渡るため淀屋橋を自費で土佐堀川へ架けた。米市に集まる米を貯蔵するため、諸藩や米商人の米を貯蔵する蔵屋敷が中之島には135棟も立ち並んでいた。また1620年代、全国の米の収穫は約2700万石有り、自家消費や年貢で消費される分を除く約500万石が市場で取引されていた。その4割の約200万石が大坂で取引されていたと言われている。
米市の取引きは場所を取る米を直接扱わず、米の売買が成立した証拠として手形を受け渡し、手形を受け取った者は手形と米を交換するという事が行われていた。それが次第に現物取引でなく、手形の売買に発展する事になった(米切手の項も参照のこと)。この淀屋の米市で行われた帳合米取引は世界の先物取引の起源とされている。淀屋の米市は二代目の言當、三代目の箇斎、四代目の重當の時代に莫大な富を淀屋にもたらした。井原西鶴は『日本永代蔵』の中で淀屋の繁栄ぶりを記している。
その後の米市は、元禄10年(1697年)に対岸に開拓された堂島新地(現在の堂島浜一丁目)に設立された堂島米市場に移された。堂島米市場では現物米を扱う正米取引のみが行われ、現物米と交換するための米切手を売買する事は禁じられていた。享保初年(1716年)頃より始められた帳合米取引が、享保15年(1730年)8月13日、幕府より公許され世界初の公設先物取引市場堂島米相場会所となった。

闕所(けっしょ)
宝永2年(1705年)、五代目の淀屋廣當が22歳の時に幕府の命により闕所処分となった。廣當の通称である「淀屋辰五郎の闕所処分」として有名である。
闕所時に没収された財産は、金12万両、銀12万5000貫(小判に換算して約214万両)、北浜の家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品などという記録が有る。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(膨大に膨れ上がった利子によるものであるが、現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上った。
闕所の公式な理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」というものだった。しかし諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由であろうとされている。
宝永5年(1708年)、この淀屋の発展と凋落の顛末が近松門左衛門によって浄瑠璃『淀鯉出世滝徳』(よどごいしゅっせのたきのぼり)に描かれた。
鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』には、この淀屋辰五郎の逸話をもとにした鉦五郎という妖怪が登場する。




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歴代の大阪駅のパネル展示 in 大阪駅 on 2024-5-19

2024年07月07日 05時35分00秒 | 大阪情報
ここ4年、新型コロナの影響で兵庫県以外、外出できていなかったが2024年5月19日(日)、
所用(墓参)で大阪に出かけていました。その途中、大阪駅で歴代の大阪駅のパネル展示を
見つけたので写真紹介します。

西日本で最初に鉄道が開通したのは神戸-大阪間、明治7年(1874)のことである。 
5月11日で神戸-大阪間の鉄道開通から150年の節目となります。

初代大阪駅(1874~1899)

初代の大阪駅時代の当初、神戸駅までの途中下車駅は西ノ宮駅(現在の西宮駅)と
三ノ宮駅(現在の元町駅)であった。 


2代目大阪駅(1901~1935)



3代目大阪駅(1940~1979)



4代目大阪駅(1979~2011)



5代目大阪駅(2011~)

現在の5代目大阪駅の模型展示があったので写真を添付しました(下の写真)


下の3枚の写真は現在の5代目大阪駅関連の参考展示







関連ブログ


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弓削氏出身の法相宗の僧・道鏡と八尾市の由義寺(弓削廃寺)

2023年07月26日 04時53分04秒 | 大阪情報
「由義寺(ゆげでら)跡)」は平成29年(2017)11月17日に開催された国の
文化審議会 文化財分科会で審議され、文科大臣に対して国史跡に指定すると答申されました。
平成30年(2018)2月13日の官報告示により「由義寺跡」が国史跡に指定されました。
由義寺跡について令和5年(2023)4月から第5次発掘調査が行われ、6月24日(土)に
調査の成果についての現地説明会が開催されました。
その様子についてテレビで報道されていた記憶があります。

本ブログでは第5次発掘調査の概要を理解することと弓削氏出身法相宗の僧・道鏡
銅鏡を寵愛した孝謙上皇(称徳天皇)により造営された西京の中心である由義寺(弓削廃寺)
について纏めることとしました。
また、道鏡と称徳天皇を中心とした政治について纏められたYoutube動画も紹介します。

最初に大阪府八尾市東弓削3丁目に所在の由義寺跡の写真(Google  ストリートビュー)を添付。
現地には由義寺跡と書かれた石碑と現地説明板があるようです。(上の写真)

国史跡「由義(ゆげ)寺跡」で、前身の弓削(ゆげ)寺のものとみられる基壇の規模が
約17m四方だったことが発掘調査で判明し、八尾市が2023年6月22日発表した。
2023年6月24日には現地説明会が行われました。
現地説明会の詳細は下記サイト。
以下この基壇を下層基壇と表記。770年頃に建設された弓削寺の七重塔の基壇と思われる。





上の6枚の写真は現地説明会資料
出典:令和5年(2023)6月24日、由義寺跡の発掘調査現地説明会資料

平成28年 (2016)11月からの発掘調査では一辺約20mの正方形の基壇が確認されている。
この基壇を上層基壇と表記。上層基壇には弓削寺から由義寺に改称された時代の七重塔と推定される。
上の写真は2016年-2017年の発掘調査で確認された約20mの上層基壇の発掘結果。
出典:平成29年(2017)2月11日、由義寺跡の発掘調査現地説明会資料
上の写真は七重の塔のイメージ
出典:平成29年(2017)2月11日、由義寺跡の発掘調査現地説明会資料

『続日本紀』には、道鏡が建設に携わった由義寺の記述がある。2017年、大阪府八尾市教育委員会は、八尾市内の東弓削遺跡の七重塔基壇を含む寺院遺構を由義寺のものであると発表している

弓削氏の氏寺であった弓削寺は、一族の道鏡が孝謙太上天皇に抜擢されたことによってクローズアップされるようになる。そして、弓削宮とともに文字を「由義宮」・「由義寺」に改め、近辺の宅地を買収し壮麗な寺院として拡張整備される。孝謙は由義の地を平城京に匹敵する都にしようとしたのであり、由義寺はさしずめ由義宮の“東大寺”であったといってよい。孝謙(重祚して称徳天皇)にとって由義寺は、女帝と法王道鏡とによる共治体制、神仏習合政治を確立する手段であり、「由義宮」・「由義寺」はその拠点づくりでもあった。

弓削寺(由義寺)及び道鏡関連年表
 742年 正倉院文書に「弓削寺僧行聖・・・」弓削寺初見史料
 764年9月 藤原仲麻呂の乱後、道鏡が大臣禅師に
          10月 淳仁天皇を廃して孝謙上皇が重祚し称徳天皇に
 765年  称徳天皇が河内弓削寺へ行幸(10/29~閏11/3の5日間)
     道鏡が太政大臣禅師に
 766年 道鏡が法王に
 769年 道鏡を天皇にすると天下泰平になるとの宇佐八幡宮の託宣が伝えられる
     和気清麻呂が道鏡即位に反する託宣を持ち帰る(称徳天皇は激怒)
     和気清麻呂 大隅に配流
     称徳天皇、河内へ2回目の行幸(23日間)由義宮を「西京」に
 770年 称徳天皇、河内へ3回目の行幸(39日間)
    4月 称徳天皇が由義寺の塔の建設に関わった人達に位階
    8月 称徳天皇が崩御(最後の天武系天皇、後継は天智系光仁天皇)
    8月 道鏡が失脚し下野薬師寺(栃木)の造寺別当に
 772年4月 道鏡、下野で死去

弓削寺はいつ建てられたか
 弓削寺は称徳天皇や道鏡の意向で769年~770年に建設されました

藤原仲麻呂の乱
 光明皇太后の厚い信頼を受けた藤原仲麻呂(恵美押勝)は749年新設の紫微中台(皇后宮職)
 の長官に任ぜられ、淳仁天皇から恵美押勝の名を賜る762年正一位、太政大臣となり、
 養老律令を施行。権勢を誇った。764年孝謙上皇に重用されていた道鏡を除こうとして
 乱をおこしたが失敗し、逆賊とされ琵琶湖湖畔で斬首される。


関連Youtube動画

【奈良時代】34 道鏡と称徳天皇の関係から見る宇佐八幡宮神託事件【日本史】


道鏡と称徳天皇【女帝史⑧】日本史テーマ史  

影絵物語「称徳天皇と弓削道鏡物語」03

①道鏡【前編】 奈良時代シリーズ ゆっくり解説【しくじり謀反#10】#39  
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安藤百福発明記念館(カップヌードル博物館)訪問記 on 2019-2-14&2-20

2022年01月23日 05時12分47秒 | 大阪情報

カップヌードルを世界で初めて発明した日清食品の創始者「安藤百福」を顕彰する

ための発明記念館が大阪府池田市にあります。

2019年の2月14日と2月20日の2度訪問していますので写真紹介します。

その当時はNHK朝ドラで安藤サクラさん主演の「まんぷく」が放映中の期間で両日とも

入場者が非常に多い時期でした。

安藤百福発明記念館の基本情報

住所:大阪府池田市満寿美町8-25   TEL:072-752-3484

正式名:安藤百福発明記念館 大阪池田 オープン:平成11年(1999)

開館時間:9:00~16:30 休館日:火曜日 入館料:無料

公式サイト: (cupnoodles-museum.jp)カッププヌードルミュージアム 大阪池田

上の写真は安藤百福翁(1910-2007)の銅像と碑文

上の2枚の写真は2002年(平成14年)に叙勲した勲二等旭日重光章を綬章した記念碑

上の写真は安藤百福発明記念館の案内板

上の写真は展示の様子 カップラーメンの誕生 1958年(昭和33年)

上の2枚の写真はカップラーメン時代の製造装置の展示

上の写真は初めてのカップヌードルの発売の展示

1971年(昭和46年)9月18日に発売

上の写真は各種カップヌードルの展示

上の写真は財団法人 日清スポーツ財団の設立(1983年)の展示パネル

上の写真は安藤百福翁の愛用品の展示

上の写真は人気のオリジナルのラーメン作りの風景

上の3枚の写真は二人三脚の夫妻像の展示

上の写真はチキンラーメン発明の小屋(復元)

上の写真は安藤仁子展の入口

 

 

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大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その15(最終回)  杉田家住宅

2021年10月17日 04時52分03秒 | 大阪情報

本日は富田林寺内町散策シリーズの第15回(最終回)で杉田家住宅をお送りします。

寺内町は、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

の中で、価値が高い伝統的建造物群「重要伝統的建造物群保存地区

に大阪府内で唯一指定されています。兵庫県では神戸市の北野地区が指定されています。

まず、富田林寺内町について全般を紹介したYoutube動画をGooで共有させていただきます。

JG☆☆☆☆ 4K HDR 大阪 富田林 寺内町(重伝建) Osaka,Tondabayashi Historic District

過去のブログ

第1回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その1 本町公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その2 旧田中家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その3 五六七稲荷大明神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その4 じないまち交流館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その5  奥谷家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その6 田守家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その7 興正寺別院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その8 妙慶寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その9 中内眼科医院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その10 陶工房 飛鳥 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その11 火の用心の刻字がある道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その12 仲村家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第13回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その13  旧杉山家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第14回   大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その14 木口家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は杉田家住宅の外観です。杉田醫院の看板があります。

杉田家は代々「樽屋善兵衛」と称し元は油屋を営んでおり、現在の当主は医師だが、11代目

にあたる家柄である。杉田家住宅は興正寺別院の北側、城之門筋に面しています。

近世(18世紀中期)の主屋や土蔵の形式をよく残したものである。

 

シリーズを書き終えて

やっと、シリーズ記事を書き終えることができました。

富田林寺内町は江戸の風情を残した約30もの住宅が残されており良い場所です。

このシリーズを書くきっかけは2021年9月11日のNHK総合テレビ

朝の番組で富田林の寺内町が紹介されていたことでした。

そこで番組で紹介されていた写真を何枚か添付しておきます。

全般

木口家

木口家は第14回で紹介しました。

中林布団店

 

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大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その14 木口家住宅

2021年10月15日 05時17分36秒 | 大阪情報

本日は富田林寺内町散策シリーズの第14回で木口家住宅をお送りします。

寺内町は、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

の中で、価値が高い伝統的建造物群「重要伝統的建造物群保存地区

に大阪府内で唯一指定されています。兵庫県では神戸市の北野地区が指定されています。

まず、富田林寺内町について全般を紹介したYoutube動画をGooで共有させていただきます。

JG☆☆☆☆ 4K HDR 大阪 富田林 寺内町(重伝建) Osaka,Tondabayashi Historic District

過去のブログ

第1回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その1 本町公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その2 旧田中家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その3 五六七稲荷大明神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その4 じないまち交流館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その5  奥谷家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その6 田守家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その7 興正寺別院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その8 妙慶寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その9 中内眼科医院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その10 陶工房 飛鳥 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その11 火の用心の刻字がある道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その12 仲村家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第13回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その13  旧杉山家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は木口家住宅の外観です。城之門筋に面しています。

建築時期は18世紀中期と思われます。

写真が上手く撮れていないのでGoogleストリートビューより木口家の写真を添付しました。

(下の写真)

 

上の写真は現地説明板。説明文をそのまま転記しておきます。

古い町絵図によると、この辺りは宝暦3年(1753年)から安永7年(1777年)の間に区画が

できたと思われる。当家の母屋の遺構は古風な面が多く18世紀中期の築造と推定される。

敷地内には江戸末期の土蔵2棟と明治の離れ座敷と蔵が残っており、かつての繁栄が偲ばれる。

当家は屋号を木綿屋(木綿庄)といいはじめは木綿商を営んでいたといわれるが、四代前より

瀬戸物商に転じている。近くの堺筋沿いで瀬戸物商を開いておられたが、既に廃業されています。

 

上の写真(Googleストリートビューより)は木口家(右の建物)付近の城之門筋です。

 あて曲げの道 (城之門筋)と言われ防禦のため真っすぐではなくわずかにずらした

道となっています。以下はあて曲げの道の解説文です。

下記サイトよりの引用です。

 【富田林寺内町の探訪】 木口家住宅 (biglobe.ne.jp)

寺内町は戦国時代の自治・自衛都市の町割をそのまま残しており、直交する2つの道路(南北が筋、東西が町)をわずかにずらすことで、遠方がまっすぐに見通せない構造になっている。(右手前が木口家住宅)

 

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大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その13  旧杉山家住宅

2021年10月14日 04時22分20秒 | 大阪情報

本日は富田林寺内町散策シリーズの第13回で旧杉山家住宅をお送りします。

寺内町は、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

の中で、価値が高い伝統的建造物群「重要伝統的建造物群保存地区

に大阪府内で唯一指定されています。兵庫県では神戸市の北野地区が指定されています。

まず、富田林寺内町について全般を紹介したYoutube動画をGooで共有させていただきます。

JG☆☆☆☆ 4K HDR 大阪 富田林 寺内町(重伝建) Osaka,Tondabayashi Historic District

過去のブログ

第1回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その1 本町公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その2 旧田中家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その3 五六七稲荷大明神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その4 じないまち交流館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その5  奥谷家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その6 田守家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その7 興正寺別院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その8 妙慶寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その9 中内眼科医院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その10 陶工房 飛鳥 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その11 火の用心の刻字がある道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その12 仲村家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は旧杉山家住宅の外観です。

現在、人が住んでおられないので内部公開の施設となっています。

当日は時間が早かったので入場できず。

上の写真は入館料などの基本情報

旧杉山家住宅の基本情報
住所: 大阪府富田林市富田林町14ー31 TEL:0721-23-6117
開館時間: 10:00~17:00 入館料:上に添付の写真のとおり
建築年: 江戸時代前期(17世紀)
文化財: 国の重要文化財 昭和58年(1983)12月26日に指定

文化庁データベースに記載の解説文を引用添付させていただきます。
構造及び型式など:
 居室部 桁行24.5m、梁間11.9m、一部二階、入母屋造段違、南面、
    東面及び北面庇付、本瓦葺
座敷部 桁行8.1m、梁間14.1m、入母屋造段違、東面居室部に接続、
    本瓦葺…
杉山家は寺内町富田林の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代中期以降は造り酒屋として栄えた家柄である。富田林寺内町の古い町家は農家に類似した平面構成をもつことを一つの特色としているが、旧杉山家住宅はその中でも最も古い遺構であり、さらに江戸時代中期の拡張によって大規模商家に整い、座敷部も美麗で、質的にもすぐれた町家建築として貴重である。

上の写真は現地説明板(全体遠景)

現地説明版の全体図では字が判読できないので拡大版を添付しておきます。(上の3枚の写真)

杉山家は富田林寺内町造営の中心であった八人衆の筆頭年寄の家柄である。

代々、杉山長左衛門を名乗る。

当初は屋号の「わたや」から木綿問屋であったと思われるが貞享2年(1685)に酒造株を

取得してからは造り酒屋として発展し河内酒造業の肝いり役を務めた大商家である。

当初、30石規模であったが元禄10年(1697)には104石、天明5年(1785)には1,103石と

著しい発展を遂げている。

敷地は1区画(1,000坪、現在は430坪)を占め、主屋をはじめ土蔵、釜屋、酒蔵など

10数棟が建てられていたといわれる。

 

杉山家は明治の明星派歌人石上露子の生家でもある。石上露子の略歴を添付しておきます。

石上露子(いそのかみ つゆこ 1882-1959)

明治時代後期に「明星」の歌人として活躍した石上露子は、本名を杉山タカといい、

富田林杉山家の長女に生まれた。幼少の頃から文筆に親しんだ露子は、17、8才の

頃には「夕ちどり」のペンネームで「婦女新聞」や「婦人世界」に随筆や小説などを

投稿し、1903(明治36)年の秋に「新詩社」の社友となった。

その端正な容姿から白菊の花にたとえられた露子は、与謝野晶子や山川登美子らと

ともに「新詩社の五才媛」として称された。

5人の才媛は他に茅野雅子、玉野花子がいる。

 

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大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その12 仲村家住宅

2021年10月13日 03時59分43秒 | 大阪情報

本日は富田林寺内町散策シリーズの第12回で仲村家住宅をお送りします。

寺内町は、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

の中で、価値が高い伝統的建造物群「重要伝統的建造物群保存地区

に大阪府内で唯一指定されています。兵庫県では神戸市の北野地区が指定されています。

まず、富田林寺内町について全般を紹介したYoutube動画をGooで共有させていただきます。

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第1回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その1 本町公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その2 旧田中家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その3 五六七稲荷大明神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その4 じないまち交流館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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第6回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その6 田守家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その7 興正寺別院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その8 妙慶寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その9 中内眼科医院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その10 陶工房 飛鳥 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その11 火の用心の刻字がある道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は当日撮った仲村家住宅と現地説明板

平成2年(1990)3月2日大阪府の指定文化財に指定されています。 内部は非公開

仲村家の屋号は「佐渡屋」といい、代々酒造業を営んでいた。

代々「徳兵衛」を名乗り、寺内町八人衆を務めたと伝えられる。

天徳5年(1715)に酒造株を取得してからは、造り酒屋として著しい発展を遂げ、天明5年

(1786)の酒造米高は、河内国で最高の2,135石に達した。寛政4年(1792)には江戸市場

を対象とした酒造業の理事長にあたる「河内一国江戸積大行司」となった。

主屋の建築年代は普請帳によると天明2~3年(1782-83)であり、主屋西側の店部分、南に

続く3室の別座敷も同時期のものである。

この座敷には文人、墨客が数多く訪れ、吉田松陰もそのうちの一人といわれる。

主屋の切妻屋根の通気口や丸瓦には、仲村家の家紋「三階菱」と「蔓柏」があしらわれている

 

上の写真は仲村家住宅の所在地を示した地図です。

全体の写真が上手く撮れていないのでGoogleストリートビューより仲村家住宅の写真を

添付しておきます。(下の2枚の写真)

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大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その11 火の用心の刻字がある道標

2021年10月12日 04時06分43秒 | 大阪情報

本日は富田林寺内町散策シリーズの第11回で火の用心の刻字がある道標

をお送りします。

寺内町は、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

の中で、価値が高い伝統的建造物群「重要伝統的建造物群保存地区

に大阪府内で唯一指定されています。兵庫県では神戸市の北野地区が指定されています。

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第1回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その1 本町公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その2 旧田中家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その3 五六七稲荷大明神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その4 じないまち交流館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その5  奥谷家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その6 田守家住宅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その7 興正寺別院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その8 妙慶寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その9 中内眼科医院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 大阪府富田林寺内町散策記 on 2018-11-11 その10 陶工房 飛鳥 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は京都から高野山に通じる東高野街道の道標です。道標に刻まれている文字は

判別できませんが、下の説明文で判るように町中での火の用心を呼びかけたものです。

江戸時代中期の宝暦元年(1751)に造られたもので、旅人に対して町中で「くわえきせる」

や「ひなわ火」は無用ですと、火の用心を呼び掛けています。

写真から「左 ふじい寺」が読み取れます。

写真はありませんが、「右 まきのを・高野山」の刻字もあるようです。

 

上の写真は現地説明板

高台で水の便が悪く、火の用心には細心の注意が払われてきました。この道標以外にも

北の一里山町や富山町には用心堀と呼ばれる防火用水の施設があり、町衆が共存共栄の

精神で町を守ってきたことをうかがい知ることができます。

この刻字のおかげで、火事もなく江戸時代の街並みが現存されているそうです。

 

上の写真は道標と説明板のある場所の遠景

 

上の写真は別の場所(寺内町の入り口)の道標で写真から「左 ふじい寺」、

「右 まきのを・高野山」が読み取れます。

宝暦元年(1751)に東高野街道の道しるべとして建てられたもので、旅人の目的地を示す

ガイドの役目を果たしていました。

 

 

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