2019年8月6日付で下のブログ記事を書いた。今回、若干の写真や記述を追加しました。
https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/e4a42b25c3052d91b18cc322f0ca7996
現在図書館で井伊春樹著「ゴードン・スミスの見た明治の日本―日露戦争と大和魂 」
角川学芸出版 (2007)を借りていること、以前に神戸外国人墓地で彼の墓碑を見つけた
ことからリチャード ゴードン・スミスについて調べて見ました。
まず、概要を掴むためイギリスの博物学者「リチャード・ゴードン・スミスの伝説」と
いうタイトルでgiovannuzzaさんがyoutubeにアップされている動画を紹介します。
リチャード・ゴードン・スミス伝説
今回、添付した写真は特記しない限り後述のゴードン・スミスの著書a)による。
リチャード・ゴードン・スミスの写真
出典:
井伊春樹著「ゴードン・スミスの見た明治の日本―日露戦争と大和魂 」角川学芸出版 (2007)
上の写真は明治33年(1900)ゴードン・スミス 42歳 神戸にて
R.ゴードン・スミス(1858-1918)の略歴
Wikipedia及び上述の書籍及びスミスの著書a)より略歴を要約しました
R.ゴードン・スミス(Richard Gordon Smith)(1858-1918)は博物学者。冒険家。
日本に長く滞在し、各地の風俗、民話(怪談)の研究に従事した。
日本での調査や見聞録は日記として残され明治31年(1898)から大正4年(1915)まで
綴られています。
1858年 英国イングランド北西部のアーズウィックのバンクフィールドに生まれる
上の写真はゴードン・スミスの生家 バンクフィールド・ホール
父親(ジョン・ブリッドサン・スミス)は英国の鉱山王で大富豪
母親は旧姓アニー・ロレンス(ヘレフォードシャーに在住)
始めの頃はフランスやノルウェー、カナダを旅行した博物学者やスポーツマン。
1879年 8月20日、21歳でカナダモントリオール出身のエセル・ニューカム(Ethel Nercomb)と結婚
上の写真は妻のエセル・ニューカム
後にガスペ半島に入植し、間に生まれた子供は次々に急逝したものの、一男(1888年死亡)
三女(うち一人は1892にフランスで生まれる。三人はスミス死去の際に財産の
分配相続を受けた)を授かった。
上の写真はゴードン・スミスの家族(1887年)
妻と結婚して18年、スミスは旅に明け暮れ、家庭を顧みない人物になっていた。
数々の試験にも受からず、祖父の築いた財産を相続して欧州を股にかけて狩猟三昧の
生活を送っていた。
1898年 妻との不仲から逃げ出すためにトーマス・クックの世界一周パック旅行を利用して来日。
大英博物館からの依頼も受け、生物に関する調査も兼ねていた。スミス40歳。
途中でスリランカやミャンマーなどの極東の地域で調査を行った。
スミスが日本に興味をもったのはアーネスト・サトウやベイジル・ホール・チェンバレン、
A・B・ミトフォード、アザベら・バードらが著した日本紹介本であったようだ。
明治31年(1898)12月24日、長崎に到着以降、翌年の1月11日まで日本に滞在
12月25日-26日に神戸に滞在(オリエンタルホテルに宿泊)
訪問先は滝の茶屋(ジェームス山)、湊川神社(出店に興味をもつ)、生田神社
真光寺、諏訪神社(キツネ神社と表記)
12月26日の夕方船便で、横浜へ(横浜グランドホテル泊)
12月30日、汽車で東京へ 1月6日まで東京に滞在
(正月行事、葬式、七宝焼き、日本の女性などに興味)
12月31日 アーネスト・サトウ卿からディナーの招待を受ける
上の写真は1898年12月31日 東京の茶店での記念撮影 ゴードン・スミス40歳
明治33年(1900)3月4日、横浜に到着。7月30日まで滞在
3月8日~3月10日、4月19日~5月14日神戸に滞在
4月20日神戸の借家を賃貸契約 同居人は「くに子」と「おスダ」
上の写真は神戸の借家のスケッチ 住所は下山手通り5丁目
上の写真は明治33年(1900)頃の須磨海岸
5月15日~ スノウフレイク号(5人の乗組員)での生活
7月31日 ゴードン・スミスはニューギニア、フィジー経由でイギリスに帰る予定で
S・S・イースタン号で帰路に発つ、気温が高い日が続き体調を崩して
8月15日、神戸へ戻る。神戸では前に借りていた借家み住むことになる。
8月16日 かなりひどい地震があった。腫物の治療など神戸での借家生活。
看護婦のおツルさんを雇う。くに子が看病をよくしてくれた。
8月20日 布引の滝 滝の茶屋へ家主の娘のおツネさんと行く
上の写真は明治33年頃の布引の滝と滝の茶屋
11月28日 アレキサンダー・キャメロン・シムが逝去したことを知る
上の写真はA.C.シムがNo.18の商品名で売った炭酸水のラベル
翌年明治34年(1901)の1月に離日、英国へ帰国 収集した魚を中心とした動物標本を
大英博物館へ搬入、学芸員と連日の打ち合わせ。
明治35年(1902)4月頃、瀬戸内海及び島々で魚類や小さな哺乳動物の採取を行う。
明治36年(1903)10月29日、横浜に到着。明治38年(1905)2月7日まで日本に滞在。
上の写真は明治36年(1903)12月大晦日の神戸元町
明治38年(1905)11月頃来日、長期の日本滞在の始まり。
長期滞在中に採集した試料を大英博物館に送付する生活と共に日本の伝説に興味を持ち
たくさんの絵画を集め、聞いた話を英文で書いています。
その成果が彼の著書b)でまとめています。一例を添付(下の写真)
下の写真はイギリス領事ボナーのために行われた晩餐(兵庫県知事服部一三が主催)
全員、羽織袴姿です。上段の右より反時計回りでグルーム、ゴードン・スミス、レイネル、
服部知事、コディラ、グリフィス、ボナー 明治37年(1904)9月22日
下の写真は答志島で潜水の準備をする海女たち(明治37年(1904))
明治40年(1907)3月16日、勲四等旭日小綬章を受賞 兵庫県知事服部一三の推薦
上の写真は授与した勲章と英字新聞の記事
明治41年(1908)4月27日、東京浜離宮での観桜会に招待され上京したが観桜会は中止
明治43年(1910) スミスの資金繰りの悪化に伴い、妻に別居を通告
明治45年(1912)7月30日、明治天皇崩御。このころR.ゴードン・スミスは体調を崩した。
明治天皇の葬儀は9月16日に終了。桃山御陵まで訪れかったが体調不良で訪問出来ず。
大正7年(1918)11月6日、神戸にて死去
スミスが日本に滞在したのは明治31年(1889)40歳から大正7年(1918)60歳に至る
20年間にも及びます。日本滞在の大半は神戸での生活であるが日本各地に出かけて写真や
スケッチを数多く残しています。神戸で亡くなり神戸外国人墓地に眠る。
孫が保管していたゴードン・スミスの日記
上の写真はゴードン・スミスが書き残した日記 全8冊の中の2冊
孫のアンドリュー・タッジ氏が保管していた。1980年代にピーター・ベアドという
TVディレクターにより見いだされ、ベアドの友人のビクトリア・マンソープ(Victoria Manthorpe)
により日本に関するものだけが編纂され1986年に出版されました。
スミスネズミ
R.ゴードン・スミスは六甲山で日本固有の野ネズミを捕獲し標本にし、大英博物館で
「スミスネズミ(学名はMyodes smithii)」と命名・新種登録されました。
スミスネズミは体重20~30gと小型で山地の湿潤な場所を好む。
日本哺乳類学会では希少種に分類。
発見されたのは明治37年(1904)のことです。
発見から約100年経って六甲山で捕獲されスミスネズミの存在は判明したが生態の詳細は不明。
関連サイト:https://www.hitohaku.jp/blog/2010/08/post_823/
スミスが捕獲の鳥類剥製のジオラマ
上の写真はスミスが捕獲したカワセミ、タシギ、オオコノハズクなどの鳥類の剥製を
使用したジオラマ。前のほうにイタチや亀も置いてあります。
背景は鷹取山からみた淡路島が描かれています。時代は明治後期。
神戸でスミスと同居した「くに子」
上の写真はスミスと神戸で同居していた「くに子」 出典:ゴードン・スミスのアルバムより
くに子(牛居こう)は和歌山県の出身で養女にでた横浜でゴードン・スミスと知り合った。
神戸で一緒に暮らし病床に臥せたスミスを懸命に看病したが大正7年(1918)11月6日に
スミスが亡くなったため春日野外国人墓地に葬った。
上の写真は春日野外国人墓地(明治後期) 出典:グルーム氏 個人アルバム
神戸における外国人墓地は慶応3年12月7日(新暦換算では1868年1月1日)の開港直後に
イギリスの海軍中尉ら4名の死者が出たため旧生田川東岸の小野浜に設置。
その後明治32年(1899)に筒井町に春日野墓地が設置された。
小野浜外国人墓地は昭和27年(1952)、春日野外国人墓地は昭和36年(1961)に現在の
場所(修法ケ原)に移転した。
スミスがくに子に送ったアルバム
上の写真はスミスがくに子に送ったアルバム
宛名にKumiko Oushiさん 発信人スミスを意味する from Joraが記載
日付は1902年(明治35年)5月10日
神戸外国人墓地に眠るゴードン・スミス
著書
a)ゴードン・スミスのニッポン仰天日記 (訳)荒俣 宏/大橋 悦子 小学館(1993)
内容:明治末期の日本を活写した絵入り、写真入り日記は、作者の没後長く框底に
秘められていたが、近年約90年ぶりに孫の手によって発見された。
シーボルト、エドワード・モースにつづく、日本を博物学した異国人の超仰天日記。
上の写真は上記の本の表紙
上の写真は日記の原文 当時の風俗、風景などの写真が多く貴重な資料である。
b)大阪青山学園所蔵 日記8冊、昔話集5冊・・・原文集
c)ゴードン・スミスの日本怪談集 (訳)荒俣宏 角川書店(2001)
d)日本の昔話と伝説 南雲堂(1993)(訳)吉澤貞
原著名:Ancient Tales and Folklore of Japan
この本は明治41年(1908)ロンドンで出版されたものでスミスが収集した民話集
邦訳は吉沢貞によりなされた ラフカディオ・ハーンと同様の幽霊話や神話や伝説
などについて聞き取ったものを英訳した。
電子書籍
Ancient tales and folklore of Japanというタイトルで写真が多用された記事を閲覧できます。
(下記のサイト)
https://archive.org/details/ancienttalesandf00gordrich/page/n5