CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

エッチング(銅版画)作品 黄色ショウジョウバエ

2011年07月24日 16時40分39秒 | Weblog
下の写真はこれから製作にかかるエッチング(銅版画)作品の下絵です。

どんな作品に仕上がるか?楽しみです。

題目は黄色ショウジョウバエです。Drosophila Melanogaster



黄色ショウジョウバエに関する説明 By Wikipedia

私が書いた黄色ショウジョウバエ関連の記事へのリンク
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嵯峨野釈迦堂清涼寺内のゆどうふ竹仙での食事

2011年07月24日 16時20分14秒 | Weblog
2011年6月6日に嵯峨野釈迦堂清涼寺内のゆどうふ竹仙でお昼の
ゆどうふおきまり膳をいただきましたので写真紹介します。

ゆどうふ竹仙の基本情報 竹仙はちくせんと読みます
住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46番地 釈迦堂清凉寺内
TEL:075-882-3074
公式HP:ゆどうふ竹仙の公式HP


上の写真はゆどうふおきまり膳の湯豆腐です。おきまり膳は3,675円です。
なめらかな嵯峨豆腐の名店で発祥の店でもある「森嘉(もりか)」の豆腐が使用
されています。

膳には食前酒もついてきます。

上の写真は揚げたての天ぷら。

上の写真はトマトを使ったデザートで微妙な味が素晴らしかった。

上の写真は店の外観です。

お店がある清涼寺は山号:五台山で浄土宗の古刹である。
一説では源氏物語の主人公の光源氏のモデルであったとされる源融(みなもとのとおる)
の山荘である棲霞観(せいかかん)があり融の没後、棲霞寺としたのが始りである。
天慶8年(945)に等身大の釈迦像が安置されこれが釈迦堂の通称となった謂れである。

源融(みなもとのとおる)の塔とも言われる宝篋印塔がありましたのでその写真も
紹介しておきます。(下の写真) 
鎌倉時代後期の宝篋印塔で、竹仙のすぐ傍にあります。
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なでしこジャパン 女子ワールドカップ 決勝戦

2011年07月18日 06時23分10秒 | Weblog
サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」が2011年7月18日3時45分(日本時間)
から、ドイツで行われているワールドカップ、アメリカとの決勝戦の速報です。

ニュースソースは下記のWeb サイトです。

http://news.yahoo.com/japan-usa-set-battle-royale-world-cup-final-165307926.html

前半、後半の90分を過ぎた段階で1-1のEvenであることが報じられています。

前半は0-0の同点で通過、後半24分、ラピノーのパスから途中交代のモーガン
がシュートしゴールを決めたが、日本は後半35分宮間あやが押しこみ 1-1 の
振り出しに戻した。

さらに延長戦で2-2の同点となったが、PK戦で3-1で日本が優勝を果たした。

詳細な速報はこちらで、
FIFAの女子W杯のサイト


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週間アクセス数 9918位に

2011年07月17日 06時07分51秒 | Weblog

2011年の7月10日から7月16日に10,000位以内のランク入りを
しましたのせ記念のため、記録しておきます。
今回は2回目の1万位以内です。


GooのBlog 約160万件のBlogの中でBest 1万件以内に入ったのは
記念すべき出来事でした。

下記は最近3週間のアクセス数のデータです。

日付           閲覧数  訪問者数 ランキング
2011.07.10 ~ 2011.07.16 3203 PV  1129 IP 9918 位 / 1608808ブログ
2011.07.03 ~ 2011.07.09 5580 PV  1099 IP    - 位 / 1606001ブログ
2011.06.26 ~ 2011.07.02 4094 PV  998 IP    - 位 / 1603279ブログ

週間アクセス数 1,129IPで9,918位

前回のランク入りの時の記録へのリンクです。

アクセスしていただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。 
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JR須磨駅前の七夕飾り

2011年07月13日 06時52分14秒 | 神戸情報
もう七夕が過ぎてしまって、機を逸した感がありますが、2011年7月7日に撮った
JR須磨駅前の七夕飾りと7月7日の海開きを待つ須磨海岸の写真を紹介します。



上の2枚の写真がJR須磨駅前の七夕飾りです。7月7日の7時前に撮影。
多分、今までもこのような飾りつけあったのだと思いますが、私にとっては
初めてのお目見えです。

七夕は中国の牽牛(けんぎゅう)星と織姫星を祀る年中行事に由来しています。
この2つの星が年に1度7月7日に天の川をはさんで会うとされています。
七夕では笹の葉ににいろいろな願いをを書いて下げるとその願いが叶えられると
信仰されています。
Tanabata(July 7).This is the one day of the year on which,according
to ancient Chinese legend,the Weaver Princess(Vega) and
the Cowherd(Altair)can across the Milky Way that separates them
and renew their love for each other.

Peoples generally celebrate this day by writing wishes in Tanzaku
(a special strip of paper) and Tanzaku are hung on a bamboo branch.
Peoples believe that writing wishes or praying will come true.

七夕は五節句の一つです。
五節句は次の通りです。

1月7日 人日(じんじつ)七草粥
3月3日 上巳(じょうみ)ひな祭り
5月5日 端午(たんご)子供の日、菖蒲の節句
7月7日 七夕(たなばた)星祭り
9月9日 重陽(ちょうよう)菊の節句

五節句の制度は明治6年(1873)に廃止されましたが、今でも季節の変わり目の
諸行事が行われ我々の生活の中の風習として根付いています。

七夕の解説 By Wikipedia(英語版)

Tanabata (七夕?, meaning "Evening of the seventh") is a Japanese star festival, originating from the Chinese Qixi Festival. It celebrates the meeting of the deities Orihime and Hikoboshi (represented by the stars Vega and Altair respectively). According to legend, the Milky Way separates these lovers, and they are allowed to meet only once a year on the seventh day of the seventh lunar month of the lunisolar calendar. The date of Tanabata varies by region of the country, but the first festivities begin on July 7 of the Gregorian calendar. The celebration is held at various days between July and August.



上の写真は7月7日の海開きを待つ須磨海岸です。こちらも同じく7時前に撮影。
当日天気も悪く、気温もあまり上昇しまかった為、ひっそりとした海開きになったようです。

七夕に関する小生の過去の記事1

七夕に関する小生の過去の記事2
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日本の人口の歴史 縄文早期には2万人だった日本の人口

2011年07月11日 09時30分55秒 | Weblog
日本の人口の推移を長いスパンで見たのが下記のデータである。
 元データは下記のWebサイトより引用
  人口の超長期推移

 第1期 狩猟、木の実など採取、漁業による食料確保の時代
                  1万年前は現在より2℃低かったが
   縄文早期 9000年前 2万人   この頃には現在より平均気温高い
   縄文前期 6000年前 11万人
   縄文中期 5000年前 26万人
   縄文後期 4000年前 16万人  4500年前より寒冷化

   縄文晩期 3000年前 7.6万人  
  縄文期は西日本の人口は少なく、東日本に人口が集中
  東日本は、ブナを中心とする冷温帯落葉樹林は後退し、代わって
  コナラ、クリを中心とする暖温帯落葉樹林が広がり、西日本は
  カシ、シイの常緑照葉樹林となった。
  木の実の生産性は照葉樹林より落葉樹林、特に暖温帯落葉樹林が
  圧倒的に高いため、こうした温暖化により東日本を中心に
  日本の人口は急増したといわれる。


 第2期  農耕の定着と普及
   弥生初め 2000年前    59万人
   奈良時代 1300年前    450-550万人
   平安時代 1200-800年前  550-680万人
   鎌倉-室町 800-400年前  680-1227万人

 第3期  市場経済拡大時期
   関が原  400年前     1227万人   1603年
   享保の改革 300年前    3128万人   1721年
   明治維新 140年前     3330万人   1868年 

 第4期 工業化の時代
   1920年  90年前      5596万人
   1950年  60年前      8320万人
   1980年  30年前      1億1706万人
   2000年  10年前      1億2693万人

日本の人口は縄文時代の2万人-26万人から弥生時代に入って農耕生産物が
増加したことで人口が約60万人に、さらに生産増に伴ない奈良時代
には約500万人のレベルにまで増加した。
平安時代末期(1150年)700万人弱だった人口が慶長5年(1600)
に1200万人となり江戸時代の前半約120年間で1900万人増加し
それ以降は3000万人の一定レベルで江戸時代の終わりまで推移している。
明治に入ってから富国強兵政策のもと人口の急増期に突入していく。
現在の人口が約1億2700万人であるから明治から約140年の間に
実に9700万人が増加したことになる。
現在以降人口は減少に転じ2100年には約6400万人のレベルとなる。
だから100年足らずの間に実に現在の半分の人口になる。
明治維新の富国強兵策から始まり日本は変革してきた訳であるが
少子高齢化による人口減少の社会構造の変化に備えどのように
社会の仕組みを変えていくかが課題である。

2002年の食料自給率で日本は28%、カロリーベースで40%である。
フランスでの食料自給率は186%、カロリーベースで130%である。

明治5年(1872)の日本の人口は3480万人に対してフランスは3610万人
とほぼ同程度であったが日本の人口は1億2000万人を超える水準に
なったのに対し、フランスは6000万人のレベルである。

食料の生産力を現在のレベルとしたときの人口扶養力は穀物ベースで
3600万人、カロリーベースで5100万人に過ぎない日本の現状である。

明治以降、工業の隆盛により日本は買い食い(購入で食料を確保)を
してきた訳であるが今後も同じようなことは考えられない時代に
なりつつある。

老人は海外に移民させ、若い世代の移民を受け入れるような政策が
必要な時代になりつつあるのかも知れない。
また、国内の食料生産量を増加させる政策も必要である。
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新宮晋氏の作品展示 in 兵庫県立美術館 on 2011-7-1

2011年07月02日 18時20分35秒 | Weblog
兵庫県立美術館に展示されている新宮晋氏の作品展示を写真紹介します。
撮影:2011-7-1



上の写真は兵庫県立美術館に展示されている新宮晋氏の作品で、題名は
遙かなリズム Fareway Rhythm 製作年:1979/2002

風によって動きます。第8回現代彫刻展、国立国際美術館、兵庫県立近代美術館



上の写真は兵庫県立美術館で6月11日より9月25日に開催されている
自然エネルギーの村「呼吸する大地」 Breathing Earth の展示の写真で、
風や太陽をはじめとする自然エネルギーを生かして、少し不便であっても
環境を損なわない理想の村をイメージしたものです。

新宮晋氏とその支援者達は実際にこのような村を実現すべく行動されているようです。

新宮晋氏とその支援者達の活動がビデオで紹介されていました。
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