CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

「神戸人形」妻がつなぐバトン

2024年09月30日 10時00分31秒 | 神戸情報
2024年9月28日(土)の夕刊の1面のトップ記事として表題の見出しで紹介されていました。

神戸人形を継承してきた人形美術家の吉田太郎さんが2024年2月21日に54歳で急逝された為
妻の吉田綾さんが今後は神戸人形を製作していくという内容です。

記事の内容詳細は神戸新聞NEXTでも読むことができます。(下記リンク)

本ブログでは神戸人形について概要を紹介していきます。

1.神戸人形とは
明治中期に現在の神戸市長田区で商店を営んでいた「長田の春さん」と呼ばれた男性が、
ろくろ首や三つ目のからくり人形を手作りしたのが神戸人形のルーツとされる。
「長田の春さん」の店の名前は野口百鬼堂?。
それよりも古い時代(1868年の兵庫開港の頃)淡路の人形師の中村某が神戸港の
黒人の船員を見て神戸人形を作ったのが最初という説もあるようです。

ユニークな仕掛けが特徴で、手のひらに乗る大きさの木製で、台座のつまみを回すと
内部の糸によって人形が動く。大正から昭和初期に主に外国向けの神戸土産として
盛んに作られ「お化け人形」と親しまれた「布引人形」という名前でも呼ばれていました。
昭和初期には作品全体が黒い色に塗られ「神戸人形」の名前が定着していきました。
上の写真は神戸開港150周年記念、神戸港と神戸文化の企画展 「神戸・みなと・時空」 の中の
日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示パネルで
紹介された神戸人形の概要説明。このイベントは2017年1月25日 から12月28日まで
デザイン・クリエイティブセンター神戸KIITOにて 開催されていました。


2.神戸人形の歴史

 (1)創始期の神戸人形
 
上の写真は創始期の神戸人形の説明パネル
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

明治35年(1902)の頃には出崎房松(1883-1967)が登場し黒い色の人形も登場します。


上の作品は創始期の神戸人形の作品
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

 (2)最盛期の神戸人形

上の写真は最盛期の神戸人形の説明パネル
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

 小田太四郎(1883-1950)は親戚である出崎房松(前出)から技術を習い、外注などで
 ある程度、量産をして外国人のお土産として布引の売店で売られたことから「布引人形」
 の名前でも呼ばれた。神戸人形を有名にした功労者である。


 (3)再現期の神戸人形

上の写真は再現期の神戸人形の説明パネル
  副題に~数岡雅敦(喜八)・キヨシマ屋・神戸センター~
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

以下は日本玩具博物館HPよりの引用です。

神戸人形は、太平洋戦争中に岡山へ疎開した小田太四郎によって戦後も作られますが、
 小田の死(昭和25年(1950))後、しばらくは途絶えます。その後、昭和30年代中頃から、
 神戸人形の復活に取り組む人が現れました。兵庫県加古川市に住む数岡雅敦(喜八)は、
 古い神戸人形を分解研究するなどして、その再現に成果を上げました。昭和時代の神戸人形は、
 数岡のほか、神戸市内の民芸店神戸センターと元町の玩具店キヨシマ屋が製作・販売を行い、
 復元の形をとりながら伝承を受け継ぎました。数岡の作品は一体が8千円から8万円と高価で、
 普及にも限りがありましたが、神戸センター製やキヨシマ屋製の作品は、数岡に比べて細工等の
 質は落ちるものの安価で、普及版としての大きな役割を果たしました。



上の2枚の写真は最盛期の小田太四郎の神戸人形作品と戦後の作者・数岡雅敦(1928-1989)
 の作品。数岡雅敦(喜八)は数百種に及ぶ神戸人形を精力的に製作しています。
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

 
上の写真はキヨシマ屋の神戸人形
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影
 
 上の写真は神戸センター製の神戸人形
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

 (4)平成時代の神戸人形
  副題に~ウズモリ屋と日本玩具博物館~


上の写真は平成時代の神戸人形の説明パネル
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

 数岡雅敦の死後も細々と作られ続けてきた神戸人形は、平成7年(1995)の阪神淡路大震災を経て
 廃絶してしまいます。海外から里帰りさせた創始期の作品をはじめ、600点に及ぶ神戸人形を所蔵
 する日本玩具博物館では、神戸人形復活を期して、度々「神戸人形」をテーマとする企画・特別展を
 開催してきました。また、平成15年(2003)からは藤尾秀久らと”日本玩具博物館版神戸人形”の
 製作に取り組んできましたが、諸事情により平成26年(2014)に製作がストップしていました。
 嬉しいことに、平成27年(2015)、神戸市在住で人形劇美術を専門とする吉田太郎氏が
 神戸人形製作をひき継いで下さることとなりました。
 ”日本玩具博物館版神戸人形”には、「西瓜喰い」「酒飲み」「釣鐘お化け」「面冠り」の4種類が
 ありますが、吉田太郎氏は、ウズモリ屋の名前で独自の神戸人形も製作されています。


上の写真はウズモリ屋・吉田太郎製の神戸人形
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影


上の写真は神戸人形作家のウズモリ屋・吉田太郎の紹介パネル
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影


出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影上の写真はウズモリ屋・吉田太郎さんが手掛ける作品群の説明パネル


上の写真は神戸開港150年を記念して特別に製作されたウズモリ屋・吉田太郎の神戸人形作品
出典:日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」 の展示2017年1月28日観覧撮影

神戸人形ウズモリ屋の公式サイト

最後にウズモリ屋、吉田太郎氏の逝去に心よりお悔やみ申し上げると同時に
妻の吉田綾さんの今後の活躍を祈念して筆を置きます。

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ラー麺ずんどう屋 姫路安室店でのランチ on 2024-9-26

2024年09月28日 05時05分39秒 | 姫路市
2024年9月26日、豚骨ラーメンを売りとしている「ラー麺ずんどう屋」の姫路安室店で
ランチをいただきましたので写真紹介します。  
この店に訪問したのは今回で4回目です。
「ラー麺ずんどう屋」は2002年4月4日兵庫県姫路市で誕生しました。
じっくり炊き出したとんこつだしをベースに背脂を加えた濃厚スープが特徴。
丸亀製麺を運営しているトリドールが展開するチェーン店です。
神戸市にもお店があります。
 
ラー麺ずんどう屋  姫路安室店の基本情報
所:姫路市田寺東2丁目25−10 TEL:79-260-6558
営業時間:11:00~21:00  定休日:不定休
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自民党の新総裁に石破氏 on 2024-9-27

2024年09月27日 15時50分13秒 | Gooニュース
自民党は9月27日午後の総裁選で、石破茂元幹事長を第28代総裁に選出しました。
上の写真は自民党の新総裁に決まり挨拶された石破茂氏
高市早苗氏との決戦投票での内訳も載っています。

上の写真は1回目投票の結果表です。



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ダイニング SACHI でのランチ on 2024-9-25

2024年09月27日 14時17分47秒 | 神戸情報
2024年9月25日に訪問した神戸市須磨区のダイニング SACHI でのランチを
写真紹介します。3回目の訪問です。
前回の訪問記にリンク

前々回の訪問、2014年12月26日は10年前の訪問です。

ダイニング SACHI の基本情報  

住所:神戸市須磨区東落合2-11-2  TEL:078-754-8778
料理ジャンル:和食
営業時間:11:00~17:00 
定休日:日曜日+月曜日
オープン日:2014年6月10日



所在地のGoogleマップを添付しておきます。
 


いきなりですが、まずメニュー表を紹介します。
当日は楓 1,540円(税込)を注文しました。

 

料理はまず先付が出てきます(上の写真)


上の2枚の写真は楓のメイン膳です。本日の主菜はチキンカツでした。
ヘルシーで美味しくいただきました。



上の2枚の写真はお店の入口外観とお店の遠景

上の写真は駐車場の案内です。

上の写真はテークアウトメニューです。

上の写真は9月の定休日


野菜味噌の紹介掲示
上の写真は「おせち」50食限定の予約案内の掲示


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花百咲(はなひさき)でのランチ on 2024-9-24

2024年09月26日 04時05分19秒 | 神戸情報
2024年9月24日(火)に食べた花百咲(はなひさき)でのランチを
写真紹介します。
五色塚古墳に行った後に寄りました。

花百咲の基本情報  
料理ジャンンルは和食
住所:神戸市垂水区神田町4-31    TEL:078-708-0911
定休日:日曜、祝祭日
営業時間:11:00~16:00

所在地のGoogleマップを添付しておきます。
 

定番で行く店の一つです。
特徴として陶器の窯でご飯が炊かれておりご飯が美味しい。
一汁三菜の和食です。
主なメニューは下記のとおりだが大半の方ははなひさき御膳又はにしき御膳を注文します
はなひさき御膳 ¥900(税込)
にしき御膳 ¥1,200(税込)
おむすび御膳 ¥900(税込)
出し巻き御膳 ¥900(税込)


上の写真は当日注文した「はなひさき御膳」 ¥900(税込)
主菜は「豚肉とキャベツの味噌炒め」を選択しています


上の写真は当日の主菜のラインアウトです。


上の写真はお店の外観です。
上の写真は花百咲(はなひさき)の看板 一汁三菜が基本メニューです
上の写真はメニュー表

最近訪問した時の写真を紹介します。

2024年9月6日訪問記



2024年8月29日訪問記



2024年4月3日訪問記

2024年4月26日訪問記


2024年5月13日訪問記

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五色塚古墳への訪問記 on 2024-9-24

2024年09月25日 05時13分33秒 | 神戸情報
2024年9月24日、久しぶりに五色塚古墳に行ってきましたので写真紹介します。

上の写真は駐車場付近から撮った五色塚古墳と小壺古墳(右手の円墳)
上の写真は階段から撮った後円部の葺石
斜面には葺石(ふきいし)が葺かれその数は223万個 重量にして2,784トンあります。
上の写真は後円部の埴輪群と背景の明石海峡大橋
埴輪は総数2,200本と推定されています
上の写真は後円部の東側の埴輪群



上の2枚の写真は後円部より後方部を撮った遠景

上の写真は小壺古墳

上の写真は入口部
五色塚古墳の整備50年の旗が掲げられていました。

上の写真も入口に入ってすぐの写真
上の写真は垂水観光大使「ごしきまろ」


上の2枚の写真は2026年春に完成予定の五色塚古墳ガイダンス施設のイメージ
金網のの中にこの施設が建設されます。
上の写真は現地管理事務所内の展示
上の写真はこうべ花時計のモチーフとなった五色塚古墳

現地説明板



整備前の写真

上の写真は1960年以前の五色塚古墳

上の写真は1966年頃の五色塚古墳

五色塚古墳の住所及び見学の案内
神戸市垂水区五色山4丁目1−22 (現地管理事務所)
 現地管理事務所のTEL:078-707-3131(団体の見学申し込み等)
開園時間:9:00~17:00 入園料:無料
休園日:毎週 月曜日、年末年始

Googleマップを添付しておきます。




リーフレット
 2020goshikiduka_leaflet.pdf (kobe.lg.jp)

五色塚古墳の概要
 五色塚古墳は3段構築の前方後円墳で、全長194m、高さは前方部で11.5m、
 後円部で18mである。
 (上段の長さは約150m中段の長さは約170m下段の長さは約194m)
 後円部の直径は墳頂で約30m、段部で約72m中段で約100m、下段で約125mである。
 兵庫県下で最大の古墳である。築造年代は4世紀末と推定されています。
 被葬者は明石海峡及び海陸交通を支配した豪族と推定されています。
 斜面には葺石(ふきいし)が葺かれその数は223万個 重量にして2,784トンあります。
 葺石は下段のほうは地元の古墳周辺から集められた小石で上段部になると大きなものだと
 直径30cmくらいにもなり淡路島から運ばれてきたと推定されています。
 「日本書紀」に「仲哀天皇の偽陵をつくる為に淡路島から船で運んだ」との記述あり。
 葺石は太陽光を乱反射する効果をもたらし、明石海峡を往来する船からよく見えたようです。
 五色塚古墳は奈良県にある佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳(全長208m、高さ約20m)と
墳形が似ています。埴輪においてもその関係性が指摘されておりヤマト王権と深い関係に
あると考えられています。
 さらに出土した埴輪は総数2,200本と推定されています。
但し、昭和40年(1965)~昭和49年(1974)の発掘調査で取り上げられてたのは600本で
 600本のうち約半数を2002年から2004年にかけて接合復元。その結果円筒埴輪、
 朝顔形埴輪48本を復元。これらは2010年度に国の重要文化財に指定
 五色塚古墳の西側には直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があります。

上の写真は五色塚古墳の構造と寸法が入ったパネル 
令和3年(2021)度、神戸市埋蔵文化財センター春季企画展 国史跡「五色塚古墳の歩み」 
の展示より


垂水歴史館で掲示の整備前の写真 




上の2枚の写真は復元前の五色塚古墳 昭和39年(1964)
撮影:2024年1月27日
出典:垂水センター街 特別展示 垂水歴史館

過去に入手した説明パネルなどの写真















五色塚古墳と小壺古墳をイメージして作られたベンチ

上の写真は神戸市垂水区役所が入っているビル「レバンテ2号館」の1階に最近、設置された
五色塚古墳と小壺古墳をイメージして作られたベンチ 撮影:2024-4-9

上の写真は2024年4月?に設置のベンチに関する説明パネル

関連ブログ











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弥生の御朱印巡り 兵庫県播磨町 大中遺跡の御朱印 on 2024-3-6

2024年09月23日 04時52分14秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、播磨町の県立考古博物館に隣接してある播磨町郷土資料館で
標題の大中遺跡の御朱印を貰いましたので写真紹介します。

上の写真が2024年3月6日にいただいた大中遺跡の御朱印

全国の著名な弥生遺跡関連の施設で御朱印が貰えます。
下の2枚の写真がそのリストです。

 関連サイト:




弥生時代関連26遺跡29施設の連携企画「弥生の御朱印巡り〈全国版〉」は
令和5年(2023)10月7日(土)より始まっています。


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きょうは何の日 9月22日

2024年09月22日 16時01分09秒 | Weblog
きょうは何の日、9月22日
6時台のNHKラジオは「今日は何の日」で次の項目をピックアップしています。

 ■1968年(昭和43年)アブ・シンベル神殿の移転工事が完了
   エジプト、アスワン・ハイ・ダム建設に伴うアブ・シンベル神殿の移転工事が完了。

 ■1970年(昭和45年)マスキー法が成立
   マスキー法とは、米国で主に車による大気汚染の抑制を目的とした大気清浄法で
   1970年9月22日、米国の上院を通過した。 

 ■1985年(昭和60年)米プラザ合意
   プラザ合意とは、1985年9月22日に米ニューヨークのプラザホテルで行われた
   G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)での米ドル高是正を目的とした
   協調行動に関する合意 

 ■1988年(平成10年)台風7号で室生寺五重塔屋根が壊れる

上の写真は女人高野室生寺の五重塔 撮影:2011-5-6
  訪問記は下記ブログで書いています。
   
日刊スポーツの「今日はどんな日」9月22日では下記話題を取り上げています。
  ■1862年(文久2年) 南北戦争の真っただ中、リンカーン米大統領が奴隷解放予備宣言を布告 

  ■1994年(平成6年)消費税を3%から5%に引き上げる税制改革大綱が閣議決定。97年実施

  ■1999年(平成11年) 「ブルースの女王」歌手淡谷のり子さんが92歳で死去 


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令和6年度 神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展 「ヤマトとコウベ」が9月21日より始まります

2024年09月21日 05時58分16秒 | 神戸情報
令和6年度 神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展 「ヤマトとコウベ」
副題:ー邪馬台国時代時代を探るーが本日(9月21日)から始まります。

案内のリーフレットを添付しておきます。
興味のある方は是非、観覧してください。

上の写真はリーフレットの表面

上の写真はリーフレットの裏面

参考として卑弥呼の生きた時代の年表を添付しておきます。

卑弥呼の生きた年代
生誕:不明 死去:248年頃
関連事項 189年頃 共立される(魏志倭人伝より)倭国大乱は147年から189年
     239年、243年、247年 魏に使者を送る(魏志倭人伝より)
     239年 卑弥呼がナシメ(難升米)を使者として魏に送る
     魏の王より卑弥呼の使いが100枚の銅鏡、金印を賜ったことで有名
         金印には「親魏倭王」と刻印されている。
     240年 魏の使者梯儁(ていしゅん)が卑弥呼のところにくる
       この頃、邪馬台国と狗奴国(くなこく)との争いが激しくなる
     243年 卑弥呼がウキグ(伊声耆)、ヤクヤコ(掖邪狗)を魏に送る
     245年 卑弥呼が魏の使者に送る。狗奴国との様子を告げる。
     247年 卑弥呼、狗奴(くな)国王と戦う
     248年 卑弥呼死去後内乱起きるが宗女台与(とよ)が女王となり治まる
         邪馬台国が狗奴国を滅ぼす
     266年 邪馬台国女王台与( 壱与)、西晋に献使
     こののち日本では国内の統一が進み大和朝廷が成立する。

2017年3月28日に訪問した大阪府立弥生文化博物館の展示及び資料より
卑弥呼に関連する資料をピックアップして写真紹介します。
出典が非表示の写真は大阪府立弥生文化博物館の展示からです。

卑弥呼の登場によりムラの段階からクニ(邪馬台国)へと移行していった
ことを説明したパネル
写真に卑弥呼の館(1番上の建物)が描かれています。
吉野ケ里遺跡は佐賀県吉野ケ里町と神埼市にまたがる遺跡群。国内最大規模の環濠集落跡がある。
弥生時代前期に2・5ヘクタールだった集落が中期に20ヘクタール、後期には
40ヘクタール超に拡大しており、小さなムラがクニに拡大する過程が確認できるとして
1991年に国特別史跡に指定された。
約600メートル続く甕棺墓(かめかんぼ)列や、銅剣などを副葬した弥生時代中期の有力者の墓が見つかっている

邪馬台国の組織
上の写真は邪馬台国の組織図
出典:歴史人 2023年10月号(No.154) Page34
卑弥呼が生きていた頃、万物を支配する力を人々は「神」と呼んでいた。
山にも海にも川にも、その他すべてのものには「神」が宿っていると考えられていました。
神に一番近いのが遠い祖先の霊。祖先の言葉を理解し、神の声を聞き取ることが出来る人を
「巫女」と呼び人々は崇めた。卑弥呼は巫女でも一番偉い巫女の女王。
邪馬台国の女王でもあった。卑弥呼には弟王のトネリが居た。
卑弥呼には夫はおらず、弟の王が卑弥呼を助け、政治の補佐をして国を治めていた。
トネリには側近で邪馬台国の政治を取り仕切っているナシメ(難升米)がいた。
卑弥呼が女王になって以降、卑弥呼の顔を見たものは皆無であった。
卑弥呼の言葉は全て弟王によって人々に伝えられた。

箸墓古墳の関する説明パネル

上の写真は箸墓古墳が卑弥呼の墓の候補であるとした根拠を示す土器のAMS年代測定結果
を説明したパネル  

卑弥呼の館

上の写真は卑弥呼の館の模型展示


上の2枚の写真は復元 卑弥呼の館 縮尺模型1/50
右半分(上) 左半分(下)
上の写真は卑弥呼の住まいの中心部 卑弥呼は神殿の奥に住んでいます。


卑弥呼の宝石箱


上の写真は吉野ケ里遺跡の出土品を復元した「胸飾り」と「ガラス管玉」
出典:兵庫県立考古博物館の春季特別展「弥生時代って知ってる?」2021年7月4日、観覧 

卑弥呼と鏡の世界
魏の年号である景初3年(239)卑弥呼は魏へ使いを送った。これに対して、魏の皇帝の曹芳は
卑弥呼を親魏倭王に封建した。さらに銅鏡100枚を授けた。
景初3年の年号の入った三角縁神獣鏡は島根県の神原神社古墳より1面出土している。
この三角縁神獣鏡は卑弥呼が連合国に分与した1枚であるという説もあるが疑問視されている。





漢委奴国王の金印



上の2枚の写真は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印の複製品
と説明パネル。倭の字がにんべんが無いことに注目。
天明4年(1784)福岡市の志賀島(しかのしま)で出土(甚兵衛さんが発見)
重さ109g 一辺2.3cmの角印  現物は福岡市立博物館蔵
上の写真は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印の複製品 の展示
出典:兵庫県立考古博物館の春季特別展「弥生時代って知ってる?」2021年7月4日、観覧 
西暦57年、九州北部の玄界灘に面した奴国の王が中国の都・洛陽に使者を送り金印を授与した。

魏志倭人伝



「中平」年銘の鉄刀

上の写真は「中平」銘の太刀の説明パネル
上の写真は「中平」銘の太刀の展示(左)、卑弥呼の食卓の展示(中)と
卑弥呼の宝石箱の展示と説明パネル(右)の遠景

邪馬台国の候補地


上の写真は邪馬台国とその周辺諸国の推定地(九州説&畿内説)
出典:真鍋和子著 邪馬台国の女王卑弥呼(1997)Page21
上の写真は魏志倭人伝にみる邪馬台国への道
出典:帝国書院 地図で訪ねる歴史の舞台(2016)Page41

邪馬台国の戸数は7万戸ということから畿内又は九州に絞られます

九州北部の弥生遺跡
上の写真は弥生遺跡の中で先進的な技術である銅剣、銅鐸、銅矛、銅戈、ガラス玉、銅釧、鏡
などを製造するための鋳型の遺物を出土した弥生遺跡です。
九州北部では鋳型が出土した弥生遺跡は多く古くから先進的な地域であったことが判ります。


上の写真は鋳型の種別。

近畿地方の弥生遺跡
上の写真は同じく鋳型が出土した近畿地方の主な弥生遺跡
邪馬台国との関連で言えば唐古・鍵遺跡が纏向遺跡(邪馬台国の候補地)のすぐ近くに立地

池上曽根遺跡
上の写真は池上曽根遺跡の発掘の歴史とムラの歴史
上の写真は池上曽根遺跡周辺の地形図(推定図)
上の写真は池上曽根遺跡から出土の木製呪術具(左の2つ)
上の写真は池上曽根遺跡の復元された大型建物



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祝 大谷選手 50-50達成 on 2024年9月19日(米国現地時間)

2024年09月20日 12時21分16秒 | Gooニュース

大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(30)が9月19日(日本時間20日)、
メジャー史上初の「50本塁打、50盗塁」を達成しました。

本日(9月20日)の朝、7時台にNHKBSを視聴していた時に臨時ニュースが有り
知りました。心より祝したいと思います。

試合前、48本塁打、49盗塁であった。

大谷選手はマーリンズ戦に1番指名打者で出場し、1回に三盗、2回に二盗を決めて51盗塁とすると、6回に右翼に2ラン、7回にも左越え2ランを放って50本塁打に到達し、9回に51号右越え3ランを放った。

この日は6打数6安打10打点と大活躍した大谷翔平選手は50-50越えの51-51の大記録も達成した。
チームの勝利にも貢献した。

上の写真は50本塁打を達成した瞬間。
出典:2024年9月20日 8時台のNHK総合テレビ

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