図書館から神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲 のじぎく文庫(1972)を
借り、読んでいる関係で神戸大空襲についてもとめてみました。
「神戸大空襲(こうべだいくうしゅう)とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)末期に
アメリカ軍が繰り返し行った、神戸市およびその周辺地域に対する戦略爆撃・
無差別攻撃の総称である。
特に兵庫区や林田区など西神戸に大きな被害を出した1945年(昭和20年)
3月17日と、東神戸および阪神間の町村を壊滅させた同年6月5日の爆撃を
指して用いられることが多い。」以上はWikipediaより引用
原文は下記のサイト。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Kobe_in_World_War_II
上記2回の空襲に2月4日の神戸市街地への空襲、5月11日の川西航空機
(現新明和工業)甲南製作所への空襲、8月6日の西宮から御影市街地の空襲を
加えた計5回の空襲が大規模なものであった。
5回の空襲について概要をまとめたのが下記である。
出所は神戸市文書館のサイト。
(タイトルは米軍資料にみる神戸大空襲)
昭和20年(1945)
月日 機種 機数 弾種 トン数 第一目標
2月 4日 B29 69 焼夷弾、破砕弾 172.8 神戸市街地
3月17日 B29 307 焼夷弾、破砕弾 2328.1
5月11日 B29 92 爆弾 459.5 川西航空機深江製作所
6月 5日 B29 474 焼夷弾、破砕弾 3079.1
8月 6日 B29 250 焼夷弾、破砕弾 2003.9 阪神地域
上記の図書館から借りた本には3月17日の夜間大空襲で兵庫区、林田区、須磨区
湊東区、葺合区を中心に2,558人の死者があったと記されています。
5月11日の本庄村青木の川西航空機を第1目標とした空襲は工場従業員138人の
死者とわずか30分ほどの空襲で計1,203人の死者が出た。
6月5日の空襲では葺合区で1,041人、生田区で815人、須磨区で720人など
合計3,184人の死者があった。
8月6日 午前2時台の西宮、芦屋を中心とし姫路までの広域での空襲で
930人を上回る死者が出た。
昭和20年2月6日から8月6日までの空襲による神戸市街地での死者は6,235人
(神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲 のじぎく文庫(1972) Page136より引用)
本には終戦間際にB29が投下したビラを紹介している(Page244)
ここで初めて1945年7月26日のポッダム宣言の諸降伏条件が
紹介され日本政府が受諾することを連合軍が希望しているという内容が
書かれています。(下の写真)
さらに、神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲のPage146からPage170に
明石の空襲について記述されています。
昭和20年1月19日川崎航空機明石機体工場の爆撃の惨状と6月9日の上ノ丸
の惨状について記述されています。
明石の空襲については小生の下記のBlogを参照してください。
明石空襲の碑
昭和20年(1945)1月19日 3時51分 米軍8機による川崎航空機工場への
空襲があり263人の死者が出たこと、明石公園で同年6月9日9時54分
米軍9機による空襲があり269人の死者が出たこと、同年7月7日 0時15分と
1時35分 の空襲で市街地の63%が消失し355人の犠牲者が出たことなど
合計1,496人が空襲の犠牲になったことが記載されています。
東京大空襲について書いた記事の中に川崎航空機明石機体工場の爆撃の計画が
記載されています。(1945-1-19 明石空襲 ミッションNo. 20)
NHKスペシャル 東京大空襲を視聴して (小生のBlog)で紹介しています。
参考サイト
https://www.youtube.com/watch?v=8iEKnWSlZow
借り、読んでいる関係で神戸大空襲についてもとめてみました。
「神戸大空襲(こうべだいくうしゅう)とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)末期に
アメリカ軍が繰り返し行った、神戸市およびその周辺地域に対する戦略爆撃・
無差別攻撃の総称である。
特に兵庫区や林田区など西神戸に大きな被害を出した1945年(昭和20年)
3月17日と、東神戸および阪神間の町村を壊滅させた同年6月5日の爆撃を
指して用いられることが多い。」以上はWikipediaより引用
原文は下記のサイト。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Kobe_in_World_War_II
上記2回の空襲に2月4日の神戸市街地への空襲、5月11日の川西航空機
(現新明和工業)甲南製作所への空襲、8月6日の西宮から御影市街地の空襲を
加えた計5回の空襲が大規模なものであった。
5回の空襲について概要をまとめたのが下記である。
出所は神戸市文書館のサイト。
(タイトルは米軍資料にみる神戸大空襲)
昭和20年(1945)
月日 機種 機数 弾種 トン数 第一目標
2月 4日 B29 69 焼夷弾、破砕弾 172.8 神戸市街地
3月17日 B29 307 焼夷弾、破砕弾 2328.1
5月11日 B29 92 爆弾 459.5 川西航空機深江製作所
6月 5日 B29 474 焼夷弾、破砕弾 3079.1
8月 6日 B29 250 焼夷弾、破砕弾 2003.9 阪神地域
上記の図書館から借りた本には3月17日の夜間大空襲で兵庫区、林田区、須磨区
湊東区、葺合区を中心に2,558人の死者があったと記されています。
5月11日の本庄村青木の川西航空機を第1目標とした空襲は工場従業員138人の
死者とわずか30分ほどの空襲で計1,203人の死者が出た。
6月5日の空襲では葺合区で1,041人、生田区で815人、須磨区で720人など
合計3,184人の死者があった。
8月6日 午前2時台の西宮、芦屋を中心とし姫路までの広域での空襲で
930人を上回る死者が出た。
昭和20年2月6日から8月6日までの空襲による神戸市街地での死者は6,235人
(神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲 のじぎく文庫(1972) Page136より引用)
本には終戦間際にB29が投下したビラを紹介している(Page244)
ここで初めて1945年7月26日のポッダム宣言の諸降伏条件が
紹介され日本政府が受諾することを連合軍が希望しているという内容が
書かれています。(下の写真)
さらに、神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲のPage146からPage170に
明石の空襲について記述されています。
昭和20年1月19日川崎航空機明石機体工場の爆撃の惨状と6月9日の上ノ丸
の惨状について記述されています。
明石の空襲については小生の下記のBlogを参照してください。
明石空襲の碑
昭和20年(1945)1月19日 3時51分 米軍8機による川崎航空機工場への
空襲があり263人の死者が出たこと、明石公園で同年6月9日9時54分
米軍9機による空襲があり269人の死者が出たこと、同年7月7日 0時15分と
1時35分 の空襲で市街地の63%が消失し355人の犠牲者が出たことなど
合計1,496人が空襲の犠牲になったことが記載されています。
東京大空襲について書いた記事の中に川崎航空機明石機体工場の爆撃の計画が
記載されています。(1945-1-19 明石空襲 ミッションNo. 20)
NHKスペシャル 東京大空襲を視聴して (小生のBlog)で紹介しています。
参考サイト
https://www.youtube.com/watch?v=8iEKnWSlZow