住居形の埴輪(幅43cm、高さと奥行き33cm)は赤く彩色され、
住居形の埴輪(幅43cm、高さと奥行き33cm)は赤く彩色され、
1952年頃から学習院大学と理化学研究所で研究を開始。
1961年 マリー・テーマーズらが液体シンチレーション法を開発。
1979年 民間の測定請負会社が設立される。
大気中の14C濃度が一定で半減期が5568年として算出された14C年代に対し、過去の 宇宙線強度や地球磁場の変動による大気中の14C濃度の変動、及び
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20210917k0000m040198000c
福岡県古賀市教育委員会は9月17日、船原古墳から朝鮮半島から渡来してきた
鉄兜の一種である竪矧板革綴冑(たてはぎいたかわとじかぶと)を確認したと発表した。
縦長の鉄の板(幅約4・5~5センチ、長さ約14センチ)22枚を革ひもでとじた形状で、
同形状の冑の出土は国内で7例目、九州・山口では初。
5世紀後半~6世紀前半の朝鮮半島で出土する冑の構造と近い。
冑は古墳の石室入り口の1号土坑で出土した。
船原古墳について過去に書いたブログは以下のとおりです。
福岡県 古賀市 船原古墳から出土の金銅製装飾馬具 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
2014年5月10日 NHK Eテレで下記の内容の番組を録画を最近、視聴しました。
ETV特集「発見!謎の金銅製馬具~古代日本と朝鮮半島の交流史~」
平成25年(2013)3月、福岡県古賀市で朝鮮半島の新羅からもたらされたと見られる
金銅製装飾馬具が発見された。韓国では、これまで日本独自のものと見られていた
前方後円墳や“倭系甲冑”と呼ばれる日本由来の武具が発見されるなど、古代の日本と
朝鮮半島の交流の歴史に新たな見方を与える発見が相次いでいる。番組では最新の
調査と日韓の考古学者の議論を通して、古代の日本と朝鮮半島の交流史を探っていく。
出演者【出演】慶北大学校教授…朴天秀、国立歴史民俗博物館教授…松木武彦、
【キャスター】礒野佑子
本ブログでは船原(ふなばる)古墳から出土の金銅製装飾馬具に焦点を絞り、
発掘調査の報告書の内容も踏まえて纏めてみました。
尚、上記番組内容全体を下記サイトで纏められていますのでリンクさせていただきました。
http://inoues.net/museum2/5gatsu10nichi.html(邪馬台国大研究)
参照資料
1)船原古墳Ⅰ 古賀市文化財調査報告書68集 古賀市教育委員会 2016年3月31日
2)船原古墳Ⅱ 古賀市文化財調査報告書73集 古賀市教育委員会 2019年3月31日
3)国史跡船原古墳保存活用計画 古賀市 2018年3月
4)上述のNHK Eテレ番組
5)時を越えた宝箱 船原古墳遺物埋納坑 古賀市教育委員会
6)奈良市埋蔵文化財調査センター作成の資料
7)森浩一 日本古代文化の探求 馬 社会思想社 昭和49年(1974)10月30日
古賀市と船原古墳の位置
上の写真は古賀市の位置図 出典:3)のPage11
上の写真は船原古墳の位置図 出典:3)のPage12
船原古墳の航空写真
上の写真は船原古墳の航空写真 出典:4)
1号土坑の位置図
上の写真は1号土坑の位置図 着色部 出典:1)のPage76
1号土坑から出土の遺物
上の写真は発掘調査時の1号土坑の写真 出典:3)のPage39
上の写真は1号土坑遺物出土状況 出典:2)のPage9
船原古墳は、6世紀末から7世紀初頭に造られた、現存長37.4m、復元全長45m以上の
前方後円墳です。また、古墳に隣接して発見された遺物埋納坑からは、多数の豪華な
馬具をはじめ、総数500点を超える出土品が見つかりました。
平成25年(2013)4月に現地説明会が行われ、出土した豪華な馬具が大きな話題となりました。
遺物埋納坑から見つかった出土品の中には、国内初の発見であるガラス製の飾りが付いた
雲珠・辻金具や、国内3例目となる馬冑など希少なものが含まれていることが分かりました。
それらの出土品の類例は、朝鮮半島のみであるいは朝鮮半島で多く確認されています。
また、古墳の石室内ではなく墳丘の外に掘った土坑に多量の品々を埋めるという例自体、
国内初のものです。
上述のTV番組ではヤマト王権との関係から古賀市の首長が新羅の支配者から送られた
豪華な馬具を急いで隠すために埋めたものと推測されていました。
527年に筑紫国国造磐井の乱があり528年にヤマト王権から派兵された物部 麁鹿火
(もののべ の あらかび/あらかい)により鎮圧されましたが磐井の嫡嗣の葛子は
身の危険を感じ、当時海上交通の拠点であった糟屋屯倉(かすやのみやけ)を
ヤマト王権に差し出したと日本書紀に記載されています。
その糟屋屯倉は船原古墳の周辺にある鹿部田渕遺跡が有力な候補地となっています。
馬具の各部名称
上の写真は主な馬具の名称 出典:5)
上の写真は馬具の各部名称 出典:6)のPage5
馬具の歴史と馬具の各部の役割概要
上の写真は馬具の歴史と各馬具の役割説明 出典:5)
上の写真は姫塚古墳から出土の馬形埴輪に付記そや馬具の名称 出典:7)のPage65
出土した馬具
上の写真は金銅製歩揺付飾金具(雲珠)のCG 出典:4)
上の写真は雲珠(うず)の周辺の辻金具と杏葉(ぎょうよう) 出典:4)
上の写真は馬具の全体 CG画像 出典:4)
鈴も金銅製です。
上の写真は辻金具(イモガイ装飾)の出土状況とCG画像 出典:4)
上の写真はガラス装飾辻金具 鶏林路14号は嘉出土 出典:4)
上の写真は金銅製鳳凰文心葉形杏葉(ぎょうよう)のCTスキャン像 出典:4)
上の写真は馬冑(ばちゅう) 出典:3)Page45
関連動画
VR船原古墳~最先端技術で古代九州北部を読み解け~ / ミライアングル
2020年3月1日、兵庫県立考古博物館で表題の展示がされていました。
展示内容を写真紹介すると共に発掘現場の福田小川原遺跡(たつの市誉田町)に
ついても概要を紹介します。
展示内容
上の写真は福田小川原遺跡(たつの市誉田町)から出土した四つ葉の形をした瓦質の硯(すずり)
硯は、鎌倉時代の土師器の羽釜や須恵器の甕、白磁の皿などとともに、たくさんの河原石と
一緒に穴の中から見つかりました。このことから硯は約800年前と同定されています。
上の写真は展示されていた場所での説明パネル。
発掘担当者は兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部の松崎光伸さん
文章が読み難い場合は下記のPDFファイルを参照願います。
http://www.hyogo-koukohaku.jp/events/p6krdf0000007no2-att/mainhall_report_202003.pdf
福田小川原遺跡
福田小川原遺跡(たつの市誉田町)は林田川左岸の沖積地に立地しており斑鳩寺などで
有名な太子町との境界地。
国道179号の拡幅工事に伴い発掘調査されました。
発掘調査の結果、弥生時代から中世にかけての遺構が見つかっています。
主な遺構は弥生時代の溝、古墳時代から飛鳥時代の竪穴住居跡4棟、中世墓5基、中世の溝
竪穴住居跡はいずれも方形で、住居内から台石、砥石、煮炊きや貯蔵用土器など生活に
密接した遺物が出土しています。
四つ葉の形をした硯(すずり)の出土例
岐阜県丸石古窯跡群:https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/27221/ibutsu/tono_ibutu/chm-84-152.html
ふくやま草土千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/25q00241.html
岡山県笠岡市園井土井遺跡:
http://www.tok2.com/home/ryutaroh/Imai/SonoyiDoiIseki/DoyiIseki.html
NHKラジオでは標題の番組が放送されています。
本日の放送からNHKラジオが選択したItemsを紹介します。
昭和22年(1947) 東京都35区から22区に
昭和36年(1961) 日光東照宮の薬師堂が火災で焼失
昭和47年(1972) 沖縄返還が確定(批准書が締結)
平成29年(2017) 警察が逮捕令状ない状態でのGPS捜査に違法判決
今日は何の日Web
上記のサイトにはNHKラジオでの記載以外の記事もたくさん載っています。
Wikipediaで記載事項も含めてその他の記事を添付しておきます。
その他の記事の一部です
797年(延暦16年2月13日) 『続日本紀』全40巻が完成する。
1521年-マゼランがフィリピンに到達
1717年(享保2年2月3日) - 徳川吉宗が大岡忠相を江戸南町奉行に登用する。
1774年 - ジョゼフ・プリーストリーが酸素を発見。
1781年 - アメリカ独立戦争: ギルフォード郡庁舎の戦い
1806年(文化3年1月26日) - 江戸幕府が文化の薪水給与令(撫恤令)を出す。
1890年 - 琵琶湖疏水の第1期工事が竣工。
1895年 - 京都で平安遷都1100年を記念して平安神宮を創建。
1906年 - ロールス・ロイス創業。
1917年-ロマノフ王朝が滅亡、ロシア2月革命成立
1920年-金融恐慌始まる
1927年-東京で銀行取り付け騒ぎ。昭和恐慌
1928年-共産党員1600余人を検挙。3・15事件
1957年-衆議院が原水爆禁止を決議
1972年-新幹線新大阪~岡山開業
写真が無いと寂しいので最近撮った写真を添付しておきます。
上の2枚の写真は須磨パティオの花壇 撮影:2020-3-13
1997年7月14日、天理市教育委員会は天理市中山町の3世紀末~4世紀初頭の前方後円墳
東殿塚古墳で舳先に鳥が止まった船の線刻画が見つかったと発表しました。
線刻画は鰭付き円筒埴輪に描かれています。1号から3号まで3つの船画があります。
上の写真は東殿塚古墳1号船画です。
この船画が描かれた背景について考察していきたいと思います。
東殿塚古墳の発掘調査を担当した天理市教育委員会技師の青木勘時さんは次のように
語っておられます。
「壮大な船画を描いた埴輪を墓前に樹立させてしまうほどの被葬者は、まさに大王としての
威厳をもった人物と思う。古墳祭祀のスタイルを確立しようとした東殿塚古墳の造営の
思想的背景に、海の向こうのあの世に渡るという葬送観があったことを示している。」
上の写真は東殿塚古墳の1号船画と2号船画
上の写真は東殿塚古墳の1号船画と2号船画の実物 撮影:2019-11-30
兵庫県立考古博物館の展示
上の写真は兵庫県立考古博物館の展示の説明パネル 撮影:2019-11-30
上の写真は東殿塚古墳 裏面 3号船線刻画の展示 撮影:2019-11-30
3号船画は裏側に描かれています。
3号船画は参照サイトの1)でも確認できます。
出典:天理市埋蔵文化財調査報告 第7集 西殿塚古墳.東殿塚古墳(2000)Page89
船に乗り他界へ向かう人物までは描かれていないが高貴な人物にのみ使用された衣笠が
船上に描かれています。
舳先に近い大きな屋形には船の主人公(被葬者)が入り、船尾側の小さな屋形には魏志倭人伝
に書かれている持衰(じさい)が入っていたものと推察されます。
持衰は航海中衣服は汚れたまま、髪や髭の手入れは許されず、ノミ・シラミをとることも
ままならず、肉は食べられず女性もダメというタブーを守らせる人のことで、航海が無事に
終われば、大事にまつりあげられるが、そうでない場合は殺されてしまいます。
舳先には鶏がとまって被葬者の水先. 案内役をつとめています。
船は波除板なみよけいた(竪板)を取り付けた外洋を航行できる準構造船である。
当時、田原本町の唐古・鍵遺跡あたりまでは大阪湾から大和川でこのような大型船が
入港していたと考えられます。
船と葬送に関する遺物には上述の埴輪船画(天理市・東殿塚古墳)の他に次のようなものがあります。
船形木棺(埼玉さきたま稲荷山古墳・静岡県若王子古墳群・千葉県大寺山洞穴など)
船形埴輪(三重県宝塚一号墳、兵庫県池田古墳など)
上の3枚の写真は兵庫県立考古博物館の展示の宝塚1号墳の船形埴輪の展示
撮影:2019-11-30
船形屍床(熊本県石貫穴観音横穴群など)
船の古墳壁画(福岡県五郎山古墳・珍敷塚(めずらしづか)古墳・鳥船塚古墳など)
上の2枚の写真は兵庫県立考古博物館の展示「古墳と船と他界」
上の2枚の写真は兵庫県立考古博物館の特別展示「埴輪の世界」のリーフレット
参照サイト:
1) https://74589594.at.webry.info/201010/article_3.html
2) 天理市埋蔵文化財調査報告 第7集 西殿塚古墳.東殿塚古墳(2000)PDFファイル
3) https://www.city.matsusaka.mie.jp/uploaded/attachment/13645.pdf
4) http://www.hyogo-koukohaku.jp/publication/remains/5tpuaj0000003t9i-att/5tpuaj0000003t9q.pdf
5) 春成秀爾 著 国立歴史民俗博物館研究報告 第80集 1999年3月 埴輪の絵 PDFファイル
飛鳥寺の東南部の飛鳥池遺跡(明日香村村岡)で「飛鳥寺」と記載された木簡が出土したと
国立奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部より1997年9月7日に発表されました。
このニュースをレビューしました。
日本で最古の寺院とされる飛鳥寺の名称が文献以外で確認されたのは初めてで、日本書紀
(720年)の記述をさかのぼる藤原京期(694-710)から飛鳥寺の名称が使用されていた
ことが明らかになりました。 奈良新聞:1997-9-8
上の写真は飛鳥寺の文字が確認できた木簡。
「世牟止言而□□本止飛鳥寺」(~せむと言いて□□本と飛鳥寺)と読める
同時に出土した木簡に大宝元年以前の行政区分を示す「評」の文字があることから。
大宝元年(701)以前に飛鳥寺という名称が使用されていたことが判明した。
飛鳥寺は持統天皇(687-697)の時代に大官寺、坂田寺、川原寺、豊浦寺と共に
飛鳥五大寺であった。
飛鳥寺(安居院)の基本情報
住所:奈良県高市郡明日香村飛鳥682 TEL:0744-54-2126
宗派:真言宗豊山派 御本尊:飛鳥大仏(釈迦如来) 山号:鳥形山
法号:法興寺、元興寺
開基:蘇我馬子 推古4年(596)
飛鳥寺への訪問記