CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

Kazu passion 南園でのランチ on 2016-11-2

2016年11月29日 05時50分15秒 | 神戸情報
2016年11月2日にいただいたKazu passion 南園でのランチを
写真紹介します。

以前は「Chinese 南園」や「中国菜館南園」として紹介しています。
お店を改装され一新しました。

Kazu passion 南園の基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2丁目12-28 TEL:078-781-3467
ジャンル:中華料理
営業時間:11:30~15:00(LO 14:00)17:30~22:00(LO 20:30)
定休日:火曜日(変更)


地図は下記ブログに掲載しています。
 中国菜館南園でのランチ on 2014-12-7

当日はPassionランチ1,500円(税別)を注文しました。


最初に出てくるサラダです。


マヨネーズの味がすばらしいエビ盛りです。奥様が特にお気に入り。


当日のメイン 豆腐と明石鯛


炒飯




デザート(杏仁豆腐)と飲み物(コーヒー)


上の写真はメニュー板です。
定休日が月曜から火曜日に変更


上の写真は正月のおせち料理のPRポスター


上の写真は改装された店の外観です。

参考のため2010年11月6日に撮影した店の外観を添付しておきます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKテレビ 視点・論点「冥王星が見せた素顔」を視聴して

2016年11月28日 05時01分55秒 | Weblog
本日(2016-11-28)、表題の番組を視聴した。

NASAの冥王星探査機「ニューホライズンズ New Horizons」が10年前の
2006年に打ち上げられて順調に飛行しており、2016年7月14日、冥王星(Pluto)
に最接近し地球にデータを送出してから2016年10月17日にデータ送出が
終了した。今までに得られた知見から会津大学准教授の寺園淳也氏が解説されました。

ニューホライズンズが10月17日までに送出してきたデータ量は50GB


An overhead view of Wright Mons, one of two potential cryovolcanoes on Pluto
上の写真はライト山と名付けられた冥王星の高山
高さ:4,000m級 直径:160Km 火山の火口部が見える 火山の噴出物:氷

 さらに詳細は下記サイト
  http://www.nature.com/news/icy-volcanoes-may-dot-pluto-s-surface-1.18756


上の写真は冥王星の全体図真ん中下部のハート形の部分は衝突によりできた
クレーターと推定されている


上の写真は冥王星の雲
N2(窒素)が主成分の大気が存在し対流もある
冥王星の大気は炭素 carbon と窒素 nitrogenの複合体


上の写真は冥王星の衛星カロン=Charonで観測の渓谷

NASAの冥王星探査機「ニューホライズンズ New Horizons」は今後も
飛行を続けており太陽系以外の天体「カイパーベルトKuiper belt天体」に
2019年1月1日に最接近しデータを送ってくる予定とのこと。
カイパーベルト天体の名称は「2014 MU69」


上の写真は解説者の寺園淳也氏

ここまでが視聴内容に関するものです。ここからは関連事項です。

冥王星の基本情報
 分類:準惑星 dwarf planet
 発見者:Clyde W. Tombaugh  発見日:1930-2-18
 直径:2,390Km  表面温度:-230~-210°C 太陽との距離:59億Km
 平均軌道速度:4.7Km/秒


冥王星に関する疑問点を整理すると下記のとおり

 1)冥王星の大気の有無

 2)冥王星の表面の様子
   亀裂、クレーターの存在。有機物の存在で色鮮やかか?
   土星の衛星エンケラドスのような間欠泉があるかどうか

 3)上記の他の衛星がないかどうか

 4)46億年前の原始太陽系の姿がどうであったか?推測

 5)海王星の衛星トリトンとの類似性?

その他 冥王星にあると推察されている物質 N,CO,CH4の存在の確認

冥王星の表面の氷の層の下に海が存在しているかどうか?

冥王星の核を形成している放射性物質 U238やK40の確認


ニューホライズンズ主任研究員 Alan Sternさん指摘の判明点
 出典:https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/909_newhorizons

 1)予想を超えた冥王星と衛星の複雑さ

 2)冥王星表面で今も続いている地質学的な活動の度合い、複数の若い地形

 3)冥王星におけるもやの存在と、予想以上に低かった宇宙空間へ大気が逃げ出す割合
     (フライバイ以前のすべての予想を覆すほどのレベル)

 4)地殻運動でできた、衛星カロンの赤道に沿った帯状の地形。
  ずっと昔にカロンに存在していた水の氷の海が凍ってしまった可能性を示唆。さらに、
  現在も冥王星内部に水の氷の海が存在している可能性

 5)すべて冥王星の衛星について、表面のクレーターから推定される年齢は同じ。
  衛星は昔カイパーベルトで起こった冥王星と他の天体との衝突でできたという理論を支持

 6)暗く赤いカロンの極冠は、太陽系の中でも他に例がない。冥王星から大気中の
   ガスが逃げ出し、カロンの表面に蓄積したのかもしれない

 7)冥王星に1000kmにわたって広がるハート形をした窒素の氷河(スプートニク平原)
  は、これまでに太陽系内で知られている氷河としては最大

 8)冥王星の大気は青い

 9)冥王星に大きな気圧の変化を示す証拠。さらに、表面を流れていたか溜まっていた
   揮発性の液体(太陽系内では地球と火星、土星の衛星タイタンにしか見られない)
   が過去に存在した可能性も

 10)新たな冥王星の衛星が発見されなかったのは予想外




上の写真は2015年5月31日NHK Eテレで再放送のサイエンスZEROの番組より
冥王星の5つの衛星を示しています。
カロン=Charon、「ニクス=Nix」「ヒドラ=Hydra」
「ケルベロス=Kerberos」「ステュクス=Styx」

NASAのNew Horizons Misson
https://www.nasa.gov/mission_pages/newhorizons/main/index.html

科学雑誌Natureに掲載の記事
  http://www.nature.com/news/pluto-1.16928

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加古川市平岡町山之上遺跡と潰目池 on 2016-11-26

2016年11月27日 05時09分26秒 | 神戸市以外の兵庫県
2016年11月26日(土)に表記の加古川市平岡町山之上遺跡、潰目池に行って
きましたので写真紹介します。

(山之上住吉神社の遠景 ご祭神:底筒男命、表筒男命、中筒男命、息長足姫命)

  (拝殿の前には文政12年(1829)銘の狛犬)

  (摂社 王子権現社)

  (摂社:左より船玉神社、厳島神社、土地神社、王子神社、大歳神社)

上の4枚の写真は加古川市平岡町山之上(やまのうえ)にある山之上住吉神社です。
ここの境内も山之上遺跡の一部であり2005年に15本のトレンチ調査が行われ
トレンチ5より大中遺蹟と同じような住居跡が、またトレンチ3から土器棺墓が
出土しています。

山之上遺跡について現地の説明板(下の写真)より引用させていただきます。



潰目池の池底からは、先土器時代(無土器時代又はプレ縄文時代ともいい、
縄文以前で、今から一万年以前、人間がまだ土器を造らず、石器のみで
生活していた時代)の人々が利用していた石器(宮田山式石器、井島式石器)が
発見されている。
このことから、昔はこの池も一面に木が生い茂り、当時の人々が生活の場として
使っていたことがわかる。
 また、この東に隣接して国指定史跡の大中遺跡(弥生時代後期 今から
1800年位以前の遺跡)があり、この住吉神社境内にも地続きであるため、
大中遺跡と同じ弥生時代の遺跡が埋蔵されているものと考えられている。

   平成11年 3月    加古川市教育委員会





上の2枚の写真は潰目池(つぶれめいけ)

潰目池(つぶれめいけ)の底から旧石器時代のサヌカイト製の道具が
昭和37年(1962)に発見されました。
発見者は大中遺跡を発見した3人の中学生の一人、朝原重利氏で
朝原氏が潰目池の底から採集してきたサヌカイト片の中に旧石器時代の
道具が含まれていることを当時大中遺蹟で発掘調査に来ていた明治大学の
学生が鑑定した。

昭和51年3月の調査で潰目池の底から20点ばかりの旧石器が発見された。
鑑定の結果、これらは約2万年前の石器であった。
旧石器の一部は、播磨町郷土資料館に展示されている。

2号線ゴルフセンターという名前の打ちっぱなしのゴルフ練習場があります。
すべてが池ポチャの練習場でここで練習をすると池ポチャモードになりそうです。
潰目池(つぶれめいけ)は江戸時代の「潰れ地切れ目の池」が変化したものと言われ
大中遺蹟や山之上遺跡が標高13m程度あるのに対して地盤が崩れて2m程度の
割れ目、裂け目ができて、そこに池が造られたのが潰目池の起源であると考える
意見があります。
昔潰目池で捕れた魚は全て目が潰れていたことからこのような名前が付いたという
伝説もあります。


上の写真は昭和41年10月から昭和49年3月に行われた団体営團場整備事業
の竣工記念碑です。裏面に詳細な事業内容が記載
山之上、好古田、大中の全域と本荘、野添の一部が対象地域で約4億円の事業費が
投じられた。


上の写真は潰目池改修前の様子が判るもの(大中遺跡の説明板より)


上の写真は住吉神社と昔潰目池の間の土地にあったお地蔵様です。
本来は六地蔵であったのが一基欠けています。
上記のように土器棺墓が出土されておりこの付近は昔の墓地であったことが
想定される。

平成21年2月18日~3月21日に兵庫県立考古博物館により山之上遺蹟の調査
が行われています。 10個のトレンチ調査。
この調査で平成13年に確認されていた幅3m深さ1m大きな溝の遺構が
再確認された。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮前鉱山跡 江戸時代中期の銅精錬所跡の展示 in 兵庫県立考古博物館

2016年11月26日 05時23分40秒 | 神戸市以外の兵庫県
兵庫県多可町加美区多田の銅製錬遺跡「宮前鉱山跡」の発掘調査が今年の
6月から進められており2016年8月20日には現地説明会もあった。

兵庫県立考古博物館のメインホール展示で10月1日(土)~11月30日(水)の期間
上記の「宮前鉱山跡」の展示がされており私は10月14日と11月19日に訪問し
展示の写真を撮らせていただいたので紹介します。

兵庫県土木事務所による宮前東谷川の砂防事業に伴い発掘調査が行われました

上の写真は展示の説明パネル

より詳しい現地説明会資料は下記サイトより閲覧できます。
 https://www.hyogo-ctc.or.jp/ctc/business/storage/detail.php?p=47


上の写真は発掘された肥前系染付磁器碗で江戸時代中期(18世紀)のもの
これにより享保12年(1727)に銅精錬所の操業が開始されたと伝わる
言い伝えの裏付けがとれた。
北谷地区ではその後、約50年間操業されていたことも判明

北谷地区は谷の奥に坑道の入り口が複数あり、その手前の傾斜地に石垣で補強された
平坦面がみつかり、銅の精錬に伴う作業場、倉庫、休憩所などの建物が建っていたと
考えられます。建物の床面は土間のように3種の土を混ぜて固めた「三和土(たたき)」
も確認された。


上の写真は出土品の薄板状カラミ(製錬時に出る鉱石の不純物)

炉跡などメイン施設のほかに井戸跡、丹波焼の埋甕、貨幣「寛永通宝」三十数点や
キセル約10本など当時の生活を偲ばせる品々も発掘された。

周辺には勝浦鉱山跡(江戸時代中ごろから明治時代に稼働)や
久留寿(くるす)鉱山跡などがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸ハーバーランド 和食 六甲でのランチ on 2016-11-14

2016年11月25日 05時46分56秒 | 神戸情報
2016年11月14日、神戸ハーバーランド 和食 六甲でランチをいただき
ましたので写真紹介します。

2015年12月1日(火)、神戸情報文化ビル(カルメニ)の最上階18Fに
グランドオープンした店です。 20年間営業の「風」が店名を「六甲」として
新たに再スタートします。

和食 六甲の基本情報

住所:神戸市中央区東川崎町1-5-7 カルメニ18F TEL:078-335-8265
                   予約は078-360-5321
料理ジャンル:和食
営業時間:【ランチタイム】 11:00~15:00(L.O.14:00)
     【ディナータイム】
       日~金曜日 17:00~22:00(L.O.21:00 ドリンクL.O.21:45)
       土・祝前日 17:00~24:00(L.O.23:00 ドリンクL.O.23:45)


公式HP:http://www.rokko-kobe.com/

 Facebook:https://www.facebook.com/671049906307253/photos/pcb.951073494971558/951073468304894/?type=3&theater





当日は松花堂を注文しました。(上の2枚の写真)
通常 1,800円ですがRecipeの割引券で1,440円(税込)でいただきました。
写真には写っていませんが食後の飲み物もつきます。


上の写真はお店の入口付近の外観


上の写真はお店の中から観た景観 川崎重工業の工場方面


過去の訪問記
 神戸ハーバーランド 和食 六甲でのランチ on 2016-8-15

 神戸ハーバーランド 和食 六甲でのランチ on 2016-4-15
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人丸花壇 京 (ひとまるかだんみやこ)でのランチ on 2016-11-10

2016年11月25日 05時14分05秒 | 神戸情報
ほんじつは2016年11月10日、そごう西神中央店の5階に入っている
人丸花壇 京 (ひとまるかだんみやこ)でのランチを写真紹介します。

人丸花壇 京 (ひとまるかだんみやこ)の基本情報

住所:神戸市西区糀台5-9-4 そごう西神店 5F  TEL:078-992-1515
営業時間:11:00~21:00
公式HP: http://www.hitomaru-miyako.com/





当日いただいたのは釜飯御膳 1,700円(税抜)


上の写真はデザート

明石市の老舗「人丸花壇」の支店です。過去の訪問記にリンクしておきます。

明石人丸花壇での食事

人丸花壇 京 (みやこ)でのランチ on 2014-7-20

人丸花壇 京(そごう西神店 5階)でのランチ on 2016-4-8   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その4(最終回) 19番目の郭巨山~23番目の 船鉾

2016年11月24日 04時30分36秒 | 役立つ情報
過去3回、2016年7月17日に実施の祇園祭 前祭 山鉾巡行について
 第1回 1番目の長刀鉾~6番目の太子山 
 第2回 7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山
 第3回 13番目の鶏鉾~18番目の木賊山

 下記ブログで紹介した。

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その2  7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その3  13番目の鶏鉾~18番目の木賊山

今回はこのシリーズの第4弾(最終回)としての19番目の郭巨山~23番目の
船鉾までの山鉾巡行の様子を動画と写真で紹介します。
今回をもってこのシリーズを終了します。

19番目 郭巨山






上の3枚の写真は郭巨山(かっきょやま)の巡行


上の写真はJR京都駅に展示されていた郭巨山のコーナー

別名を釜掘山とも呼ばれ、古代中国の史話二十四孝の一人の郭巨(かくきょ)の
故事にちなんで造られています。故事の内容は「郭巨は貧困のため老母と三歳の
男子を養えなくなり山へ埋め捨てようとしたところ黄金の釜を掘り当て母親の
孝行をしたという」
山の人形は郭巨と童子


20番目 油天神山





上の3枚の写真は油天神山の巡行


上の写真はJR京都駅に展示されていた油天神山のコーナー

古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、
油小路通にあるところから「油天神山」と呼ばれる。
勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。
天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て鈴をつける。
見送は平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織


21番目 放下鉾


上の動画は放下鉾(ほうかほこ)の巡行

鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する
鉾頭には日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしている。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名された。
巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている
下水引は「華厳宗祖師絵伝」を下絵にした綴織


22番目 岩戸山


上の動画は岩戸山の巡行


上の写真は会所にあった岩戸鉾の説明板


上の写真は出発前の岩戸山

古事記、日本書紀に記されている「国生み」と「天の岩戸」の神話を
題材にした曳山(鉾と同様に車輪をつけた山)
天照大神、手力男命、伊弉諸尊の三体の御神体が祀られている。
前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯
見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織


23番目 船鉾


上の動画は船鉾の巡行


上の写真は出発前の船鉾

神功皇后の三韓征伐の説話により、軍船の形をしている。船鉾の船首には
想像上の鳥である鷁(げき)、船尾には飛龍紋の舵をつけ、神功皇后と
安曇磯良(龍神)・住吉・鹿島の三神を祀る。
神功皇后が巻いていた岩田帯が巡行後に妊婦に安産のお守りとして授与

最終回にあたり、祇園祭も含めた日本全国の練り物 (祭り)について概略の
一般論を考えてみたい。

祭りは神輿などを中心とした祭礼行列であり曳山、屋台、ダンジリ、山車、傘鉾
などは「風流」と呼ばれ本来意匠を施したり造り物を意味したものである。

Wikipediaによれば風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した
美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅
や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識されている


著名なものとしては今回紹介した祇園祭の曳山とともに日本の三大曳山である
飛騨高山祭、長浜曳山祭 注1)をはじめとして埼玉県秩父夜祭 注1)、博多祇園山笠、敦賀祭
大津祭、愛媛県西条祭、姫路灘のけんか祭、岸和田のダンジリ、播磨の布団太鼓
など枚挙に暇がない。

注1)Wikipediaでは日本の三大曳山は長浜曳山祭ではなく秩父夜祭としています

過去にブログを書いているものについてリンクしておきます。
2016年 海神社秋祭りの情報(布団太鼓)

長浜散策記 その7 曳山

松原八幡神社&八正寺訪問記 on 2014-7-13と灘のけんか祭り 宵宮 on 2014-10-14

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その3  13番目の鶏鉾~18番目の木賊山

2016年11月23日 05時01分54秒 | 京都情報
過去2回、1番目の長刀鉾~6番目の太子山 及び7番目の四条傘鉾~12番目の
保昌山までを下記ブログで紹介した。

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その2  7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山

今回はこのシリーズの第3弾として13番目の鶏鉾~18番目の木賊山の
山鉾巡行の様子を動画と写真で紹介します。

13番目 鶏鉾


上の動画は鶏鉾(にわとりほこ)の巡行の様子です。

堯(ぎょう、中国五帝の一人)の時代に天下がよく治まり太平が続き、
諫鼓(かんこ、訴訟用の太鼓)を使う機会がなくなり太鼓に苔が生えて
鶏が巣を作ったといわれる故事の心をこの鉾に移したものと伝えられます
「トロイの王子と妻子の別れ」を描いた見送は16世紀頃にベルギーで製作された
飾毛綴織(かざりけつづれおり:タペストリー)で国の重要文化財
丸山応挙やその流れをlくむ四条派による水引も必見



上の写真はJR京都駅のパネル展で展示の鶏鉾の解説


上の写真はJR京都駅のパネル展のポスター






上の3枚の写真は出発前の鶏鉾

14番目 伯牙山




上の2枚の写真は伯牙山(はくがやま)の巡行

中国周時代の故事で、琴の名手の伯牙が友人で自分の琴を理解してくれた
鐘子期(しょうしき)の死を聞いて琴の弦を断ち、以後琴を弾くのを辞めた
という話に由来し、別名「琴破山(ことわりやま)」ともいわれます。
前掛は不老長寿の八仙等が描かれ上下に詩文が書かれていますオリジナルは
中国明代の作(現状はその複製品)
その他水引、胴懸、見送も中国風の絵で統一されています。



上の写真はJR京都駅に展示されていた伯牙山のコーナー


15番目 綾傘鉾


上の動画は綾傘鉾の巡行です。棒振り囃子に合わせた踊りが見もの


上の写真はJR京都駅に展示されていた綾傘山のコーナー


上の写真は出発前の綾傘山




上の写真は綾傘山の御在所綾小路通室町西入ル善長寺付近の大原神社と
綾傘山の説明板

綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の
行列で構成される。棒振り囃子とは赤熊をかぶり、棒をもった者が、鉦、太鼓、笛に
合わせて踊るもので壬生村の人々により奉仕されていた。
綾傘鉾の傘につける垂りと房かざりは人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」
傘に描かれた絵は平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」


16番目 霰天神山




上の2枚の写真は霰(あられ)天神山の巡行


上の写真はJR京都駅に展示されていた霰天神山のコーナー

錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、急に霰が降り猛火は
たちまち鎮火した。その時、霰とともに小さな(約3.6センチ)天神像が
降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
山の上には唐破風春日造の社殿を安置。
左右と後の欄縁の上に廻廊が巡らされているのもこの山の特徴
前懸は16世紀にベルギーで製作の「イーリアス」物語を描いた毛綴(タピストリー)



17番目 菊水鉾


上の動画は17番目の菊水鉾の巡行です。






上の3枚の写真は菊水山の鉾の巡行


上の写真はJR京都駅に展示されていた菊水鉾のコーナー

町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の菊花をつけている
稚児人形は魏の文帝の勅使が薬水をもとめて山に入った時に出会った、菊の露を
飲んで700年の長寿を保ったという枕慈童(きくじどう)で能装束の舞姿である
唐破風造りの屋根が特徴


18番目 木賊山




上の2枚の写真は木賊山(とくさやま)の巡行

世阿弥作の謡曲「木賊(とくさ)」を題材とした山。
我が子を人にさらわれた一人の翁が信濃国伏屋(しなののくにふせや)の里で
木賊を刈っていました。僧が父を尋ねたいという少年松若を連れてその故郷信濃へ
下り、木賊を刈っている老いた父を見つけるという物語で、翁が一人寂しく
木賊を刈る姿を山の上に表しています。
等身大の老翁像(御神体)の足台に元禄5年(1692)の墨書き銘がある。





上の2枚の写真は出発前の木賊山

木賊山の在所(仏光通西洞院西入ル木賊山町)の仏光寺通を東へ少し進んだ
ところに菅原道真公誕生の地と伝えられ菅家廊下といわれた学問所の跡や
菅原道真公の邸宅跡、さらに天満宮誕浴の井がある管大臣神社がありました
ので写真を添付しておきます。


「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた
飛梅の地も管大臣神社であるとされています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その2  7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山

2016年11月22日 03時41分41秒 | 京都情報
前回、1番目の長刀鉾~6番目の太子山までを下記ブログで紹介した。

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山


今回はこのシリーズの第2弾として7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山の
山鉾巡行の様子を動画と写真で紹介します。

7番目 四条傘鉾








上の4枚の写真は四条傘鉾の巡行です。


上の写真はJR京都駅に展示されていた四条傘鉾のコーナー

古く応仁の乱以前に起源を持つが、明治4年以降途絶えていた傘鉾です。
昭和60年に本体が再興され、路上に飾るだけの「居祭(いまつり)」を続けて
いましたが、3年後に踊りと囃子が再現され完全復興した。復興にあたり
滋賀県滝樹神社に伝わる「ケンケト踊り」を参考に踊りと囃子が再現。棒振り踊
の構成は、棒振り2人と鉦、太鼓・ササラ各2人の計8人の子供からなります。
囃子に合わせ踊る様子は、綾傘鉾のそれとは印象が違っていて、実に味わい深い



8番目 占出山




上の2枚の写真は占出山(うらでやま)の巡行です。

占出山の由来は神功皇后が鮎の釣れ具合で戦勝を占った日本書紀の話によります
このことから別名「鮎釣山(あゆつりやま)」とも呼ばれています。
神功皇后は安産の神として祀られ、占出山の巡行のくじ順が早い年はお産が軽いと
言い伝えられています。
前懸は日本三景より「宮島」、胴懸は日本三景より「松島」と「天橋立」の
美しい綴錦で復元新調されたものです。


9番目 月鉾


上の動画は月鉾の巡行の様子です

鉾頭に三日月を付け真木の「天王座」には月読尊を祀る。
屋根裏には、江戸中期を代表する画家、円山応挙作の“金地彩色草花図”、
天井裏には、岩城清右衛門作“源氏物語五十四帖扇面散図”、前掛けは、
17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」現在は同図柄の復元品
見送りは皆川月華作“黎明図”、また天水引には、円山応震下絵の“霊獣図刺繍”
左甚五郎作の白い兎の彫刻等すべてが豪華な装飾品で飾られています。



10番目 芦刈山



上の2枚の写真は芦刈山の巡行です

貧しさのため妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす
謡曲「芦刈」を題材にした山。御神体(人形)は天文6年(1537)七条仏師運慶
の流れをくむ康運作(墨銘あり)。御神体の衣装は天正17年(1589)銘をもち
重要文化財に指定されています。




上の写真はJR京都駅に展示されていた芦刈山のコーナー








上の4枚の写真芦刈山の出発前の様子です。

11番目 蟷螂山







上の4枚の写真は蟷螂山(とうろうやま)の巡行です。

「かまきり山」とも呼ばれます。かまきりの羽や鎌が動くなど唯一の「からくり」
がほどこされています。
「蟷螂の斧を以て降車のわだちをふせがんと欲す」という中国の故事を題材とした山
前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅染の作品



上の写真はJR京都駅に展示されていた蟷螂山のコーナー

12番目 保昌山


上の動画は保昌山(ほしょうやま)の巡行の様子です。


保昌山の主人公は平井保昌(やすまさ)で藤原大納言元方の孫の到方(むねかた)
の子で武勇に優れ和歌も嗜む風流人である。平井保昌が和泉式部のために紫宸殿前の
紅梅を手折ってくる姿を表している。和泉式部との恋が成就したことで縁結びの
御利益があるとのこと。
明治初年までは「花盗人山」と呼ばれていたそうです。


本ブログの作成にあたり「京都 祇園祭のすべて」Ars BOOKS(下の写真)、
祇園祭宵山会議発行のリーフレット及びWikipediaを参照しました。


祇園祭山鉾連合会のサイトに詳細な山鉾の解説をされていますのでリンク
させていただきました。(下記サイト)
 http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/naginatahoko.html

京都の観光写真集には前祭23基、後祭10基の合計33基の山鉾の解説されています
リンクさせていただきました。(下記サイト)
  http://kyoto-k.sakura.ne.jp/gion000.html#gionmaturi
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山

2016年11月21日 03時57分42秒 | 京都情報
祇園祭は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは
「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の
夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭である。
京都及び各地に流行った疫病退散を祈願したのが元々の由来である。


このブログでは2016年7月17日に行われた前祭 山鉾巡行の23基の山鉾の内
1番目長刀鉾から6番目の太子山までの曳山を動画と写真で紹介します。

1番目 長刀鉾








上の4枚の写真は毎年「くじ取らず」として巡業の先頭を務める長刀鉾です。


上の動画は長刀鉾の巡行です。

長刀鉾の名は、鉾頭に三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾ったことに始まります。
宗近は一条天皇永延 (987~989) 頃の刀工で、三条一派の祖。
現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている
左大臣頼長の佩刀小狐丸鍛造に冠する謡曲「小鍛冶」などが有名です。

長刀は宗近が娘の病気平癒祈願のために奉納したもの。
現在、生稚児が二人の禿(かむろ)を従えて鉾に乗り稚児舞を披露します。
刀の先は決して八坂神社と御所の方向には向かない掟があります。
屋根には鯱が飾られています。
前懸、胴懸の絨毯、見送の中国明代の「雲龍文綴錦」の模造品であるが
見応えがある名品である。



JR京都駅に展示されていた長刀鉾のコーナー

2番目 山伏山



上の2枚の写真は山伏山の巡行です。

神体の山伏は右手に苛高珠数(いちたかじゅず)、左手には斧を持ち
腰には法螺貝をつけ笈を負う。
八坂神社からの清祓とともに六角堂から法印の祈祷も行われ、神供を供える
三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。明治初年の神仏分離以前の姿を
この山にみることができる。
八坂の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵戸貴所の大峯入り
の姿をあらわしている。
繭を紡ぎ布を織りあげるまでの工程を描いた水引は珍品



上の写真はJR京都駅に展示されていた山伏山のコーナー

3番目 白楽天山


上の写真白楽天山の巡行です。


上の写真はJR京都駅に展示されていた白楽天山のコーナー。

山上には中国唐の詩人白楽天(唐冠を付けている)が、道林禅師に仏法の
大意を問う場面。
前懸はトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図を表したベルギー製の
毛綴(タペストリー)の優品であり、大津祭月宮殿山の見送と双幅である。



4番目 孟宗山




上の2枚の写真は孟宗山の巡行です。


上の写真はJR京都駅に展示されていた孟宗山のコーナー

中国の史話「二十四孝」の一人である孟宗は病気で年老いた母を養っていました。
ある冬の日に筍が食べたいと言い出した母の為に孟宗は竹林に筍を探しに雪の中
探し回りついに筍を掘り当て母を喜ばした説話を題材としています。
孟宗山は別名を「筍山(たけのこやま)」とも呼ばれています。
見送は竹内栖鳳が喜寿の年の昭和15年(1940)の作の「白地墨画竹林図」で
孟宗竹が風にそよぐ様を描いた墨絵です。きらびやかな極彩色の山鉾の見送の中で
唯一墨一色で描かれた墨絵は特筆される存在です。




5番目 函谷鉾(かんこほこ)

上の動画は函谷鉾の巡行です。


上の写真はJR京都駅に展示されていた函谷鉾のコーナー

函谷鉾は巡行の順番の決まっている「くじ取らずの鉾」であり、前祭の山鉾巡行では、
長刀鉾に次いで第二番目に巡行する鉾(山鉾全体の中では5番目)である
函谷鉾の名の由来は、中国の戦国時代に斉の宰相を務めた孟嘗君(もうしょうくん)
(? - 前279年)が函谷関で、家来に鶏の鳴き声を真似させて関門を開かせ
難を逃れたという故事(『鶏鳴狗盗』)による。
前掛は旧約聖書劇「イサクの嫁選び」説話をもとに洗わせており
イサクに水を供するリベカの場面で16世紀のベルギーで織られたタペストリーで
重要文化財になっています。
稚児人形 左大臣一条忠春の子、実良(さねよし) をモデルとした等身大の人形が
使われています。実良は稚児として函谷鉾に乗り込むことになっていたが
実現しませんでした。


6番目 太子山

上の写真は太子山の巡行です。


上の写真はJR京都駅に展示されていた太子山のコーナー


上の写真は出発前の太子山。

聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に
入って良材を求め、老人に大杉の霊木を教えられ六角堂を建てたという伝説を
題材とした山である。
杉が立てられている。
頌徳太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持っている。
前懸は緋羅紗地に阿房宮(中国秦代の宮殿)の刺繍


次に祇園祭の一般的な事項について記載します。
冒頭で述べたように祇園祭は7月1日より約1か月にわたって実施されます。
2016年の場合下記のような行事が実施されました。



前祭(さきのまつり)山鉾巡業の行列は9:00頃四条烏丸を出発、9:45頃に
四条河原町を左折、河原町通りを北へ向かい10:30頃河原町御池を左折し
11:00頃に烏丸御池に到着する経路を巡行します。




上の2枚の写真は巡行前、23基の山鉾が各町で待機している場所を示しています




上の2枚の写真はミニ鉾と展示場所の外観です。



本ブログの作成にあたり「京都 祇園祭のすべて」Ars BOOKS(下の写真)、
祇園祭宵山会議発行のリーフレット及びWikipediaを参照しました。


祇園祭山鉾連合会のサイトに詳細な山鉾の解説をされていますのでリンク
させていただきました。(下記サイト)
 http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/naginatahoko.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする