CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

魔法瓶の名前の由来

2015年03月31日 05時43分11秒 | Weblog
2013年5月22日の朝日新聞に次のような記事がありました。
見出し「魔法瓶の名、勘違い? 教授の思い込み独り歩きか」

飲み物を保温できる「魔法瓶(まほうびん)」。その名の由来は長くはっきり
しなかったが、明治時代に東京帝大教授が名付けた可能性が高いことが最近
わかった。英語では「真空瓶」と呼ばれているのに、なぜ日本で魔法がかかった
のか。調べたのは、魔法瓶を社名にしている象印マホービン(大阪市)OBの
粟津重光さんもともと魔法瓶専業だった同社の1階にある「まほうびん記念館」
の前館長で魔法瓶の資料を集めていた。・・・・・以下略



粟津重光さんが見つけたのは明治40年(1907)10月22日付けの東京朝日新聞
の記事でここには魔法瓶の命名者、東京帝大教授で著名な動物学者&魚類学者で
飯島 魁(いいじま いさお)氏がイソップ物語の中に「魔法瓶」の話があり
何でもほしいものが出てくるという内容のものである。

そこでイソップ物語を調べて見たがイソップ物語に「魔法瓶」の話は無い。
似た物語を探し「宝島」で知られる英国のR.スティーブンソンの「瓶の子鬼」
と混同したと推定した。


これが粟津重光さんの結論で上記の朝日新聞に書かれています。

関連サイト

まほうびん記念館/象印マホービン株式会社 訪問記 By 大河原 克行
 http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/20090608_212454.html

大阪市北区天満1丁目 まほうびん記念館
 http://www.zojirushi.co.jp/corp/kinenkan/index.html

  記念館は入場無料 見学には予約が必要


真空二重構造で熱を遮る魔法瓶の原型はドイツで生まれ1904年の独のサーモス社
が製品化。日本でテルモスと呼ばれたこの商品を飯島 魁氏が入手していた。




  

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兵庫津遺跡第62次調査 2015-3-28現地説明会 兵庫城 天守台跡発見

2015年03月30日 04時39分37秒 | 神戸情報
兵庫城の天守台か 信長の建築技術を確認 28日現地説明会(産経新聞) - goo ニュース

昨年(2014)2月から発掘調査が進められている兵庫津遺跡で兵庫城の天守台跡と
みられる石垣が見つかり2015年3月28日の13時から15時まで現地説明会
がありました。私も観に行ってきましたので記憶が薄れないうちにメモとして
残しておきたくブログ記事を書くことにしました。

全体を俯瞰する意味で元禄絵図に兵庫城の外堀の役目もある逆瀬川や都賀堤
を書きました。(下の写真)

拡大版はこちら
 http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/files/hyogo_casle.pdf

また1月31日の現地説明会時点の現地のパノラマ写真を下に添付します。
 (現地説明会の会場で展示のもの)


兵庫津遺跡の第62次調査の所在地:
 神戸市兵庫区中之島2丁目現中央卸売市場本場西側 旧中央卸売市場本場跡地





説明は神戸市教育委員会文化財課 学芸員の中谷正氏です。




上の動画は2回目の説明場面です。



兵庫城は織豊時代の天正9年(1581)に池田恒興が築城完成させた平城で、
織田信長の築いた安土城や旧二条城とともに最古級の城で胴木が石垣の最下段に
敷かれ初期の平城の築城技術として織田信長が採用した技術を継承するものと
して貴重である。
海上交通の要所である兵庫津に兵庫城を築城する意味は織田信長が西国大名に
備える拠点として信長自身の命で建設されたもので兵庫城が重要視されていた
ことが伺い知れます。

本丸跡には井戸も新たに発掘されました。(下の写真)





2015年1月31日の現地説明会から2月-3月の発掘調査で新たに天守台
に設けられたと思われる石垣が発見された。
大量の栗石(ぐりいし)が用いられていることから天守台用の石垣と推定。
その高さは3~5mあったと推測されています。
石垣は前後に二重に構成され前後の両端幅は約4m×約18mに渡る。
実際の石垣はさらに広く、天守は11m×13m程度だったと考えられる。


石垣が二重である理由は下記のいずれか一方と推測される
①築城中に情勢が緊迫し、本丸、石垣を拡張する必要が出てきた

②強度を保つため、石垣の外側にさらに石垣を造り補強した


①の場合の想像図(当日配布の資料より)


②の場合の想像図(当日配布の資料より)




沈下を防ぐため底に木材=胴木が敷かれている


上の写真は今回の調査の主体である天守台の石垣 胴木が9本


上の写真は胴木の断面

内堀の幅について前回-の現地説明会(2015-1.31)では16mから北側で6m程度に
狭くなっていると説明したが今回の発掘調査により16mから20mの幅が確保されて
いると訂正された。
前回(2015-1-31)発表の内堀と外堀
最大幅約18・5メートルの外堀と、同16・8メートルの内堀が並ぶ
「複郭構造」が確認された。


上の写真は訂正後の内堀。(現地説明資料より)

2015年1月31日の現地説明会では内堀から本丸に入るのに2つの土橋が
あると説明したが北側は土橋は存在せずあるとすれば木橋がかかっていたと
推測される。




上の写真は当日(2015-3-28)の現地の遠景です。かなり埋め戻しが進んでいる。








上の4枚の写真は兵庫津遺跡第62次調査で出土した遺物の一部の写真です。
(当日展示されていたもの)

キャナルプロムナードの兵庫城跡の説明板による兵庫城の解説
「天正8年(1580)、池田信輝と輝政父子が花隈城を攻め落とした功によって
兵庫の地を与えられてからは、兵庫はそれまでの室町幕府の権力を離れ、
東大寺や興福寺と兵庫の関との関係も脱して、新たに織田信長の傘下に入った。
これを機会に池田氏は花隈城の遺材も加えて兵庫城を築いた。
その地点は、現在中央市場が建つ中之島・切戸町である。
東西、南北ともに140mの地域で、周囲には幅3.6mの堀があった。
元禄9年(1696)紺屋安右衛門(南仲町絵師) によって書かれた
摂州八部郡福原庄兵庫津絵図の中に御屋敷として堀に囲まれた図が残されて
います。
古来兵庫は1184年の源平合戦一の谷の戦い、1336年の湊川の合戦以降
たびたび大きな合戦が続き、そのつどひどい戦災を受けた。
兵庫に古いものが少ないのもその為であろう。しかし信長・秀吉による全国統一
がなってからはこの地方ではもう合戦がなく、兵庫の町は平和に栄えていった。
兵庫城跡は江戸時代に入り元和3年(1617)、尼崎藩領となり、藩の陣屋となり、
明和6年(1769)、幕府  領となってからは、大坂町奉行所に所属して、
与力や同心の勤番所として明治になるまで続いた。」


兵庫城関連年表(2015-1-31の現地説明会で配布された資料より)
天正8年(1580) 池田恒興が築城。荒木村重の花熊城を解体し、
         その用材を用いたとの記録がある(『花熊落城記』1732年)
天正11年(1583) 池田恒興、美濃へ転封。
         兵庫と尼崎が三好(豊臣)秀次に与えられる。
天正13年(1585) 羽柴秀吉の直轄領となる。片桐且元が代官となり、
          「片桐陣屋」と呼ばれる。
慶長元年(1596) 慶長伏見地震。兵庫津も被害を受ける。
元和3年(1617) 尼崎藩領となる。「兵庫陣屋」が置かれ、奉行が駐在
元禄9年(1696) 『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』が描かれる。
          「御屋敷」と表現される。
明和6年(1769) 幕府直轄領となり、「勤番所」が置かれる。
             このころ、堀が埋められ町屋となる。
文久2年(1862) 『兵庫津之圖』が描かれる。
          「御番所」の周りも町屋となっている。
明治元年(1868) 兵庫県庁が置かれる。4ヶ月で移転する。
明治7年(1874) 新川運河開削により、中心部の大半が削られる。





今回の調査はあと2日間、、3月末までで終了する。

兵庫城の跡地(神戸市中央卸売市場本場の跡地)にはイオンが大型の
ショッピングセンターが建設される予定で、完成 する時期は当初予定より
1年遅れて2016年9月30日の開業を目指すと発表されています。
(2014-5-23の発表)


兵庫津遺跡第62次調査の現地説明会は今回(2015-3-28)を含めて4回実施

 第1回  2014-6-28  現地説明会配布資料 
  こちらは観てきました。
     兵庫津遺跡第62次調査 現地説明会 on 2014-6-28 
 第2回  2014-10-25 現地説明会配布資料
 第3回  2015-1-31  現地説明会配布資料
 第4回  2015-3-28
   神戸市教育委員会が過去に実施した現地説明会の資料は下記サイトに
   掲載されています。第4回も間もなく更新されると思います。

  http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/estate/gensetu..html


遺跡資料リポジトリでは各地の発掘資料で過去の報告物をオンラインで見れます
 神戸大学によって作成されたものです
   http://rar.lib.kobe-u.ac.jp/Repository/


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川崎重工業岸壁のばら積運搬船「AMIS FORTUNE」 on 2015-3-28

2015年03月29日 15時10分41秒 | 神戸情報
2015年3月28日(土)に兵庫津遺跡第62次調査で兵庫城の天守台跡の石垣
が出てきたことで現地説明会があり出かけていた。

ついでに兵庫埠頭に行き表記のばら積運搬船「AMIS FORTUNE」の写真を撮って
きましたので紹介します。

ばら積運搬船「AMIS FORTUNE」は2015年3月27日に進水したばかりの船で
川崎重工業の省エネタイプの55型ばら積運搬船の3番船です。今後内装を施し
2015年6月にAMIS FORTUNE S.A.に納船される予定です。
 川崎重工業の第1,722番船

AMIS FORTUNEの基本仕様

全長:約189.90 m  長さ:187.00  m  幅:32.26  m
総トン数:3万1700トン  載貨重量トン数:5万5千トン
主機関:川崎-MAN B&W 6S50ME-B8.2 X 1基
連続最大出力 :7,730kW X 108回転/分
定員:25名  船籍:パナマ






上の2枚の写真が川崎重工業岸壁のばら積運搬船「AMIS FORTUNE」

船体には4基の30トンクレーンが装備されており荷役設備の無い港湾でも
荷役作業が可能、穀類、石炭、鉱石、鋼材などの貨物を運搬し5船倉あり


過去、観に行ったばら積船の進水式
 
 ばら積運搬船 Sunny Royalの進水 in 川崎重工業(株) on 2011-3-15

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神戸花時計 on 2015-3-26  苺

2015年03月28日 07時42分22秒 | 神戸情報
2015年3月26日、神戸市役所2号館の北側にある神戸花時計の絵柄が
苺になっていました。(下の2枚写真)






上の写真は苺の絵柄の解説文です。

読み辛いのでそのまま記載しておきます。
< 季節のデザイン「苺」>
春の訪れを感じていただけるよう苺をデザインします。
神戸でのイチゴ栽培は1920年代に今の北区有野町の
二郎(にろう)で始まったと言われています。
現在、北区と西区で153戸の生産者がおられ、約30haの
栽培面積があります。
神戸市では今年度から農水産物の輸出に取り組んでおり、
その第1弾として「神戸イチゴ」の香港への試験輸出を行いま
した。また、昭和35年に市が育成したイチゴ品種の栽培が半世
紀ぶりに甦り、このたび「神戸ルージュ」と命名されました。

 <次回植え替え予定>
  平成27年4月下旬



上の写真は花時計第1回デザイン 1957年(昭和32年)4月26日


上の写真は神戸花時計の遠景 撮影:2015-3-26





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兵庫県立考古博物館の速報展示 邪馬台国時代の交易拠点 飯田遺跡(姫路市)

2015年03月27日 05時27分27秒 | 神戸市以外の兵庫県
2015年3月5日、兵庫県立考古博物館で速報 邪馬台国時代の交易拠点
飯田遺跡(姫路市)が展示されていましたので写真紹介します。

2015年2月10日に兵庫県教育委員会が上記の「飯田遺跡」で弥生時代後期
から古墳時代前期にかけての竪穴住居跡や炭化した柱材などが発掘されたと
発表しました。また川のあとから庄内式の甕、河内系の壺、北近畿系の甕、
讃岐系の壺、吉備系の甕、山陰系の壺と甕など多数の土器が見つかりこの辺り
が邪馬台国時代の交易拠点であったと推察できる。

下のPDFファイルは2015年2月14日の現地説明会の資料です。
 http://www.hyogo-ctc.or.jp/ctc/excavation/place/continue/iida/iidagensetu.pdf


飯田遺跡(姫路市)の基本情報
住所:姫路市飯田2丁目
連絡先:公益財団法人 兵庫県まちづくり技術センター 埋蔵文化財調査部 
TEL:0794-37-5561



上の写真は今回の調査の説明書き。


上の写真は今回出土の土器の破片。

下のサイトは2月14日の現地説明会に行かれた方のサイトです。
 http://uminohakata.at.webry.info/201502/article_3.html

その他参照サイト
 http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/4a2dcd14ecabd7a7cb33eb6a62ed74e1

 http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201502/0007729975.shtml(神戸新聞)

 http://koukohaku.blogspot.jp/2015/02/blog-post_24.html(兵庫県立考古博物館)

 http://www.sankei.com/west/news/150210/wst1502100085-n1.html(産経West)

 https://www.lib.city.kobe.jp/opac/opacs/find_detailbook?type=CtlgBook&pvolid=PV%3A7200184804&mode=one_line&kobeid=CT%3A7200082950
  (2009年の調査の報告書 神戸市立中央図書館で閲覧可能)

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ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その4 Mosrite Cafe 0n 2015-3-19

2015年03月26日 06時17分21秒 | 神戸情報
ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)の第4回で第2弾でも訪問したことのある
ハーバーランドのMosrite Cafe(モスライトカフェ)でのランチを写真紹介します。
訪問日:2015年3月19日

第3弾過去の訪問記

  第1回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その1 いっぽ亭 on 2015-3-6
  第2回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その2 旬花 on 2015-3-9

  第3回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その3 Momiji もみじ on 2015-3-18


Mosrite Cafe(モスライトカフェ)の基本情報

住所:神戸市中央区東川崎町1-5-7 カルメニB1F
TEL:078-382-3838
営業時間:11:00~15:00


公式HP:http://www.mosritecafe.com/




ランチパスポートのメニューは第2弾ではポークソティ和風大根おろしソース
でしたが今回は鶏を使用した料理に代わっています(上の写真)
こちらにセルフサービスのスープが及び飲み物がつきます。


第2弾の訪問記
 ランチパスポート神戸三宮版を利用した500円ランチ その4 Mosrite Cafe on 2014-12-15

 地図はこちらに入れています。
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ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その3 Momiji もみじ on 2015-3-18

2015年03月26日 05時34分11秒 | 神戸情報
ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)の第3回で2015年3月18日に
いただいたMomiji もみじでのランチを紹介します。

Momiji もみじ の基本情報
住所:神戸市中央区北長狭通1-21-2 サンメイビルB1F TEL:050-5522-5502
営業時間:ランチ 11:30~14:00(LO13:30)
     ディナー 17:00~24:00(LO23:00)


公式HP:http://www.ko-z.com/

 Goo地図はこちら
   



上の写真がランチパスポートです。鶏を使用した料理

奥様には不評でした。



過去の記事

  ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その1 いっぽ亭 on 2015-3-6

  ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その2 旬花 on 2015-3-9







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岡本梅林古墳群出土石棺 on 2015-3-7

2015年03月25日 06時27分51秒 | 神戸情報
2015年3月7日、神戸市埋蔵文化財センターに行った時に表題の
岡本梅林古墳群出土石棺の棺身の写真を撮りましたので紹介します。


岡本梅林古墳群出土石棺は神戸市埋蔵文化財センターの玄関横に展示
されています。


上の写真は現地の解説文です。

石棺の棺身が7世紀に高砂市の竜山石から製作されたことなどが書かれています。

古墳時代後期の後半(7世紀)になると横穴式石室を付属する埋葬施設が六甲山の
丘陵裾に群集して造られるになります。岡本梅林古墳群の他に十善寺古墳群、
伊賀塚古墳群、鴨子ケ原古墳群などが存在していたようだが開発行為により破壊
されこれらの埋葬施設は現存していない。

過去に訪問した横穴式石室を持つ遺跡訪問記

JR御着駅周辺散策記 その13 見野古墳群 on 2013-9-28

正法寺古墳群 in 三木市 on 2013-7-3

舞子古墳群 別名:石谷の石窟 on 2011-4-17

参考サイト
 岡本八幡神社 on 2013-2-20

 石室入り口を土で封印 推古陵説の植山古墳

歴史フォーラム 加古川中流域の後期古墳を語る in兵庫県立小野高校百周年記念館 on 2012-8-5
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JR神戸線 六甲道駅3番ホームの昇降式ホーム柵 on 2015-3-21

2015年03月24日 05時18分51秒 | 神戸情報
2015年3月21日にJR六甲道に行く用事があり出かけました。
その時、六甲道駅3番ホームの昇降式ホーム柵が珍しかったので写真を
撮りましたので紹介します。


上の写真はJR神戸線六甲道駅3番線ホームに昨年(2014)、12月13日から
試験運用されている昇降式ホーム柵です。


ホームから改札口に降りる階段に上の写真のような注意書きが貼られていました



JR西日本のサイトによれば
六甲道駅の昇降式ホーム柵は継続使用され新たにJR京都線の高槻駅にも設置
されるようです。


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鋼材船 松浦丸 in 神戸ポートターミナル on 2015-3-21

2015年03月23日 05時04分58秒 | 神戸情報
2015年3月21日(土)、神戸ポートターミナルに停泊中の「松浦丸」の
写真を撮りましたので紹介します。


上の写真は松浦丸
松浦丸について調べてみると2012年4月2日に矢野造船で竣工した鋼材船で
動力:新潟原動機製 6M28BGT 1000ps
煙突にはアマコウ海運のマーク 船主:谷池さん 船籍:兵庫 南あわじ
360度どの方向にも推進できるポンプジェットスラスターを付属


上の写真は神戸ポートターミナルに停泊中の松浦丸(手前)
奥は熊本 宇城の海栄丸

矢野造船株式会社のFacebook
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