約30分で延暦寺会館に到着。こちらを起点にまず比叡山延暦寺諸堂順拝券700円と
比叡山内1日フリー乗車券800円を購入し延暦寺横川地区に出かけた後に
建築仕様は桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、とち葺形銅板葺
明治33年(1900)4月7日に国の重要文化財に指定
「草野天平」さんは詩人・草野心平さん(1903-1988)の7つ違いの弟さんです。
彼もまた詩人でした。
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第9回でヴォーリズ像とヴォーリズの生涯
というテーマで写真を中心に紹介します。今回でシリーズ最終回とします。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
第5回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その5 近江八幡教会
第6回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その6 近江八幡市立資料館
第7回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その7 旧近江兄弟社地塩寮(近江八幡教会牧師館)
第8回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その8 池田町洋館街
最終回として1,600以上の建築物を手掛けたヴォーリーズ建築事務所を創設した
建築家ヴォーリズ像とヴォーリズの生涯を取り上げます。
上の2枚の写真はヴォーリズ像です。
近江八幡市で初の名誉市民となったW.M.ヴォーリズ。ゆかりの近江兄弟社の
本社ビルの脇で、お祝いの花束を女の子が手渡しているところです。
上の写真はヴォーリズ像の位置が判る地図
読み難いのでそのまま転記しました。
名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年(明治13年)10月28日、米国カンザス州レブンワース市に生まれた。両親の感化により信仰心の厚かった彼は、1905年(明治38年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に遣わされた。
以来、1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地を去ることなく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多彩な社会福祉活動を展開した。
そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、起業家としても大いなる成功を収めた。
外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋百貨店や関西学院大学をはじめ、住宅、教会など国内外に1600にも及んだ。
多くの協力者と共に成し得た数々の偉大な事業とその精神は、今もなお引き継がれ、近江八幡市民に広く深く息づいており、その評価は衰えることなくますます強く私たちにその人となりを慕わせずにはおかない。
「世界の中心は近江八幡にあり」と唱え、すべての人が幸せになれるまちづくりを目指した彼の足跡を、かけがえのない宝として近江八幡市民の名において永遠に顕彰するため、ここ「ヴォーリズ創めの家」ゆかりの地に記念の像を建立し、これからの郷土づくりの糧にしていきたい。
1999年5月
近江八幡市
上の2枚の写真は米国カンザス州Leavenworthとヴォーリズを紹介した説明パネル
レブンワースは1854年から存在するアメリカ西部開拓の拠点として重要な役割を
担っていました。ヴォーリズは1880年にこの町で生まれました。
ヴォーリズは近江商人の里として知られる近江八幡の初期(明治末~大正・昭和初期)
の近江八幡発展に大きく寄与した。
基督教を広め、精神面でも大きな影響を与えた。
1997年に近江八幡市とLeavenworth市は姉妹都市となっています。
英文のパネルは2000年10月13日に Vories財団により建立されました。
以下、ヴォーリズの生誕から近江八幡の商業学校に英語教師として赴任するまでの
年譜を添付しました。
1880年 -10月28日W.M.ヴォーリズは 米国カンザス州レブンワースの母方の祖父
ウィリアム・メレルの家で生まれた。祖父、両親、伯母(母の姉)、従妹
(伯母の娘 当時20歳くらい)の5人と暮らしていた。
父、ジョン・ヴォーリズはオランダ系の血をひき、商人として成功を収めた。
また、教会での奉仕活動を熱心に続ける正義感あふれる人でもあり、母ジュリア
とはその教会活動での奉仕活動で出会った。母ジュリア・ヴォーリズはオハイオ州
レイク・エリー・セミナリー神学校を卒業後、レーブンワースの教会で日曜学校
教師を務めていた。
1882年 -2歳の頃、腸結核と診断され、回復はしたものの医師から7歳か14歳になれば
病気が再発する恐れがあると言われていた。この頃から教会の礼拝に出席
するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。
1887年 - 7歳の頃、米国アリゾナ州フラッグスタッフに一家で転居。
上の写真は幼少期のW.M.ヴォーリズ 出典:近江兄弟社本社資料室の説明パネル
以下、Wikipediaより25歳で来日するまでの記事を添付しておきます。
1897年ーイーストデンバー高校に入学。
1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジ理工系課程に入学し、YMCA活動を開始する。
当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、
家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学している。
1902年 - 学生宣教義勇軍大会での講演に感激し、外国伝道への献身を決意する。
このころ、のちの関西学院第4代院長のベーツと知り合う。文系課程に転じる。
1904年 - コロラドカレッジ哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補となる。
1905年 - 滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。
上の写真は来日して間もない1907年、27歳頃のW.M.ヴォーリズ
W.M.ヴォーリズの年譜について下のサイトに写真入りで掲載、リンクさせて頂きます。
https://www.omi8.com/omihachiman/local-history/vories/ryakureki/
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第8回で池田町洋館街の写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
第5回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その5 近江八幡教会
第6回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その6 近江八幡市立資料館
第7回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その7 旧近江兄弟社地塩寮(近江八幡教会牧師館)
池田洋館街の概要
ヴォーリズらが土地を取得して住宅地とし、人々に「アメリカ町」と呼ばれた一帯。
パートナーとして活躍した吉田悦蔵の住宅や2軒が接するダブルハウスさらに
武藤邸、ウォーターハウス記念館など味のある洋館が並ぶ。
上の写真は現地説明板
説明板に書かれているようにW.M.ヴォーリズは1905年、 滋賀県立商業学校
(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日します。
しかし、ヴォーリズは2年足らずで商業学校の教壇を降りています。
1907年には 近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設。さらに1908年には完成した
ばかりの近江八幡YMCAに寝泊まりして 京都YMCA会館新築工事現場監督を担当。
同会館内に建築設計監督事務所を開業します(後のヴォーリズ建築事務所)。
商業学校の卒業生である吉田悦蔵もヴォーリズと共に活動しています。
1910年 にはいったん米国へ帰国し、メンソレータム社の創業者ハイドと出会う。
10カ月の滞在後、建築家のレスター・チェーピンらを伴って日本に戻る。
建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」設立する。
その後、村田幸一郎をはじめとする商業学校の卒業生が加わりヴォーリズ建築事務所
に発展していきます。
上の写真は設計指導をするヴォーリズ氏
出典:近江兄弟社メンソレータム資料室のパネル
上の写真はヴォーリズ建築事務所の内部の様子
出所:近江兄弟社メンソレータム資料館のパネル
ウォーターハウス記念館
上の3枚の写真はウォーターハウス記念館 平成21年に登録有形文化財(建造物)に指定
以下は文化庁のデータベースからの引用です。
ウォーターハウス記念館本館(旧ウォーターハウスレジデンス主屋)
通りに東面して建つ。木造3階建、東西棟の切妻造スレート葺のシンプルな外観になる。
東面北寄りに差掛け屋根のポーチを突出させ、北側に階段や水まわり、南側に居間や
食堂を配し、2、3階を寝室や書斎、客間等に充てる。
ヴォーリズの初期の設計になる住宅建築。
建築年代:大正2年(1913)/平成20年(2008)改修 所在地:近江八幡市池田町5-21
登録番号:25-0278
登録年月日:平成21年(2009)8月7日
尚、門及び塀も 登録番号25-0279(2009年8月7日)として登録されています。
門と塀に関する説明文
通りに東面する敷地正面に建つ。0.48m角、高さ1.9mの煉瓦積の柱を間口4.0mに建てる。
塀は南に4.2m、北に7.9m。門柱と同じ大きさの煉瓦柱を建て、柱間に煉瓦を2段に積む。
焼成時変形煉瓦を使い、太めの目地で、風趣ある構えをつくる。
上の写真はウォーターハウス記念館の看板です
次に紹介する吉田悦蔵邸の北隣にあるのがウォーターハウス記念館です。
ウォーターハウス(Paul B .Waterhouse)も、初期の近江ミッションに加わり、
宣教活動に取り組んだ伝道家の一人です。プリンストン大学出身で、学生時代には
レスリングの選手でもあったスポーツマン。ヨットの操縦に長けていたことから、
近江ミッションの湖畔伝道船、ガリラヤ丸の船長として活躍しました。
そのウォーターハウスが妻とともに住まいとしたのが、こちらの住居です。
吉田悦蔵宅
上の4枚の写真は吉田悦蔵宅 大正2年(1913)に建築されたもの。
外観から改修されているようだが何時改修されたかは不明
池田町に3棟残るヴォーリズの洋風建築の中で最も南側にあるのがこの「吉田悦蔵邸」です。
吉田悦蔵は、来日間もないヴォーリズが八幡商業学校の教師として初めて教鞭を執った
時の教え子の一人でした。ヴォーリズの説くキリスト教の精神に感化されて15歳で
クリスチャンとなり、1907年(明治40年)には、ヴォーリズらと『近江ミッション』
(近江基督教伝道団)を結成しました。終生、師友ヴォーリズの傍らにあって
その近江伝道を支えた人物です。
(吉田邸は現在も住居として使用されており一般公開はされていません)
ダブルハウス
上の3枚の写真はダブルハウスと呼ばれる建物です。
正式名は旧近江ミッション・ダブルハウス。大正10年(1921)の建築です。
池田町の洋風街で最も北にあたるのが、このダブルハウスと名付けられた住宅です。
その名の通り2件続きの家が二世帯住宅となっている建物です。
建築時はヴォーリズの両親や、アメリカ人技師の入居先となり、
その後近江ミッションで働くアメリカ人スタッフの暮らす住宅となりました。
こちらも現在は一般の住宅(M邸)として使用されています。
以前は佐藤、諸川両家が利用されていましたが現在はM邸となっているようです。
旧I邸・近江八幡家政塾
ここまでが洋風建築でヴォーリズが設計した和風建築として旧I邸・近江八幡家政塾が
吉田悦蔵邸に隣接してあります。昭和11年(1936)の建築です。
吉田悦蔵の妻、清野が昭和8年(1935)に、自宅で「近江八幡家政塾」を発足させ、
昭和11年(1936)に自宅の隣で婦人教育のために使ったとのこと。
上述の吉田悦蔵邸の左手に僅かに写っていますが全部の写真はありません。
旧ヴォーリズ邸(現存せず)
現存していない建物であるが旧ヴォーリズ邸の建物も池田町5丁目の一角に存在して
いたようです。Wikipedia(池田町洋館街)によれば 1914年(大正3年)の築(現存せず)
たねや本店2階喫茶室に旧ヴォーリズ邸在りし時代の洋館街の陶器製模型が
展示されており、当時の街の雰囲気にふれることができる。
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第7回で近江八幡教会牧師館(現在は
近江兄弟社地塩寮)の写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
第5回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その5 近江八幡教会
第6回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その6 近江八幡市立資料館
旧近江八幡教会牧師館の基本情報
住所:近江八幡市為心町1 非公開
上の写真は近江八幡教会牧師館(旧近江兄弟社地塩寮)の外観です。
昭和15年(1940)築のヴォーリズ建築です。
上の写真は旧近江兄弟社地塩寮の現地説明板。
旧近江兄弟社地塩寮は、昭和15年(1940)6月に近江兄弟社の独身青年社員宿舎として
ヴォーリズ氏により建てられました。寮の名は「あなたがたは地の塩である」という
聖書の言葉に由来します。1階は社員の語らいの場であったロビーと5つの個室、
2階も同様の個室を有します。住む人の健康な生活を願い、各室は南側の庭に面し、
太陽の光を十分に取り入れるなどの工夫がなされています。
昭和59年(1984)、近江兄弟社と関係の深い近江八幡教会が取得し、翌年改築されました。
現在、1階は教会の集会や会議に使われ、2階は牧師家族の住居として用いられています。
外観は現在も建築当時のままの姿を残しています。
日本基督教団 近江八幡教会 & 財団法人 近江八幡観光物産協会
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第6回で近江八幡市立資料館の
写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
第5回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その5 近江八幡教会
近江八幡市立史料館の基本情報
住所:近江八幡市新町2-22 TEL:0748-32-7048
開館時間:9:00~16:30 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
入館料:市立資料館(郷土・歴史民俗)・旧西川家住宅(共通券:一般500円 小中学生250円・団体は10名以上)
公式サイト:近江八幡市のHomeより >組織から探す>文化観光課>行政情報>施設案内>近江八幡市立資料館
近江商人の代表的な人物西村太郎右衛門(安南貿易で活躍した商人)の邸宅跡に
明治19年(1886年)に建てられた元八幡警察署を利用した資料館です。
正式には近江八幡市立資料館ですが通称、郷土資料館とも呼ばれています。
八幡警察署を昭和28年(1953)に建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズが改修しました。
大阪芸術大の山形政昭教授(建築史)の調査でヴォーリズ建築(修築)であることが判明。
近江八幡市立資料館の展示から警察署の設置に関する説明パネルと旧八幡警察署の鬼瓦
などに関する展示についても触れていきます。
警察署の設置(説明パネル)
明治8年(1876)12月、地域の警防のため、警察出張所の屯所の設置基準が定められ、
翌9年(1877)2月、滋賀県は県内を6つに分け、警部出張所を設置することになりました。
これにもとづき八幡町には警部八幡出張所が置かれて本市域を含む蒲生郡の半分以上と
野洲郡、神崎郡、愛知郡の一部などが管轄されました。これが八幡警察署の前身です。
以降、目まぐるしい制度の変更により、警察機構の名称管轄は変化しますが、明治11年
(1878)新町2丁目に、八幡警察署が設置されます。
その後、明治18年(1885)6月に庁舎が新築されることになり、翌明治19年6月に完成。
7月には開署式が行われました。建築面積462㎡、工事費は1万円余と言われています。
昭和28年(1953)には、ヴォーリズ建築事務所により大規模な改築が行われ現在の意匠
に変わりました。当初の建物に使用されていた部材の一部は改築時に記念碑に利用され、
現在も本館中庭に建てられています。
上の写真は明治19年(1886)1月24日と書かれた上棟札
上の写真は昭和28年改修時の上棟札
上の写真は明治19年の旧八幡警察署で使用されていた鬼瓦の展示
上の写真は旧八幡警察署(明治19年竣工)に使用されていた丸瓦の展示
上の写真は近江八幡市立資料館に展示の記念碑
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第5回で近江八幡教会の写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
近江八幡教会の基本情報
住所:近江八幡市為心町中1 TEL:0748-32-2480
宗派:プロテスタント系 日本基督教団
創建:明治40年(1907)9月
公式サイト:https://www.hachimankyoukai.com/
上の3枚の写真は1983年5月8日、一粒社ヴォーリーズ建築事務所の設計により
再建された現在の教会堂。
近江八幡教会のあゆみ
1879年6月同志社の創立者新島襄らにより彦根にプロテスタント系キリスト教が伝えられ、
その後1888年「八幡講義所」が設立され、1901年5月9日「八幡組合基督教会」が
設立されました。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年滋賀県立商業学校(現:八幡商業高等学校)
の英語教師として来幡し、1907年2月には「八幡基督教生年会館」(現:アンドリュース記念館)
を建設しました。同年9月に現アンドリュース記念館に隣接した現在の場所に最初の
教会堂を建設しました。
以後、キリスト教は県下各地に宣べ伝えられました。
1981年12月に教会堂が失火により全焼、1983年(昭和58年)5月8日に一粒社ヴォーリーズ
建築事務所の設計により現在の教会堂は再建されました。
日本基督教団 近江八幡教会
(社)近江八幡観光物産協会
1905年、ヴォ-リズが来幡し、この地に近江ミッション(兄弟社)をつくりました。
わたしたちの教会とも深く関わりながら働きをしたヴォ-リズは、この地が世界の中心
であり、この地を神の国とすることを夢見ていたのです
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第4回でクラブハリエ 日牟禮カフェの
写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
上の2枚の写真はクラブハリエ(CLUB HARIE)の外観
「クラブハリエ」は昭和初期に住まいとして建てられたヴォーリズ建築である。
この建物は大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵蔵が後半生の住まいとして郷里に建てた。
昭和11年(1936)に建てられたもので、平成15年(2003)に改修されたスパニッシュ・
スタイルの木造二階建である。
こちらの建物は老舗和菓子舗「たねや」の洋菓子部門の「クラブハリエ日牟禮カフェ」内
にあり、ヴォーリズ設計の旧忠田邸を利用した特別室は和室を含む全4室。
利用料金は別途1名500円(税込)。前日までに予約が必要。
クラブハリエ日牟禮カフェの基本情報
住所:近江八幡市宮内町246 日牟禮ヴィレッジ
TEL:0748-33-9995(予約受付 9:00~18:00)
休み:なし(無休) 利用時間は10:00~17:00
公式サイト:http://clubharie.jp/shop/himure/index.html
所在地の地図は上記の公式サイトに掲載されています。
上の写真は クラブ ハリエ(CLUB HARIE)の看板
上の4枚の写真はクラブハリエ(CLUB HARIE)日牟禮カフェの建物
和・洋菓子が販売されています。
当日は特別室内部に入れなかったので、内部も含め紹介されたサイトへリンクさせて頂きます。
https://japan-geographic.tv/shiga/oumihachiman-himurecafe.html
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第3回でヴォーリズ記念館の写真を紹介します。
ヴォーリズ記念館はW.M.ヴォーリズ、満喜子夫妻の住居として使用されていました。
W.M.ヴォーリズは昭和39年(1964) 、自邸(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。83歳
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
ヴォーリズ記念館についてWikipediaの解説より引用紹介します。
ヴォーリズ記念館は、滋賀県近江八幡市にある博物館。 正式名称は、一柳記念館。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズによって清友園幼稚園の教師寄宿舎として設計され、
昭和6年(1931年)の竣工時からヴォーリズの自邸として使用された
建物をヴォーリズの記念館として活用したもの。
ヴォーリズ記念館の基本情報
住所:近江八幡市慈恩寺町元11 TEL:0748-32-2456
開館時間:10:00~16:00 入館には要予約(電話による予約のみ受け付け)
休館日:月曜日、祝日、その他不定休(12/1日~翌年1/15日まで展示入替のため休館)
入館料:400円(高校生以下は無料)
公式サイト:http://vories.com/zaidan/index.html
所在地のGoo地図を添付しておきます。
当日は入館が可能である事を知らなかった為、外観の写真しかありません。
ヴォーリズ夫妻の所縁の品が展示されているそうです。
上の3枚の写真はヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)の外観
上の写真は一柳記念館の看板
上の写真は現地説明板。
滋賀県指定有形文化財
旧ヴォーリズ 住宅
平成四年三月三十一日指定
洋室部 木造、桁行 20.1m
梁間 5.8m
二階建、切妻造、桟瓦葺
和室部 木造、桁行 6.4m
梁間 5.8m
一階建、南面洋室部に接続、陸屋根パラペット付、
東面庇付、鉄板葺
この建物は、「近江兄弟社 」を創設し、県内を始め
関西地方を中心に、教会 や学校 、病院、住宅、商業建
築など一千棟を超える建物を設計したウィリアム・メ
レル・ヴォーリズの後半生の自邸である。
この住宅は昭和六年に幼稚園の教員寄宿舎として建
築されたが、建築途中に自宅に変更され、引続いて和
室部が増築されている。
外観は質素であるが下見板張り 、両開きの窓、暖炉
の煙突などに洋風を感じさせる。
内部は独立した洋室の間取りや数多く設けられた収
納空間、さらに夫人のために日本の生活様式に合わせ
て和室を取り入れるなど生活面での配慮と機能性を重
視したヴォーリズ の設計態度がよく表れている。
平成五年三月
滋賀県教育委員会
所在地の慈恩寺町について説明のパネルがありましたので写真を添付しておきます。
近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第2回で近江兄弟社学園高校の構内にある
教育会館とハイド記念館の写真を紹介します。
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
上の写真は近江兄弟社学園内の教育会館(左手)とハイド記念館(右手)
所在地は近江八幡市市井町177 教育会館とハイド記念館は共に昭和6年(1931)に
建てられました。また、平成12年(2000)10月18日に登録有形文化財(建造物)に登録
清友園幼稚園の園舎として建設されたのがハイド記念館で、同じく講堂兼体育館
として建設されたのが教育会館である。 1937年(昭和12年)にはヘレン・ケラー
(Helen Adams Keller)が来校し、教育会館で講演を行った。
所在地のGoo地図を添付しておきます。
教育会館の建築仕様及び解説:木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積477㎡
ハイド記念館と共にメンソレータム社創設者A.A.ハイド夫人の寄付により建造された講堂兼体育館。
外装は記念館に類似。切妻造を基調とし,片側面にT形窓を並べ,もう片側を用具室等を収めるために
下屋庇状に屋根を一段下げる。妻面に出窓を設ける。
ハイド記念館の建築仕様及び解説:木造2階建、瓦葺、建築面積352㎡
木造2階建,切妻造・赤桟瓦葺,車寄付で,外装スタッコ仕上,腰下見板張とし,
単窓・連窓を巧みに配す。採光や内部機能に優れた近代幼稚園園舎。設計ヴォーリズ。
ヴォーリズ夫人で建設当時園長の一柳満喜子が計画に参与したと伝わる。
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上記データベースには建物内部の写真も掲載されています。
近江兄弟社学園の施設紹介サイトに建物内部も含めた写真が掲載されていますので
リンクさせていただきます。
https://www.vories.ac.jp/EducationInstitution/a12/
(ハイド記念館)
https://www.vories.ac.jp/EducationInstitution/a11/ (教育会館)
芝生に銅像が建てられていますが、近江兄弟社学園の創立者の一柳満喜子さんです。
ヴォーリズと一柳満喜子(元小野藩藩主 一柳家当主の令嬢)さんは大正8年(1919)
に結婚しています。結婚式はヴォーリズ自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。
一柳満喜子は小野藩11代一柳末徳(三田藩九鬼家より一柳家に入る)の三女です。
上の写真はヴォーリズ満喜子(旧姓:一柳満喜子)の銅像のアップ。
上の写真は近江兄弟社学園及びヴォーリズ学園の看板がかかった学園の校舎
上の写真は学校法人 ヴォーリズ学園のポスター
上の2枚の写真は学校法人 ヴォーリズ学園 一柳満喜子記念館の建物の前に建つ
一柳満喜子(1884-1969)とWilliam Merrell Vories(1880-1964)の像レリーフ
及びヴォーリズ夫妻と幼児教育について記載された記念碑(2003年3月25日園舎竣工記念)
書かれている内容を転記させていただきます。
1920年 池田町にプレイグラウンド開設
1922年 清友園幼稚園認可される
1931年 市井町に園舎(ハイド記念館)建設
1936年 大林こどもの家開設
1937年 こどもの家を慈恩寺町に移転
1951年 清友園幼稚園を近江兄弟社幼稚園と改称
1988年 預かり保育所ノアの家開設
2000年 ハイド記念館が国の有形登録文化財(建造物)に登録
2002年 2歳児保育所エンジェル開設
2003年 多賀町に園舎(一柳満喜子記念館)建設
2003年3月25日 園舎竣工記念 寄贈:近江兄弟社学園同窓会
上の写真はヴォーリズ学園 一柳満喜子記念館 こどもセンターの銘板
上の写真は近江兄弟社学園幼稚園の園舎
2019年3月27日(水)、近江八幡市を散策している途中、Going Nuts
アンドリュース記念館店で休憩、飲食をしましたので写真紹介します。
Going Nuts アンドリュース記念館店の基本情報
住所:近江八幡市為心町中31 アンドリュース記念館 2F TEL:0748-43-1933
営業時間:訪問時は月~土&祝日でしたが現在は金土月11:00〜18:00、日:12:00〜17:00
オンラインSHOPは年中無休、但し発送対応は木金土日月
営業品目:ドライフルーツとナッツ専門店、店内でスムージもいただけます
公式サイト:https://going-nuts.business.site/
当日は店内のイートインコーナーで「アンチエイジングナッツスムージ」600円(税込)を
いただきました。
上の写真はスムージーのその他のメニュー表
上の写真はイートインコーナー
上の写真はお店の内部の様子です。
上の写真はお店の入り口(玄関)
上の写真はゴーイングナッツの案内の看板
アンドリュース記念館
これくらいでGoing Nutsに関する話は終え、ヴォーリズが最初に設計した
アンドリュース記念館に話題を変えます。
今後、近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27としてシリーズ記事とするため
以降の内容を 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 近江八幡YMCA会館(現アンドリュース記念館)
とします。
上の4枚の写真はアンドリュース記念館の外観です。
上の写真は現地説明板。
上の写真はスケッチで書かれた明治40年に竣工したYMCA会館のスケッチ
離接する近江八幡教会も描かれています。
所在地:近江八幡市為心町中31のGoo地図を添付しておきます
上の写真は建築の竣工から現在までの経過を簡潔に纏めた掲示です。
同じくアンドリュース記念館の由来という掲示物があったがピンボケしてしまい判読が
困難なので文章を転記しておきます。
当会館は、近江兄弟社の創立者ウイリアム.メレル.ヴォーリズ(日本名一柳米来留:
1880.10.28~1964.5.7)の大学時代の親友であり、ヴォーリズに導かれてキリスト教信者となり、
若くして召天した故ハーバート・アンドリュースの両親より贈られた資金を基にしてさらに、
ヴォーリズの貯金全てを加え、自ら設計したヴォーリズ建築最初の建物である。
1906(明治39)年9月24日に京都の木曾田梶之助請負師に総工費3600円で発注し、
1907(明治40)年2月10日に竣工した。760㎡(230坪)の土地は、西 幸次郎氏、
千貫 久次郎氏が提供してくれたものである。会館はアンドリュース氏を記念して、
「ハーバート・アンドリュース記念近江八幡基督教青年会館(YMCA)」と称した。
現在の会館は、1935(昭和10)年6月15日に、最初の建物の位置から12m東側に、
移築したものであり、外部デザインは一部変更されているが全体の面積は同じである。
同会館に存する記念室は、祈りの部屋と呼ばれ、設立当時にヴォーリズが、過ごした一続きの
書斎と小部屋は当時のままを保存している。この部屋で捧げられた創立者たちの熱い祈りから
近江兄弟社は生まれた。会館は、近江兄弟社が創設された原点の記念すべき建物である。
永年、この会館を中心にこの地方の基督教青年会運動が進められ、社会の先駆的役割も果たしてきた。
1987年にYMCA会館としての使命が終わり、会館が使用されなくなり20年が経ち、
相当傷んでいたが、2007年2月10日に会館竣工100周年を迎えるところから、
「近江兄弟社創立100周年記念事業」として、(株)近江兄弟社の寄付などにより、会館の保存再生を図った。
今後、会館は、高齢者・障害者等の介護予防拠点や、キリスト教の伝道その他地域活動支援施設として、
近江兄弟社創立者W.M.ヴォーリズ(一柳米来留)の創立の精神を継承しつつ、キリストを模範とした社会奉仕活動に使用する予定である。
上の写真はGoing Nuts以外にテナントとして入居している機関です。
その中に株式会社 一粒社ヴォーリズ建築事務所の名前が見える。
上の写真はアンドリュース記念館の入り口部で2階への階段部が写っています。
最後に、WikipediaよりW.M.ヴォーリズ(日本名は一柳米来留)の略歴を添付して筆を置きます
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、
アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者。
建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム
(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。
このことから「青い目の近江商人」と評されています。
またYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
1880年 - 米国カンザス州レブンワースで生まれる。
1882年 - この頃から教会の礼拝に出席するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。
1897年 - 米国アリゾナ州フラッグスタッフに一家で転居。イーストデンバー高校に入学。
1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジ理工系課程に入学し、YMCA活動を開始する。
当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、
家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学している。
1902年 - 学生宣教義勇軍大会での講演に感激し、外国伝道への献身を決意する。
このころ、のちの関西学院第4代院長のベーツと知り合う。文系課程に転じる。
1904年 - コロラドカレッジ哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補となる。
1905年 - 滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。
1907年 - 近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設
1908年 - 京都YMCA会館新築工事現場監督を担当。同会館内に建築設計監督事務所を開業する(後のヴォーリズ建築事務所)。
1910年 - 米国へ帰国し、メンソレータム社の創業者ハイドと出会う。10カ月の滞在後、建築家のレスター・チェーピンらを
伴って日本に戻る。建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」設立する。
1912年 - ヴォーリズ合名会社軽井沢事務所を開設。
1913年 - 病気療養のため、米国へ帰国。ハイドに再会。日本でのメンソレータム販売代理店となる。
1914年 - 日本に移住する両親を伴い、近江八幡に戻る。
1915年 - ヴォーリズ合名会社束京事務所開設。
1918年 - 結核療養所「近江療養院」(近江サナトリアム、現ヴォーリズ記念病院)開設
1919年 - 子爵令嬢一柳満喜子と結婚。結婚式は自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。
1920年 - ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。
1922年 - ヴォーリズ建築事務所大阪事務所開設
1930年 - 母校コロラドカレッジよりLLD(名誉法学博士号)を受ける。
1934年 - 「近江ミッション」を「近江兄弟社」と改称、また「湖畔プレス社」を設立する。
1941年 - 日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称する。
1944年 - 株式会社近江兄弟社を設立。一柳建築事務所を解散。建築設計業務を停止。
1945年 - マッカーサーと近衛文麿との仲介工作をおこなう。この功績から「天皇を守ったアメリカ人」と評価
1946年 - 近江江兄弟社内に建築部が復活。建築設計業務を再開。
1951年 - 藍綬褒章を受章(社会公共事業に対する功績による)。また、「失敗者の自叙伝」を「湖畔の声」に連載(1957年まで)。
1957年 - くも膜下出血のため、軽井沢で倒れ、療養生活に入る。
1958年 - 近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる。
1961年 - 黄綬褒章を受章(建築業界における功績による)。株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が独立し、大阪に事務所を開設。
1964年 - 近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。83歳。近江八幡市民葬および
近江兄弟社葬の合同葬が行われ、遺骨は近江ミッションの納骨堂である恒春園(近江八幡市北之庄町)に収められる。
没後、正五位に叙され、勲三等瑞宝章を受章する。
2014年 - 神戸女学院大学の建物群がヴォーリズ建築初の重要文化財に指定される。