CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

宇治川電気工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」 on 2024-12-1

2025年01月05日 03時41分07秒 | 京都情報
2024年12月1日に宇治川工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」の写真を
撮りましたので紹介します。

関西電力「宇治発電所」は私の父親が勤務していた場所であり、私達5人家族は
宇治発電所の社宅(宇治神神社のすぐ近く)に住んでいました。

宇治川電気工事竣工記念碑は宇治発電所から放出された水が宇治川へと流れる水路に
架けられた観流橋を渡ったところの山側に建っています。(下の写真)


宇治川の水力発電の計画は明治20年代後半頃に具体化し、紆余曲折を経て
明治41年(1908)に着工されています。
南郷洗堰北側から取水し、宇治橋上流に至る水路開削工事はそのほとんどが
トンネルであったため難航し多数の犠牲者を出しつつ1,600万円を費やして
大正2年(1913)6月にようやく竣工した。
総延長は約11Km、12のトンネルが建設される大工事であった。

大正2年の8月1日に創業した宇治川電気株式会社は宇治町はもとより京都、大阪に送電し
近畿地方の大きなエネルギー源となった。
宇治川電気は京都電燈、大阪電気と並ぶ関西の三大電力会社の一つであり関西電力の前身でもある。

文面の一部を記載しておきます。(数字は現代流に書き直しています)
「工事竣功記念碑
 一 水路総延長 6,137間 /隧道5,070間 暗渠440間/開渠627間

 一 最長隧道 第1号 1,357間 第7号 1,658間

 一 使用水量 毎秒2千立方尺

 一 有効落差 204尺

 一 機械容量 4万8千馬力

 一 送電線路 大阪線22哩 京都線8哩

 一 工事費総額 1,600万円

 一 工事着手 明治41年(1908)12月

 一 工事竣功 大正2年(1913)6月

   大正3年10月 宇治川電気株式会社

裏面には工事関係者の名が刻まれている。
 南面には本社発起人28名 7名ずつ4段に記載
 北面には宇治川電気の創立以来の重役13名が2段に
 その下に主要工事請負者、工事関係社員が記載されています。

最盛期で199人にのぼった宇治川電気の工事関係者は、技師長石黒五十二、主席技師千種基はじめ多くが工事の完了とともに社を離れたが、発電所の電力は宇治市内に電灯をともし、京阪電車を動かし、ユニチカなど多くの工場を誘致して、宇治市の近代化と発展に寄与し続けた。
宇治発電所の完成を受けて宇治町配電所ができた。

上の写真は関西電力宇治発電所の外観

関連サイト



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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その10(最終回) 夢浮橋

2024年12月28日 04時27分15秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
やっと最終回にまでこぎつけました。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第10回(最終回)は第54帖の夢浮橋(ゆめのうきはし)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが夢浮橋の古跡を紹介していきます。
夢浮橋の所在地は宇治橋の東詰めにあります 。紫式部像のある場所です。




上の2枚の写真は夢浮橋之古跡と書かれた石碑と近くの紫式部像
撮影:2024年12月1日
夢浮橋之古跡の揮毫は元宇治市長の池本正夫氏によります。
左手の石碑は昭和63年(1988)3月吉日建立 財団法人宇治市文化財愛護協会


上の写真は夢浮橋ひろばの現地説明板
撮影:2024-12-1



上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「夢浮橋」
撮影:2024年12月1日


夢浮橋の名前の由来
『源氏物語』の多くの巻名が本文中にある言葉(特に歌の中にある言葉)から
取られているが、この「夢浮橋」という言葉は本文中に見られない。
藤原定家の古注釈『源氏物語奥入』では、出典未詳の古歌
世の中は夢の渡りの浮橋かうち渡りつつものをこそ想へ」に関連するとしている
以上はWikipediaより引用
夢浮橋の概略あらすじ
薫薫28歳の夏の話。
薫は比叡山の奥・横川(よかわ)を訪ね、小野で出家した女について僧都に詳しく尋ねた。
「その女は浮舟に違いない」と確信した薫君は夢のような気がして涙を落とした。
その様子を見て、僧都は浮舟を出家させたことを後悔した。 浮舟の弟小君に、
横川の僧都の文とともに自分の想いを書いた文を持たせて、小野の里に遣わせます。
浮舟の心は思い乱れますが、人違いだといって小君に会おうとはしません。
帰ってきた小君の様子からことを察した薫君は、文を出さねばよかったと気落ちし、
自分がかつてそうしたように、だれかが浮舟をかくまっているのではないかと思い悩むのでした。


参考サイト


 
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宇治市フレンチ&イタリアンレストラン「すわん」でのランチ on 2024-12-1

2024年12月27日 04時46分12秒 | 京都情報
2024年12月1日(日)、JR宇治駅近くのフレンチ&イタリアンレストラン「すわん」でランチを
いただきましたので写真紹介します。初訪問のお店です。
地元の方に愛されている店で繁盛していました。

「すわん」の基本情報  
住所:京都府宇治市宇治宇文字2-33  TEL:0774-24-9991
料理ジャンル:洋食(フレンチ、イタリアン
営業時間:昼11:30~14:00 (L.O.) 夜17:00~20:00 (L.O.) 
定休日:火曜日・第2、第4月曜日  臨時休業あり
オープン:1976年創業



所在地のGoogleマップを添付しておきます。


注文したのは本日のパスタコース 1,760円(税込)
まず前菜が出てきます


次にメインの本日のパスタ(カブとベーコンのオイルパスタ)とサラダ
上の2枚の写真

最後にデザートとホットコーヒー

どれも美味しく、大満足でした。宇治のグルメ処としてリコメンドします。


上の写真は注文した本日のパスタコースが掲載のメニュー表


上の写真は当日のスペシャルランチとパスタランチのメインの内容掲示



上の3枚の写真はその他のメニュー表

上の写真は店内に掲示のサッカー京都サンガの選手達のサイン


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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その9 手習(てならい)

2024年12月26日 05時06分20秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
シリーズも第9回となり最終回の第10回まであと1歩のところまで来ています。
年内には完結させたいと考えています。

源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第9回は第53帖の手習(てならい)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが手習の古跡を紹介していきます。
手習の所在地はJR奈良線の三室戸踏切近くの幹線道路、宇治淀線沿いにあります 。




上の2枚の写真は手習の杜と書かれた石碑と手習の杜の遠景
撮影:2024年12月2日



上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
撮影:2024年12月2日


上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「手習」
撮影:2024年12月1日


手習の名前の由来
浮舟は宇治川河畔で倒れていたところを横川の僧都に助けられ洛北の小野で介抱された。
元気を取り戻した浮舟は出家し手習いをして次のような和歌を詠んでいます。
身を投げし 涙の川の 早き瀬を しがらみかけて 誰かとどめし  - 浮舟 - 」

手習の概略あらすじ
薫薫27歳から28歳の夏にかけての話。

浮舟の姿が見えなくなっていたが、実は浮舟は宇治川河畔で気を失っていたところを

吉川の僧都に助けられ、洛北の小野の庵で介抱されていた。
そして出家をとげた浮舟はようやく心の安らぎを得る。
勤行と手習いに和歌などを書き散らす日々であった。
こうした事情はやがて、浮舟のことが忘れられず、悲しい思いで沈んでいる薫君の耳に入ります。 
この帖から登場する比叡山の高僧・横川の僧都(よかわのそうづ)は、当時の
平安貴族に人気の高かった恵心僧都(源信)がモデルと言われています。

恵心僧都(源信)に関連する事項として恵心院があります。
恵心院は弘仁十三年(822)弘法大師(空海)の創建になるという。初め寺名は唐の 青龍寺に似ていることから龍泉寺と呼ばれたが平安中期(1004-1011)に恵心僧都が再興して、以後寺号を恵心院と称するようになった

 

上の2枚の写真は恵心院の銀杏と本堂
撮影:2024年12月1日

参考サイト

 

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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その8 蜻蛉(かげろう)

2024年12月25日 04時57分08秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第8回は第52帖の蜻蛉(かげろう)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが蜻蛉の古跡を紹介していきます。
蜻蛉の所在地は京都翔英高等学校(下の写真の背後に写っています)の南端にあります 。



上の2枚の写真は蜻蛉之古跡碑、線刻阿弥陀三尊仏など
黒い石には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が刻まれています。
撮影:2024年12月2日

上の写真は線刻阿弥陀三尊仏の説明板 撮影:2024-12-2


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
撮影:2024年12月2日


上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「蜻蛉」
撮影:2024年12月1日


蜻蛉の名前の由来
薫君はある秋の夕暮れ、蜻蛉がはかなげに飛び交うの見て次の歌を詠む
ありと見て 手には取られず 見れば又 ゆくへも知らず 消えし蜻蛉 」 

蜻蛉の概略あらすじ
薫27歳の頃の話。
浮舟の姿が見えなくなって、宇治の山荘の人々は慌て戸惑いますが、
消息がわからないことから、入水を推察して、世間体を繕うため母親を説得して
形ばかりの葬儀を済ませます。匂宮は悲嘆の余り病床に伏してしまいます。
実情を知った薫君は自らの恋の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。
六条院では明石中宮が光源氏や紫上のために法華八講を催した。
薫君は、都で華やかな日々を送りながらも、亡くなった大君、匂宮に渡してしまった中君、
行方も知れずに消えてしまった浮舟と、八宮ゆかりの姫君たちのことを思い、
物悲しい思いに沈んでしまいます。

参考サイト



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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その7 浮舟

2024年12月19日 04時18分18秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第7回は第51帖の浮舟(うきふね)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが浮舟の古跡を紹介していきます。
浮舟の所在地は三室戸寺の鐘楼の奥にあります



上の3枚の写真は浮舟之古跡碑、宝篋印塔、など
撮影:2024年12月2日


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
撮影:2024年12月2日
上の写真は謡曲「浮舟」と浮舟古跡碑の現地説明板(謡曲史跡保存会)
撮影:2024年12月2日


上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「浮舟」
撮影:2024年12月1日


上の写真は匂宮と浮舟の像 宇治神社の鳥居の前 背後に朝霧橋が写っています。
撮影:2024年12月1日

浮舟の名前の由来
薫の庇護を受けていた女が匂宮に連れ出されて宇治川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ和歌
橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
(橘の茂る小島の色のようにあなたの心は変わらないかも知れないけれど、
水に浮く小舟のような私の身は不安定でどこへ漂ってゆくかも知れません)に因む。
以上はWikipediaより引用


浮舟の概略あらすじ
薫27歳の春の話。
匂宮は浮舟のことが忘れられない。浮舟が薫に囲われていることをつきとめ、雨の夜、薫の声真似をして灯りを消させ、浮舟の寝所に忍び入る。
人違いとわかったときにはもう遅かった。最初は驚いた浮舟ですが、匂宮に情熱的に
口説かれて心動かされる浮舟。2人は薫のいない間に舟で出かけて睦まじく過ごす。
一方、このことを知った薫君はこのことを知りますが、浮舟を見捨てることなく、
厳重な警備をして匂宮が近付けなくしてしまいます。
穏やかで誠実な薫君と情熱的な匂宮の間で浮舟は悩み苦しみます。
思い詰めた浮舟は宇治川に入水することを考える。


参考サイト




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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その6  東屋(あずまや)

2024年12月14日 03時32分52秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第6回は第50帖の東屋(あずまや)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回



上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが東屋の古跡を紹介していきます。
東屋の所在地は宇治橋の東詰 京阪電車の宇治駅から徒歩1分位
鎌倉時代に造られた石造聖観音菩薩坐像(通称、東屋観音)があります。




上の2枚の写真は東屋之古跡 東屋観音、宝篋印塔、祠など
撮影:2024年12月1日


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
撮影:2024年12月1日

上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「東屋」
撮影:2024年12月1日

上の写真は東屋観音移転之記 移転の経過が書かれています。
撮影:2024年12月1日
上の写真は東屋観音の遠景で、傍にある道標を黄色字で示した
撮影:2024-12-1
道標には「右みむろみち 左 京大津道」元禄7年(1694)正月18日の銘
道しるべでは宇治市内最古で白川石で作られています。

東屋の名前の由来
 薫君が詠んだ「さしとむる 葎やしげき 東屋の あまり程ふる 雨そそぎかな   」が
東屋の名前の由来です。
現代語訳:東屋に葎(むぐら)が生い茂って戸口を塞いでしまったのか、
あまりに長い間雨だれの落ちる中で待たされるものだ

東屋の概略あらすじ
薫君26歳の8月から9月にかけての話。
浮舟は、八宮に仕えていた中将君と八宮の間とにできた姫です。
求婚者(左近少将)がありましたが、それは浮舟の養父(常陸介)の財産を目的としたものでした。
少将は浮舟が介の実子でないと知ると、財力目当てに浮舟の義理の妹と結婚してしまう。
縁談の破綻を不憫に思った母(常陸介の後妻)は浮舟を中君のもとに預けることにした。
そこで偶然出会った匂宮に言い寄られ、驚いた母は浮舟を三条の小家にうつします。
浮舟の消息を聞いた薫君は、浮舟を引き取って宇治に移しますが、浮舟を愛しく
思いながらも大君の面影がよみがえり思わず涙するのでした。

関連サイト




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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その5 宿木(やどりぎ)

2024年12月10日 04時36分13秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

第5回は第49帖の宿木(やどりぎ)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが宿木の古跡を紹介していきます。
宿木の所在地は喜撰橋の上流、約250mの位置にあります。
成長の家の駐車場入口付近 



上の2枚の写真は宿木之古跡 源氏物語 宇治十帖ノ内と書かれた石碑など


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「宿木」

宿木の名前の由来
 薫と弁の尼が詠み交わした和歌「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」に因む。

宿木の概略あらすじ
薫君25歳の春から26歳の夏にかけての話。
薫君は帝から娘二宮との結婚を望まれ、気が進まないままに承諾します。
一方匂宮は六君と結婚することになります。
薫君は中君におもいを寄せるようになりますが、匂宮の子を宿していた中君は
思い余って薫君に大君に生き写しの異母妹「浮舟」の存在を告げます。
薫君は二宮との婚儀を済ませますが翌年、宇治を訪ねた折に浮舟の姿を垣間見て
大君に生き写しの姿に強く心をひかれます。

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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その4 早蕨(さわらび)

2024年12月08日 04時52分44秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

第4回は第48帖の早蕨(さわらび)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回



上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが早蕨の古跡を紹介していきます。
総角の所在地宇治神社境内北東角にあります 


上の写真は早蕨之古跡 源氏物語 宇治十帖ノ内と書かれた石碑など


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板

早蕨の名前の由来
「この春はたれにか見せむ亡き人の かたみにつめる峰の早蕨」
中君が亡き父(八宮)や姉(大君)を偲びつつ詠んだ上記の歌によります。

早蕨の概略あらすじ
薫25歳の春の話。
年が改まり宇治の里にまた春がめぐってきた。父八の宮も姉大君も亡くした中君の元に、
父の法の師だった宇治山の阿闍梨から例年通り蕨や土筆が届けられた。
中君は阿闍梨の心づくしに涙を落とす。
匂宮は、2月上旬に中君を京の二条院に迎えられ、行先の不安を感じつつも
幸福な日々が続く。
六の君と匂宮の婚儀を目論んでいた夕霧左大臣は末娘六の君と薫君との縁組を打診したが、
大君の面影を追う薫君は丁重にお断りした。

桜の盛りのころ、薫は二条院を訪れ中君と語り合った。
中君に親しく近付く薫に匂宮は2人の仲を疑い始める。

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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その3 総角(あげまさ)

2024年12月06日 05時16分17秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

第3回は第47帖の総角(あげまさ)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

前置きが長くなりましたが総角の古跡を紹介していきます。
総角の所在地は仏徳山(大吉山)への登り口にあります 



上の2枚の写真は総角之古跡 源氏物語 宇治十帖と書かれた石碑 
撮影:2024年12月1日 
昭和45年(1970)10月、菟道山荘、中西元次郎氏によって建てられました。
土台幅135cm 奥行90cm


上の写真は現地説明板 撮影:2024年12月1日 

総角の名前の由来 
総角に 長き契りを 結びこめ 同じ所に よりもあはなん  - 薫 - 」



総角の概略あらすじ
現地説明板より要約引用
八宮の一周忌がめぐって来た。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
「總角に長き契りを結びこめ同じ所によりもあはなむ」
大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に
委ねたいと望まれた。薫君は中君と匂宮とが結ばれることによって、
大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。
匂宮は中宮と結ばれたが、気軽に行動できない身分であるため、
心ならずも宇治への訪問が遠のく。大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」
と故宮を偲ばれ、その心労が元となって、大君は病に臥せてしまいます。
重体となった大君は、もはや薫を遠ざけることもせず、薫に看取られながら
冬11月に薫君の胸に永遠の面影を残して帰らぬ人となった。 


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