本日は7月4日に放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」第21回「篤太夫、遠き道へ」で
登場のパリ万博関連人物をテーマに書いていきます。
第22回「篤太夫パリへ」の登場人物については下記ブログで書いています。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」第22回「篤太夫、パリへ」で登場のパリ万博関連人物 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
上の写真は番組の最後のほうの場面で渋沢篤太夫(栄一)御勘定格陸軍付調役(会計、書記)
としてパリに向かう場面です。栄一が27歳(出発時)の時でした。
パリへの航路途中で28歳になります。
慶応3(1867)年1月11日(新暦換算1867年2月5日)、後に「日本資本主義の父」と
称される渋沢栄一は、将軍徳川慶喜(1837-1913)の名代としてパリ万国博覧会に
出席する徳川昭武(1853-1910)に随行し、フランス帝国郵船アルフェー号で横浜を発った。
上の写真は15代将軍(慶応2年(1866)12月5日に就任)となった徳川慶喜(草彅剛)に
慶応3年(1867)1月3日に謁見し、パリ万博へ派遣される徳川昭武(板垣季光人)と共に
激励を受ける渋沢篤太夫(吉沢享)。
慶喜は昭武に対して守るべき5箇条の心得を与えた。
上の写真はパリ万国博 使節団(随員)の集合写真 マルセイユにて(23名)
随行者31名のうち23名が写っています。出典:NHK BSP「英雄たちの選択」
前列向かって左からアレキサンダー・シーボルト、保科俊太郎(歩兵頭並)、
山高石見守(昭武守役)、井坂泉太郎(小姓頭取・水戸藩士)、徳川昭武、
菊池平八郎(小姓頭取・水戸藩士)、向山隼人正(全権公使)、田辺太一(外国奉行支配組頭)、
レオン・デューリー、後列、左より渋沢栄一、山内文次郎、高松凌雲(奥医師)
木村宗三、服部潤次郎(水戸藩士)、皆川源吾(水戸藩士)、加治権三郎(水戸藩士)
大井六郎左衛門(水戸藩士)、三輪端蔵(水戸藩士)、杉浦譲、山内六三郎(通弁御用)
生島孫太郎(外国奉行並出役)、日比野清作(外国奉行調役)、箕作麟祥(御儒者次席・翻訳方頭取)
出典:戸定歴史館(松戸市) 編『将軍のフォトグラフィー : 写真にみる徳川慶喜・昭武兄弟』
松戸市戸定歴史館(1992)Page164
この中から7月4日に登場する人物を中心に書いていきます。
杉浦愛蔵(譲) 随行時33歳
上の写真は杉浦愛蔵を演じる志尊淳(左)と渋沢栄一(吉沢享)
栄一は外国奉行支配調役の杉浦愛蔵の案内で同行者の一人である医師・高松凌雲とともに
外国奉行詰所に連れていかれた。杉浦と外国奉行支配組頭の田辺太一は今回が2度目の
渡仏だと聞かされ、栄一は驚く。
奥詰医師 高松凌雲随行時32歳
上の写真は奥詰医師としてパリに赴く、 高松凌雲(細田善彦)
逗留中に廃兵院で兵士が平等に無料で治療を受けていることに衝撃を受ける。
帰国後の「函館戦争」では敵味方問わず治療を行う。
上の写真は福地源一郎(一番左の人物)より「モンブランという人物に気をつけろ」と忠告を受ける場面
福地源一郎役は犬養貴丈さんが演じておられます。
左から2人目は福沢諭吉(中村萬太郎)と右から2人目は杉浦愛蔵(志尊淳)
モンブランは薩摩と手を組み、幕府の使節団より早くパリ万博での出展の準備を
進めさせた人物で昭武一行の600万ドル借款計画も妨害した。
薩摩の本当の狙いはベルギー貴族のシャルル・ド・モンブラン(1833-1894)と
契約した「日本-ベルギー会社」の設立にあった(薩摩海軍史 中巻による)
五代友厚、新納刑部が交渉に当たった。
上の写真は今回のパリ万博使節団のもう一つの大きな役目が600万ドルを仏政府から
借款することだと栄一が小栗忠順より告げられる場面。
上の3枚の写真はパリ万博関係の写真
この度『青天を衝け』の21回についての記事を書かせていただいたのですが、その際にchiku-chanさんのこちらの記事を参考にさせていただきました。
渡欧組の実物を集合写真で見ると、また感慨深いですね❗
渋沢篤太夫は、老人になってからの写真とイメージが同じで親しみをもちましたw
気さくで話しかけやすそうな雰囲気ですねw
それと、誠に勝手ながら自ブログにてchiku-chanさんのこちらの記事のリンクを貼らせていただいたので、ぜひ遊びにいらしてください❗
http://washiya.sapolog.com/e490872.html
コメントをいただきありがとうございました。
鷲谷様のブログも見せていただきました。
奥の深い内容で関心しました。
リンクも張っていただきありがとうございました。