CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングでのランチ on 2019-1-15

2019年01月22日 04時30分07秒 | 神戸情報
2019年1月15日、ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングで頂いたランチを
写真紹介します。

森のダイニングでは7つある店舗から好みの料理を選べるシステムで当日は私は
カリーダイニング サヒ(SHAHI)のナン付きカレー、奥様は魚河岸のすし「えびす」
から海鮮丼を選択しました。
以前は9つの店が入っていましたが現在は7つの店舗が入っています。

カリーダイニング サヒ(SHAHI)の基本情報

住所:神戸市 垂水区小束山手2-2−1 ブランチ神戸学園都市 森のダイニング 1F
TEL:078-742-7590 営業時間:11:00~21:00
定休日:なし 年中無休
2013年12月6日より営業


魚河岸のすし「えびす」の基本情報
住所:神戸市 垂水区小束山手2-2−1 ブランチ神戸学園都市 森のダイニング 1F
TEL:078-791-1818 営業時間:11:00~21:00
定休日:なし 年中無休


ランチ神戸学園都市へのアクセス
https://www.branch-sc.com/kobe/access.html
「ブランチ神戸学園都市」は商業施設運営の大手 大和リース(大阪市)が
2013年12月6日に全面開業させた複合商業施設です。


上の写真は私が選択したチキンカレー 702円(税込)



上の写真は奥様が選択した海鮮丼 626円(税込)



上の写真は食事関係のテナント店のリスト


上の写真は2月3日に行われる節分のイベント情報


上の写真はボルダリングを中心とした当日のブランチ神戸学園都市の外観。

ブランチでの食事関連のブログ:
ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングでのランチ on 2018-8-23

ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングでのランチ on 2018-7-12


ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングBISTRO ICIイチでのランチ on 2018-6-9


ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングでのランチ on 2018-4-24

カリーダイニング サヒ(SHAHI)でのランチ on 2016-4-17

リッチフィールド ブランチ神戸学園都市店のケーキ on 2016-3-28

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ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その9 よくばりKitchen しりとり(2回目)

2019年01月21日 17時10分54秒 | 神戸情報
ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチをシリーズで記載します。
本日はその第9回で「よくばりKitchen しりとり」でのランチを写真紹介します。
「しりとり」へは第3回に続き2回目の訪問です。

訪問日:2019年1月18日(金)
ランパス有効期間:2018年11月15日~2019年2月14日

過去の訪問記:

第1回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その1 ボウルズキッチン

第2回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その2 ON THE CURRY

第3回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その3 よくばりKitchen しりとり

第4回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その4 ガンジ Gange

第5回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その5 ボールズキッチン(2)

第6回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その6  おうどん処 たべよし

第7回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その7 

第8回 ランチパスポート神戸版(Vol.18)を利用した500円ランチ その8 Mamezo & Cafe 大丸神戸店 


よくばりKitchen しりとりの基本情報

住所:神戸市中央区八幡通4丁目2-7フラワーロード貸ビル1F TEL:078-272-0406
営業時間:昼11:30~15:00 夜17:00~23:00 定休日:日曜日
オープン日:2018年6月23日
 


Goo地図を添付しておきます。
但し、住所は4丁目2-6の場所を表示しています。こちらの北側隣の建物になります。




上の写真はランパスのチキンカツ定食




上の写真は+100円(税込)のプチケーキ(3種)とホットコーヒー
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全豪オープンテニス2019 錦織圭選手の今後の対戦相手

2019年01月20日 06時43分59秒 | Weblog
2019年の全豪オープンテニスが2019年1月14日から1月27日までオーストラリアの
メルボルンで開催されています。
日本のエース錦織圭選手が頑張っています。

男子シングルス3回戦で、第8シードの錦織圭(日清食品)が世界ランキング44位の
ジョアン・ソウザ(ポルトガル)に7–6(8–6), 6–1, 6–2 のストレート勝で
4回戦に駒を進めました。

今後、順調に勝ち上がった場合の対戦予定の選手(順当にシード上位選手が勝つことが前提)
をリストアップしました。

4回戦  第12シード→カレニョブスタ(世界ランク23位) 1月21日(月)の予定
     過去の対戦はなく初対戦だそうです。

準々決勝 ジョコビッチ 第1シード
準決勝 A.ズベレフ 第4シード
決勝 ナダル 第2シード

関連サイト:

 https://tennismysteries.com/au-open2019-nishikori/

 https://en.wikipedia.org/wiki/2019_Australian_Open
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創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on  2019-1-13

2019年01月20日 03時30分20秒 | 神戸情報
2019年1月13日(日)にいただきました創作 京ダイニング 季づ菜での
ランチを写真紹介します。

店内に「2月18日(月)に閉店します」という掲示があります。
長年、ファンであった店が無くなるのは大変残念なことです。
閉店まであと1か月です。まだ訪問したことのない皆様は是非、訪問してみて下さい。
季づ菜の開店は2010年2月なので丸9年の歴史に幕を閉じることになります。

季づ菜(KIZUNA)の基本情報
住所:神戸市垂水区名谷町3428−1  TEL:078-792-5544‎
コーナン名谷店の近くにあります。 ジャンルは日本料理
定休日:水曜日及び第3火曜日  料理長は田中克明 氏


公式HP:http://washoku-kiduna.com/

地図は下記のブログに添付
   遊楽料理 季づ菜でのランチ on 2014-11-11


当日は奥様は茶そば 1,050円(税別)私は餡かけ石焼き海鮮丼1,050円(税別)を
頂きました。(下の写真)




上の2枚の写真は奥様の茶そば 1,050円(税別)


上の写真は私の餡かけ石焼き海鮮丼1,050円(税別)



上の写真は店内の掲示

掲示のように手間暇をかけて調理されていますので料理が出てくるまでに
時間がかかります。短気なかたはイライラするかも・・・・


過去の訪問記:

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2018-8-19

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2018-7-31

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2018-6-4

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2017-12-11

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2017-8-28

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2016-11-7

 季づ菜でのランチ on 2016-9-6


 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2016-7-14

 創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2015-11-17

  創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2015-7-13

  創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2015-5-25

  季づ菜でのランチ on 2014-8-3
 


  季づ菜でのランチ on 2012-12-13

  遊楽料理 季づ菜でのランチ on 2011-4-3

  遊楽料理 季づ菜でのランチ on 2010-9-11

  季づ菜でのランチ on 2010-5-1
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新・童美展 2018-19 in 兵庫県立美術館

2019年01月19日 03時53分42秒 | 神戸情報
新・童美展 2018-19が2019年1月18日(金)~1月20日(日)兵庫県立美術館
で展示されています。
興味のある方は是非鑑賞してください。

新・童美展 2018-19開催要項

開催期日:2019年1月18日(金)~1月20日(日)
開催時間:10:00~18:00(最終日は16:00まで)
開催場所:兵庫県立美術館 ギャラリー棟3階  入場料:無料
主催:保育造形の会 後援:兵庫県教育委員会、ぺんてる(株)
問合せ先:079-292-6059  保育造形の会事務局(五字ヶ丘幼稚園内)



新・童美展について
童美展の歴史についてリーフレットの案内よりそのまま転記させていただきました。

「童美展(児童創作美術展)」は芦屋市にて1950年にスタートしました。
自由で感性豊かな表現や型破りな創作を積極的に評価する姿勢によって、全国的にも
例のない極めて独創的な展覧会として、早くから知られていました。
芦屋での「童美展」がスタートした当初、主導的立場の「具体美術協会」リーダー
吉原治良先生と、多くの園で絵画制作指導をされていた曽根靖雅先生によって
大きく発展してきました。
諸事情で第58回(2008)で幕を閉じましたが、その後も「保育造形展」として理念が
継承され、昨年「新・童美展】ちして新たにスタートを切りました。子供達の
ほとばしるエネルギーを丸ごと受け止める創作展覧会として、さらなる進化・深化を
目指します。
               保育造形の会 会長 高橋秀信


展示の様子






2019年1月18日(金)、兵庫県立美術館のエッチング教室の合間をみて
観覧させていただきました。

看板


美術館のシンボル「美かえる」



美(み)カエルの名称は713点の公募から選ばれた神戸市西区在住の主婦、
山下美恵子さんが命名者で2012年1月7日に命名式があったそうです。

シンボル製作のいきさつですが、蓑館長がフロイレンティン ホフマン氏アヒルの作品
(ラバーダック)を見て感動し、兵庫県立美術館のシンボルに
文化の復興の願いも込めて「カエル」のデザインで製作を依頼したのがミカエル誕生の
秘話だそうです。


「美かえる」は美術館で得た美的センスを家庭や職場に「持ち帰る」ことや、上記の
阪神淡路大震災から文化復興や美術館への再訪などの意味が込められているようです。

又、ミカエルのカタカナで下記のような意味があります。
ミカエル(ミハエル)は旧約聖書などに名が現われる天使という意味。
いずれにせよ、「美かえる」はシンボルとしてふさわしい格調高い名前だと思います。

ミカエルは聖ミカエルの称号で呼ばれることもあります。
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明治期の垂水海神社と海神社宮司の上月豊蔭の顕彰碑

2019年01月18日 05時40分15秒 | 神戸情報

主題とは異なりますが、まず海神社の概要説明を行います。
海神社は底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の三神を祀っており、社伝では
千数百年の歴史があり、神功皇后が三韓へ出兵帰途のとき、垂水沖で軍船が暴風雨に
見舞われたが、鎮静を祀ったところ、暴風雨がおさまり、無事に都へ帰れたというのが
鎮座の由来とい言われている。通常かいじんじゃという名前で呼ばれていますが
「綿津見(わたつみ)神社」という別名で呼ばれる場合もあります。
別称としては他に日向大明神、衣財田大明神、海(あま)神社、垂水(たるみ)神社。
神戸市垂水区を代表する神社である。

毎年10月10日より12日に行われる秋の例祭は垂水地区の布団太鼓の練りがあり
賑わいます。秋の例祭では船舶の安全を願い魚業発展を祈願する海上渡御と陸上での
神輿巡業もあります。

秋の例祭関連のブログ:2018年 海神社秋祭り

           2017年 海神社の秋祭り

           2016年 海神社秋祭りの情報

海神社の基本情報

住所:神戸市垂水区宮本町5-1  TEL:078-707-0188及び0189
御祭神:底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
末社:蛭子神社、天神社


公式サイト:http://kaijinjya.main.jp/

明治期の海神社

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の海神社の図です。


明治期の海神社の事蹟を箇条書きしておきます。

 明治4年(1871)5月14日 国幣中社に列せられる
              出典:兵庫県神社誌・神宮官国幣社一覧
  江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に
  国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した
              出典:Wikipedia

  太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」によって近代社格制度が制定
   出典:神戸の空の下で。~街角の歴史発見~のサイト

 明治7年(1874)11月8日 正遷宮
              出典:橋本覚書

 明治8年(1875)8月1日 火災発生
              出典:古事談 第7本


 明治30年(1897)3月15日 官幣中社に昇格した。
              出典:Wikipedia


 「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づきつけられた。

上月豊蔭宮司の顕彰碑



上の写真は明治期に長くにわたり海神社の宮司を務めた上月豊蔭の顕彰碑の遠景と近景
設置場所は駐車場の詰所(トイレの近く)の脇にあります。
はっきりと読み取れない部分が大半ではあるが顕彰碑の内容から読み取れたことと
上月豊蔭宮司について調べた判った事を記載していきます。

上月豊蔭 (こうづきとよかげ)1840年-1900年

明治時代の歌人。
天保11年(1840)生まれ。姫路藩士の子。和歌を本居豊穎(もとおり とよかい)に学び
また書がたくみであった。
上月刑部少輔の末裔。上月刑部少輔景盛(上月次郎)は上月荘(佐用郡上月村)に住む。
建武元年(1334)上月山城築城。景盛の子の上月刑部少輔景忠が居城としたとする。
父親の名前は為彦。
海神社の宮司になる前は兵主神社の神職を務めていた
明治6年(1873)神戸・垂水の海(わたつみ)神社の宮司となる。
        死去までの28年間宮司を務める。
明治33年(1900)11月5日死去。60歳。通称は修理之進。号は桜花真人。
明治33年(1900)11月7日に正六位を叙勲


顕彰碑は明治34年(1901)11月に建立
東京府知事 正三位勲三等男爵千家尊福翁が題額の字を書かれています。
千家と言えば出雲大社の宮司として有名ですが千家尊福は
「♪と~し~のは~じめのためしとて~」で知られる唱歌 「一月一日」の作詞者です。
文章は従四位勲四等の本居豊穎が担当
顕彰碑の書は正七位の海神社宮司 田村千秋



境内写真(2019-1-16)





海神社関連ブログ:
 海神社の「とんど焼き」と「初えびす」 on 2018-1-10

 旧垂水警察署の庁舎
  昭和30年台から昭和40年代の海神社の鳥居が写っています。

 十日戎

 寳ノ海神社=宝ノ海神社と海神社の鳥居  on 2016-10-12

 山田岸松氏の銅像 in 2016-10-12

 海神社の夏祭り (夏越しの大祓) on 2016-7-18


 海神社---神戸市垂水区

 布団太鼓の屋台の部分名と海神社秋祭宵宮(ふとん太鼓巡行)on 2014-10-11

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ちょこっと関西 歴史たび 明石城

2019年01月17日 17時08分15秒 | 神戸市以外の兵庫県
JR西日本は「ちょこっと関西 歴史たび」というキャンペーンを2013年から実施
されています。毎年、春、夏、秋、冬の4回。関西の由緒ある史跡を選び、期間限定の
特別公開や特別講座、ガイド付きウォークなど魅力的な企画です。

2019年1月12日(土)から3月22日(金)までは明石城のキャンペーンです。

本ブログではキャンペーンの内容をJR西日本のPR誌「西NAVI」より紹介するとともに
明石城に関する歴史を中心に記載していきます。

PR誌「西NAVI」
 明石市立文化博物館

 撮影禁止となっていますので私が撮った写真はありませんが1月12日(土)に訪問済
 同時開催の竹久夢二展については下記ブログを作成済です。
  明石市立文化博物館 新春特別展 竹久夢二展 見学記 on 2019-1-12

また、下記サイトで明石市市制100周年及び明石城築城400周年記念に関して
 ブログを作成していますのでリンクしておきます。
 明石市市制施行100周年イベント予定 目玉は11月23日-24日開催予定のB-1グランプリ








上の4枚の写真は西NAVIで紹介の展示内容の解説
実際の展示では明石城を説明したビデオや場内、武家屋敷、商人が住んだ城下町の
区域が判るパネルが判り易い解説であった。
また城郭復元のジオラマも理解しやすい展示であった。



上の写真は1月12日(土)18:30からのテレビ大阪の番組「おとな旅あるき旅 
兵庫・明石へ!冬に食べたい瀬戸内の幸と明石名物を堪能」よりジオラマに主要な
名称を記載したものです。


上の写真は同じくテレビ大阪の番組よりで第8代明石藩藩主・松平直明の鎧兜などの展示


上の写真は明石市立博物館の掲示板に掲示のPRポスター
撮影:2019-1-12


上の写真は「ちょこっと関西 歴史たび 明石城」の幟旗
撮影:2019-1-12

明石城の歴史

概要説明
 明石城の概要説明を明石城パンフレット(一部加筆)より引用紹介します。

「元和三年(1617)、小笠原忠真(おがさわら ただざね)が信州松本より
明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1km程の所にあった船上
(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する
備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。
徳川秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、3ヶ所の
築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目
(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
この頃、姫路藩本多忠政に仕官していた宮本武蔵が町割り図を作った。

石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ
工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二の丸等の城郭中心の石垣、
三の丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり
、幕府より
派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。
幕府直営工事は本丸、二の丸、三の丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は
幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。

普請を終え、同年九月から藩主忠真により櫓、御殿、城門、塀などの作事
(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城と
なった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。
創建当初の坤櫓については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け
移築されたことを示している。
「坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建ル」
                          『小笠原忠真年譜』
「幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也」
                           『笠系大成附録』
各建物の建築は翌元和六年(1620)四月に完了した。

築城当初の明石城は、本丸に三層の御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの、天守は建てられなかった。」




上の写真は昔の明石城を示したもです。
現在は無い外堀や外堀の門、居屋敷の周囲に設けられていた内堀、さらに現在は一部
埋め立てられた中堀のかっての姿がわかります。
出典:郷土の城ものがたり 東播磨編 兵庫県学校厚生会(1973)Page14


上の写真は明治19年(1886)測量の大日本帝国参謀本部陸軍部測量局が作成した地図に
掘、川、海、池など水に関する場所と西国街道を色付けしたものです。
外堀や藩主の居舘のあった内堀が正確に描かれているので江戸時代後期の姿に近いものが
推定できる地図でもあります。
また中堀でも現在は埋め立てられて見られない部分の以前の状態が判る。
出典:明石城関連絵図資料集Ⅱ 明石葵会 平成29年(2017)3月発行 Page44

明石城下全体を観る資料として添付しました。


上の写真は明石市立図書館から観た明石城の遠景です。
西(左手)の櫓(やぐら)が坤(ひつじさる)櫓、東(右手)の櫓が巽櫓
現存するのは上述の2つの櫓ですがかっては北東の艮櫓(うしとらやぐら)や
北西の乾(いぬい)櫓も存在していましたが、明治の廃城後の明治14年(1881)に
取り壊されてしまいました。
撮影:2019-1-10


明石城各論

坤櫓
本丸跡に残る巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)は、
元和5年(1619)年城主小笠原忠真が築城したとき建築されたものです。
巽櫓は船上城から移築され、坤櫓は伏見城から移設のものと伝えられています。
元和6年(1620)4月に移築建設が完了したそうです。

2012年11月10日の訪問記にリンクしておきます。
 明石城 坤櫓(ひつじさるやぐら)訪問記 on 2012-11-10

今回のキャンペーンでは2階及び3階も公開されます。(詳細は下の西NAVI記事)


上の写真は天守台から観た坤櫓
撮影:2019-1-12


上の写真は入り口側(正面)から観た坤櫓 撮影:2019-1-12








上の4枚の写真は1月12日(土)18:30からのテレビ大阪の番組「おとな旅あるき旅 
兵庫・明石へ!冬に食べたい瀬戸内の幸と明石名物を堪能」より坤櫓関連写真


上の写真は(公財)兵庫県園芸・公園協会 明石公園が作成した「明石城の歴史」の
リーフレットの添付資料で建築装飾の概要が理解できます。

巽櫓
巽櫓は船上城から移築されました。2016年4月30日(土)の訪問記にリンク。
 明石城 巽櫓 一般公開 見学記 on 2016-4-30


上の写真は2019年1月12日撮影の巽櫓

本丸土塀



現在工事中の内容掲示

歴代城主

上の写真は明石シニアカレッジゆう・あい明石グループが2018年11月30日に発刊された
「明石城のことがよくわかる 楽しい 明石城学」の歴代城主のひょうです。
上記の冊子の表紙も添付しておきます。


下の写真は上述の明石シニアカレッジゆう・あい明石グループが纏めた初代藩主小笠原忠政の
系図です。


明石城の築城に深く関与した初代明石城藩主「小笠原家」は姫路藩主の本多忠政とも
深い関係があります。

明石城ゆかりの寺社
高家寺
高家寺(こうけじ)は初代城主小笠原忠政が再建したとされる寺院です。
高家寺の訪問記にリンクしておきます。

 高家寺と太寺廃寺塔跡 on 2012-10-26



上の写真は高家寺(こうけじ)本堂 撮影2012-10-26


上の写真は西NAVIの記事

本松寺

上の写真は本松寺の本堂。(2008-6-12撮影)

訪問記にリンク
 本松寺庭園


月照寺

上の写真は播州名所巡覧絵図(作者は秦石田、絵師:中井藍江)文化元年(1804)刊
の図絵

2008年6月12日の月照寺訪問記にリンクしておきます。

 月照寺



長寿院



上の2枚の写真は長寿院に眠る越前松平家の歴代藩主の墓
出典:明石市ふるさと図書館の展示より(2019-1-12撮影)

8代目以降の藩主について記載しておきます。
8代目城主は松平直明(1682-1701)
 明石藩主8代目松平直明公から15代松平斎宣公までの歴代の
 城主とその夫人、子供など約60基の御廟所となっている松厳山長寿院を

9代目城主は松平直常(1701-1743)
10代目城主は松平直純(1743-1764)
11代目城主は松平直秦(1764-1784)
12代目城主は松平直之(1784-1786)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)
15代目城主は松平斉宣(1840-1844)8万石
 松平斉宣(なりこと)は徳川将軍家斉の25男で養子に来て明石城主となった
 養子に迎える見返りに2万石加増された。

16代目城主は松平慶憲(1844-1869)
 松平慶憲(よしのり)の時代、鳥羽伏見の戦い(1868)で山陽鎮撫使
(さんようちんぶし)が通過する際、それまで佐幕の方針を貫いてきた
 明石藩であったが藩の存続のため恭順した。
 江戸の明石藩邸にいた大目付の津田柳雪は脱藩し松石隊を結成彰義隊に加勢
 明治4年(1871)5月10日の上野戦争に加わった。
 上野戦争で松石隊は津田柳雪の子芳之助ら7人が戦死し壊滅。

17代目城主は松平直致(1869-1869)
   
松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) -
明治17年(1884年)6月28日)は明治2年(1869年)慶憲の隠居に伴い家督を
相続する。同年6月版籍奉還で知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を
免官となる。東京へ移住する。その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県
に併合され、1週間後に姫路県は飾磨県と改称された。
明治6年(1873)の廃城令により門や櫓が解体される運命に
明治17年(1884年)に病没し、弟の直徳が家督を継いだ。


2008年7月20日、長寿院への訪問記にリンク
 明石長寿院

魚の棚
現在魚の棚商店街は観光の目玉になっており観光客も多い。地元の人からは「うおんたな」と
呼ばれ親しまれています。魚屋、練り製品、乾物などを中心に100軒あまりの店がある
そうです。
西NAVIのキャンペーンに合わせ「もぐチケ」330円も販売されています。
先着で「イラストで描く散歩地図」がプレゼントされるそうです。
下記のブログで最近撮影した魚の棚の写真を掲載しています。
 時を刻むまち 明石

2008年3月3日の魚の棚訪問記にリンク
 魚の棚商店街
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神戸西神中央そごう内の東天閣でのランチ on  2019-1-8

2019年01月16日 06時19分40秒 | 神戸情報
2019年1月8日(火)に神戸西神中央そごう内の東天閣でランチをいただきましたので
写真紹介します。

東天閣西神店の基本情報
住所:神戸市西区糀台5-9-4 そごう西神店5階 TEL:078-991-1122
料理ジャンル:中華料理


公式HP:http://totenkaku.com/



上の2枚の写真は私が選んだ日替わり定食 1,250円(税別)と内容が書かれたパネル




上の2枚の写真は奥様が選んだ海鮮あんかけ焼きそば 1,500円(税別)と内容が書かれた
パネル

当日は神戸市埋蔵文化財センターで常設展示などを観ていました。
3階に掲示されていたポスターから現在(2019-1-16)も観覧できるイベントを
ピックアップ添付しました。

キトラ古墳壁画保存管理施設



大阪府立近つ飛鳥博物館





姫路市埋蔵文化財センター




今城塚古代歴史館


八尾市立埋蔵文化財調査センター


桜井市立埋蔵文化財センター
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明石市市制施行100周年イベント予定 目玉は11月23日-24日開催予定のB-1グランプリ

2019年01月15日 17時12分15秒 | 神戸市以外の兵庫県
大正8年(1919)11月1日に誕生した明石市は、2019年11月1日に100周年を迎えます。


2019年1月1日に発行された広報あかし No.1276号に100周年を記念して予定されている
イベントカレンダーが紹介されています。
関連写真やサイトの紹介を交えて書いていきます。

イベントカレンダー
3月
 23日(土)築城400周年開会式典&オープニングイベント
    プロの和太鼓奏者による「とき打ち太鼓演奏」が披露されます
 29日(金)~
    4月2日(火) 桜のライトアップ

4月
 27日(土)~5月6日(月・休) 明石薪能・能舞台活用イベント

5月
 2日(木・休) あかし伝統夢まつり
          布団太鼓34台 獅子9頭が集結競演の予定

 11日(土)流鏑馬


8月
 1日(木)~9月1日(日) 光の明石城 坤櫓、巽櫓と石垣がカラフルにライトアップ
 
 中旬  テレビ東京 「開運!なんでも鑑定団」公開収録(予定)

9月
 上旬 佐渡裕指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団演奏会(仮)

 13日(金) 明石城観月会

 28日(土)~10月6日(日) 明石薪能・能舞台活用イベント

10月
 中旬  明石城まつり

11月
 1日(金)市制施行100周年記念日

 23日(土・祝)~24日(日) B-1グランプリ全国大会

 30日(土) 桜の記念植樹・築城400周年閉会式典

明石市誕生の頃


上の写真は大正8年(1919)11月1日、全国で81番目、兵庫県内では4番目の市として
誕生した明石市の市制を祝い11月25日から5日間にわたり祝賀行事が行われた時の
様子を示したものです。
提灯行列や相撲大会、花火、イルミネーションなど、市を挙げて盛大に祝賀イベントが
行われたようです。
出典:明石市立ふるさと図書館の展示


上の写真は市制施行を祝い当時の総理大臣原敬からの祝電を紹介したパネル
当時の市域は明石川より東側、人口は3万2000人余りでした。
出典:明石市立ふるさと図書館の展示


上の写真は大正13年(1924)の明石市の地図
出典:明石市立ふるさと図書館の展示

明石市の歴史
明石市の公式サイト(ホーム)へリンクさせていただきました。
 https://www.city.akashi.lg.jp/index.html

ホームから下記のように進んで下さい。
ホーム > 市政情報 > 各課室別案内 > 政策局 > 政策局 市制施行100周年記念事業推進室 > 明石の歴史を写真で振り返る

シンボルマーク


明石城築城400年の記念事業
次に兵庫県が明石城築城400年の記念事業として予定しているイベントを紹介(PDF)
しているサイトにリンクさせていただきました。
 https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/documents/20181005_983_1.pdf

明石城の概要説明を明石城パンフレット(一部加筆)より引用紹介します。

「元和三年(1617)、小笠原忠真(おがさわら ただざね)が信州松本より
明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1km程の所にあった船上
(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する
備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。
徳川秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、3ヶ所の
築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目
(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
この頃、姫路藩本多忠政に仕官していた宮本武蔵が町割り図を作った。

石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ
工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二の丸等の城郭中心の石垣、
三の丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり
、幕府より
派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。
幕府直営工事は本丸、二の丸、三の丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は
幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。

普請を終え、同年九月から藩主忠真により櫓、御殿、城門、塀などの作事
(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城と
なった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。
創建当初の坤櫓については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け
移築されたことを示している。
「坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建ル」
                          『小笠原忠真年譜』
「幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也」
                           『笠系大成附録』
各建物の建築は翌元和六年(1620)四月に完了した。

築城当初の明石城は、本丸に三層の御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの、天守は建てられなかった。」




上の写真は明治19年(1886)測量の大日本帝国参謀本部陸軍部測量局が作成した地図に
掘、川、海、池など水に関する場所と西国街道を色付けしたものです。
外堀や藩主の居舘のあった内堀が正確に描かれているので江戸時代後期の姿に近いものが
推定できる地図でもあります。
また中堀でも現在は埋め立てられて見られない部分の以前の状態が判る。
出典:明石城関連絵図資料集Ⅱ 明石葵会 平成29年(2017)3月発行 Page44


上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。
人丸社として描かれている場所は現在一丸塚として案内板(下の写真)が掲示されています。



下の写真は艮櫓(うしとらやぐら)の現地説明板
説明で解体されたのは明治初期という表現になっていますが明治14年(1881)
に解体されたと思います。
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明石市立文化博物館 新春特別展 竹久夢二展 見学記 on 2019-1-12

2019年01月14日 05時55分37秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年1月12日(土)、JR西日本の歴史たび特別企画「明石城」を観覧する
目的で明石市立文化博物館に行きました。その時「竹久夢二展」が行われていたので
こちらも観覧しました。

絵画展は写真撮影禁止のところが多いが珍しく今回、2階の展示は写真撮影OKで
あったので何枚かの写真を紹介していきます。

竹久夢二展PR看板

上の写真は新春特別展「竹久夢二展」のPR看板です。
見出しに 「大正浪漫 グラフィックデザイナーの原点」と書かれています。
1月4日から2月3日に開催
神戸新聞が2019年1月6日に特集記事を掲載されています。


上の写真はリーフレット裏側
石版画(リトグラフ)、木版画、オフセット、ペン画、書、写真、紙本・絹本彩色、鉛筆画
など種々の技法を用いて作品を残している様子が判りました。
会期中の関連イベントも掲載されています。

明石市立文化博物館の建物外観



上の写真は明石市立文化博物館の建物外観です。

竹久夢二年譜




上の2枚の写真は2階の展示室入口に掲示の竹久夢二年譜
明治32年(1899)4月から12月までの8か月、神戸中学校(現神戸高校)に在学
(叔父、竹久才五郎を頼って)ということで神戸ゆかりの人物でもあります。

良く読めないと思いますので詳しい年譜が書かれた下記サイトにリンクしておきます。
岡山郷土美術館(岡山市中区浜2丁目1-32)の公式サイト

デビューの頃の夢二と美人画

入口に掲示されていたデビューの頃の夢二と美人画

木版画

浮世絵と同じく原画を夢二が制作。彫師と摺師の分業で木版画を制作

関連として港屋絵草紙店の写真と説明パネルを添付(下の2枚の写真)





セノオ楽譜






写真

夢二は写真を撮ることが好きであったようです。
愛用のペスタンカメラと同型のカメラが展示されていました。


写真パネル展示
一番右がNo.176 ペスタンをかまえる夢二 大正初期
一番左がNo.179 机に向かう彦乃 大正10年頃

夢二と3人の女性

お葉




岸たまき




笠井彦乃




塗り絵イベント

上手い塗り絵の作品が展示(1階)されていました。
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