2月24日(月)、今日も沖縄平和市民連絡会の高江便の運転。3人を乗せ、高江に向かった。午前9時、北部訓練場のメインゲート着。今日のテント番は大宜味村九条の会の人たちだ。平良啓子さんは今日も来ておられた。
(1944年の対馬丸事件の奇跡の生還者・平良啓子さん、今は毎週高江の座り込みに参加されている。)
平良啓子さんは現在79歳。1944年、1400人もの犠牲者を出した対馬丸事件の奇跡の生還者だ。彼女は当時、小学校4年生。学童疎開のために対馬丸で九州に向かっていた。ところが8月22日、米軍の潜水艦に攻撃され対馬丸は沈没。平良さんたちは小さなイカダで6日間漂流した後、無人島に漂着し奇跡的に救助された。この事件で亡くなった学童は767名、救助された学童はわずか59名だったという。平良さんはその一人だ。
平良さんは、今、大宜味村九条の会の一員として毎週、高江の座り込みに参加されている。今日も本土から来た若い学生に、自らの戦争体験をもとに、高江のヘリパッド建設は許せない、戦争の訓練は許せないと熱っぽく話されていた。
当時、対馬丸は5隻の梯団だった。普天間基地・大山ゲートでの抗議行動に毎朝来られているAさんは、和浦丸に乗っており、対馬丸が炎上して沈没するのを目撃したという。また、今は体調を崩して休んでおられるが、大山ゲートには、座間味島の強制集団死の現場から生還されたBさんも来られていた。沖縄ではこんな戦争体験者が、まだまだ現場に立っておられるのだ。
今日もメインゲートからは米軍車両の出入りが激しい。