(QABのテレビ画面より)
7月12日(火)、1週間ぶりに高江に行った。7月に入ってかなりになるのに、まだ、工事は再開されていない。それでも、まもなく再開されるという情報が入ったとかで、現地は緊迫していた。いよいよ、あの熾烈な攻防戦が始まる。
夕刻、家に帰り、録画していた琉球朝日放送「検証・動かぬ基地 高江にあったベトナム村とは」を見て驚いた。
今から48年前の1964年、東村高江の近くに「ベトナム村」と呼ばれるアメリカ軍のゲリラ訓練施設が作られた。そこにはベトナム風の家が再現され、家畜も飼われていて、訓練の時には6歳の幼児を連れた女性を含む20名の高江の住民たちがベトナム人役で徴用されていたという。周辺には、落とし穴や罠も多数しかけられていた。米兵たちは、高江の住民を本当のゲリラとみなして、これを対象に対ゲリラ戦訓練をしていたのだ。(詳細は、下記ニュース映像参照)
「検証動かぬ基地vol.98 高江にあった『ベトナム村』とは
QAB(琉球朝日放送)7月12日
(QABのテレビ画面より)
当時の米軍最高責任者・ワトソン高等弁務官はじめ、米軍の幹部連中が、高台から、この「ベトナム村」の様子を笑いながらふんぞり返って見降ろしている写真もあった。なんという腹の立つ光景だろう。米兵たちの露骨なアジア人蔑視が見てとれる。
(QABのテレビ画面より)
当時、ベトナムではこのような村々で、「ベトコン」狩りのために多くの民衆が殺されたり焼かれたりした。その訓練がこの沖縄の高江で、地元の人たちを徴用してやられていたということには驚くほかない。
番組でも、「今回、高江の村を取り囲む形で6か所のヘリパッドを建設しようとするのも、そこに人がいる場所を選んでいるのではないか?」という言葉で締めくくっていたが、こうした歴史を知るとその通りだと思う。
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放送では、当時の「人民」という新聞が紹介されていたので、今日(13日)、県立図書館へ行って調べてきた。
やはり沖縄人民党の中央機関紙だった。当時の高江の様子が詳しく報道されている。(その内容については、後日、詳しく紹介したい。)
(1964.9.9の沖縄人民党の機関紙「人民」)