なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

子猫殺し

2006年08月25日 | 仕事
をベラベラエッセイに書いた作家がいて、それをヘラヘラ公共の紙面に載せる新聞がある。
 ねえ、日本の物書きの「知的レベル」がこういうとこではっきりするわな。
 この作家さん、とりあえず日本の動物愛護法違反ですよ、書類送検されますぜ、と言っておこうかなあ。
 要するに糾弾されたいんでしょうね、こういう輩って。んでもってナルシスティックなヒロイン気分を満喫すると。おぞましいね、キモチワルイね。
 「父と暮らせば」を観つつ思う。この作家みたいに「社会に対する責任として」なんて言って原爆だって落とせるんだよな。社会なるものと自分の気分を分離して考えられないガキみたいな奴が、最近どんどん増えてる。結局「社会とは何か」が見えてないんだよ、自分の都合のいいように解釈してるだけだろ。物書きなんて所詮そんなもんだよな。
 「生と死」を深く考えたけりゃ、看護師の資格でも取ったらどうですかね。3年も勉強すりゃ取れます。でもって、どっかの病院で働いてみるといいよ。現実は勝手な妄想からかけ離れてると思うけど。
 
 
 例えばこういうことだ。
 あっしは、独り者だから、年金も払ってるし、税金も納めてる。で、専業主婦連中の「第3号被保険者」とかいう制度(つまり、年金を払わないのに受け取れる)というシステムには激怒している。一方、結婚したら最後「扶養控除」とかなんとかいうシステムのせいできちんとした仕事をさせてもらえていない女のこき使われ方(108万/年という所得制限は、人を馬鹿にしている。生活できないだろ、そんな収入じゃ)にも頭にきている。
 けどね、あっしの友人はほぼ全員専業主婦なんだな。そうなったいきさつにも、色々それぞれ事情がある。
 つまり、個人的な事情と社会の問題、というのは分けて考えるべきものなんだ。

 そこんとこを混同するとどうなるか、例えばこうなる。「北朝鮮がミサイル発射しやがった。だから朝鮮人学校の生徒を殴ってやる」。社会の問題って簡単に個人の鬱憤晴らしに利用されるんだよな。で、最近は小ざかしい奴が増えてきた。自分のやってることに社会的な何かをまぶしつけて自己正当化する輩。それを助長するのが、今回の作家みたいな奴とか、小林よしのりとかさ。
 こういう連中は所詮物書きです。そういう連中の受け売りをして偉そうにするな!!自分の頭で考えて、せめて自分で体験したことを元に話をしろ!と思うんだけどねえ。
 
コメント
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