なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

光市

2008年04月22日 | 
の殺人事件の判決。妥当だろう。
 情状酌量というけど、いかなる事情があっても、誰のせいもせずに一生懸命生きてる人って大勢いるのよ、そういう人を冒涜することになるんじゃないか、情状酌量ってさ。簡単に使っていい言葉じゃないと思う。で、この事件に関しては、ホント、言うに事欠いて、って誰もが思ったわけよ。こういう奴が反省なんぞするはずない、こういう人物に自分の隣で暮らして欲しくない、って皆が思った、というのが社会の世論になった。そういうことです、きっと。

 で、こういう判決にでもならないと、社会なるものを理解できないでしょ、こういう人物は。

 遺族の方がつくづくお気の毒だと思う。いわれのない非難まで浴びる羽目になって。

 ああいう人物は、助けようがない。ケストナーだって、児童書でそういう類の人物について同じ事を言ってる。更正がどうしたとかあれこれ言う奴は自己満足の酔っ払いだ。そういうことをはっきりさせる厳しさが疎んじられる、というのはどういうことなんだろう?理不尽な事をしでかして、その理由に支離滅裂な話をでっち上げて、思いやってください、人を馬鹿にするのもたいがいにしろ、と皆思ってる。

 マスコミには、態度を統一して欲しいと思うね。死刑判決が下る時は「被害者・遺族」側に思いっきり立った書き方をする癖して、しばらくしてそれが実行された時には、さも悪いことがなされたみたいな書き方。あんた方は何を言いたいわけ?
コメント
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