の先生方のスレッズ投稿を読むと、まあビックリしますよ・・・・・。他の職業でもそういう輩は多々いるようで、何考えてんのかなあ?と不思議でしょうがないんだが。
なにって、生徒の悪口。まあね、自分の子供の悪口を書きまくってる親もいるんだから(まず100%母親っぽい。キモ)、親の立場の人間についてもふざけてるなあと思うが、先生っていうけど、金もらってんでしょ、お客様の悪口を公共の場でグダグダ書くってなんなんですかねえ?生徒の立場の人間がいつ読むか分かったもんじゃないでしょ、と思うんだけどなあ。見つかったらどう言い訳するつもりなんだろうなあ。
要するに他責思考なんですよねえ。
生徒がまじめにやらん、そりゃあ、そうだよ、と、ツェルニー30番でサクッと挫折した自分は思う。あの曲集のつまらなさときたら、超がつくって。曲も教師に決められちゃって、自分で何一つ考えられない、どんどんつまらなくなったのを覚えてるんだが。あの曲集って、いくらやっても終わらないんだよね。ホント、つまんない。
ツェルニー系の練習曲って、最初に「これこれこういう技術を身につけるために、こういうフレーズが多用されてるから、それをコントロールできるようにしてみて」みたいな指針が示されれば、100歩譲ってまだ何とかなったかもしれないが。
今の時分なら、それに対する返答はかなり意地悪で「へえ、じゃ、そのテクニックとやら、どの曲で実際に使えるんですか?」ってなる。
今やってるヴァイオリンだが、最初にレッスンに行った時に宣言したのは「音階だの、練習曲だの、一切やるつもりはない。曲だけ教えてください」というもの。下らない練習曲を弾いて、それって、なんの役に立つ?んなことやる人生のヒマはございませんよ。必要な技術は、それを必要としてる曲で実際に訓練するのが手っ取り早いでしょ。
練習曲に出てくる技術が、じゃあ、実際に何の役に立つのよ、という問いに答えられる人っているんですかねえ?パガニーニのカプリースを弾くのに必要な技術は、パガニーニのカプリースを練習して覚えりゃいいでしょ。まあ、パガニーニの曲には全く興味がないから、練習することもないでしょうけど。となると、それに必要な技術なんかをわざわざ練習する意義なんかない。
そんなわけで、今まで全部曲を練習して、必要な技術をつくってきた。曲となると、そのフレーズを弾けなくちゃ曲にならないんだから、まあ、せっせとやります。モチベが違うという事ね。
プロとなると、まあ、他人の要望に応じて演奏しなくちゃならないから、応用が利くようにあれこれ技術を仕込んでおくのが正解なんでしょうけどね。そんなもんが必要な人って、1000人に一人いるかいないか、じゃないかね。
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