西湖からの帰り、お仲間と高尾駅で別れ、京王線ホームで電車待ちを
していると、同年輩と思われる方に声をかけられた。
「どちらに?」
「西湖まで」
「私も自転車が好きで、3日間ほど乗ってました」
車内で、「今、単身赴任でこれから名古屋に戻るtころです」。
「向こうでは乗らないのですか?」
「この前、自転車で岐阜の淡墨桜を見に行きました」
まぁ、こんな会話をして下車駅でお別れをする。
一見して同じ趣味と判ることで会話ができることは素晴らしい。
6日、大月駅で輪行袋を持った若い人に「どちらまで?」と
聞くと、「松姫峠を」、「それは大変ですね」。
なんていう会話も年齢の差を度外視して気楽に会話できてしまう。
これが、見ず知らずのサラリーマンをつかまえ、「どちらにお勤めで?」
とか「どんなお仕事を?」なんて声をかけるなんてできないし、
一方、そのように声をかけれたら身構えてしまう。
ことほど左様に、声をかける、かけられる、には条件があるということ。
もしかして、そういう条件を満たしていることが起因してトラブルに
巻き込まれることもあるのかも知れない。
言動・行動は「見える」からね。
していると、同年輩と思われる方に声をかけられた。
「どちらに?」
「西湖まで」
「私も自転車が好きで、3日間ほど乗ってました」
車内で、「今、単身赴任でこれから名古屋に戻るtころです」。
「向こうでは乗らないのですか?」
「この前、自転車で岐阜の淡墨桜を見に行きました」
まぁ、こんな会話をして下車駅でお別れをする。
一見して同じ趣味と判ることで会話ができることは素晴らしい。
6日、大月駅で輪行袋を持った若い人に「どちらまで?」と
聞くと、「松姫峠を」、「それは大変ですね」。
なんていう会話も年齢の差を度外視して気楽に会話できてしまう。
これが、見ず知らずのサラリーマンをつかまえ、「どちらにお勤めで?」
とか「どんなお仕事を?」なんて声をかけるなんてできないし、
一方、そのように声をかけれたら身構えてしまう。
ことほど左様に、声をかける、かけられる、には条件があるということ。
もしかして、そういう条件を満たしていることが起因してトラブルに
巻き込まれることもあるのかも知れない。
言動・行動は「見える」からね。
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