気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

9時9時は疲れる

2017-01-06 23:51:11 | 心象風景・身辺雑記
今日は朝晩と会議で家内に弁当を用意してもらう。
そのほかにコンビニ弁当を買う。
年初は何かと忙しい。
仕事とあれば仕方ないが、事情を忖度しないことには疲れる。
あらかじめ予定を立てて準備をしていてもやり直しが発生するとどっと疲れる。
乳幼児の対応なら仕方ないと我慢できるが、大人が相手だとそれはないだろうと。

高齢者は75歳以上だと何かの学会が言い出したらしい。
そんなわがままな地位ある人々がつまんないことで立場の弱い若年者をますます疲弊させるのではと危惧する。

むしろすっぱりと一線を退いてGDPに現れない社会貢献ができないことかと思う。
なにかしら数字に出して行こうとする政策は転換してもいいと思う。
昔は年寄りが孫の面倒を見ていたが今は幼稚園だ、保育園だベビーシッターだと。
そういう経費が表に出せばGDPに算出されるだろう。
じゃぁ、むかしに比べて豊かなのかと考えればむしろそのための費用をねん出するためにあくせくしているのではなかろうか。
国はそうすることで粉飾するのもよかろう。
が、家庭経済はどうなのかな、と思う。

繰り返すが世の中進歩すれば個人的な時間が増えるものと思っていた。
そういう期待があればこそ働く動機になった。
GDPの増大とか右肩上がりの経済成長が国民の豊かさの希望であった。
だが、働く時間は一向に減らないし仕事のきつさは変わらない。
何かがおかしいとおもいながらもそういう社会だからと諦めて身を削っているのが実態の気がする。

ここであらためて考えてみたい。
豊かさの指標を労働時間の右肩下がりの程度で表せないかと。
1970年代に週1日休みが土曜日に半ドンとなり、そして週休2日となった。
この先休み増えていくだろうという期待が持てた。
いまはそれが果てしない夢だったと思う。
どこで違ってきたのだろうか?
先進国に追い付け追い越せと他国より先に成長することを目指したが、後進国がそういう動きをしてきたことで相対的に低成長になってきたのは事実だろう。
いまだに数字で捉えられる成長神話に振り回されているのだと思う。

第一義的に個人の自由時間を増やすこと(労働時間減らしていくこと)を政策の軸にして働き方を見直す時期にきていると思う。
そうでなければ若い人たちが将来に期待を持てないだろう。
副業の容認とか推奨なんていう政策は亡国の発想だ。
ましてや寿命が伸びたのだからもっと働けも同工異曲だろう。
貧相な政策に思う。
ようくわからないが何かがおかしい方向に貧すれば鈍すで突き進んでいる気がしてならない。
選良たるものの発想とは思えないがそれを選んでいるのが国民なのだから千日手みたいなものか。脱力。

やれやれ疲れた一日だった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年初は何かと忙しい | トップ | 無事に終えて一段落 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

心象風景・身辺雑記」カテゴリの最新記事