●室町時代(東山文化)
Ichijyō Kanera writes “Shōdan Chiyō” in response to a question of Shōgun Ashikaga Yoshihisa.
商談(しょうだん)しよう 一時から。
『樵談治要』 しよう→尚→義尚 一条兼良
室町時代の公卿一条兼良は関白・太政大臣に昇進し、氏長者となった。
古典・有職故実・神道に通じ、その学才は当代随一といわれた。
応仁の乱で邸宅や文庫を失い、子の大乗院尋尊を頼って奈良に疎開。将軍義尚の諮問に答えて、『樵談治要』を著し、諸国の守護には率直な人物を選任することなどを意見した。
有職故実の『公事根源(くじこんげん)』、源氏物語の注釈書である『花鳥余情(かちょうよせい)』などの著書もある。
頻出史料『樵談治要』
建武の御法には守護職は……国中の治否只此職による。尤器用に補せられ
ば。撫民の義にかなふべきかと云々。……然るに当時の躰たらく。上裁にも
かゝはらず。下知にもしたがはず。ほしいまゝに権威をもて他人の所帯を押
領し。富に富をかさね。欲に欲をくはふる事。……とはなりぬ。