●ギリシア(アテネ)
Cleisthenes reforms democracy in Athens.
困(こま)る奴らは 遠(とお)くへね。
前508年 陶片追放
10部族制 区を基礎とする国制
クレイステネス
アテネでは、ドラコンによって成文法がつくられて以来、参政権が拡大。前508年、クレイステネスがあらわれ、区(デーモス)を基礎とする国制を定め、氏族制(旧来の4部族制)を廃止し、地縁共同体に基礎をおく10部族制を創始し、500人評議会(10部族選出のそれぞれ50人、合計500人)を設置した。また、僭主の出現を防ぐため、陶片追放(オストラシズム)の制度を創始するなど改革を実施し、ここに民主政治への道が開かれた。
世界大百科事典 第2版の解説
クレイステネス【Kleisthenēs】
前6世紀のアテナイの政治家。アルクメオニダイのメガクレスとシキュオンの僭主クレイステネスの娘アガリステとの子で,ペイシストラトスの僭主政と戦いつつアテナイ民主政を確立した改革者。ペイシストラトスの死(前528か527)後アテナイに帰還したらしく,前525か524年にアルコン職についたことは碑文から疑いがない。しかしペイシストラトスの子ヒッパルコスが殺された(前514)後アルクメオニダイは追放されたが,デルフォイにあってアポロン神殿の神託所の巫女に大きな影響力を発揮した。