▲新田義貞像
●鎌倉時代(光厳天皇 北条高時)
Kamakura shogunate collapses; power is restored to Emperor Go-Daigo.
一味散々(さんざん) 逃げたから。
1333年 足利尊氏 鎌倉幕府滅亡
1331年、正中・元弘の変は失敗し、後醍醐天皇は隠岐に流されたが、護良親王・楠木正成が反幕府の兵を挙げると、畿内の悪党もこれに応じて蜂起し、幕府を混乱させた。このような状況の中、有力御家人も挙兵し、足利尊氏が六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻めるに及んでついに鎌倉幕府は滅亡した。
〈2015早大・社会科学:「
問5 下線部(5)北条高時に関する記述として、不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 第14代執権である。
ロ 父は北条時宗である
ハ 下線部1(後醍醐天皇)を隠岐に流した。
ニ 内管領長崎高資が政治の実権を握っていた。
ホ 足利尊氏から攻められて自殺した。
(答:ロ、ホ ※時宗は8代だから父のはずがない。自殺に追い込んだのは新田義貞)
〈2013早大・政経
【史料】(2)山内一族一揆契約状契約す、一族一揆子細の事 右、c元弘以来、一族同心せしむるより、将軍家より恩賞に預かり、当知行相違なきものなり。爰に去年の秋比(ころ)より、両殿御不和の間、世上いまだ静謐に属せず。
問3.下線部c元弘は何を指しているか。
ア鎌倉幕府の成立 イ蒙古襲来 ウ霜月騒動
エ鎌倉幕府の滅亡 オ中先代の乱
(答:エ)〉