ベック式!難単語暗記法ブログ

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●歴代天皇(小さなヒントでも結構覚えられるもんだよ)

2018-12-30 | ベック式!日本史用語集

1.神武 神武すAiko ここかこす崇神垂。

2.綏靖 庶兄の手研耳命(タギシミミノミコト)を殺す

3.安寧

 

4.懿徳(「」で尻取り) 292年即位。西川王 

5.考昭

6.孝安

7.孝霊 これ焦げ開化 崇神垂。

8孝元(「元」に「八」)

9開化

10.崇神(じ)) ミマキイリヒコ

 

垂にけせちゅお 二里はいあ、

 

垂仁 景行 成務 仲哀 応神 仁徳 履中 反正 允恭 安康

11.垂仁(「垂) クメリヒコ 慕容仁 

 

12.景行 オホタラシヒコ ヤマトタケル 慕容儁 胃に蛍光灯。


13.成務(seimu) ワカタラシヒコ

14.仲哀 タラシナカツヒコ 百済近肖古王

15.応神 ホムツワケ 前秦 苻洛 百済枕流王

16.仁徳 オオサザキ 倭王讃 慕容佐 広開土王(談徳 高句麗)

17.履中(「中」に「七」) イザホワケ 百済18代腆支王余映 阿知使主が擁立 

18.反正(「は」)倭王珍 ミツハワケ

19.允恭(「い」の尻取り+「」に「」) オアサツマワクコ 新羅19代訥祇麻立干(卜好)

 

允安雄りゃ 清顕ぞ。


20.安康(「こう」) アナホ 倭王興 大悪天皇 眉輪王に殺害される

21.雄略 ワカタケル 倭王武 百済王族昆支

22.清寧(22歳の青年) シラカ

23.顕宗(ぞう) 弘計王 イハスワケ

24.仁賢 億計王 オホケ (「臣」)仁賢武継 安か宣。

25.武烈(「武」の中に「」) ワカサザキ 牟大  百済24代東城王

26.継体(「体」に「」) ヲホド大王 新羅22代、智証麻立干

27.安閑 (「」に「7」) マガリ 高句麗22代、安蔵王

28.宣化(「」の「」は「」) ヒノクマ 新羅24代 真興王

29.欽明(「」) 百済26代、聖王 き敏用崇 推舒ここさて こてじもん。

30.敏達 

572即位

サタノヌナクラフトタマシキ 百済27代、威徳王 皇后は額田部皇女(後の推古)

In September, 585, when Emperor Bidatsu passed away with his funeral ceremony held in Hinkyu (funeral parlor), Prince Anahobe was eager to reign the whole country and said resentfully: 'I don't understand why you obey the dead king and not the living one.'

敏達天皇14年(585年)8月、敏達天皇が崩御し、殯宮で敏達天皇の葬儀が行われると、穴穂部皇子は天下を欲し「何故に死する王に仕えるのか、生きる王に仕えない」と憤慨した。ところが、同年9月に大臣・蘇我馬子の推す大兄皇子(用明天皇)が即位したため、これに対抗し大連・物部守屋と結んだ。

31.用明 タチバナノトヨヒ 29欽明の皇子、聖徳太子は子。

32.崇峻 ハツセベ 29欽明の皇子 587年即位。

33.推古(スリー) トヨミカシキヤヒメ 敏達妃

34.舒明

35皇極(「」で5)

 

36.孝徳(「とく」で6)

37 斉明(「」の字に「」) 

38.天智(「」は「8」)

39弘文(こ)

40.天武(テン)

41持統

42.文武 草壁長子、軽皇子  不比等の娘、宮子を夫人とする(697年)

43.元明

44.元正 715年即位

45.聖武(在位724~749「何聖武帝 よく至高。」) 

46.孝謙(在位749~758)

47.淳仁

48.称徳

49.光仁(こ) 天智系

50.桓武

781年 光仁天皇譲位。第50代桓武天皇即位。

 回ってる独楽に冠をイメージ。 

51.平城

52,嵯峨(809~823)薬子の変(810)、新撰姓氏録(815)、凌雲集(814)、藤原冬嗣(775~826))

53.淳和(「サンズイ」で3)(823~)827年 稲荷の祟り。

54.仁明

55.文徳

56.清和

57.陽成(成」に「七」)

58.光孝(光に「」)

59.宇多(尻取り) 887年即位 888年阿衡の紛議 宇多ダイス村 霊園か 遺産語彙ごす ごれい誤差。

60.醍醐(尻取り)

61.朱雀

62.村上 946年即位 967没。

63.冷泉 〈在位 967-969 出来事.安和の変(969年)

冷泉天皇は容姿が非常に端麗であったが、皇太子時代から精神の病ゆえの奇行が目立った。

64.円融(「融」にムシ)

65.花山(「花」は「五」に似てる)寛和2年(986年)6月22日、19歳で宮中を出て、剃髪して仏門に入り退位した。突然の出家について、『栄花物語』『大鏡』などは寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に死亡したことを素因とするが、『大鏡』ではさらに、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えている。

66一条(条)

67.三条(条」) 后は藤原道長の次女姸子。退位の際に詠んだとされる歌が小倉百人一首に採られている。 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 

68.後一条 母は藤原彰子 后は道長の三女威子、つまり叔母。

69.後朱雀(「後ろの数字が「9」)中宮は嬉子 ごっす嬉し。

70.後冷泉(「」で後ろの数字が「0」)

Anxious about Emperor Goreizei, who did not have a prince, FUJIWARA no Yorimichi and Jotomonin tried to resolve the situation by having the Imperial Princess who had close ties with the Sekkan-ke (line of regents and advisers) enter the court and become the Crown Princess; however, Imperial Princess Keishi had only one male and one female children, both of whom had died young.

後冷泉天皇に皇子誕生が見られず焦っていた頼通や上東門院は、摂関家と縁の深い内親王を東宮妃に入れることで打開を図ったと見られるが、馨子内親王には夭折した一男一女がいたきりであった。

71.後三条

Emperor Gosanjo tried to follow the ruling of Emperor Kanmu, and he formulated various policies, to finalize the reconstruction of Imperial Palace, and the subjugation of Ezo (Emishi).

後三条天皇は桓武天皇を意識し、大内裏の再建と征夷の完遂を政策として打ち立てる。

72.白河(白)

73.堀河

74.鳥羽(「鳥」の「、、、、」)(在位1107(嘉承2)年~1123(保安4)年) 

75.崇徳

76.近衛(「近」に6」)

77.後白河

78.二条

79.六条(く)

80.高倉(口)

81.安徳

82.後鳥羽

83.土御門(「」は三画)

84.順徳(

85.仲恭

86.後堀河(出」に「六」)

87.四条(四に八、条に7)

88.後嵯峨 (八八=山山)

Sadamichi TSUCHIMIKADO, who was a maternal uncle of the new Emperor, had married Yasutoki's younger sister, and therefore Yasutoki started to infiltrate the Imperial Court through Sadamichi.

新天皇の外戚(叔父)である土御門定通は泰時の妹を妻としていたため、以後泰時は定通を通じて朝廷内部にも勢力を浸透させていくことになる。

Amongst the extensive Imperial private estates, Gosaga had planned so that Gofukakusa could inherit the large Chokodo group of private estates consisting of over 100 estates around the country, but Gofukakusa was not satisfied.

後嵯峨は、膨大な王家領荘園群のうち、全国100ヶ所以上の荘園から構成される大荘園群長講堂領を後深草が相続できるようとりはからっていたが、それだけでは後深草の不満は収まらなかったのである。

89.後深草(く)

90.亀山()法皇となり、南禅寺の創建

91.後宇多(「こ」+「UNO」)

92.伏見([ふ」)

93後伏見(「み」)

94後二条(二条)

95花園(「花」は「五」に似てる)

96後醍醐(醍醐の6)

97後村上(村)

 

98長慶(「慶」の「心」に「八」)

99.後亀山(亀山の9)

100後小松

101称光

102後花園

103.後土御門(「土」は三画)

104.後柏原(「」) (御陵が柏原にあることから、桓武天皇のことを柏原の帝という。)

105.後奈良(第51代平城天皇を「奈良の帝」と称することを受けたもの。平城天皇は初めて平安京で即位した天皇だが、薬子の乱の責めを負って平城の旧都に幽閉され、そこで亡くなりました。ゆえに「奈良の帝」と呼ばれた。)

However, when this was rejected, Enryaku-ji Temple sought permission for the subjugationof the Hokke sect from the Emperor Gonara.

だが、これ(延暦寺の大衆が集合して京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山に対して延暦寺の末寺になるように迫ったこと)を拒否されると、延暦寺は後奈良天皇に法華宗討伐の許可を求める。

106.正親町 (1を6から引くと正)

毛利元就などの献金を受けてようやく即位の礼を挙げることができた。

At last there was an enthronement ceremony; a coronation after having donations from Motonari MORI and so on.

 

また、正親町天皇の時も皇室財政から即位礼費用の拠出は叶わず、毛利元就の援助をして挙行した。

 

Moreover, Emperor Ogimachi's enthronement ceremony was held with financial support from Motonari MORI because of Imperial financial difficulty.

107.後陽成 (「成」に「」)

108.後水尾 (「」。56代清和天皇を「水尾の帝」と称することを受けての追号。清和天皇は退位の後、丹波の国、水尾の里で仏道修行に励まれ、崩御の後もそこに御陵が築かれた。)

109.明正 興子内親王

110.後光明(後光明天皇は光明天皇を受けての追号。光明天皇は北朝の天皇ですから、歴代天皇の中に出てきません。なお、光明という追号は、大光明寺に御陵があることによります)

111後西(「い」)

112.霊元(元霊の「」に「」、「」に「」)

113東山

114.中御門

115桜町天皇

116桃園

117後桜町(いいな最後の女帝でも)

118.後桃園

119.光格(「」)尊号一件 閑院宮家から天皇を継いだ例。皇位についていないその実父に太上天皇の尊号を贈ろうとして起こった事件。

120.仁孝(「に」+「庚」)

121.孝明(「孝」の尻取り+「」) 18661225日、孝明天皇死去。

122.明治

123.大正

124昭和 (し)

Hirohito in dress uniform.jpg

125今上  

  

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