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1352年 〈半済令の発布〉★

2016-08-09 | 『新日本史頻出年代暗記』

●室町時代(noti)(後村上天皇・足利尊氏)

Hanzeirei is promulgated by Ashikaga Takauji.
        
 一味公認 半分を。
 1352年 美濃 半済令 近江・尾張   


南北朝の動乱期には、成長しつつあった地方武士を幕府が動員するためには、守護の権限を大幅に強化する必要に迫られた。

1352年、足利尊氏は、荘園年貢の半分を軍費として守護に与える半済令を施行。

当初近江・美濃・尾張の3国に臨時に施行され、やがて諸国に拡大し、武士の荘園・公領進出を促した。

 

平安時代の頃の荘園について、少し確認しておきます。
 荘園の中に住んで働いていた農民たちは、生産した農作物の一部を年貢などの形で荘園領主に支払っていました。もう少し詳しく述べると、各地の荘園において、荘官(荘園の管理人)が年貢を農民から集め、(京都などに住んでいる)荘園領主に送っていました。

〈 荘園領主(貴族・皇族・寺社) 〉 年貢 〈 荘 官 (荘園の管理人)〉年貢 荘園 農民たち

 鎌倉幕府ができたりして、武士が力を持つようになると、武士たち(地頭など)も荘園に介入するようになっていきます。
 そして室町幕府は、「半済令」を発布して、荘園の年貢の半分を守護が徴収することと定めました。荘園全体から得た年貢を荘園領主と守護とで半分ずつ分けるという方式がとられたほか、荘園の土地そのものを半分ずつに分けて、荘園領主と守護がそれぞれの土地から年貢を徴収するという方式がとられる場合もありました(下の図を参照)

〈 荘園領主(貴族・皇族・寺社) 〉 年貢 〈 荘 官 〉年貢 荘園 農民たち 農民たち 荘園 年貢 〈  守 護  〉

「守護請」になると、守護は平安時代の荘官のような役割を担うことになります。荘園を半分に分けるのではなく、荘園全体から年貢を守護が徴収し、その中から荘園領主にも年貢の一部を送るという方式だったわけです。

〈 荘園領主(貴族・皇族・寺社) 〉 年貢 〈 守 護 〉年貢 荘園 農民たち

この図だけを見ると、平安時代の荘官と変わらないように思えますが、実質は大きく異なっていました。強大な軍事力を持つようになった守護が、農民たちから年貢を徴収したあと、荘園領主に年貢を送らないようになっていったからです。守護は、力ずくで荘園の年貢、さらには荘園そのものを自分のものとしていったのです。

【アドバイス】

こうした土地制度に関連した部分は、日本史全体の中でも非常に難しいと言えます。それだけに、問題で正解できる程度に理解できれば十分と思って構わないでしょう。
また、「半済令」と「守護請」との区別で混乱する人も多いようですが、「半分」という表現が見られる場合には「半済令」が正解になるのが普通だというような、単純な手がかりもあります。実際には、「半済令」と「守護請」を区別するのはそんなに難しいことではありません。問題を解く上では、それほど細かいところまで気にしなくても、何とかなるはずですよ。

〈2016上智大・法(地球)済(営)総人(社福)

問9 下線部g「守護」の権限はしだいに強大化し、半済令もその適用範囲が拡大していった。1352年に発令された半済令が、当初対象としていた国はどこか。次の中からlつ選びなさい。

 1山城(1国のみ)
 2山城・丹波の2国
 3大和・紀伊の2国
 4山城・大和・近江の3国
 5近江・美濃・尾張の3国

(答:5)〉

〈2016立命館大・全学部

〔2〕一、寺社本所領の事 6)観応三・七・廿四御沙汰
諸国7)擾乱に依り、寺社の荒廃、本所の牢龍、近年倍増せり。而るに適静謐の国々も、武士の濫吹未だ休まずと云々。働て守護人に仰せ、国の遠近に依り日限を差し、施行すべし。承引せざる輩に於いては、所領の[ D ]分の一を分ち召すべし。所帯無くば、流刑に処すべし。(中略)
 次に[ E ]三ヶ国の本所領半分の事、[ F ]所として、当年一作、軍勢に預け置くべきの由、守護人等に相触れ訖(おわ)んぬ。半分に於いては、宜しく本所に分かち渡すべし。若し預人(あずかりにん)事を左右(そう)に寄せ、去(さり)渡さざれば、一円に本所に返付すべし。

                                                           (『[ G ]』)

問h 下線部6)に関連して、この年の通達ののちに足利義満が3代将軍となった年にも、天皇領と殿下渡領を除く荘圈の下地を、無期限に折半する内容の法令が出されている。この法令が出された、もっとも適当な西暦年を下から一つ選べ。


 あ 1352年 い 1359年
 う 1368年 え 1394年


問i 下線部7)は、ある人物が、将軍派の武将として権勢をふるい将軍の弟との対立を深めていくなかで生じた内紛である。「ある人物」は、のちの管領にあたる役職を帯びていた。この役職名を答えよ。


問j 空欄[ D ]にあてはまる、もっとも適当な漢数字を答えよ。


問k 空欄[ E ]にあてはまる語句の組み合わせとして、もっとも適当なものを下から一つ選べ。


 あ 越前・近江・美濃   い 近江・美濃・尾張

 う 美濃・尾張・三河   え 山城・越前・加賀

問l 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。


問m 空欄[ G ]は、御成敗式目を基本法として継承した、室町幕府の法令集である。これにあてはまる、もっとも適当な出典名を漢字6文字で答えよ。


(答:hう(史料は観応の半済令だが問うているのは応安の半済令)、i執事(ある武将とは高師直)、j三、kい、l兵粮料(所)、m建武以来追加)〉

 

〈2013早大・文:「
 室町幕府が施行した半済令について正しく説明したものを1つ選び、マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。


ア 1352年、足利尊氏は大和・河内・摂津に半済令を施行し、南朝の京都侵攻に対処した。

イ 半済令は、室町幕府に反抗した守護についても降参した後、その半分の年貢取得を認めるものであった。
ウ 半済令は観応の擾乱に際して、足利尊氏が関東諸国の守護を味方につけるために施行したものである。
エ 1368年の応安半済令以降は荘園の下地まで分割されることとなり、事実上無期限となった。
オ 応仁の乱以降、半済令により守護は水田一段ごとに五貫文の銭貨を徴収できるようになった。)」

(答:エ ※ア×近江・美濃・尾張の3国の誤り、オ×一定額の銭貨ではなく半年貢である)〉



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