▲カルナータカ地方(青い部分)
●イギリス(ハノーヴァー朝)
The Carnatic Wars were a series of military conflicts in the middle of the 18th century on the Indian subcontinent.
The conflicts involved numerous nominally independent rulers and their vassals, struggles for succession and territory, and included a diplomatic and military struggle between the French East India Company and the British East India Company.
避難(ひなん)しよかな 皆インド。
1744年 カーナティック戦争 南インド イギリス
17世紀後半に絶頂期をむかえたムガル帝国も、1707年にアウラングゼーブが死去すると分裂状態に陥り、これに乗じてイギリスはマドラス(現.チェンナイ)を拠点に、フランスはポンディシェリーを拠点に、両東インド会社はともに勢力をのばして争った。
この争いは1740年のオーストリア継承戦争の勃発を契機に一層激しさを増し、1744年にカーナティック戦争が始まった。
デュプレクスが総督になると、インド人諸侯相互の争いもからんで紛争が頻発した。
1756年8月、ヨーロッパで七年戦争が勃発すると、1758年に南インドでも英仏間による第3次カーナティック戦争が勃発した。
その前年、1757年10月にプラッシーの戦いが起こり、イギリスがフランスの味方したベンガル太守軍に勝利し、ベンガル地方はイギリスの勢力下に入っていた。
南インドでは3回のカーナティック戦争の結果、最終的にイギリスが勝利を収め、イギリスの支配権が確立した。
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