■メイン写真
第三砲台跡の弾薬庫を見物する
■今回のコース
加太港→淡島神社→役行者堂→加太港⇒(友ヶ島汽船)⇒野名浦桟橋→神島遥拝所→
南垂水キャンプ場→第三砲台跡→タカノス山→孝助松→友ヶ島灯台→第二砲台跡→
野名浦桟橋
紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島を久しぶりに訪れた。
島の遊歩道は傷みが激しいのか、やたら通行止めが多くて困った。
友ヶ島は、紀淡海峡の4つの島の総称で、その中、沖ノ島には明治時代から太平洋戦争
のころまで現役だった砲台跡が残っている。いわゆる由良要塞の一部である。
友ヶ島汽船の出航時間を待つ間、加太の淡島神社に寄ってみた。
淡島神社は、神功皇后や仁徳天皇ゆかりの神社。詳しくは神社のホームページに
譲るが、役目を終えた雛人形や縁起物の置物などを納めに来る人で絶えず、
3月3日に行われる雛流しの神事は有名である。
次に足を向けてみたのは役行者堂。117段の階段を上がり、阿字ヶ峰と呼ばれる高台へ。
友ヶ島の序品窟へ詣でる修験者たちが、まず訪れる場所だという。
友ヶ島汽船で野名浦桟橋へ。わずか20分の船旅であるが、平日にもかかわらず
客は多かった。
島に上陸し、小展望台から神島を望む。
そのあと、閼伽井跡から虎島を観に行く予定だったが、ほどなくして遊歩道は通行止めに
なっていた。
つい先日も修験の行者さんたちが何の苦労もなく入れているのは知っているが、
向こうから現れた軽トラックのおっちゃんによると、倒木等で歩けたものではなく、
たいへん危険だとのことだ。
南垂水キャンプ場に移り、潮風に吹かれながら昼食をとる。
キャンプ場の古いキャンプファイヤー場跡に、現代アートができていた。
少し時間が浮いたので、波打ち際の岩壁で、岩場通過の練習。
三点確保やトラバース、クライムダウンなど、基本動作をひと通り。
これはこれで、いい機会になった。
第三砲台跡へ。発電所跡は屋根が抜けていて、その中に樹々が茂っている。
この島は明治時代以降、軍の直轄地となったため一般居住者はいなかった。
そのため終戦後、砲台の役目を終えても当時の建築物の多くはそのまま残ったのだ。
荒れ放題の砲台跡にウラシマソウが生えていた。
タカノス山の山頂に到着。標高119mで、島の最高峰。一等三角点がある。
ふたたび海岸線まで下る。孝助松だ。浮世絵に描かれていてもよさそうな光景だ。
また登り返して、友ヶ島灯台へ。
竣工は日本で8番目という、歴史ある西洋式灯台という。
経済産業省の「近代産業遺産」でもある。
ここに「漁業基点」を見つけた。恥ずかしながら初見。
漁場の領域を決めるための測量基準点ということだろうか、よくわからない。
島の西端にある第二砲台跡。
戦後、再活用されないため一部爆破されていることもあり、崩壊が激しく
中には入れない。レンガ造りの建屋が真っ二つになって斜めに倒れかけている
様子が生々しい。
最短ルートが通行止めになっていたので、迂回して野名浦桟橋に戻った。
桟橋のすぐ西側ではリスが餌付けされていて、数匹が悠然と餌を食べていた。
第三砲台跡の弾薬庫を見物する
■今回のコース
加太港→淡島神社→役行者堂→加太港⇒(友ヶ島汽船)⇒野名浦桟橋→神島遥拝所→
南垂水キャンプ場→第三砲台跡→タカノス山→孝助松→友ヶ島灯台→第二砲台跡→
野名浦桟橋
紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島を久しぶりに訪れた。
島の遊歩道は傷みが激しいのか、やたら通行止めが多くて困った。
友ヶ島は、紀淡海峡の4つの島の総称で、その中、沖ノ島には明治時代から太平洋戦争
のころまで現役だった砲台跡が残っている。いわゆる由良要塞の一部である。
友ヶ島汽船の出航時間を待つ間、加太の淡島神社に寄ってみた。
淡島神社は、神功皇后や仁徳天皇ゆかりの神社。詳しくは神社のホームページに
譲るが、役目を終えた雛人形や縁起物の置物などを納めに来る人で絶えず、
3月3日に行われる雛流しの神事は有名である。
次に足を向けてみたのは役行者堂。117段の階段を上がり、阿字ヶ峰と呼ばれる高台へ。
友ヶ島の序品窟へ詣でる修験者たちが、まず訪れる場所だという。
友ヶ島汽船で野名浦桟橋へ。わずか20分の船旅であるが、平日にもかかわらず
客は多かった。
島に上陸し、小展望台から神島を望む。
そのあと、閼伽井跡から虎島を観に行く予定だったが、ほどなくして遊歩道は通行止めに
なっていた。
つい先日も修験の行者さんたちが何の苦労もなく入れているのは知っているが、
向こうから現れた軽トラックのおっちゃんによると、倒木等で歩けたものではなく、
たいへん危険だとのことだ。
南垂水キャンプ場に移り、潮風に吹かれながら昼食をとる。
キャンプ場の古いキャンプファイヤー場跡に、現代アートができていた。
少し時間が浮いたので、波打ち際の岩壁で、岩場通過の練習。
三点確保やトラバース、クライムダウンなど、基本動作をひと通り。
これはこれで、いい機会になった。
第三砲台跡へ。発電所跡は屋根が抜けていて、その中に樹々が茂っている。
この島は明治時代以降、軍の直轄地となったため一般居住者はいなかった。
そのため終戦後、砲台の役目を終えても当時の建築物の多くはそのまま残ったのだ。
荒れ放題の砲台跡にウラシマソウが生えていた。
タカノス山の山頂に到着。標高119mで、島の最高峰。一等三角点がある。
ふたたび海岸線まで下る。孝助松だ。浮世絵に描かれていてもよさそうな光景だ。
また登り返して、友ヶ島灯台へ。
竣工は日本で8番目という、歴史ある西洋式灯台という。
経済産業省の「近代産業遺産」でもある。
ここに「漁業基点」を見つけた。恥ずかしながら初見。
漁場の領域を決めるための測量基準点ということだろうか、よくわからない。
島の西端にある第二砲台跡。
戦後、再活用されないため一部爆破されていることもあり、崩壊が激しく
中には入れない。レンガ造りの建屋が真っ二つになって斜めに倒れかけている
様子が生々しい。
最短ルートが通行止めになっていたので、迂回して野名浦桟橋に戻った。
桟橋のすぐ西側ではリスが餌付けされていて、数匹が悠然と餌を食べていた。