![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ed/0902af6e6ee60f903fb22c83f994dbb7.jpg)
■メイン写真
八柱神社の裏手の小ピークに、忘れ去られたように役行者像がある
■今回のコース
滝坂の道入口→首切り地蔵→石切峠→八柱神社→芳山→二尊石仏→梵字石→中ノ川石仏群→
護摩石→牛塚十三重石塔→青山住宅バス停
奈良の春日山原生林・高円山一帯の山域のすぐ東側に残る、修験道の痕跡や
素朴な石仏たち。先日、下見を済ませ、今回ガイドしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/29/2ecc176f68833631fbc8dde506a89a23.jpg)
朝方まで冷たい雨が降っていたので、安全を考慮し、スタートを滝坂の道(旧柳生街道)に
変更した。こっちは安全な遊歩道だ。
滝坂の道入口まではタクシーで行けば却ってワリカンで安くつく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/60/47dc917ce6d0a7fcf9d8791e6989a2f3.jpg)
滝坂の道にも、石仏が多くみられる。
寝仏。もとは路傍の斜面にあった摩崖仏と考えられるが、いつの間にか落石により
道に転がってしまった。作られたのは室町時代初期とも鎌倉時代とも言われ、
大日如来のレリーフとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/ae07ef0b6def8a66f0e4b47523cdd232.jpg)
夕陽観音。夕日が当たると美しく映えるという。鎌倉時代の弥勒磨崖仏で身長1.6mだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/fb/e9ef092d85e3a7474c1d5bb4ea90098c.jpg)
朝日観音。東に面しており、朝日に映える。真ん中に弥勒菩薩、左右に地蔵菩薩が
控える三尊仏だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/44/6d2e32d9750e32a67a2e68cc8ee7dace.jpg)
途中にはスギやモミの大木がたくさん見られる。大いなるパワーを感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b5/b112577ec9e9e40e7427d6f03658a8ef.jpg)
滝坂の道の出口に当たる三叉路に首切り地蔵が立つ。鎌倉時代の作。
首のところで割れているが、これは柳生新陰流の剣豪・荒木又右衛門が試し斬りしたためという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6e/4c92f76c18824e207325658ddef6eed0.jpg)
石切峠を越えたところにある峠の茶屋。閉店説も流れていたが、この日は営業していた。
お店のおじいさんに聞いてみると、ずっと開けているよとのこと。
休憩を勧められたが、先の行程が長いのでこの日はパス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/92/68701894fc319652a0b3774e65c0f4a5.jpg)
300mほど進むと、右手に公衆トイレがあり、道路の向かいには八柱神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/84/6b6804033baed592cca1234372f4f11b.jpg)
神社の裏手から、明瞭な道はないものの尾根を目指して急坂を登ると、
小ピークに役行者像をみる。今回改めて台座に刻まれた文字を見ると、
「宝暦」と「誓多林」の文字が確認できた。
宝暦年間というと江戸時代で、9代将軍家重、10代家治の頃だ。
あと大岡忠相が亡くなり、松平定信が生まれたのも宝暦年間だ。
280年も経っているうえ、このように放置されているのに、じつにきれいに残っている。
道がなくなっている尾根筋は、先日の下見で、あるていど枝を払っておいたので、
少しは歩きやすくなっていたが、それでも倒木をよけたり、探検モードは変わらない。
しばらくすると、石切峠から芳山へ通じる登山道と合流する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/62/1304ee47b84a891528ccb4a10da9fa40.jpg)
芳山の山頂に到着。ここだけ岩が散らばった、落ち着いた山頂だ。
それにしても尾根道に出てからは風が冷たくて寒い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c5/13fd3bbcfa346b0c871bc3f090e15b35.jpg)
二尊石仏に寄り道する。ちょっとした平坦地になっており、風が当たらないので、
ここでランチタイムとした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/3b/d03c0f326b1cc0db51e7cb9c491c7e09.jpg)
フェンス沿いの山道を北へ進み、林道に出る。4つ辻を北にとり、眺めが開けた茶畑に出る。
足元は落ち葉が深く積もっている。フワフワで心地いい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/45/24afea12bc10d39226a17824b64a127b.jpg)
突然、路傍に身長を超える高さの岩が見える。梵字石だ。
梵字は、神仏を一字で現す文字であり、ここに掘られたキリークという文字は阿弥陀如来を
指すという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/4b/7d307f7d3545335f46d706e1da0a91e3.jpg)
国道369号線に出て、100mほど西へ。ピンクテープを目印に再び山に入る。
ぼろぼろと崩れかけた斜面を登るところが今回唯一、緊張する場面だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/50/9dd93d1d1d406c18d0176b960c787219.jpg)
ほどなく小ピークに出ると、首のない役行者像が待っている。
廃仏毀釈・修験禁止令で破壊されたのか。修験道にまつわる歴史がしのばれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/bd/b087fc486673cfdea88d5c3aae54784e.jpg)
ソーラー発電所の上部から眺めを楽しんで、再び国道369号線に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/40/2081c0afadcb5f038b218745c4d5a25a.jpg)
国道を渡るとすぐ、中ノ川石仏群に着く。経塔石から地蔵、古い墓石まで
雑多に集められている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c6/7335a38d71fd134747dd74617b002f13.jpg)
「中の川」のバス停前には、中ノ川の辻の地蔵石仏がある。室町時代の作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c5/0b7700145054d1c20dfa2636167d92d4.jpg)
吉川妙管道場(白龍山)の役行者像は、少しふくよかでやさしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/db/7c6d9ebf093babf9575ac0418d2664d1.jpg)
三社神社の左側の道から獣除けゲートを開けて林道を進むと、かなり豪華な五輪塔が
たたずむ中ノ川の共同墓地に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1d/6f6f74d785f0061a760065cab53fd69b.jpg)
ここを抜けて、分岐を左にとると、石橋が落ちた小川を渡渉し、ちょっとした坂を
登り切ると、護摩石への道が右に分岐する。
300mほど行ったところに護摩石があるが、もちろん修験の護摩は石の上で焚くものでは
ない。護摩石の正体は宝塔の基台ではないかとの説明板がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/7f/db6753efc3635a5a4668c674da0fc05e.jpg)
さきほどの分岐に戻り、さらに数分進むと、牛塚に着く。
牛塚には、上の数段の石が欠損した十三重石塔がある。
「鎌倉時代、南都復興のための資材を運んだ牛を供養するために建てられた」とも、
「東大寺の大仏建立の際、工事の安全を願って丑寅北東の方向(鬼門)に建てた塔」
ともいわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a3/d04b08c495fcd25d88e301cb90a8b321.jpg)
塔の直下にある祠には、首のない石仏が。1980年代に首だけが盗まれてしまったそうだ。
たくさんの石仏を見つけながら歩いてきた山旅もこれで終盤。
幅広の未舗装林道を西へ、ならやま浄苑に出て、緑ヶ丘浄水場の前を通って
青山住宅バス停へと下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/46/c7227a2d6c4ae948379bc5b6e1e50231.jpg)
ところで道中の某所でナメコをみつけた。こんな低い標高の場所でもあるもんだなと驚いた。
八柱神社の裏手の小ピークに、忘れ去られたように役行者像がある
■今回のコース
滝坂の道入口→首切り地蔵→石切峠→八柱神社→芳山→二尊石仏→梵字石→中ノ川石仏群→
護摩石→牛塚十三重石塔→青山住宅バス停
奈良の春日山原生林・高円山一帯の山域のすぐ東側に残る、修験道の痕跡や
素朴な石仏たち。先日、下見を済ませ、今回ガイドしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/29/2ecc176f68833631fbc8dde506a89a23.jpg)
朝方まで冷たい雨が降っていたので、安全を考慮し、スタートを滝坂の道(旧柳生街道)に
変更した。こっちは安全な遊歩道だ。
滝坂の道入口まではタクシーで行けば却ってワリカンで安くつく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/60/47dc917ce6d0a7fcf9d8791e6989a2f3.jpg)
滝坂の道にも、石仏が多くみられる。
寝仏。もとは路傍の斜面にあった摩崖仏と考えられるが、いつの間にか落石により
道に転がってしまった。作られたのは室町時代初期とも鎌倉時代とも言われ、
大日如来のレリーフとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/ae07ef0b6def8a66f0e4b47523cdd232.jpg)
夕陽観音。夕日が当たると美しく映えるという。鎌倉時代の弥勒磨崖仏で身長1.6mだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/fb/e9ef092d85e3a7474c1d5bb4ea90098c.jpg)
朝日観音。東に面しており、朝日に映える。真ん中に弥勒菩薩、左右に地蔵菩薩が
控える三尊仏だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/44/6d2e32d9750e32a67a2e68cc8ee7dace.jpg)
途中にはスギやモミの大木がたくさん見られる。大いなるパワーを感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b5/b112577ec9e9e40e7427d6f03658a8ef.jpg)
滝坂の道の出口に当たる三叉路に首切り地蔵が立つ。鎌倉時代の作。
首のところで割れているが、これは柳生新陰流の剣豪・荒木又右衛門が試し斬りしたためという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6e/4c92f76c18824e207325658ddef6eed0.jpg)
石切峠を越えたところにある峠の茶屋。閉店説も流れていたが、この日は営業していた。
お店のおじいさんに聞いてみると、ずっと開けているよとのこと。
休憩を勧められたが、先の行程が長いのでこの日はパス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/92/68701894fc319652a0b3774e65c0f4a5.jpg)
300mほど進むと、右手に公衆トイレがあり、道路の向かいには八柱神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/84/6b6804033baed592cca1234372f4f11b.jpg)
神社の裏手から、明瞭な道はないものの尾根を目指して急坂を登ると、
小ピークに役行者像をみる。今回改めて台座に刻まれた文字を見ると、
「宝暦」と「誓多林」の文字が確認できた。
宝暦年間というと江戸時代で、9代将軍家重、10代家治の頃だ。
あと大岡忠相が亡くなり、松平定信が生まれたのも宝暦年間だ。
280年も経っているうえ、このように放置されているのに、じつにきれいに残っている。
道がなくなっている尾根筋は、先日の下見で、あるていど枝を払っておいたので、
少しは歩きやすくなっていたが、それでも倒木をよけたり、探検モードは変わらない。
しばらくすると、石切峠から芳山へ通じる登山道と合流する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/62/1304ee47b84a891528ccb4a10da9fa40.jpg)
芳山の山頂に到着。ここだけ岩が散らばった、落ち着いた山頂だ。
それにしても尾根道に出てからは風が冷たくて寒い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c5/13fd3bbcfa346b0c871bc3f090e15b35.jpg)
二尊石仏に寄り道する。ちょっとした平坦地になっており、風が当たらないので、
ここでランチタイムとした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/3b/d03c0f326b1cc0db51e7cb9c491c7e09.jpg)
フェンス沿いの山道を北へ進み、林道に出る。4つ辻を北にとり、眺めが開けた茶畑に出る。
足元は落ち葉が深く積もっている。フワフワで心地いい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/45/24afea12bc10d39226a17824b64a127b.jpg)
突然、路傍に身長を超える高さの岩が見える。梵字石だ。
梵字は、神仏を一字で現す文字であり、ここに掘られたキリークという文字は阿弥陀如来を
指すという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/4b/7d307f7d3545335f46d706e1da0a91e3.jpg)
国道369号線に出て、100mほど西へ。ピンクテープを目印に再び山に入る。
ぼろぼろと崩れかけた斜面を登るところが今回唯一、緊張する場面だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/50/9dd93d1d1d406c18d0176b960c787219.jpg)
ほどなく小ピークに出ると、首のない役行者像が待っている。
廃仏毀釈・修験禁止令で破壊されたのか。修験道にまつわる歴史がしのばれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/bd/b087fc486673cfdea88d5c3aae54784e.jpg)
ソーラー発電所の上部から眺めを楽しんで、再び国道369号線に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/40/2081c0afadcb5f038b218745c4d5a25a.jpg)
国道を渡るとすぐ、中ノ川石仏群に着く。経塔石から地蔵、古い墓石まで
雑多に集められている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c6/7335a38d71fd134747dd74617b002f13.jpg)
「中の川」のバス停前には、中ノ川の辻の地蔵石仏がある。室町時代の作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c5/0b7700145054d1c20dfa2636167d92d4.jpg)
吉川妙管道場(白龍山)の役行者像は、少しふくよかでやさしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/db/7c6d9ebf093babf9575ac0418d2664d1.jpg)
三社神社の左側の道から獣除けゲートを開けて林道を進むと、かなり豪華な五輪塔が
たたずむ中ノ川の共同墓地に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1d/6f6f74d785f0061a760065cab53fd69b.jpg)
ここを抜けて、分岐を左にとると、石橋が落ちた小川を渡渉し、ちょっとした坂を
登り切ると、護摩石への道が右に分岐する。
300mほど行ったところに護摩石があるが、もちろん修験の護摩は石の上で焚くものでは
ない。護摩石の正体は宝塔の基台ではないかとの説明板がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/7f/db6753efc3635a5a4668c674da0fc05e.jpg)
さきほどの分岐に戻り、さらに数分進むと、牛塚に着く。
牛塚には、上の数段の石が欠損した十三重石塔がある。
「鎌倉時代、南都復興のための資材を運んだ牛を供養するために建てられた」とも、
「東大寺の大仏建立の際、工事の安全を願って丑寅北東の方向(鬼門)に建てた塔」
ともいわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a3/d04b08c495fcd25d88e301cb90a8b321.jpg)
塔の直下にある祠には、首のない石仏が。1980年代に首だけが盗まれてしまったそうだ。
たくさんの石仏を見つけながら歩いてきた山旅もこれで終盤。
幅広の未舗装林道を西へ、ならやま浄苑に出て、緑ヶ丘浄水場の前を通って
青山住宅バス停へと下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/46/c7227a2d6c4ae948379bc5b6e1e50231.jpg)
ところで道中の某所でナメコをみつけた。こんな低い標高の場所でもあるもんだなと驚いた。