ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

法学(法律学)ノート(4):法的責任―民事責任と刑事責任―

2014年11月09日 09時14分13秒 | 法学(法律学)ノート

 法的責任とは「何らかの法規範に違反した場合、制裁を受けなければならない」という地位をいう。以下、具体例を基にして概説する。

 法的責任の例1: A大学の学生Bは、教員Cが率いるゼミのコンパの後、友人D、Eらとカラオケ・ボックスへ行き、酒を大量に飲んで、自宅に帰ろうと自動車を運転した。途中、交差点で赤信号を無視し(あるいは、これに気づかず)、歩行者Fを轢いて人身事故を起こした。Fは病院に運ばれたが、即死だった。

 この場合、次のように法的責任が生ずる可能性がある。

 ①業務上過失致死傷罪(刑法第211条)に問われる可能性がある。この場合の業務とは、「人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であり、かつ、他人の生命・身体に危害を加える恐れのあるものであることを要する」が「行為者の目的がこれによって収入を得ることにあるとその他の欲望を満たすにあるとを問わない」(最判昭和33年4月18日刑集12巻6号1090頁)。また、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(平成25年11月27日法律第86号)第2条などの適用を受ける可能性が高い。また、道路交通法第117条の2第1号および同第65条第1号に違反する。

 ②事故の状況にもよるが、民法第709条以下の不法行為に該当する可能性がある。なお、自動車事故の場合、自動車損害賠償責任法が存在し、特別法として民法に優先適用される(自動車損害賠償責任法第4条を参照)。このため、この特別法が適用される場合がある(同第3条を参照。これによると、「事故のために自動車を運行の用に供する者」が自分の責任を免れるためには、民法で求められるよりも厳しい証明責任を負うことになる)。

 また、例は多くないが国家賠償法(これも民法の特別法)が適用されることがある(最判昭和61年2月27日民集40巻1号124頁は、パトカーの追跡を受けて逃走する者が引き起こした事故によって第三者が損害を被ったという事件について国家賠償法第1条の適用を認めた)。

 ③自動車運転免許の「取消し」(道路交通法第103条。講学上は撤回)をなされる可能性がある(普通はなされる)。

 ①が刑事責任、②が民事責任、③が行政法上の責任である。これらは同時に発生することもあるが、一応は別物である。

 なお、Bは酒を飲んでいて酩酊状態にあったということから、刑法第39条にいう心神喪失者または心神耗弱者に該当するか否かが、一応は問題となる。しかし、Bは、自ら酒を飲み(別に誰かに勧められたのでも良い。結局、自分で酒を飲んだのであるから)、自動車を運転するという意思を持っていた。この場合、自分の心神耗弱状態(彼の、行為の是非を弁別する能力またはその弁別に従って行動する能力が著しく低い状態)を利用して犯罪行為を行ったと考えることもできる(原因において自由な行為)。従って、Bは刑事責任を免れない(判例。これに反対する説もある)。

 法的責任の例2:甲が自動車を運転していた。乙(幼稚園児)と丙(小学生)の兄弟が、道路に向かって石投げをして遊んでいたところ、乙の投げた石が甲の運転する自動車にあたり、フロントガラスにひびが入り、全く前が見えなくなった。甲には外傷がなかったが、自動車を修理に出さなければならない。さしあたり、甲が修理代を払ったが、甲は乙と丙の親である丁に、自動車の修理代を請求した。丁は、我が子乙と丙が石投げをして人の自動車のガラスを割ったことに驚き、親の監督不行き届きであることを認め、修理代を支払った。ちなみに、この事件には目撃者が戊など複数いた。

 この場合、まず、刑法第261条に規定されている器物損壊罪に該当する可能性がある。もっとも、この場合、故意があるかどうかといえば、ないであろう(未必の故意または認識ある過失のいずれかが該当することはありうる)。そうなると、過失器物損壊罪という罪はない(同第38条を参照)ので、器物損壊罪は成立しない。また、自動車のフロントガラスを割った乙は、刑事上の理由で罰せられない(同第41条。刑事責任年齢)。従って、この場合に、刑事責任は生じない。

 民事責任となると話は別である。乙は未成年者であり(民法第4条)、制限行為能力者である(同第5条)。また、乙が幼稚園児であることから、意思能力がないものと扱われることになるし、民法第712条により、責任能力もないと考えられる。従って、甲は乙に対して損害賠償を請求することはできない。しかし、それでは甲が泣き寝入りになって不公平であるから、乙の親の丁に損害賠償を請求できなければならない。そこで、民法第714条第1項により、甲は丁に損害賠償を請求できる。丁は、自分が親としての監督義務を怠っていないと立証できない限り、損害賠償の責任を免れえない。民法の中にも故意・過失の存在を問わない無過失責任の原則を採る規定が存在し(例、民法第717条に規定される工作物責任は、その所有者に無過失責任を負わせる)、特別法において無過失責任の原則を採る規定も多くなっている(この場合でも、不可抗力など、たとえ瑕疵がなくとも工作物が壊れたというような場合には、責任は生じない)。

 ちなみに、民法第709条により、不法行為は加害者の故意または過失に基づいて発生することを要し、本来ならば被害者=請求者が加害者の故意または過失を立証しなければならないが、実際には困難であるため、一般的に、訴訟においては、被害者のほうで損害の発生(存在)を証明すると、加害者の過失の存在は推定される。従って、加害者側が故意・過失を否定するには、この推定を加害者側が覆さなければならない《鈴木禄弥『債権法講義』〔改訂版〕(1987年、創文社)12頁。もっとも、この説明には疑問もある。このように考えないと、公害裁判などにおいて原告を救済できないという事実が存在し、それ以降の話ではないかという疑問である。しかし、自動車損害賠償責任法第3条の規定は、この説明を裏付けている》。

 法的責任の例3:薬害エイズ事件。この事件の場合、業務上過失致死傷(安全なクリオ製剤が存在しているにも関わらず、非加熱製剤の使用継続を決定し、非加熱製材の回収を遅らせる原因を作ったために、結果的に非加熱製材によるHIV感染者を増やした)、不法行為による損害賠償責任(製薬会社)、そして行政責任が問われる。

 法的責任の例1から明らかなように、法的責任には、刑事責任、民事責任、そして行政法上の責任がある。このうち、責任を負うべき者に対する制裁などの観点から重要なものは刑事責任と民事責任である。そこで、この二種について概略を説明する。

 まず、刑事責任とは、刑罰という法律効果を科することができるための要件、とくにその一つとしての主観的要件をいう。言い換えれば、犯罪行為について、その行為者を非難しうることである。この意味における責任がなければ刑罰は科されないのが原則である(Ohne Schuld keine Strafe.)。

 犯罪が成立するためには、三つの要件を必要とする。すなわち、①刑罰に関する法律が存在し、その刑罰法規に規定された犯罪の類型が存在すること(構成要件)、そして或る者の行為が構成要件に該当すること(構成要件該当性)、②その行為が法に反すること(違法性)、③その行為者に責任が認められることである。

 〔構成要件に該当しながら違法性を備えない場合として、正当行為(刑法第35条)、正当防衛(同第36条)、緊急避難(同第37条)がある。〕

 なお、刑事責任という語は、刑を科せられるべき地位(罪責)を指す場合もある。こちらのほうがあるいは正確かもしれないが、民事責任との対比の関係で、ここでは、刑罰という法律効果を科することができるための要件、とくにその一つとしての主観的要件、という意味において用いる。

 次に、民事責任とは、広義では債務不履行(民法第415条)による賠償責任(同第461条)を含む(労働組合法第8条に該当する場合など)が、一般的には民法第709条以下の不法行為による損害賠償責任をいう。刑事責任と重なる場合もあるが、刑事責任と民事責任との両者は別物である(上記の例2を見よ)。

 ここで、少しばかりであるが、刑事責任をもう少し詳しく説明する。

 (1)道義的責任か社会的責任か?

 道義的責任とは、自由意思を有する者がその自由な決意の下に行った行為およびその結果は、行為者に帰属させられるべきであり、行為者は、その行為および結果について道義的に非難されるべきである、というものである。これに対し、社会的責任とは、社会に生存しつつ、社会に対して危険性を有する者は、社会から防衛の手段としての刑罰を受けるべき地位に立たされるのであって、この法的地位が責任である、というものである。

 現在では、完全な自由意思を論拠にすることができない場面が多い。行為者の素質や環境により行為者自身の自由が制約されることもありうるからである。逆に「社会に生存しつつ、社会に対して危険性を有する者は、社会から防衛の手段としての刑罰を受けるべき地位に立たされる」という論は、一切の行為を必然の所産として捉えるものであるが、これは責任の範囲を逸脱している嫌いがあるし、行為者に選択の自由がある(場合がある)ことを無視している。従って、ここでは、大塚仁博士の説に従い、相対的自由を基盤に置きつつ社会的倫理的観点から行為者に加えられる道義的非難と解する。

 (2)行為責任か人格責任か?

 行為責任論:個々の犯罪行為に向けられた行為者の意思に責任非難の根拠を認める見解である。

 人格責任論:団藤重光博士によれば、責任とは、第一次的には行為責任であり、行為者の人格の主体的現実化としての行為に着眼されるべきであるが、行為の背後には、素質と環境とに制約されつつも、行為者の主体的努力によって形成された人格があるのであって、このような人格形成における人格態度に対して行為者を非難しうる。そこで、第二次的に人格形成責任を考えうる。人格責任論は、行為責任と人格形成責任とを一体として扱おうとする理論である。

 規範的責任論:上記二つが責任の基礎を何に求めるかに関する説であるのに対し、これは責任の内容としての要素の性質をいかに捉えるかという点に着目する。責任の実体を、行為者の心理的関係(故意および過失)の他に、行為者に適法行為の期待可能性が存在したことと捉える。

 責任の要素は、主観的責任要素、客観的責任要素に分けられる。主観的責任要素は責任能力を意味する。すなわち、故意犯については犯罪事実以外の違法性に関する事実の表象および違法性の認識であり、過失犯についてはこれらを欠如したことについての行為者の不注意である。これに対し、客観的責任要素は適法行為の期待可能性であり、行為者自身の内面的事情や人格形成環境の意味も考慮される。

 責任判断とは、構成要件に該当する違法な行為について、その行為者を刑法的に非難しうるという行為者人格に向けられた無価値判断を意味する。

 次に、民事責任をもう少し詳しく説明する。

 通説によると、不法行為の成立要件は、①故意または過失による行為が存在すること、②行為者に責任能力があること、③行為によって他者の権利が侵害されたこと、ないし行為が違法であること、および④違法な行為によって他者に損害が生じたことである。

 〔但し、民法第709条にいう「権利」の語を厳格に解すると、不法行為に対する保護の範囲が著しく狭くなる。その例として、大審院判決大正3年7月4日刑録20巻1360頁(雲右衛門浪曲事件判決)がある。しかし、現在では、権利の語を緩やかに解し、違法な行為によって他人に損害を与えれば不法行為が成立するというのが通説である。〕

 民事責任に関しても違法性阻却事由が存在する。すなわち、①正当防衛(民法第720条第1項本文)、②緊急避難(同第720条第2項)、③例外的な自力救済の認容、④法令で認容された行為など、⑤被害者の承諾である。

 このうち、正当防衛は、客観的な違法行為があれば成立するのであり、加害者に責任能力があるか否かなどは関係ない。なお、民法の正当防衛と刑法の正当防衛は若干意味を異にすることに注意しなければならない。例えば、強盗Aに襲われたBが隣家の塀を破ってCの家の庭に避難した場合、刑法では緊急避難である(BとCとの関係から)が、民法では正当防衛となる(CはBに損害賠償を請求できないが、Aに対して請求できる)。

 また、被害者の承諾は、比較的に違法性阻却事由となる場合が多いというに留まり、全てが違法性阻却事由となるのではない。このことにも注意が必要である。

 刑事責任と同様に、民事責任の成立にも因果関係が必要である。民法の世界においては、相当因果関係説が通説である。

 最後に、参考として証明責任(立証責任、挙証責任)を説明しておく。

 訴訟上、権利または法律関係の存否を判断するのに必要な事実につき、一切の証拠資料によっても裁判所がその存否を判断しかねる場合がある。この場合、どちらかの裁判当事者に不利に仮定しなければ裁判が進行しないので、こうした仮定により当事者の一方が不利益を被ることにした。これを証明責任という。言い換えれば、或る事件について、当事者同士の権利または法律関係の存否を判断するのに必要な事実につき、裁判所が一切の証拠資料を参照したがその存否を判断できなかった場合に、どちらか一方が証明を充分に行わなかったとして、結果的に不利益を被ることになる。


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