玉川上水は、分水で小平や田無を潤しながら、境水衛所へ到達します。
ここでは上水道と、その表流水の掃除をし、水量などをチェックしていました。
江戸時代には水番所と呼ばれ、奉行所の下で水番人1名が常駐し
上水道の掃除だけでなく、漁や釣り、水浴びや洗濯、樹木伐採など、
上水で禁止されている行為の取り締まりを行っていました。
また、境橋の下流側で千川上水が分水していて、玉川上水と同じく
江戸市内へ向けて流れて行きます。
千川上水は、元々は小石川御殿(現在の東大附属小石川植物園)や
学問所(湯島聖堂)、寛永寺といった幕府にとって重要な施設への給水が目的でしたが
現在は西巣鴨が終端となっていて、その途中も途切れ途切れの状態のようです。
(境橋)
(水衛所についての説明板)
(千川上水の分水口。左が千川上水、右が玉川上水)
(分水口のバルブ)
ここでは上水道と、その表流水の掃除をし、水量などをチェックしていました。
江戸時代には水番所と呼ばれ、奉行所の下で水番人1名が常駐し
上水道の掃除だけでなく、漁や釣り、水浴びや洗濯、樹木伐採など、
上水で禁止されている行為の取り締まりを行っていました。
また、境橋の下流側で千川上水が分水していて、玉川上水と同じく
江戸市内へ向けて流れて行きます。
千川上水は、元々は小石川御殿(現在の東大附属小石川植物園)や
学問所(湯島聖堂)、寛永寺といった幕府にとって重要な施設への給水が目的でしたが
現在は西巣鴨が終端となっていて、その途中も途切れ途切れの状態のようです。
(境橋)
(水衛所についての説明板)
(千川上水の分水口。左が千川上水、右が玉川上水)
(分水口のバルブ)