玉川上水の終点、四谷大木戸です。
羽村取水堰から四谷大木戸まで43キロ、その標高差わずか100メートルを
たった半年で開削した事は、17世紀半ばの日本の技術力の高さを示しています。
四谷大木戸から先は、江戸城内や城下へ石升や木樋で配水していました。
ここから先も、一部の水路は跡が遺されていますが、「玉川上水」ではないので
またの機会に…。
(四谷大木戸付近)
羽村取水堰から四谷大木戸まで43キロ、その標高差わずか100メートルを
たった半年で開削した事は、17世紀半ばの日本の技術力の高さを示しています。
四谷大木戸から先は、江戸城内や城下へ石升や木樋で配水していました。
ここから先も、一部の水路は跡が遺されていますが、「玉川上水」ではないので
またの機会に…。
(四谷大木戸付近)