玉川上水は、杉並区内で再び暗渠となり、東下します。
明大前で、上水道は京王井の頭線の線路を跨ぎます。
京王井の頭は昭和八年に、帝都電鉄として開通した路線ですが
ここに線路を通すにあたり、現役上水道であった素掘りの玉川上水は
コンクリート造の開渠水路に改修され、都心の水道原水の汚染防止と
沿線の勾配を緩やかにする目的から、水路の下に線路を通す事になりました。
昭和四十一年に鋼管となりましたが、淀橋浄水場もすでに廃止され
大蔵省王子印刷局用の千川上水も停水していたため、三田用水用に
境浄水場から放水される水が八年間流れて、上水道としての役目を終えました。
この跨線パイプの下には、井の頭線が複線で通っていますが、
鉄道用地は複々線で確保され、橋脚も複々線用に造られています。
これは戦前に「第二山手線」として計画された東京山手急行電鉄の名残で
大井町から雪ヶ谷、自由が丘、駒沢、梅ヶ丘、明大前、中野、新井薬師前、
江古田、下板橋、板橋、田端、北千住、寺島、大島、砂町を経て洲崎と
山手線のさらに外側に広がりつつある住宅街や郊外電車を結ぶ
大プロジェクトでしたが、世界恐慌の煽りを受けて頓挫した幻の鉄道です。
この線路予定地は、上部に都心の重要な原水が流れていた事から
免許失効後も大きく改修されることもなく残され、井の頭線だけが走るには
少し大きすぎる状態で、現在までその姿を見せてくれているのです。
(玉川上水鋼管とその下を走る井の頭線と山手急行用地)
(鋼管を遊歩道から見る)
(鋼管取付部)
明大前で、上水道は京王井の頭線の線路を跨ぎます。
京王井の頭は昭和八年に、帝都電鉄として開通した路線ですが
ここに線路を通すにあたり、現役上水道であった素掘りの玉川上水は
コンクリート造の開渠水路に改修され、都心の水道原水の汚染防止と
沿線の勾配を緩やかにする目的から、水路の下に線路を通す事になりました。
昭和四十一年に鋼管となりましたが、淀橋浄水場もすでに廃止され
大蔵省王子印刷局用の千川上水も停水していたため、三田用水用に
境浄水場から放水される水が八年間流れて、上水道としての役目を終えました。
この跨線パイプの下には、井の頭線が複線で通っていますが、
鉄道用地は複々線で確保され、橋脚も複々線用に造られています。
これは戦前に「第二山手線」として計画された東京山手急行電鉄の名残で
大井町から雪ヶ谷、自由が丘、駒沢、梅ヶ丘、明大前、中野、新井薬師前、
江古田、下板橋、板橋、田端、北千住、寺島、大島、砂町を経て洲崎と
山手線のさらに外側に広がりつつある住宅街や郊外電車を結ぶ
大プロジェクトでしたが、世界恐慌の煽りを受けて頓挫した幻の鉄道です。
この線路予定地は、上部に都心の重要な原水が流れていた事から
免許失効後も大きく改修されることもなく残され、井の頭線だけが走るには
少し大きすぎる状態で、現在までその姿を見せてくれているのです。
(玉川上水鋼管とその下を走る井の頭線と山手急行用地)
(鋼管を遊歩道から見る)
(鋼管取付部)