THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

ROCK&TAIL COAT

2014-02-15 22:46:36 | CHICAGO

似ているジャケット・シリーズ第5弾。

長髪ミュージシャン達が、意外にも燕尾服に身を包み、にこやかに斜めポーズを決めています。

この意外性が新鮮でインパクト絶大。

微笑ましいデザインですね。

こういう図柄というかステップを見ると1970年代後半に大ブーム吹き荒れたツートーン・ブームにのってスペシャルズらと共に登場したマッドネスを思い出します。日本では車のCMにも登場して子供たちにも人気者になりコミカルなイメージが先行しましたが、現在では当たり前になっているスカというジャンルを広く世間一般に定着させたという貢献度は大きいです。その後はメンバーの脱退、解散に追いやられましたが、再結成後は来日も実現、現役にて活躍中。

 

さて、写真はシカゴ、初のボックス・セット「グループ・ポートレート」輸入盤。

CD4枚組で豪華未発表写真と膨大なる資料満載。全63曲入り。

CBS時代の集大成、未発表曲「ドウ―イン・ビジネス」も聞くことができます。

日本では長方形のボックス仕様ではなくCBSにてプラスチック・ケースにて発売。テイチクにて再発売された際には、2枚、2枚の2つに分けての発売でした。

これはLP時代の「カーネギー・ホール」4枚組が特別に日本のみ許可を得て、2枚、2枚に分けて発売された手法と同じですね(更には1枚ものとしても発売)

 

かたやブリティッシュ・ロック界の伝説、クリームの「グッバイ・クリーム」

ロック編成として最小人数の3人で結成されたスーパー・バンド。デビューは1966年7月、土砂降りのナショナル・ジャズ&ロック・フェスティバル野外ステージ。

 

エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーらによる大音量から飛び出すインプロビゼーションはその後のあらゆるロックに多大なる影響を与えました。

火花散るアドリブ合戦、延々と繰り広げられるソロ、結局は個性の強いメンバー達のエゴのぶつかり合いでほんの2年あまりで解散。

でも名盤、名曲、ヒット曲、センスの良いカバーを残しました。

解散コンサートは1968年11月26日ロンドン、アルバート・ホールにて。この模様は映像として今も見ることができます。

さて、写真のアルバムはクリームが解散した直後、故フェリックス・パパラルディが製作。

全6曲。前半の3曲はフィルモアからのライブ(ベースのうねり具合が半端ではないです)、後半の3曲は2枚組アルバム「クリームの素晴らしき世界」レコーディング時期のもの。

特筆事項は何といってもエリックの大親友、ジョージ・ハリスンとの共作「バッジ」に尽きますね。2人の音楽性が見事に合体した珠玉のナンバー。

クラプトンは今もこの曲はライブで演奏しています。

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2014/2/15(SAT)札幌市民音楽団 第9回定期演奏会

2014-02-15 20:20:56 | free form space

STAでのブラスロック・プレイとは、また一味違う別の面のタツのトランペット・プレイを堪能できます。

 

場所:ちぇりあホール

チケットのお問い合わせはSTAまで!!

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LENS

2014-02-15 05:53:38 | CHICAGO

類似系ジャケット第4弾。

こちらも偶然、レンズを素材に使用したという共通項があるだけで、あとは皆さんでそこから発展させて盛り上がりましょう(笑)

 

「シカゴ16」のほうは、この際だから一挙4枚、陳列。アメリカ盤、日本盤の帯び色違い、ドイツ盤。10曲入り。

1982年発表のこの作品なくして現在のシカゴは存在しなかったのでは・・・と思います。

前作「14」はまったくチャート的にも失敗、ヒット曲もなく人気は失墜状態(故・トム・ダウトは名プロデューサーとして有名ですがシカゴとは音楽的にうまくかみ合わなかったようです)

起死回生、背水の陣でそれまでタッグの話しがあったにも関わらず実現しなかった(断った?)デヴィッド・フォスターをプロデューサーに起用。

それが功を奏してシカゴは奇跡の復活を遂げるのです。まさに「シカゴの奇跡(字が違うけど)」

AOR不朽の名バラード「素直になれなくて」を生み出し、他にも「ラブ・ミー・トウモロー」などのヒット作も連発。

ツアーも大成功。プロモも頻繁にオンエア。11年ぶりの来日公演も敢行(私はNHKホールの追加公演も含む東京全コンサートを体験しました)。

デヴィッドも名声を博することとなります。

バック・ミュージシャンにはデヴィフォスの人脈で多数の一流スタジオ・ミュージシャンを起用(TOTOらも参加)

ラウジ―ル・ディ・オリヴェーラは脱退、新たにビル・チャンプリンが加入。ボビーの曲も歌も極端に少なく、ピーターとデヴィフォスのカラーが濃厚に。時代の流れ上、生き残りをかけるにはこの方法が1番の得策だったのです。

ジャケットは基板に組み込まれたシカゴ・ロゴを覗くという図。デジタル時代にシカゴも参入、第2の黄金期到来です。

中袋も基板シカゴ・ロゴが一面に型取られています。

 

デオダートの第2作目「ラプソディ・イン・ブルー」、1977年発表、5曲入り。

ブラジルはリオデジャネイロ生まれのエミール・デオダートは若き頃より作曲、アレンジ、プレイヤーとして多方面の音楽にその才能を発揮。

その後、まだフュージョンなるジャンル名が存在する前(クロスオーバー?)に「ツアラトウストラはかく語りき」でソロ・デビュー。

ジャズ、ポップス、クラシック、ソウル、ロック、ボサノバ、ソウルなどのエッセンスをセンス良く楽曲に加味した内容が大当たりして、このアルバムは異例の大ヒット。カバー・ソングに対する編曲も心憎いほどの冴えを見せている。

バックのミュージシャンも超1流ばかりで、安定したサウンドを形成している。

その勢いを駆って製作されたのがこの作品。

ムーディー・ブルース「サテンの夜」、ラヴェル作の切なくも美しい「なき王女のためのパヴァーヌ」、スリリングなバック陣がかっこいい「スカイスクレイパー」、そして文句なし、あまりにも有名なガーシュインの傑作「ラプソディ・イン・ブルー」

捨て曲なし、何度再生しても一気に聞き終えてしまう私の超フェヴァリット・アルバムです(もちろん前作とペアで)。

多くのことを学んだアルバムでもあるために自分にとっては貴重、思い出深き大切な名盤です。

バックのメンバーもリック・マロッタ、スタンリー・クラーク、ビリー・コブハム、ジョン・トロペイらがいぶし銀かつ躍動感に満ちた演奏を披露しています。

レンズを構えてこちらを見据えるデオダートはとてもハンサム、ジャケットでもどアップが見事絵になりますね。

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SEALING WAX

2014-02-15 02:40:06 | CHICAGO

類似系ジャケット第3弾。

といってもこちらはたまたま、扱った素材が同じだったというべきでしょうね。

ジャンルも異質なシカゴとホワイト・スネイクです。

両方のジャケットの中央に見られる赤い物は、手紙などの封印に使用する封蝋というものです。

未開封の証として、赤いスティック状の蝋を溶かして手紙の蓋部分に垂らして素早く印を押すというもの(ホワイト・スネイクのほうは手紙じゃないみたいです)。両方ともに、もちろんバンド・ロゴを扱っています。シカゴのほうの便せんには「ビギニングス」の歌詞の出だし部分が書き込まれているという念の入りよう。

 

まずは2007年発売、シカゴ結成40周年記念2枚組ベストです(ギタリスト、キース・ハウランド直筆サイン入り)

全30曲収録。

デビュー盤から最新アルバムまでのシングル曲を中心としたもので、貴重なヴァ―ジョン(EDIT)も多数収録。

曲ごとにメンバーのコメント付き。

 

ホワイト・スネイクのほうは1989年発表の10曲入り。

ガヴァメントなどのローカル・バンドを経てイアン・ギラン脱退後のディープ・パープルに見事テープ審査を通過して正式メンバーに大抜擢されたシンデレラ・ボーイ、デヴィッド・カヴァーデル。(応募した曲は酔った勢いで歌ったイエスタディ!)第3期パープルにおいて「紫の炎」などの名曲を発表、伝説のカリフォルニア・ジャムに出演、「嵐の使者」発表後、脱退したリッチー・ブラックモアに代わって加入したトミー・ボーリンを迎えての第4期パープルは来日公演も実現。しかしその直後にバンドは崩壊(後に再結成、現在に至る)。ソロに転向したデヴィッドが結成したのがホワイト・スネイク。ところが長年思うような成功も得られず、メンバーの出入りも激しく不遇の時代を送ることに(もちろん熱狂的ファン層は確実に存在、かくいう私もセインツ&シナーズ公演を武道館で見ています。その時のメンバーも3人は鬼籍の人)。1980年代後半に転機は訪れます。起死回生入魂のアルバム「サーペンス・アルバス」が世界中で大ヒット。シングルヒットも生まれ、プロモビデオも盛んにオンエアされました。

このアルバムはバンドにとってもロック界にとっても重要な位置を占める大傑作。

レコーディング&コンポーザーとして参加していたジョン・サイクスらメンバーのほとんどが脱退。アルバム・ヒットの勢いで開始したツアーには新たなメンバーにディオからヴィヴィアン・キャンベル、ヴァンデンバーグからエイドリアン・ヴァンデンバーグ、クワイエット・ライオットからルディ・サーゾ、オジー・オズボーン・バンドからトミー・アルドリッジが参加。

黄金期を迎えることになります。ルックス、話題性などもっとも何をやっても華やかに映えるカッコ良かった時代がこの時でしょうね。(コアなファンは初期のソウルフルなサウンドを支持)ヴィヴィアンはほどなくして脱退(リバー・ドッグスを経てデフ・レパードに加入、現在に至る)、デヴィッドの頼もしい片腕的存在のエイドリアンが腕を怪我してしまったために、ニュー・アルバムのレコーディングには、驚きのスティーブ・ヴァイを抜擢。賛否渦巻くこの人選。ミスキャストだ!との声も飛び交いましたが前作にならってか代表的傑作「フール・フォー・ユア・ラヴィング」をセルフ・カバー。話題の的に。

そのアルバムが「スリップ・オブ・ザ・タングー」です。

たしかにスティーブのギターは浮いていますが、これはこれでいかしていて私は好きです。

このメンバー達によるツアー終了後、バンドは一時的に解散。デヴィッドは在籍メンバーもバンド活動も流動的に現在に至っています(ソロ、アンプラグド、カヴァーデル・ペイジなどの作品もあり)

 

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MAN-HOLE Ⅲ

2014-02-15 01:31:29 | CHICAGO

この間のシカゴ対ビートルズのジャケット類似性比較論がけっこう好評だったので、調子にのって第2弾です。

今回は3枚のアルバムを。

まずは、シカゴのオリジナル・ドラマ―、ダニー・セラフィンが結成したザ・カリフォルニア・トランジット・オーソリティのデビュー作「フル・サークル」(13曲入り)。といっても、このアルバムは、発表当時にこのSTAブログにて紹介済みです。

とにかく、言えることはフュージョン・サウンドをダニー指揮の元にベテラン・ミュージシャン達がシカゴの楽曲を中心に楽しく肩の力を抜いて作ってみました!ということ。セカンドはよりシカゴっぽいよ、徹底的にブラスロック!!

で、このマンホール・ジャケット・・・・なのですが、つい最近、入手した「シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン」(8曲入り)のそれと瓜二つ。冗談抜きに私は手にした途端、CTAのCDだと錯覚したほど。

ただし、こちらは1968年9月5日、L・Aでのトリオ編成ジャズ・ライブ(リハは1回きりだったそうです。ちなみにベース奏者はレイ・ブラウン)。

私はミシェル・ルグランといえば映画音楽作曲家(華麗なる賭けなど)として知ったのですが、実はジャズにも造詣深く、大御所たちと臆することなく堂々とアレンジを提示して指揮をとっています。(マイルス、コルトレーン、フィル・ウッズ、ビル・エヴァンス、ハービー・マン、ベン・ウェブスターなど)

そして最後はMTV全盛期当時、ド派手に登場して話題をさらったへヴィー・メタル・バンド、ツィステッド・シスター「カム・アウト・アンド・プレイ」(1985年作品、ボートラ含む11曲入り)

ワイルドでパワフルなステージング、どぎついメイクの5人組。ボーカルのディー・スナイダ―のキャラクターは群を抜いていますね。

このアルバム・ジャケット、私はLPも持っていますが、なんとマン・ホールがちゃんとそのまま円形蓋にくり抜かれていて開くのです。

ゲストのアリス・クーパーは当然としてもビリー・ジョエルの名前を発見した時はビックリしました。

 

 

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