THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

JUMP! JUMP!! JUMP!!!

2014-02-21 19:33:41 | free form space

ソチ・オリンピックももうすぐ閉幕、日本女子が後半にきてメダル2つ獲得して勢いづいてきましたね。

レジェンド・葛西選手はじめ日の丸飛行隊も元気いっぱいの帰国。感動をありがとう!

他の競技種目も賑やかに注目されていますが、ここはやはりロックっぽい「ジャンプ」という単語に引っかけて強引にも(笑)ジャンプがらみの曲を集めてみました。

 

まずは、日本が誇るギタリスト、高中正義の1983年発表「キャン・アイ・シング?」からのシングル「ジャンピング・テイク・オフ」

車のCMにも起用されて、デジタルサウンド導入初期の躍動感あふれるキャッチーなメロディーを披露、でも高中節は健在。この時のツアーをNHKホールで見たのですがツインギター編成、なんと高中がステージ前方に出てきてムーン・ウォークまで披露してくれました。もちろん「ジャンピン・・・」もやったよ。

ちなみにトリス・インボーデンも高中とは競演歴あり。

 

なんといっても「ジャンプ」といえば、殆どの人達がヴァン・ヘイレンの曲を真っ先にあげることでしょう。

1983年発表「1984」からの大ヒット・ナンバー、(2曲目に収録、4:01)。天才エディー・ヴァン・ヘイレンのギター・テクニックに世界中のギター小僧が注目する中で、いきなり彼自身が演奏するキーボード・リフのイントロに皆が皆、驚いたことでしょう。

中間部におけるライト・ハンドはさらっとやっていますが、やはりめちゃくちゃに難しいそうです。

ダイアモンド・ディブはじめメンバー全員によるお手軽なプロモーション・ビデオも話題になりましたが、この曲によりVHは別格のモンスター・バンドに急成長。それまでオリジナル曲による決定打に欠けていた彼らの快進撃がここから始まります。(この後にディブがミニ・ソロ・アルバムとカバー・シングルを発表、大ヒットした後に脱退・・・そして復帰)

 

そしてもう一つの「ジャンプ」がやはり1983年発表のポインター・シスターズ。(4:22)

バン・ヘイレンがハード・ロックならば、こちらはファッショナブルでお洒落なダンス・ナンバーで、もちろん大ヒットしました。

ポインター・シスターズはデビュー直後シカゴのツアーに同行したり、アルバムにもゲストとしてVO参加していました。

 

私の秘かなお気に入りミュージシャン、ジョー・ジャクソンはニュー・ウェーブ・ブーム吹き荒れる時期に颯爽と登場、アルバムごとにまったく想像もつかないくらいの豹変を遂げるカメレオン男です。

とにかくその実験的姿勢には脱帽、鳥肌物です。

1981年発表の「ジョー・ジャクソンズ・ジャンピン・ジャイブ」(12曲入り)ではその名の通りジャイブ・ミュージックに挑戦しています。

タイトル・トラックは7曲目に収録。

特に音楽業界人からの注目度は絶大です。通をも唸らせるミュージック・クリエーター。

 

北欧へヴィー・メタル・バンドの重鎮、プリティ・メイズ1990年発表の「ジャンプ・ザ・ガン」

タイトル・トラックは7曲目に収録(3:49)

ヨーロッパ系バンドの特徴でもある哀愁感ただよう美旋律が日本人の琴線にとてもフィットするのです。

様式美に溢れた曲展開も折紙つき。このバンドはディープ・パープルのメンバー達からとても気に入られているようでツアーに起用されたり、またこのアルバムのプロデューサーをロジャー・グローバーが担当したり、ドラムをイアン・ぺイスが叩いたりもしています。(レコーディング期間、ドラマーが帰宅の途中で交通事故を起こして体中の骨を折るという重傷。そのニュースを聞いたイアンが代役を自ら申し出たそうです)その後も一身上の都合によりキーボードが脱退。そういった難産の末に完成したアルバムです。

個人的に気に入っているアルバムは前作1987年発表の「フューチャー・ワールド」ですが、そこから数段ステップ・アップして音楽の幅を広げた余裕の快作が「ジャンプ・ザ・ガン」です。

 

もうすぐまたまた日本にやってくる大御所ローリング・ストーンズの代表作でもありロック・アンセム「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」(3:40)

ブライアン・ジョーンズ脱退、その後1969年に他界、バンドが失意の中で迎え入れた新メンバー、ミック・テイラーとの録音曲がこれ。

切れ味鋭いギター・リフから、グイグイと否応なしにストーンズ・ワールドに聞くものすべてを巻き込む勢いのロック。

札幌公演のオープニングでもキースによるワイルド過ぎるくらいの(!)イントロで興奮の坩堝に叩きこまれました。あの超有名なリフはビル・ワイマンが考えたと、ひと悶着ありましたが、キースは認めていません。

モノラル・テイクではテープ・スピードの不備でピッチが不安定になっています。ようく聞いてみて。今回の来日はミック・テイラーがゲストなので、この曲が披露されるときには、一段と盛り上がるでしょう。

 

最後は写真中央のシカゴ白黒写真に注目!

これは1973年2月、デューク・エリントンの74歳バースディTVスペシャル「ウィ―・ラブ・ユー・メドレィ」に出演した時のショット。

大御所達が大挙出演した中で唯一ロック界からシカゴが招かれたのです。

その顔触れはレイ・チャールズ、カウント・べイシー、サミー・ディビスJR,エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ペギー・リー、ルイ・ベルソンなど錚々たる面々。

緊張した面持ちでシカゴのメンバーらがエリントンに感謝の気持ちを伝えたところ、なんとエリントンから「私のほうこそ光栄だよ。だって君らは未来のエリントンなんだからね」との言葉に天にも昇る感動にうちふるえたそうです。

で、その時に演奏した曲が自由を勝ち取った黒人奴隷達の喜びを綴った「ジャンプ・フォー・ジョイ」

私も再放送を含めて何度か見ましたが、めったに映像を見ることができなかった時代にテレビでシカゴが映る(新聞記事も切り抜いて保存してあります)のですから大事件です。瞬きするのも惜しんで食い入るように見ました。

ボビ―によるピアノ弾き語り風イントロ、そこから一転、力強いタッチのリズムに切り替わってビートがドンドンと激しさを増して、徐々にホーン・セクションがヒート・アップ、中間部ではテリーが鬼の形相で目にも止まらぬ速弾き、シャープなカッティング、ピーターは腰をくねらせつつも渋いフィルを絡めてきます。後半は全員一丸となって迫力を増しフィナーレ。あの言葉では到底表現できないシカゴの惚れ惚れするようなカッコよさ。今も鮮烈に覚えています。ぜひとも映像、音源を正式に発表してほしいアイテムの一つ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする