THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

ROY BUCHANAN…poster&DVD&EP

2020-04-21 03:23:19 | free form space

なんとも珍しいポスターが数十年という時の流れを超えていきなり出てきました。
この人のポスターって見たことないなあ…。
ブルースギタリスト、故ロイ ブキャナンです。
90年代にアルコールが原因での悲劇の死を知った時は呆然としてしまいましたよ。ギター界の宝だったのに。

彼のデビュー時は噂が噂を呼んで業界内でも話題騒然でしたね。
ローリングストーンズのギタリスト有力候補にもなったし、あのジェフベック他大物ミュージシャン達にも多大なる影響を与えています。
ベック泣きのギターが秀逸な代表作でライブでは必ずハイライトに演奏される「哀しみの恋人達」は、スティービーワンダーが「迷信」でのお詫びにプレゼントしたもの。
この鳥肌モノのインストウルメンタルはロイ ブキャナンに捧げられています。ベックはロイのエモーショナルなプレイを相当参考にしたそうです。またその返礼としてロイも名曲「メシアが再び」シングルB面に「マイ フレンド ジェフ」という曲を収録しています。
互いにリスペクトし合う仲だっただけに尚更のこと残念です。

このポスターは私が19歳の頃、群馬県の小さなレコード店でもらった一枚。

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earth wind&fire (CD's)

2020-04-21 02:47:13 | CHICAGO

EW&F

シカゴと同じイリノイ州はシカゴにて1969年結成。

70年代には大所帯編成に大胆なブラスセクションも加えてヒット曲を連発しましたね。

バンド名の由来は当時シカゴのライバルとよく言われていたブラスロックバンド、ブラッド・スェット&ティアーズの模倣とも言われています。

ただ、シカゴほどには順調な快進撃とまでは全体を通してみて、お世辞にもいえない状況だったようです。まずはデビューから数年間は泣かず、飛ばず。

一度解散したのちにメンバーを入れ替えてテコ入れ後は、徐々に名前も知られる存在になってゆきます。確かこの頃のアルバム広告のキャッチコピーに「黒いビートルズ」などと書かれていたように私は記憶しております。

そして映画のサウンド・トラックが見事全米チャートの1位を獲得。

「ブギー・ワンダーランド」「セプテンバー」「宇宙のファンタジー」「レッツ・グルーブ」「シャイニング・スター」「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」など数多くの大ヒット曲を当時のディスコ・ブームという追い風もあり誕生させるのです。

今ではクラブにおける永遠の定番ソングですね。世代も国籍も老若男女も超越して誰もがゴキゲンな気分でノリノリになれるスタンダード。この頃の斬新なアルバムジャケットは日本人デザイナー長岡秀星氏が担当していた事でも話題になりました。

日本でもそんな彼らのコスチュームやファンク、ファルセット・ヴォーカル、派手な演出や振り付け、ピラミッド・イメージのアルバムジャケット、バンドロゴを参考にして新田ヨロシク一郎氏率いる「スペクトラム」というバンドがブレイクしたほど。

EW&Fから絶大なる影響を受けている(特にベーシストの中村氏)というドリーム・カム・トウルーにも、もろオマージュととれるビッグヒットソングがあるのはつとに有名な話。

しかし、一過性なブームが去ったあとは人気も低迷。

電子楽器に比重を置いた方向転換を図るも人気は相変わらず下降線の一途を辿り、メンバー各自はソロ活動に入ります。

その後もバンドは復活、アルバム発表に伴って何度も来日公演を行ってその都度カリスマ的存在感を誇示、大盛況でした。

バンド誕生から活動停止,再開を繰り返しつつもずっと牽引してきた偉大なるモーリス・ホワイトも残念ながら亡くなってしまいましたね…( i _ i )

グラミー賞6回受賞、2000年にはシカゴに先立ってロックの殿堂入りを果たしてもいます。アルバム売上げ総数は9000万枚以上。

モーリス・ホワイトのグルーブ魂が思いっきり込められた歌声は、これからも世界中に轟きわたっていくことでしょう。

ちなみに先に成功していたバンド、アース&ファイアがいたから個人的にはややこしかったなあ…。

EW&Fとシカゴは何度もジョイントツアーを敢行。
DVD発売も話題になりました。
一緒に来日してくれたら、めちゃくちゃに盛り上がるでしょうね!
EW&Fグラミー受賞作品「アフターザラブイズゴーン」はデビッドフォスター、ジェイグレイドン、そしてビルチャンプリンの共作です。
シカゴ最新アルバムにはEW&Fのメンバーも客演。
また別にシカゴ、EW&F共作曲も発表しています。

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DURAN DURAN(records)

2020-04-21 02:03:38 | free form space

70年代までのロックバンドといえば、長髪に髭面、GパンにTシャツ。ガンガン大音量でワイルドにシャウトして火花散るソロを繰り広げるイメージが強かった。
そこへニューロマンティックというジャンルの代表格としてMTVブームにのり颯爽と登場したデュランデュランは爆発的人気を博しましたね。
全員ファッショナブルでルックスがよく、洗練されたアレンジと安定したテクニックは申し分なし。キャッチーなメロディとダンサブルなプレイも時代にマッチしていたし。
日本でも女の子達を中心に早くからブレイク。
私の当時のバンドメンバーが原宿で初来日したばかりのデュランデュランがぶらついているのを見たとやたらと騒いでました。
私の仲間のドラマーが「ジョンテイラーのベースは参考になるよ」とアドバイスしてくれましたね。
あのタイトでセンス溢れるラインは確かに。
デュランデュランには名曲、ヒットが多いから凄いとは思うけど、プロジェクトのパワーステイションはもっとドップリはまりまくりました!!

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three dog night(CD's)

2020-04-21 01:41:43 | CHICAGO

70年代初期、ヒット曲を連発した[スリードッグナイト]
ものすごい人気でした。個性、ルックスが異なる三人の実力派シンガーをフロントに従えて一世を風靡したアメリカンロックバンド!
カバーをセレクトするセンスがピカイチ。
札幌にも三回やってきましたよ。
私も市民会館の真ん前で観ましたが、残念ながらボーカルは既に二人編成でした…。😎(チャック・ネグロンはドラッグ問題が原因で脱退) 
もうこのバンドからはベース、ボーカル、キーボードの三人が亡くなっています。チャック・ネグロンはソロアルバム発表後、事務所の関係で一時、デヴィッド・クレイトン・トーマス不在時のBS&Tで歌っていたこともあります。
3DNとシカゴは70年代初期の頃は仲良しで、お互いのチャートや売り上げに影響しないように、リリース時期を意識的にずらしていたそうです。また、3DNの初期アルバム「融合」ではシカゴ・ホーン・セクションがゲスト参加していますよ!!
膨大なるヒット曲の中でも彼らの代表曲が「喜びの世界」なのは当然として、私個人的にはいつ聴いてもグッとくるのは誰が何と言ってもポールウイリアム作品「オールドファッションドラブソング」であります!

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Carmen maki&OZ

2020-04-21 01:00:53 | free form space

1969年「時には母のない子のように」でいきなりデビューヒットを飾ったカルメンマキさん。
そのご褒美にレコード会社からプレイヤーと数枚のレコードをプレゼントされたのです。
その中のジャニスジョプリンに衝撃を受けたマキさん!
竹田和夫率いるブルースクリエイションで、ロックシンガーへと方向転換。
そして満を持して結成したのが伝説のバンド「カルメンマキ&OZ」
あのフォークシンガーのイメージが強烈だっただけに、こちらも十分にインパクトあった!
確かに日本でも何人かの女性ロックシンガーが台頭し始めてはいたけど、カルメンマキさんはその中でも群を抜いていた!エキゾチックな美貌と、長いカーリーヘア、ヒラヒラした華麗なるロングドレスを揺らしながら魂のシャウトを繰り広げる様は圧巻!
また当時としてはまだ珍しかったプログレハードロックに、師匠の寺山修司からの影響化、歌詞の内容も素晴らしかった!
私は内田裕也さん主催の第1回ワールドロックフェス真駒内アイスアリーナでこのバンドを生体験しました。
ビックリするようなバンド達の中(クリエイション、四人囃子、ジョー山中、ジェフベック、フェリックスパパラルディ、ニューヨークドールス、コスモスファクトリーなど)唯一の女性ロッカー!
でも男顔負けなパフォーマンスははっきりと覚えています。
フロントセンターでタンバリン片手にリズムをとりながら、圧倒的な声量、声域も披露。とにかくかっこよかったなあ!一種独特なるオーラがすごかった!(フィナーレでギタリストがドラム台にギターをノコギリみたいに擦っていたのには笑えたけどね)
2度目の来日のGFRでも前座を務めてましたね。
その後、1981年には本格派ヘビーメタルバンド5Xを久保講堂で観ました。
Japanese metalブーム全盛期!
マキさんはノーブラにTシャツ、ジーンズ姿!
ラウドなサウンドに汗飛び散らせてひたすらヘドバン。
リッケンバッカーのベーシスト、キンさんはPAの上にまでよじ登って弾きまくってたなあ!
夜のヒットスタジオにあのSHOW-YAが出演。
ボーカル寺田恵子嬢が「尊敬しているのはカルメンマキさん」と言った途端にサプライズでマキさん登場!
寺田恵子嬢は大号泣してましたね!
元祖日本のロッククィーンが与えた影響はいまだに絶大であります!!

ちなみに昨年のOZ再結成ツアーも記憶に新しいところ。

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LOUDNESS(LP's)

2020-04-21 00:41:47 | free form space

俺は相変わらずハードロック、ヘヴイメタルが好きだ。
もうかなりの間、演奏はしてないけど、やはりあの迫力あるサウンドを体現すると今でも血沸き肉踊るよ。
若い頃ほど聞かなくなってしまったけど…。
浴びるほどに十分、聴きまくってたからなあ。

ジャパニーズヘヴイメタルの重鎮と言えばラウドネス!
彼ら以前にも、たくさんのハードロックバンドは存在していたけど、まだまだ一部のファン達に受けている程度だった。それを一気に拡散して多大なる影響を及ぼし後続バンドを続々と輩出するきっかけになった貢献度は絶大。
あのシーンは凄まじかった!
音楽以外に、楽器、スコア、エフェクター、アンプ、そして髪型から服装、アクセサリー、パッチワーク、メイクにとファッション方面まで、そこいら中はメタル一色。
ちょい前まで「もう男性の長髪なんか流行らない」なんて言われていたのにね。
専門のショップなんかも登場してたでしょ。
日本中でメタルライブイベントも盛んだった。

個人的にもラウドネスのデビュー作は衝撃だった。
日本人でこんなアルバムを制作できるんだあ、と。
スプレーで盛ったヘアや、マーシャル山積みのステージが懐かしい。
なんたって前身のレイジーがデビューした時から見ていたから感慨深かった。
バンド名や、ルックスなどから察するに、絶対彼らはハードロックをやりたいんだろうなあ、と思った。
それが「赤頭巾ちゃん御用心」
後々までバンドメンバーの一部が嫌悪感を示していたこの曲や、振り付け、愛称やらで、そのうち鬱憤爆発するだろうなあ、と予想してたもん。(既に2人は故人だね…)
それだけに痛快過ぎる程だったラウドネスの登場。
シェイカー、バウワウとかはライブを見た事あるんだけどラウドネスは何故か見た事がない。
でも海外バンドのライブ会場では、よくラウドネスのメンバー達を見かけた。
ライブが好きで勉強熱心だったのかな。多忙な時なのに。
特にレインボー武道館コンサートの時は開演前に一階正面スタンドに座っていたラウドネス4人に会場が騒然となっていた!
全員サングラスに革ジャン姿でカッコよく横並びで座っていて注目を浴びていた!
翌月のロック雑誌にラウドネスのレインボーライブレポートがしっかりと載ってました。
ラウドネスはメンバー間の確執、脱退、出戻り、病い、死去、ソロワーク、ジャンルの方向性変換など紆余曲折を経て尚も現役でワールドワイドに活躍しているんだから凄いね。
ちなみにドサンコメンバーが多いのも嬉しい限りです。😎🎶‼️

何故かヒグっつぁん、ニイちゃんのサインはSLYプロモーション時のモノ!

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